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僕の町の小さな公園  作者: なか たつとし
6/9

#6

6.

 月曜日、牧野は持病が悪化したので午後から出社したいそうだ。そのようなメールが受信されていたことに安堵する。一気にたまった作業を一人で片付け始めた。引き継ぎはとりあえず、今日は大丈夫、牧野には続きをやらせておけばいい。今日終了しておきたいものを片付けてしまおう。午後の14時くらいに作業が終了し、牧野がこのタイミングで出社した。長谷川さんは今日は掛け持ちしている、別の現場に行く予定だったので、終日不在になった。大丈夫だ。今日終了予定の作業は終わっているし、今から取り掛かるのは明日終了予定の作業だ。大丈夫。大丈夫。怒られても平気だと思い。引き継ぎ作業を行うことにした。

「すみません、わからないところはがありまして。」

牧野が質問してきた。質問の内容が終わると、僕が質問に答える。

「こちらに関しては、データベースのSQLサーバを開いてもらって、僕たちが作成したツール一覧に、このコマンドがありますので、これを実行してくれれば大丈夫です。終わったら、結果を保存してください。補足で、この作業のマニュアルが別のフォルダにありますので。」

牧野は僕の説明に今度は承知しているようだった。だけれども、そのマニュアルが旧かったようで、また文句を言ってきた。作った人や僕を悪い人扱いされ、やはり来たかと思い、いつものように、言った言葉をすべて受け入れず、無駄なことは受け流すようにした。このマニュアルを作った前任者の人も批判されるのはさすがに我慢できなかった。そして、最終的に僕を部長の林田さんの操り人形と批判されるのも我慢できなかったが、ぐっとこらえた。日本人以下、幼稚園児以下と言ってくるのだから、それを認めて、いっそ英語でコミュニケーションしようか。と反抗してみたい気持ちもあったが、それを実際にやろうとしても、やる気が起きなくなってしまう。そう、牧野の怒り方、批判の仕方は周りの人のやる気も吸い取られてしまう、そんな雰囲気が存在した。

 火曜日、水曜日、木曜日も胸やけをしながら、酷い咳をしながら耐え抜いた。メンタルだけは強いようだが、体がとても心配であった。このままだったら、心筋梗塞や脳梗塞でも起こしてしまうような気がする。会社のしわ寄せがどんどん僕に寄ってきている。

 金曜日の夜を迎えた、今週も予定通り乗り切ったが、力が出なくなっていた。力が出ない。力を出したいが、抜けていた。今日は飲み屋に行かず直接帰ろう、家でお酒を飲めばいい。浴びるほど飲んで帰りたいがとうとうそんな気力まで失ってしまった。


 公園のそよ風はとても心地よい、君島牧師の曲にあった素敵なそよ風はまさにこのことを言うのだろうか。そして、美咲ちゃんがいつものようにお決まりのベンチに座っていて、鼻唄をうたっていた。今日の曲なんだろう。僕の知っている曲かなと思い彼女に近づいてみる。今日の曲も知っている曲であったので、僕が口ずさんでみると、彼女は僕に気が付いて、微笑みを見せる。

「こんにちは歩夢君。」

「こんにちは美咲ちゃん。」

互いに挨拶を交わして、今日もお話をした。

「最近どう?」

以外にも美咲ちゃんが訪ねてきたので、僕は正直に、牧野のこと、林田さんや長谷川さんの対応等を話した。

「自分に自信が持てなくて。特に仕事だと。」

彼女は微笑み返した。

「大丈夫だよ、歩夢君は約束を守る人だよ、それに、真面目に頑張っているし。自分の得意なことも知ってるじゃん。今日もこうして、私とあってくれてるし。」

違うよ、美咲ちゃん、これは夢の中なんだよ。と切り返そうとしたが、彼女はこれを現実と認識しているようで、そう切り返すのをやめた。

「ありがとう。」

僕は、彼女に伝えた、そして思いっきりではないが、涙を流す。夢の中でだけど。

「大丈夫、もっと自信をもって、歩夢君らしくない。」

彼女はこう言ってくれた。

「今日も、たくさんの歌を私に教えてくれたし。私思い出すの苦手なんだよね。昔ママに教わったのになあ。」

彼女の鼻唄と、彼女の声はとてもきれいだった。

「今日もありがとう。またね。」

彼女は今日一番の笑顔で、僕に手を振ってくれ、スキップして公園のベンチから離れて行った。その姿を僕は見送り、公園のベンチを後にした。そして、夢の中を後にした。


 この夢を見て、朝起きたとき、いや、先週末から、今日この休みの土曜日、何をやるのか決めていた。初恋の美咲ちゃんに会いに行くことを決めた。

 美咲ちゃんとは幼稚園に知り合った。同じ幼稚園で、お母さんの名前は杉山真紀という。幼稚園の時、僕は母親に連れられ、杉山ピアノ教室に通うことになった。小さな一軒家のピアノ教室で、杉山真紀先生というひとが出迎えてくれた。そして、真紀先生の足元には僕と同じくらいの女の子がいたが、僕を見るたび、真紀先生の足元にしがみついたその手が、僕に向かって差し伸べられていた。美咲ちゃんだったからだ。幼稚園の同じクラスの美咲ちゃんだったからだ。実は彼女は幼稚園の僕のクラスで、一番かわいいなと思った子だった。一瞬ラッキーと思った。こうして、美咲ちゃんと、お母さんの真紀先生と楽しく音楽の時間が始まった。母親も真紀先生とすぐに仲良くなり、家族ぐるみで、いろいろなところへ遊びに行くことになった。お祭りの花火大会も、遊園地も。僕は絶えず、美咲ちゃんと手をつないでいた。ピアノの発表会も真紀先生と美咲ちゃんが見に来てくれ、すごいと拍手をくれた。

 これは、幼稚園を卒園し、小学校の2年生くらいまで続いた。

 でも、そんな素敵な毎日は続かなかった。小学校の3年生に上がるころ、美咲ちゃんのお父さんの転勤が決まり、引っ越しが決まったのだ。もちろん、杉山ピアノ教室も解散になり、転勤先に遠くて通えない生徒は真紀先生が知り合いのピアノ講師の何人かに引き継いだ。僕もそうであった。

「歩夢君ごめんね、せっかく美咲と仲良くなれたのに。」

真紀先生は僕に謝った。

「ばいばい、歩夢君、あたし、歩夢君のこと好き。」

彼女はそうして僕のところに体をも預け、僕は彼女と抱き合った。

 そして、僕は引っ越しの日、彼女の乗った車を、小学生の僕なりに精一杯、精一杯見送った。

 以来、中学生に上がるくらいまで、毎年のように年賀状や暑中見舞いを美咲ちゃんからくれたが、中学生になったころから、ここ10数年以上、手紙が来なくなった。

 僕は、机の引き出しから、おもむろに、一枚の手紙を取り出した。基本的に僕はこういった手紙は何年も取っておき、美咲ちゃんからの手紙も、僕が一人暮らしをするときに、一緒にこのマンションに持って行ったのだ。美咲ちゃんの住所が記されている。というか文通をしていたので、住所はほぼほぼ覚えていた。また会いたいと願っていたので。

「神奈川県横浜市・・・・・」

最近は、携帯の地図アプリがあるので、住所も検索できる。最寄は菊名の駅だな。行ってみよう。

 マンションの階段を下り、最寄りの吉祥寺駅へと向かう。渋谷へ出ても、新宿へ出ても良かったが、井の頭線で渋谷という選択をした。渋谷から東急へ乗り換えて、そこから菊名だ。どうして、今まで気づかなかったのだろう。とてもではないけれど、割合近い場所に住んでいた。それに実家からもさほど遠くない。僕の実家は埼玉県の北部であり、美咲ちゃんもかつて、その埼玉県の北部に住んでいたが、仕事をしていると分かる。東京に本社があるなら、菊名でも、実家からでも通えるような距離だった。しかし実際は、美咲ちゃんのお父さんがどのような仕事をしているかもわからなかったし、転勤先は横浜支社という場合もありうる。完全なストーカーだ、いや、今日行っている行為そのものもストーカーだ。しかし、見るだけならと思い、行ってみることにした。

 菊名駅からはこの携帯の地図アプリを頼った。いくつかの道路を横切り、右折左折を繰り返す。地図上では「山尾病院」という場所の前を指しており、やがてその「山尾病院」が目に留まった。この「山尾病院」の道路を挟んだ向かいに、美咲ちゃんの住んでいる家の住所があるのだな、と思い。振り返ってみた。

 そこには、「みどり商店」と古い看板で古びた建物の八百屋があった。明らかに、何十年も前から、「みどり商店」は顕在しているような雰囲気で、美咲ちゃんとそのご家族が住んでいる形跡は存在しなかった。

次の瞬間、背中が震えてきた。ここから早く戻らないと。そう思ったが、「みどり商店」てんぷらの匂いに誘われてしまった。どうやら、野菜や果物を販売しているのは店の奥のようで、手前の棚には道行く人が足を止めてもらえるような。惣菜や、てんぷらが並んでいた。しかも、てんぷらは串に刺さっており、値段も80円くらいとリーズナブルであった。

「ナスの串のてんぷら一つください。」

僕はお店の人に声を掛けてみた。

「はいよ。」

お店の人は威勢のいい声で、てんぷらを袋に入れてくれた。僕はお金を支払い、てんぷらを袋から取り出して、食べながら聞いてみた。

「お店初めてどのくらいなんですか?」

「30年くらいやってるよ。もう長いね。」

30年。店員さんの声で、疑問に思った。30年だと僕も、美咲ちゃんも生まれていないことになる。20代半ばの僕にとってそれは衝撃的だった。この住所、本当にここであっているのか。

 いや、本当にここで間違ってなさそうだ。あたりを見回すと、近くの電柱に住所が書いてあった。10年前まで毎年頂いてた、文通に書かれた住所と同じだった。

「兄ちゃん、何か探しているのかい。」

あたりを見回しているのだろう、店員さんが、僕に聞いてきた。思い切って。

「あの、変なことを聞いてしまって、申しわけないのですが、近くにピアノとかを習えるような音楽教室ってありますか。」

「へぇ。ピアノかい。兄ちゃん音楽できんのか。すげぇな。そうだなぁ、ごめんよ。おじさんピアノとかわからないから、もし違ってたらすまねぇけど、あそこに信号があるだろ。あの角を曲がれば、ヤマハがあるよ。それ以外は、知らないなあ。」

「そうですか、ありがとうございました。」

どうやら、美咲ちゃんも、真紀先生も、ここにはいないらしい。いや、いないと思いたい。八百屋の店員に会話してるときも、この付近に滞在しているときも、若い女性や真紀先生の姿は見えなかった。美咲ちゃんは小学生だったのでともかく、真紀先生は僕のことを覚えているかもしれないし、僕も真紀先生を覚えているので、すぐにわかるはずなのだが、そのような形跡は、この八百屋店員からも、この町の雰囲気からも察することはできなかった。

 今日はストーカーらしきことをしてしまった。もう、ここへは来ないことを誓おう。そう思って、帰り道僕は歩き始め、電車に乗り、自分の家へ帰って行った。



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