5 魔王様はうちひしがれる
「翻訳機能…だと?」
丁度ユウが本の文字を見て疑問を持った頃、俺ことマオはその疑問の答えに辿り着いていた。
文字や言葉を翻訳するだと?自動で?
俺なんか日本語すっごい勉強したのに?
新たに勇者への【加護】の力が判明した俺は、真っ昼間の町中だと言うことも忘れて膝から崩れたのだった。
…………
……………………
時は少し遡り、俺がカティと城下の町に出た頃に戻る。
因みにカティとはカリティア王子の事だ。
町では一応お忍びなので偽名…というかあだ名を使っている。
しかしこのオージ様。服こそ質素にはなったが、顔を全く隠していないから正体なんて公然の秘密ってやつなんじゃないだろうか。
それとも「まさかこんな所に王子様がいるわけない」という先入観に自信があるのか。
「何処を見たい?」
「そうだなぁ、適当に目に付いたところから寄ってくかな」
見た目が同い年くらいで平民を装っている俺等が敬語で話しているのもおかしいので、今はお互いにタメ口だ。
カリティア王子は曲がりなりにも王族の人間の癖に、そんなフランクな対応にぎこちなさはなく、挙げ句には時折町行く人と挨拶を交わしている始末。
完全にカティとして馴染んでいるな。
本当は勇者の剣のすり替えに使えそうな剣が欲しいから、鍛冶屋か土産物屋が有れば寄りたいんだけど。
ちょっと理由が後ろめたいから「何処」を明確に挙げるのは躊躇われた。
「繁華街はこっち。それを抜けると広場があるんだけど、そこで折り返そっか」
「りょーかい」
高校の同級生と話してる感覚に陥る今日この頃。
とても王族と話しているとは思えない。なんて感想を抱いてみたが、他に王族に知り合いはいないし案外こんなものなのだろうか。
町は凄い賑わっていて、しかもかなり治安も良いみたいだった。
王様といいカティといい、一々戦闘方面に話を持っていこうとするからどんな軍事国家かと焦ったのは杞憂だったらしくて一先ず胸を撫で下ろす。
「こっちは魔導具のお店。魔法の無い世界から来たなら凄く楽しめるだろうけど、店主のおババに捕まったら帰れなくなる魔境の地」
「わお」
魔導具って言うと俺の身に付けているアクセみたいな物だな。
俺のは魔王の力を抑え込むためにうちの職人が特注で作ってくれた俺専用のだけど、人間の町には魔法を使えない人間でも魔力をどうこう出来るようにしようって道具が普及していたはずだ。
俺の世界でもそうだったが、魔法のある世界では科学よりも魔術が発展し、結果電力よりも魔力が主流になっている。
こんな町中ともなると戦闘的な用途の道具よりも家電のような形の魔導具の方が見受けられるのも当然だろう。
アクセとは違う大型の魔導具が見えて気をそそられたが、今回の場合は話し込んでタイムオーバーはいただけないからまた今度だな。
「剣…は勇者用のが有るから要らないね。冷やかしに厳しいオヤッサンが良い腕してるんだけど」
「う、」
見たい!それ超見たい!けどそんなにあっさりスルーされると行きたいって言いづらい。
それに買う予定がないから冷やかしは確定だし。
「私はそこの露店の揚げ菓子が好きなんだよね。そんなに大きくないから買ってこようか」
案内を聞きながらたまに露店を覗きつつ進んでいくと、開けた場所に出た。
ここが噂の広間か。
真ん中に噴水の有る円形の場所だった。
町行く人達は皆朗らかで、魔物に怯えているようには見えない。
勇者の必要が感じられない瞬間ではあるが、日々怯えて過ごしているより良いのは確実だな。
振り返ってお城を見上げると、思いのほか小さく見えて案外歩いていたのが分かる。
「サンキュ、じゃあお代を…」
「持ってないでしょう?銅貨一枚だし奢るさ」
たたっと小走りで店へ駆けていくカティ。
お金の単価は俺の世界と近そうだ。
それならば金銀銅の三種類くらいに別れていて最低価格の銅貨一枚は子供がお小遣いとして握って買いに行ける安さになるな。
てか異世界に来た俺は今、無一文だったわ。
異世界アイテムを提示すれば物々交換も可能だろうが、やっぱり観光には先立つものが必要だよな。
旅の途中で出来る仕事は考えておくべきか。
それにしてもカティさん…平民男子が「私」って。無いわ。
「──おォ!魔王様、帰ってオられたカ!」
「は?」
道端でぽつんと俺がカティの帰りを待っていたら、背後の至近距離で嫌なセリフが聞こえた。
人間の町で随分と大きな声で「魔王」って聞こえたのは幻聴か?
「魔王様っ!早く振り返っテそのご尊顔ヲ見せテくださいマし」
やっぱり魔王って言った。
早速ラスボス登場?違うよな。
「マオ様!」
焦れた声。てか声かけられてんの俺じゃね?
「なにっ…!ん?」
この世界で早々に魔王呼ばわりされるとは思わなかった。というか最早マオと名指しで呼ばれていた気すらする。
咄嗟に「なに人の正体大声でバラしてくれてんだ!?」と、振り返ったまでは良かった。
目線の先には誰もいない。
遠目に足を止めた人々がこちらを見ているのは分かるが、彼等が声をかけたわけではないだろう。
「シたっ、下っ」
「下って?うぉ!」
さっきの声がさっきよりも小声で俺に指図して来たので、思わず言われた通りに目線を下げる。
どうでもいいけど、さっきまでの恭しい口調は何処いった。
そんな「魔王様」に敬意を表しているのかいないのか微妙な相手は、俺の足元にかしずいていた。
周囲からもこいつからも俺の間抜けな反応に堪えきれない、くすくすとした笑い声が聞こえてくる。
こいつ…っ、絶対敬ってない側のやつだ!
「おォ魔王様!やっとお顔が拝見できマしタ!」
頭を垂れたままのこいつが言う。
マジかよ。
俺からは脳天しか見えないんだけど。お前の目はどこに付いてんだ。
しかし冷静になってみると、聞き覚えの有る声に似ているな。
それにこんな変な発音で喋るようなやつ、「あいつ」くらいなんじゃね?
そこまでやっと思い至った時だ。
ばっと顔を上げたそいつは満面の笑みだった。
「テメェこの野郎なにやってんだバカ」
「イタタタタタイょ」
想像通りの相手だったのでつい、本当につい、手が滑った。
丁度そこに軽そうな頭が有ったんで滑った手に目一杯力を込めて鷲掴んでくれたわ。
これが人間だったら頭が豆腐並みに呆気なく飛散するところだけど、相手が相手。
「痛い」とすらろくに思ってないくせに。腹立つな。
こんなことをしている時点で察しは付くだろうが、こいつも人間じゃない。
俺が一番古い付き合いの、
「ピーたん只今参上つかマつりましタ!」
ピエロのピーたんと名乗るバカだ。
ピエロと名乗るわりには水玉やストライプ柄は入っているものの、シックなモノクロのパーカーを着ていたりする。
外套でもないのにフードが付いているとか、紐でもボタンでもないファスナーとかいう留め具とか、この世界的には充分「変な格好」に属するから衣装として申し分無いと本人が気に入って着ているので、俺からは何も言うまい。
当然、地球産の衣類が参考である。
ついでにベルトに付いたボールチェーンの食玩は俺土産だ。
黒い格好と苔色の髪がそっくりなその名も「ピータン」。
百円均一の店で見付けて即買った。
そういやこいつが「ピーたん」と名乗りだしたのはその頃からな気がする。
気のせいか?
「ん?そいやお前、なんでいるんだ?てかその耳、なんだし」
頭をメキメキ言わせるのを一旦やめて手を離す。
ピーたんの耳は横に長く尖っていた。
人の町のど真ん中だっていうのに明らかに人間の耳じゃない形を堂々と晒している。
て言うかそもそもお前はそんな耳じゃないだろ。
普段は人間と同じ形の耳のくせに、なんでわざわざ変えてるんだ。
そんな形じゃまるで魔物──、
と俺が怪訝な顔をしていたら、ピーたんにプッ、とまた噴き出すように笑われた。
この野郎。あのまま頭掴んでおくんだった。
「気付クの遅いヨー。シかもマオもソーだよー?」
「はぁ!?」
言われて咄嗟に耳の辺りに手をやれば、思っているよりも早く手に何かが当たる。
ぐにゅって。これ耳か?
意識せずに触れた皮膚の柔らかさは、多少の気持ち悪さを禁じ得なかった。
それしてもこの耳、不思議なことに手が当たる感覚は無い。
でも輪郭をなぞってみると確かに尖った耳の形をしている。
じゃあ角は、と更に上を目指した手は跳ねた髪の毛が当たるだけで空を切った。
「…」
全く意味が分からない。
異世界に来て早々に身バレとか何なんだ。
しかも身内がいるとか。そいつが身バレの殆どの原因な気がするとか。
アクセだってちゃんと付けて発動もしているのに。
何が起きていると言うのだ。
そんな困惑から少し冷静になって気付く。
そう、ここは町中。
勇者に討伐依頼が出されるような魔王が突然現れた周りの人間達の反応は?
今更隠せているわけもないのだが、尖り耳を抑えた状態で俺が恐る恐る辺りを見渡すと、そこは阿鼻叫喚──なんてことはなく。
朗らかに笑っていたり、拍手をしていたり。
…え、拍手?
「──とイうわけデ」
俺だけが取り残された雰囲気の中、ピーたんが俺の手を邪魔とばかりに払い退け、例の尖り耳を掴んで引き千切る。
痛っ、くない。
本物の耳じゃなくて、貼り付けていた物を剥がしたみたいだ。
それから自分に付いていた尖り耳も軽い手付きではずすと、それらを服のポケットに突っ込み空いた手で宙をさ迷っていた俺の腕を取り高く挙げる。
「以上、本日の公演ハ目の前のカモ…じゃなかっタ。善良なマオ氏にゴ参加いただきましたター!マオ氏に盛大ナ拍手と、ボクにお気持チ、宜しくドうぞー」
「は?公演?」
俺の頭は疑問で占めまくっているが隣のピーたんはそんな俺を意に介さず、俺の腕を掴んでいない方の手でさっき耳をしまったポケットから出した帽子を広げて前に差し出す。
すると俺等を観ていた町の人達がぱらぱらと近付いて来て、その帽子に硬貨を入れていく。
なんか大道芸のお捻りを思い出すな。
ん?もしかしてマジでそれ?
俺、こいつの芸に巻き込まれた感じ?
やっとそれらしいひとつの可能性に行き着いたのに、中々お客さんが途切れないから確認はとれない。
小さい子が駆け寄って来たら、ピーたんはしゃがんで「ありがトー」と笑いながら例のポケットから今度は風船を出して膨らませて紐を括り手渡していた。
あ、その風船俺が日本から土産で持って帰って来たやつだ。
なにお前、ヘリウム吐いてんの?
それだけじゃなくて大人とも二、三言葉を交わしてかなり仲睦まじい感じだ。
一朝一夕の馴染み方じゃないぞ。いつからこんなことやってたんだお前。
「お疲れ様、マオ。背後の気配に鈍感だね」
「…観てたのか」
人に囲まれるピーたんを遠目で見ていたら、俺にかかる声。
振り返ればそれは、両手にファストフードのポテトみたいな物を持ったカティだった。
いつから見てたのか聞いたら、最初からだってさ。
正確にはピーたんが俺の背後に来て俺に尖り耳を付ける辺り。
そこから公演は始まっていたらしく、わざとらしく客に人差し指を立てて「静かに」のジェスチャーをしたり、抜き足差し足を露骨にやって見せたりしていたそうだ。
で、俺がターゲットにされていると気付いたカティは、あえて遠目から見物していたと。
「私は演技に自信がないんでね」
見物の方が性に合うと宣うオージ様。良い性格してんな。
「なに、あいつのこと知ってんの?」
「ピーたんさんはこの町でも人気の大道芸人だよ。外から気紛れにやって来ては色んな芸で大衆を楽しませてくれるんだ」
始めた当初は魔物が来たとパニック状態だった例の「尖り耳」は、今や彼の掴みネタなんだと。
人間は人型の魔物を「形」で人間と区別するきらいがあるから、そこをついてるんだな。特に耳の形は顕著だ。
まぁ、あいつ自身はガチ魔物なんだけど。
普段から人と同じ耳をしているからこそやれるネタだよな。
俺は怖くてできない。
「ヘイ!カティ君お久シぶリ!この人、気に入ったカら話したイなーテ。ちょっト借りてイー?」
「ピーたんさん、お久しぶり。うーん、あまり時間がないんだけどな。マオが良ければ」
一応俺とは他人のていで行くつもりなのだろう。ピーたんは俺ではなく、馴染みのカティに問う。
それに太陽をちら、と見たカティが少し渋りつつも俺の方を見る。太陽を見たのは時計代わりなのだろう。
昼よりは少し傾いてきているし。
「じゃあちょっと抜けさせてもらうわ。俺もこのピエロと少し話がある。」
「あまり責めないであげてね」
このピエロ、と親指でピーたんを指差して言えば、何故かカティに宥められた。
「多少の苦情は良いけど手は出しちゃダメ」ってカティさん。分かっているよ。
勇者の力と言う名の魔王の力で一般人に手を出したら洒落にならないから忠告してるんだろうけど。
ちょっと不良と間違われたことも有るけど、俺はいたって善良な男子高校生なのに。
別に皆が見ている中でコケにされたのを怒るつもりはないのに。
「あ、はい。これ、良ければピーたんさんも見物料代わりに」
そう言って見送られた俺等の手には例の揚げ菓子が握らされていた。
…………
……………………
「で?なんでお前がこんな所にいんだよ」
中々人気者らしいピーたんはカティ並みに町行く人に声をかけられるので、俺等は道を逸れて少し裏路地っぽい所で会話を再開させた。
別にボコる為の薄暗さじゃないよ?現にカティに貰った揚げ菓子──ポテトにまぶっているのが塩じゃなく砂糖だった──をかじりながらの朗らかな会話だし。
まさか俺の手を塞ぐための食い物じゃないよな。
「んー?ボクは魔王城の諜報係としテ、人の町に来てるんだヨー。で、オイシソーな物とか見タら欲しイじゃん?ピエロらしクお金の調達方法とシて大道芸してるノさー」
「そうじゃなくて」
ピーたんの能力を活かして広範囲の情報収集を任せているのは確かだ。
それが人間との交流にまで漕ぎ着けていることや、金を稼いで旅を満喫していたことは知らなかったが、それ以上に異世界に渡れるなんて聞いてないぞ!?
「んんー?何言ってるのサ。異世界に行くノはマオの専売特許シょー」
「だからお前、」
「変な帰り方したミたいだかラ気になってたんだケどー」
俺が混乱していると「モシかしてココを別の世界だト思っテる?」と首を捻られた。