第五話「最高で最愛なる友であり、家族であり、仲間である『妖精女王』」
サディアスは召し替として置かれていた礼装をすべて身に着ける。
フロックコートとシャツ、ベスト、ズボン、ネクタイで一揃いになっている、所謂フロックコートと呼ばれるものだ。
フロックコートは19世紀中頃から20世紀初頭にかけて使用された昼間の男性用礼装であり、ダブルブレストで黒色のものが正式とされている。
されど用意された礼装の色は緑と黄色を基調としていた。さっきの達のメードの服装もそうだが、模倣するのではなくてオマージュするのは何か理由があるのか。
サディアスは疑問に思ったことを思考することで、出来るだけ気持ちを下げないようにしていた。
しかし礼装を着ることは慣れない。現実世界で礼装を着る機会など、せいぜい七五三くらいだろう。
サディアスは鏡を見て違和感やずれている所がないか確認する。前回着た時にげしに教えてもらった通りに着ているはずだし、現実世界でフロックコートについて調べたから大丈夫だと思うが、醜態を晒す訳にはいかないので、入念に確認する。
確認が終了する。特に問題な所はなかったので、一つゆっくり深呼吸する。そして部屋の扉を開ける。
メード達はすぐさま視線を向けてくるが、逃げるように視線を外す。
「!…コホンッ…。それでは玉座の間までご案内致します」
一つ息をしてすぐさまここから逃げようと歩きだす。もう一人のメードも釣られて動き出した。
サディアスは彼女らが狼狽している様子を見て自分が何か変なことをしたのかと思ったが、もう一人のメードが動き出したときに垣間見えてしまった彼女の顔が、赤くなっていることに気が付く。
置いて行かれないように彼女らの後を付いて行くサディアスの顔に浮かべられていたのは、喜々たる表情ではなく、苦悶の表情。そして彼の両手は優しくもしっかりと握り閉められていた。
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妖精宮殿の玉座の間は、大広間の二階の正面に位置する扉の先を真っすぐ進むと存在する。
妖精宮殿は自然と協和された建物だと説明したが、全部の場所がそうなっている訳ではない。宮殿を建てるときに存在した自然達を利用している都合上、手を加えていない場所が存在するのだ。
その場所というのが、大広間と玉座の間の連絡路。木の根っこ達が絡まって、一つの大きな木のようになっているのだ。左右上に壁のようなものはなく、庭の空気が直接入ってくるようになっている。通称『絡根路』と呼ばれている。宮殿の中でもちょっとした名物になっていたりしている。といっても普通の一般が宮殿に入るのは出来ないため、名物と広まっているのは宮殿の中の使用人達くらいだ。
サディアスは丁度今『絡根路』を渡っているのだが、緊張故に素直に『絡根路』を楽しむ事も出来ていなかった。未だに雨は降っているはずだが、庭達から発生されてる不思議な明るさと、自然の良い香りが風に攫われてサディアスを和ませようとしてくれいるため、緊張がこれ以上上がることは無い。
『絡根路』の長さは約100メートル程なので、『絡根路』を歩き始めてから2分もしないうちに玉座の間がある部屋の扉の前に着いてしまう。
「準備の方は宜しいでしょうか?」
既に式の準備の方が完了しているのか、メードの1人が問いを投げる。
サディアスは自分が玉座の間の前まで来たことを、玉座の間の中にいる妖精達は知らないのに何も言わずに始めて良いのかと疑問に思ったが、秘国に降り立つ前に言われたことを思い出した。
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「秘国は妖精女王の懐です。特に宮殿の中は身体の一部みたいなものですよ。妖精女王や宮殿等で何か不可解に思うことがあるかもしれませんが、気にしたところで無駄になると思いますよ」
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この言葉を思い出したサディアスは今この場では考えるのをやめ、今から始まることに目を向けた。
「はい」
緊張から言葉が最小限になる。
そしてその言葉に呼応されたかのように目の前の扉が大きな音を立てて勝手に開いた。
サディアスからしたらこの場所を見るのは二回目だった。床に使われている大理石らしきもの、真ん中に敷かれた絨毯、装飾品から天井を支える連なった柱達までもが見事の一言に尽きる幻想だ。絨毯の左右には礼装を身に纏う多種多様の妖精たちが互いを見合うような形で立っている。
そして王座だった。その王座は壁を突き破って内部に露出している大樹だった。大樹のほんの一部分である、王座が置かれるであろう場所がまるでその者を歓迎するかのように王座の形に変形している。
そしてその王座に腰掛ける一人の妖精。妖艶で可憐で愛らしくて愛おしい人間ぐらいの等身大の妖精。装飾よりも、大樹よりも、この場にある全てのものよりも、この空間に相応しかった。
「どうした?近う寄れ」
透き通った声で言った彼女の言葉はこの場だった。誰が何を言おうと彼女の言うことがこの場の全てであることを、サディアスは身も心でも知っている。
サディアスは返事をすることすら念頭から消え失せていて、言われるがままに彼女と見つめ合いながら王座の手前まで進む。心と体から流れ落ちる冷や汗を感じながらサディアスは右手の手のひらを、左胸を触るように曲げながら約四十五度の深さのお辞儀をして言葉を紡ぐ。
「ご無沙汰しております。女王陛下」
現神秘国家ヒミストリー最高位である『妖精女王』、その名を『タイタニア・二コラ』という。
「そう畏まるな我らが盟友天使よ。面を上げなければ話が出来ぬぞ?」
上機嫌に聞こえるようなトーンの声だったが、サディアスは未だ全身に緊張を宿したままゆっくりと体を起こし、女王に視線を向ける。
「一か月という短い期間だったが、ミセドを無事終われるようでなによりだ。何せ私が生まれてからミセドを行うのは初めてだったものでな。おっと同じことを前にも言った気がする」
「…私奴が初めて女王陛下とお会いした時に言われたのではと記憶しております」
サディアスと二コラの会話に割り込もうとするものはこの場には居ない。勿論何か問題が起きれば別の話だが、下手に会話に割り込んで二コラの機嫌でも損ねたら取り返しがつかなくなってしまうからだ。サディアスは周りのお偉い妖精さん達が簡単に介入してくれないのを知っているので、二コラの言葉に続かなくてはいけなかった。
「私奴などと自分を卑下するのはよせ。浮国と秘国は盟友であり対等だ。お主が自らを卑下するなら、我々も自らを蔑まなくてはならなくなってしまう」
「申し訳ありません!…」
すぐさま反射的に謝るサディアス。謝るのと同時に先ほどのお辞儀の時よりも深く頭を下げたので、妖精女王の顔色を伺うことは出来ない。故にサディアスの緊張は最高峰に達していた。
「謝ることではない。次から直せばよいだけであろう?面を上げよ。それと右手も畏まらなくてよい」
サディアスは言われたとおりに右手を胸から外し、姿勢を元に戻した。二コラの表情は不敵な笑みを感じさせるようで、心配と申し訳なさが入り混じっているようなとても不気味さを感じるものだった。
この笑みは本当に慣れないだろうな、とサディアスは思った。その場にいなければ感じることの出来ないこの感覚は、サディアスの人生の中でもトップクラスに感じたくないものであったのもそうだし、あのことを思いだしてしまうのだ。
「さて無駄話をする必要はなかろう。今を以てミセドの終わりを始めよう。わが家族たちよ、斉唱せよ」
普通なら準備は出来ているのかと聞いたりするものだが、二コラはそんなことをしない。無駄話を避けるところからも、二コラはせっかちなのかと思われがちなのだが、そんなことはない。彼女は家族盟友を信じるあまりの言動なのだ。
出来るなら心の準備をさせてほしいと言いたいところだったが、二コラ相手に歯向かうほどの胆力をサディアスは持ち合わせていなかった。リハーサルどころか自分が何をすればよいのかすら大まかにしか言われていないのだ。自分が何かアクションをする場面で恥をかいてしまうことをサディアスは恐れていたのだが、天秤が傾いたのは無言だったところから分かる通り、サディアスはこのような状況を踏んできた場数はほぼなかったので、物申すほどの免疫を獲得していないのだ。
事前情報では妖精たちが歌い終わるまで自分は特に行う作業はないということを言われていたので、サディアスは本当にこのままでも良いのかと思いながらもそのままの状態で二コラに目線を向け続けていた。
すると何処からともなくピアノらしき楽器の音が聞こえてくる。王座の間には楽器は見当たらなかったため、中庭の植物たちが音を奏でているのかとサディアスは予想する。
最初は微かに聞こえるほどの音の大きさだったが、少しづつピアノらしき楽器の音が大きくなってきた。そのおかげで音の発生源をサディアスは理解することができた。
ほぼ間違いない。王座になっている大樹から聞こえていると。俄には信じ難いだろが、ここはゲームの中だ。そしてここは神秘国家ヒミストリー。最も現実から常軌を逸している国。この現象以上の異常なんてべらぼうに存在しているのだ。
幻想的な雰囲気の中に悲しみが混じったような曲調だった。大樹の独奏であるのにオーケストラにも負けない力強いものであり、脳内中を音色が支配してくる。もはや一種の洗脳クラスかもしれない。
大樹が約三分ほど奏でた頃だった。二コラは王座に座りながらサディアスや他の妖精たちに目線を向けていたのだが、徐に立ち上がる。そして少し右に動いてからサディアスたちに背を向ける。そのまま瞳を閉じ、右手と額を大樹に触れ、左手を右胸に当てる。
王座の間にいる二コラ以外の妖精たちも互いに向けていた視線を大樹に向け、左手を右胸に当てて眼を閉じる。
サディアスは後ろから少し動く音が聞こえたため、ちらっと振り返ってみる。勿論妖精たちが大樹か二コラに対してか分からないが目を瞑って祈っている様子が目に入ってくる。
自分も同じようにした方が良いのか。同じように祈る程度なら多分大丈夫だろうと思い、自分も両目を閉じ、左手を右手に当てようとしたが、ここで疑問が生じる。
礼儀作法はふこくで教わったのだが、教えられた礼儀作法は例外なく手を胸に当てる場合、必ず右手単体だったのだ。
対して今妖精たちは左手を右胸に当てている。これだけなら単なる偶然と言えたかもしれないが、サディアスはミセドでひこくにいる間に妖精たちが行った礼儀作法で、左手を右胸に当てている光景は思い出せるのだが、右手を左胸に当てている光景は記憶が確かであるのなら、一度もなかったはずだ。
少し思考した後、左手ではなくて右手を左胸に当てる。
その直後、急に大樹の音色が変調する。似たように幻想的ながらも薄淋しさを感じさせる音色なのだが、先程までの音色がたれ流しているだけのBGMだとしたら、今流れ始めたのは曲の伴奏を感じさせる。
急な変調に戸惑うサディアスだったが、美声、もはや美声には収まらない絶声とでも呼ばれるべき声がサディアスの前方から聞こえてきた。
(この声間違いない、この声は女王陛下の声だ。女王陛下が歌い始めたんだ)
サディアスは嫌でも理解させられた。