第六話「ミセドの終わり」
「終焉は始まりである。生き物たちは輪廻し御霊は不変で誓いは決して亡くならず」
「落ちた生命は泣いたあの日を呪い、先の生命は由緒など知らず」
「己を通した者は死に準えた走狗が泥と血を啜る」
「阿宴地獄の現世は我らにとっての偽世だ」
「されど誓いだけは不滅である。たとえ先幾億の妄念が蔓延ろうとも」
「祈れよ。嘆けよわが命」
「生きる限り誓いは続く。原罪はもうない」
「祈れよ。叫べよわが命」
「家族は永遠に」
二コラの歌声は決して言葉では表現できないものだった。この世に体現しているはずなのにこの世のものではないとしか思えない。初めて聞いた者、いや何度目であろうがこの歌声は聞いた者全ての心を掴む。この場で聞いていたサディアスも例外ではない。
(…ああ……。自分は何を考えていたのだろう)
それすら忘れてしまっていた。この場で体現された音楽は、サディアスの人生で一番凄かったと言えるものだった。何がどう凄かったのか分からない、ただこの音楽は言葉には表せないと断言できる。ただ唯一言えることがあるとするならば、それはこの音楽を聞けた自分は本当に幸せなのだろうということをサディアスは身に占めて理解できた。
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ミストフォリッシュには変わらず雨が降り続いていた。容赦なく一般の妖精たちは雨など構わずに日常を送っているが、店を出していた者や観光客は立ち往生してしまっていた。
そんな中、黒装束をした一人の人間が傘を差して歩いている。右手は手元を握っていて、左手には食べかけのパンを持っていた。
「いやー面倒でしたけど傘持ってきて正解だったっす。オロチっちも偶にはいいことを言うんすねー」
ある程度の声量で独り言を言っているので、周りからなんだこいつと目線を注がれているのだが、彼女は一切気にしない。というのも現在の彼女はとても上機嫌なのだ。
「情報を手に入れて、観光も出来たし、帰ったらオロチっちにお礼に自慢しまくるっす!」
ニコニコしながらパンを齧り、彼女は帰国するために国境近くまで連れていってくれる駅馬車が出ている、ミストフォリッシュの外れに向かう。本来はカフェ「キャディー」から普通に歩いて30分ほどで駅馬車が出ている外れに着くことができるのだが、「キャディー」を出てから彼女は何度目か分からないミストフォリッシュ観光をしていたため、「キャディー」から街の外れまでの距離は縮まって驚くほど縮まっていなかった。寧ろ遠くなっているだろう。
このまま観光を続けていると今日中に国を出れなくなってしまう。本当はもっと観光を続行したいところなのだが、流石にもう一日滞在すると都合が悪いため、今さっき帰路に就き始めたばかりの彼女だったが、突如街に大きな音が鳴り出す。
「ゲホッ!ゲホッ!…いきなりなんすか!?神々の黄昏でも起きたんすか!?」
丁度パンの咀嚼途中だったため、喉にパンを詰まらせてしまった。
「街中に爆音をとどろかせるとか倫理観を持ってないんすか!?騒音の大きさ120デシベルくらいあったっ……」
咳をした際に俯いた顔を上げ、周りを見渡す。すると、見える範囲に存在している妖精たちは例外なく左手を胸に当てながら目を閉じ、妖精宮殿の方向を向いているのだ。
何故急に妖精たちはこの様な行動をし始めたのか。そして先程から大音量で鳴り続けるピアノらしき音は何なのか。秘国に来る際にひこくについての前調べをした際に得た情報の中には、こんな風習を行うなど無かったので、彼女は取り敢えずの行動を決められなかった。
記者として何にしろ情報を集めなければならないのだが、妖精たちからは邪魔をするなと言わんばかりの空気で、妖精たちに聞くことは出来ないし、適当な場所や行動も分からない。
何か心当たりは無いか。是が非でも何かしらの情報を得たいのであまり使いたくない頭をフル回転させる。
………あった。断定できるわけではないが、自分の知識の中で可能性があるとするならこれしかなかった。
「ミセドってこんなことするんすか…。そういうことは早く言ってくださいサディアスさん」
普通なら周りに聞こえるくらいの音量だったが、ピアノらしき音色に阻まれて誰にも聞こえることはなった。
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二コラの歌声と大樹の音色との調和に酔いしれていたサディアス。二コラが歌っている曲はこれで終わりなのか分からないため、現状維持していた。続きがあるなら是が非でも聴きたいと思い、大樹から奏でられている音に注意深く意識していると、先程聞いたイントロと合致している音色だったためにもしかすると二番があるのかと期待する。
サディアスに答えるように再び二コラの歌声が響き始める。但し、歌い始めたのは二コラだけではなかった。この場にいる二コラ以外の妖精たちも呼応するように同じ歌詞を二コラをさせるように調和を始めたのだ。
「彼方の神はもう死んだ。世界の理は既に落ちた。贖罪は要らぬ。救いなど疾うに捨てた」
「形は残れど姿は非ず。家族は今へと蘇った」
「禁約凍土の地は幻想万化の姿有り」
「欺罔に染まった知己は明朗としてここにある」
「故に誓いはここにあった。家族は決して裏切らない」
「祈れよ。嘆けよわが命」
「生きる限り誓いは続く。憂いなど忘れてしまえ」
「祈れよ。叫べよわが命」
「家族は永遠にここにあり」
「身体を元に戻せ盟友よ。…して我らが姿はどう見えた?」
自分に投げかけられた言葉によってサディアスは飛んでいた思考を取り戻す。どうやらニコラたちの歌声に魅了され、意識を飛ばしてしまっていたみたいだ。すぐさま右手と瞼を戻し、王座に目線を向ける。二コラは先程と同じ体制で王座に鎮座していた。相変わらず妖艶な笑みを浮かべた表情を見て、今自分がすべきことをしなければと再確認できた。
「素晴らしくありました。…私が今この場で聞けたことは最高の幸福だったと思います」
上手く言葉が出てこなかった。急いでいて思考があまり回らなかったというのもあるが、何よりもニコラたちによる合唱をうまく言葉で表現出来なかったのだ。
「それは何よりだ。先代のように歌いなれてないものでな。拙いものであったかと心配していたのだ」
これで拙いのならば、先代の歌声はどうなっているのかとサディアスは率直に思う。
ここでサディアスはあることに気が付く。
(彼女は自分のミセドが初めてのミセドだと言っていた。…ならばあの方たちは先代の妖精女王の声を聴いているのか…)
直ぐにとはいかなくとも、戻ったらそのうちに先代のお話を訪ねてみようと決意する。
「さて、そろそろ終わらせようか盟友よ」
何をとは聞かなかった。ここから先は自分がすべき行動は、事前に知っていたからだ。
サディアスは喉を微かに鳴らして喉の調子を確かめ、ハッキリとした声で言い始める。
「この度ミセドを行えて嬉しく思う。ふこくを代表して礼を言う」
「こちらこそひこくを代表して礼を言わせてもらう」
ニコラは急に言葉遣いが変わったサディアスを前にしても叱咤や叱責を行わずに返答を行う。寧ろ喜んでいるように感じられた。
「両国の盟約はここにあり。この先幾千幾万の未来を共に寄り添えるように」
「憂いなどここにあらず。この先幾億の未来を愛し合えるように」
サディアスと二コラの表情に曇りなど無かった。二人は二つの国が同じ未来を迎えるように、お互いに納得しているからこそ、ここまで壮大なことを言えるのだ。
ニコラは自分が返答をすると王座から腰を上げる。サディアスも呼応されるように大樹へ足を進める。決して早くない速度で動いている両足が床を踏みしめた際に鳴る足音は、静寂の空間に響く。
王座に近づくために、階段のように段々となっている大樹の一部分を一踏みずつ上がる。そして二コラと同じ立ち位置まで来た。
サディアスは緊張していなかった。先程の演奏と合唱のおかげでもあるのだが、彼は一度線を越えてしまえば大丈夫なのだ。但し自分の意志で簡単に思い込めば緊張を無くせるほどに万能ではない。その為こうやって線を越えられたことは、運がいいとサディアスは思っていた。
サディアスと二コラは少しの間互いを見つめ合う。美しい者同士が大樹の下で見つめ合う姿は、完成されたこの場所を以てしても、一歩も二歩も譲るものであった。サディアスは真剣な顔で、二コラは真剣さの中に笑みを浮かべて、同じタイミングで互いに軽くお辞儀を行った。
そして両社は互いに向けていた視線と身体の向きを大樹に向かい合うように向ける。二人は王座を挟むように移動し、サディアスは右手、二コラは左手を大樹に添える。
大樹は二人に答えるように全身から光を放つ。その光は暖かく、ひこくとふこくを包み込むようだった。更には大樹の葉がひらりひらりと舞い降りてくる。
ボゥゥゥゥゥゥという声と共に空気が震える。サディアスは大樹から発生していない生き物の鳴き声らしき声を聴き、気が散りそうになるが何とか平静を保つ。
サディアスは目線と身体を大樹から離さなかったために見ることは出来なかったが、感じることは出来た。とても大きすぎる存在を。
サディアスだけではなかった。ひこくない存在する生き物なら全て。他国にいる一部の者たちも感じられた。それほどまでに大きかった。
その日その時に、見た者たちは言った。妖精宮殿の上空を虹色に輝く巨大な鯨が鳴き声と共に通り過ぎて行ったと。
そしてその虹色の鯨に付き添うように雨が消えて行ったと。