8発目
最近雨が降ったり止んだりですねえ。
水曜日。ついに俺たちが住んでいる首都圏も梅雨入りした。
今日は朝から雨模様。薄暗く、今にも幽霊でも出てきそうな天気。
こんな日でも朝早くから仕事に行かれる社会人の皆様、お疲れ様です。
時代はオンラインだし、雨の日もみんな家からオンラインでいいんじゃなかろうかなんて思ってしまうが、雨の中何かを憂うような表情で傘を差している女性もまた絵になるものだ。
というか「女性」は今まさに隣にいる。
ただその表情は憂いなどなく、満面の笑みである。
こうなったのは数分前に遡る。
朝早く家を出た俺は、大雨の中傘を差して歩きいつも通り百本松から花見台まで電車で移動し、改札を抜けた。
そして傘を広げようとした時、思いの外勢い良く傘が開き、隣の人に飛沫がかかってしまった。
「ぴゃっ!」
可愛らしい悲鳴から女性であることはすぐに分かった。
「あ、すみませ…」
「いえい…あ!智哉!」
謝ろうと横を見ると、そこにいたのは梨沙だった。
お互いどうして気づかなかったのだろうかと思ったが、雨に意識が向いていたからかとすぐに納得した。
「おはよう智哉!」
「ああ。おはよう。」
挨拶を済ませ、駅の屋根の下から出ようとするが、袖をちょこんとつままれていることに気付いて足を止める。
「どうした?梨沙。」
「あの…ね…?傘、忘れちゃったみたいで、その…。」
そういう梨沙の左手にはこちらから隠しているつもりだろうか。ピンク色の折り畳み傘がしっかりと握られていた。
「え、何言ってんだ。左手に持ってるのは…」
「傘家に忘れて来ちゃったみたいで」
ちらっと目を合わせてくる梨沙。
後方に下がる左手。
「雨朝4時から降ってたみたいだが、傘差さずに家から出てきたのか…?」
「あー間違えた!電車!そう!電車に忘れて来ちゃった!」
さらに後ろに下がる左手。
これは…。
梨沙の左手からピンクの折り畳み傘を取り上げ、「あっ」梨沙に見せる。
「これは?」
「これは!うぅー…!予備!予備の傘!」
それでいいんじゃないかな。
「むぅぅぅ!ほんとは分かってるんでしょ智哉!意地悪!こうなったら…智哉!私と相合傘しよ!」
吹っ切れたようだ。
「ええ…」
「私、智哉の傘が開いた時水飛沫掛かっちゃったなあ。このままじゃ風邪引いちゃうかも。ぐすん。」
割と大きめな声で「私濡れてますアピール」をする梨沙。
周りからの視線が痛い。「あんな可愛い子に風邪引かせる気?」みたいな視線を感じる。
「分かった分かった!早くおいで。」
出来るだけ優しく声をかける俺。
「やったー!智哉やっさしー!好き!大好き!」
そう言って腕に抱きついてくる梨沙。
周りからは「どうなるかと思ったけどやっぱり仲良しカップルねえ」みたいな視線を感じる。
いや、付き合ってないです…。
ということがあって今に至る。
「雨の日…2人で同じ傘…ドキドキしちゃうね!」
腕に抱きついている梨沙が笑いかけてくる。
梨沙ほどの美少女にくっつかれるのは悪い気はしない。
気がつけば心臓の鼓動が大きくなっていた。
雨音すら小さく聞こえる。
でも、やっぱり「俺もドキドキする」とは言えなくて。
「俺は、まあまあかな…」なんて言ってしまって。
梨沙は
「えー?本当かなあ?」と耳を俺の胸にくっつけてきた。
まるで梨沙を抱いているような錯覚すら覚える。
しばらく「んー。」と耳をつけた後に
「やっぱりすごくドキドキしてるじゃん!智哉はウソつきさんだね」
と耳元で囁かれ、悪戯な笑みを向けられた時には雨音はもう聞こえなくなっていた。
そして、放課後に再び梨沙は「傘忘れちゃった」と朝言ったことと全く同じことを言い、智哉と同じ傘に入り帰っていくのだった。
ありがとうございました。