胡散臭い職員と、気づいてしまった想い(ヴォルフside)
女を助けた翌日から、やはり俺の置かれる状況は悪くなった。
あの危なっかしい女を口止めした程度で、俺が調整役の男を昏倒させたことを揉み消せる訳もない。
やはり、あの場を見ている者はそれなりにいたらしい。
後ろ暗い者が集まる閉じられた世界の中で、俺への風当たりは最悪になった。
殴られた本人は、自分が自覚なく酔いつぶれていたという状況だけで全てを察したらしく、俺に対する周囲の態度を改めるよう諭して回っているようだが、あの男を慕う奴らがそれで気が済むはずもない。
だいたい、男が自ら酒を煽ったわけではないというのなら、あの男を罠にはめた誰かがいるということだ。
そいつにとっては、男と取り巻きが揉めることも思惑のうちだろう。
男が諫めた程度で簡単に状況が収まるとも思えなかった。
そろそろ潮時かと、俺が王都を離れることも考え始めたときだった。
「ヴォルフさんというのは、あなたですか?」
「ア゛ァ?」
突然名を呼ばれ、そちらを見やれば、こんな廃れた路地に不似合いなスーツを着込んだ優男が立っていた。
「クラインと申します」
「聞いてねえよ」
クラインと名乗ったこの場に異質な優男は、よくよく見れば、その体が常人よりも作り込まれていることが分かった。
負けるとは思えないが、無視したままというわけにもいかない。
その後も俺の反応にお構いなしにクラインが語った内容に、俺は一考の余地があると思えた。
クラインが提案してきたのは、闘技場へ出場しないかということ。
クラインは闘技場職員であり、選手選抜も任されている立場にあるらしい。
なるほど、と、こいつの体つきにそれで納得がいった。
一見優男にしか見えないこの男も、戦いの術に通じた手練れだということだ。
奴が言うには、残りの闘技場出場枠へ適切な実力を持った者を宛がわなければならないらしい。
そこで俺に白羽の矢が立ったとか。
俺の存在をリークした者を尋ねたが、情報の出どころは言えないと躱されてしまった。
しかし、おそらく、俺の置かれた状況を不憫に思った調整役の男か、その付き人のようなひょろっとした男が情報を流したのだろう。
まあ、可能性が高いのは付き人のほうだろうな。
内心納得する。
俺がいれば争いの種だ。
俺にも悪い話ではないし、調整役の男に心酔しているあの付き人のような男ならやるだろうなと思えた。
「で、選抜試験もなしに放り込むってか?」
「そうなります」
この男の実力者を見つける眼は、相当信頼されているらしい。
選抜試験なしで選手を起用したとなれば軋轢も生みそうなものだが、本戦選手というだけであの界隈ではヒーローのようなものだ。
ここでの風当りに比べれば随分マシになるだろうことは分かる。
「で、俺は何をすりゃいい」
「おや、慧眼をお持ちのようだ」
それだけの好待遇で見ず知らずの俺を迎えるのだ。
何かあるだろうと聞けば、奴は察しが良くて助かると嬉しそうに笑った。
腹黒そうにも見えるその笑みに嫌な予感もする。
闘技場のことは悪く思っていなかった俺だが、八百長をなどと吹き込まれた日には失望してしまいそうだ。
「──て欲しいんです」
「ハァ?」
「たまに、私に協力するだけですよ」
しかし、俺の予想とは違い、奴が俺に交換条件として提示したのは、耳を疑う内容だ。
しかし、クラインの顔は冗談を言っているようでもなく、奴が本気でそれを交換条件にしようとしていることが分かった。
「……どう転ぼうが、俺のせいになんざするなよ」
「大丈夫です。自信がありますので」
じゃあ俺を巻き込むなとも思いつつ、俺に不利益がないのであればとその交渉に是を返した。
それからクラインは、俺を闘技場の中、あちらこちらへと引っ張りまわした。
翌週には闘技場の看板選手だというディディエ・トローと挨拶させられ、ディディエの試合を観戦した。
俺と歳も変わらないディディエが元騎士だという噂は聞いていたが、その戦いぶりは型にはまらず自由なもので、ここ闘技場の特殊さを感じさせられた。
がっしりとした肉体を持ち、人気選手であることに胡坐もかかず、新入りである俺にもまろやかな笑みで腰を低くしたディディエの人気の理由も分かる気がした。
試合中、クラインが俺に声をかけてきた。
客席を指したクラインは、例の交換条件の相手がそこに居るのだと言った。
見て、俺は一瞬、言葉を失った。
「……学生じゃねえのか、大人げねえ」
「ちゃんと成人されてますよ」
内心の動揺を押し殺した俺に、クラインは気づかなかったらしい。
「あちら、ドリーさん。ご存じでしょう? 悪漢から助けたとか」
「知らねえな」
クラインの示す先、そこには奴の言う通り、先日俺が調整役の男から助けた女とその友人らしき女がいた。
あの時の女はドリーというらしい。
俺はクラインの掌の上で踊らされたことを悟り、小さく舌打ちした。
今観客席でディディエを応援するドリーは、俺が見た時よりもめかし込んで、随分明るい表情を試合会場へと注いでいる。
「女性って、本当にディディエ選手のようなタイプがお好きですよね」
「……」
笑ってそう言うクラインへ相槌する気にもならない。
一瞬だけ何かが気に障るような不快感がしたが、自分でも理由が分からず内心首を傾げる。
クラインはそんな俺の様子を気にすることもなく続けた。
「では、約束どおり、見つからないよう注意してくださいね」
「分かってる」
“よりによって”。
そう思ったのはなぜだったのか。
俺はその日から、クラインの指示どおり、ドリーたちが来ない日を狙って試合を重ねた。
身を隠すような肩身の狭い生活に嫌気がさすと同時、ドリーがあの時の礼を言うために俺を探しているらしいことも耳にする。
深いため息を吐く。
クラインにはめられたようなものだとは思いつつも、それで俺に不利益があることではないはずだった。
俺自身が身を隠しているくせに、ドリーが他の戦士たちの試合を楽しそうに見ている姿がやたらと目についた。
特に、ディディエの試合にはほとんど欠かさず訪れ、熱心に応援をしている。
『女性って、本当にディディエ選手のようなタイプがお好きですよね』
先日のクラインのセリフがその度に思い出され、俺は正体の分からない不快感を味わっていた。
一度助けただけの女のことなど、気にしなければいいと分かっているはずなのに、なぜ目で追ってしまうのか。
彼女の前に姿を現せないことが、どうしてここまでもどかしいのか。
二か月後、やっとクラインの気が済んだことで堂々とドリーのいる日でも試合の場に立てることになった。
無意識で探してしまうのも、もう癖のようになっていた。
観客席にいるドリーと目が合う。
彼女と目が合ったそれだけで、おかしな程に気持ちが高揚する。
俺はずっと、この気持ちに気づかないふりをしていただけだったことを自覚した。
その感情は、クラインのことを抜きにしたとて、俺には手に余る代物だ。
だが。
「気づいちまったモンはしょうがねえ」
頭を掻き、観念したとばかりにこぼした俺の言葉は、誰に届くでもなく風に溶けて消えた。




