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染沙:蝶と紅月、独り酒5

少年は手を引いて私を人気のない路地に連れ込むと、ここならもう大丈夫だ、と言った。すごい勢いで人を掻き分け進んだので、都の人々を見ている暇もなかった。目に飛び込んできた鮮やかで生き生きとした都の色が脳裏に焼き付いている。

「ねえさん、あんたその足でよくついてこられたね。おいらも気をつけてやればよかったな」

蝶史というらしい少年は私の足を注視した。纏足をして小さくなった足を。幼少期から足に矯正を施して、儒教の男尊女卑を体得したような風習なのだが、巷でこれは、女が女である印だといわれている。なにもしなければ普通に歩くことすらままならないが、私は女が女であるばかりに自らの自由を男に委ねるという思想には賛同しかねるので、毎晩毎晩密かに歩く練習をしている。庭先で一人駆け回る。そうしているうちにある程度は歩けるようになっていた。蝶史は痛かったよな、大丈夫か、と私を労う。

「大丈夫よ。歩けるように、毎日練習しているの」

「へえ、そりゃすごい。そんなことより、ねえさんの登場でここら辺は大騒ぎだぜ。空から女が降ってきたってさ」

「……嘘でしょう」 私は慌てて弁解した。あれは空から降ってきたのではなく、荷車から勢い余って落ちてしまっただけだと。そもそも空から人間が落ちてくるなんてことはないし、こんなに無傷でいられるはずがないだろうと。蝶史に言っても仕方のないことだけれど、恥ずかしさのあまりなにか言わずにはいられなかった。顔が熱を帯びていく。

「うん、分かってるよ。俺はちゃんと見てたもの。ねえさんが荷車から落ちて無様に顔から着地したとこ」

なんて意地の悪い口だろうか。しかし、後宮内で直接相手を嘲るような話ができる相手はいなかったから、とても新鮮だ。あまり悪い気もしなかった。

「蝶史、というのよね。私は……」 言いかけて口を噤む。思わず自己紹介を始めてしまうところだった。染沙というの。一応公主をしていてね、どうしても自分の目で都を見て回りたくって、女官の着物で出てきたの。銀髪の刀子匠を探しているのだけど、知らないかしら……。言ってしまえば、お終いだ。せっかくここまでうまくいっているのに、危ないところだった。私は頭を巡らして、良い名がないかしらと首を傾げる。蝶史はそんな私を心配そうに見ている。もしかして打ちどころが悪かったのか、そう言い出しそうな顔をしている。

「私は、李泌リヒツ。長源と呼んでね」

「……ねえさん、それ、唐の政治家と同じ名前じゃねえか。男名だぜ。すげえなあ、生まれ変わりか。輪廻転生で女になっちまうとは」 ははあっと恭しい恰好をとる蝶史に、私は公主という立場も忘れて、染沙として、げらげらと大口を開けて笑う。こんなに小さい子が、よくその名を知っていたものだ。李泌は、蝶史の言う通り唐の頃の政治家で道家の学者だった男の名。あまり広まった名ではないが、彼の生涯には一目置くものがある。蝶史はそうやってふざけていながら、李泌が偽名であるとすぐに勘付いたようだ。私も鵜呑みにするとは思っていなかったので、私達の間に荷車から落ちた無様な女官の名は李泌という不文律がしかれた。

「それで、その、長源はちょっとむさいだろ。リーでいいかな?ねえさん」

「ええ、そのほうがいいわね」

「これからどうするつもりなんだい?なにか予定があるの?」

「んー、そうねえ」

私は思案気にして、大人びた話し方をする蝶史をそれとなく観察する。どこかの小爺おぼっちゃんなのだろうか。教養もあるし、育ちのよさそうな顔をしている。年はおよそ、九つくらいかと思う。奇妙なことは女物らしき綺麗な着物を身に着けていることだ。所作と恰好があっていない。私でも抱え上げられそうな体躯だ。しかし小さな体をして、それを大きく見せようと張った胸は軍人のものより誇り高く感じる。彼はなにかを背負っている。私はそんな予感を持った。

「銀髪の刀子匠を知っているかしら。その人に用があるのよ」


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