僕が助けた女性が実は過去の人で、幼馴染みのご先祖様だったら!!
僕は、あの時のことを今も鮮明に覚えている。
例えそれが幻や夢と呼ばれるものだったとしても...
四季が何度も繰り返し、僕がこの世に生を受ける前から幾度となく葉を散らし、実をつけたかと思ったら今度は落果し...と、いったことを無尽蔵に繰り返してきたソメイヨシノ。
そこから一枚の花びらが風に揺られ、僕の目の前の地面にふわりと着地した。
僕の通う明磧の大学の正門を通り過ぎるか否かというときに。
そして曇り空の隙間から、かの那須野与一が放った一本の矢の如く一筋の光が最初から迷いのなかったかのように先ほどの花びらへと降り注ぐ。
やがて、ピッカァ~...という効果音が今にもどこからともなく聞こえてきそうな雰囲気を醸し出しつつ、澄みきったサンタマリアアクアマリンのように輝き出す。
僕は、ヒトの持つ自己防衛の本能からかとっさに両眼を瞑った。
その光はサングラスなどを装着し、目の保護をしていたとしても防ぎきれるような代物ではなかっただろう。
次に僕が目を開けたとき、眼中に大学の校舎らしき物体が見当たらなかった。
「ここは、どこだ...?」
目を細めたり、ほっぺたの肉をつねってみたりと色々なことを試してみたが目の前の状況は一向に変化せず、ただ広大な海、ちょろちょろとした雑草が砂浜に生えているだけだった。
何をしても今の状況は変化しないということを理解した僕は、海と反対側の位置に小さいながらにも目視することのできる村のようなものがあったので、まずはそこを目指してみることにした。
浜辺の繊細で鼻息一つ吹きかければ吹き飛びそうな砂をスニーカーの裏で感じつつ歩いて行く。
二、三歩進んだとき僕の背中がゾクっとした。
「きゃぁ~、●△◻◆...」と、かん高い女性の声らしきものが耳の鼓膜、耳小骨、...を大きく振動させるようにして伝わってきたからだ。
その声は、僕が今、目的地とする村の方から聞こえてきた。
僕は何が起ころうと、起きているのか何も分からない中、自身の足だけに全神経を集中させて走り出す。
息苦しくなりながらも、とにかく走り続けた。
そして、先ほど悲鳴をあげていた女性かは分からないものの、田畑で作業をするときに着る野良着だとか呼ばれるものを身に纏い、隠し切れていない露出した肌の所々には土や泥がこびりついた黒髪を結った女性が一人の中年男性から逃げている場を目撃した。
次の瞬間、いてもたってもいられなくなった僕は、背中に教材の入ったリュック、Tシャツの上に羽織ったチェックの青シャツを上下左右に揺らしながら来た道を引き返すようにして走っていた。
両手に一人の泥まみれの女性を抱えて...。
先ほどの女性を追いかけていた男など僕からしたら、どんな関係だったにしろ女性が逃げるような事態になったという事実には変わりないため許すことができなかった。
だから瞬時に女性と男の間に入り、瞬き一つするくらいの時間で女性を抱え、その場からすぐに去るようにして走りだしたのだ。
ふとしたときに僕は我へと帰り、人肌のぬくもりがある手の中に目をやった。
そこには目に涙を溜めた女性の姿がある。
走ってきた後方を確認し、海辺の大きな岩の陰へと身をひそめるようにして丁寧に女性を砂へとおろす。
ひとまず僕は、女性のうるんだ目を見て謝った。
何故かは説明しなくても分かると思うが、見知らぬ女性の体をいきなり男性が故意でないにしろ触ったら、それは痴漢ないしセクハラになることだろう。
謝罪だけで済まされるとは思っていなかったが、今の僕にはそれしかできることがなかった。
女性は僕が謝罪を終える前に泣き出してしまった。
(これは、やらかしたぞ...ヤバいな...)と、心の中で思った。
それからしばらくして、泣いたことにより、しどろもどろとした言葉になったものの女性が口を開いて次のように言った。
「さっきは、助けてくれて有り難うなの。私は村に田畑を耕す手伝いをしに来ていたの。その帰りに、さっきの人に『お尻を触らせろ』って迫られて逃げていたところだったの」と。
それを聞き僕は女性を抱えたとき、悪気は無かったものの自然とお尻や胸に触れてしまっていたため、不快な思い以上のものを感じさせてしまったのではっ、と疑問が新たに生まれてきたので聞いてみることにした。
「さっき何も言わずに君のことをいきなり抱いて走った挙句、...な箇所に手が当たってしまっていて嫌だったよね?」と。
そのことで女性は先ほどのことを思い浮かべたらしく、慌てふためいたかと思えば次の瞬間、顔全体を紅く染め「さ、さっきのは嫌というより寧ろ嬉しか...、いや大丈夫なの。気にしてないから大丈夫なの」と、必死にうったえるようにして言ってきた。
「なら良いんだけどさ、君の家はどこにあるの?それと一応こうなってしまったわけだし、家まで送らせてもらっても構わないかな?」と、僕の口から自然と言葉がこぼれた。
確かに女性が一人で家に戻れるか心配ではあったが、こんなことを言ってしまって引かれたりしないかという不安の方が強くなる。
しかし女性は僕の心配とは逆に、頷くとこちらの方に輝かせた瞳を向けてくる。
そして「家まで送ってもらっても良いんですの?私一人で帰った途中でまたあの人に会ったら、恐怖からどうにかなってしまっていたかもしれなかったの」と、無垢な笑顔をして言ってきた。
僕は、中学や高校で女性から話しかけられたことはあっても、ここまで僕が関わったことで喜んでくれた子はいなかったため、尋常でないほどの嬉しさが胸の奥深くから込み上げてきた。
そしてぼくは「もちろん家まで送らせて!」と、高鳴る気持ちをできるだけ表情に出さないようにして言った。
再び僕が走ってきた後方を確認すると、あの男の姿は無くなっていた。
(何とか諦めてくれたみたいで良かった...)と思い、ホッと胸をなでおろすと共に息をひとつはく。
それを見た女性が首をかしげていたが、僕が見た途端に彼女は海の方へと視線を変えた。
(やっぱり、嫌われていないにしろ僕といることに抵抗があるのだろうか...)とか色々と考えていると、彼女が僕の服の裾をくいくいと引っ張り「行こうなの。私の家は、村の近くの山を越えた所なの。だから時間がかかるの」と言ってくる。
僕は頷くと右手を引っ張られながら、彼女の家へと向かった。
こうやって女性と手をつないだのは、唯一幼かったときにアパートの隣に住んでいた幼馴染みの女の子とくらいで、その子は小学校に進学するとすぐに親の都合とやらで仙台の方へと引っ越してしまった。
だから今回、家族や親戚以外と手をつないだのは久しぶりだった。
それは緊張を超すもので、会ったことの無いはずの人だったのに...どこか遠くで繋がっているかのような気さえしてしまった。
自分でもそのように感じてしまったのには、少し気色が悪いと思った。
そんなこんなで、ひたすら歩き続け、山を越え、女性の家に到着した。
山の奥の方にうっすらと見える夕焼けが沈みかけていたため、ここまで相当な時間がかかったのだろう。
(だというのにこの距離を歩いた彼女は凄いな~...)と一人考えにふけっていると「今日は有り難うだったの」と言い、彼女が僕のほっぺたにキスをしてきた。
それには、さすがの僕も耐えかね、頬が真っ赤になった。
照れつつ「いや、僕は君についていくことしかできてないし、それ以外は特に何も...」と言うと「ん~んっ、助けてもらったばかりか帰りは私の傍にいてくれたの。だから心強かったの!」と、彼女は僕を過剰に評価してくれていた。
そして、僕がその場を去ろうとすると彼女が「待ってなの。何かお礼をさせてほしいの!!」と、地平線の彼方へと沈んでいく夕焼けが再び昇ってくるんじゃないかと思うくらい大きな声で言ったので、家の中から彼女の母親らしき人が出てきてしまった。
「母様ぁ~ただいまなの♪」と、彼女が八重歯を見せて笑顔で言うと「お帰りね、里子。今日はいつもより遅かったとじゃね~か?」...と二人で会話をしていたので、やはり母と娘という関係で間違いないのだろう。
僕は、その隙を見計らってその場を後にしようとしたが、二人にそのことがバレただけでなく、娘のことで感謝もしたいということから断る理由を見つけられず家に上がらせてもらうことになった。
机の横には、何かの書物を筆で書き写す髭の濃い男性の姿があった。おそらく彼女の父親だろう。
僕は畳の床に腰を下ろし、夕飯を御馳走になった。
貝と菜の花の汁物、玄米、焼き魚というようないたってシンプルなものだった。
その後、母親から何かを耳打ちで伝えられた父親が「若人よ、私の大切な娘の里子を窮地から救ってくれたそうじゃないか。有り難うな...」と言って頭を床につくギリギリまで下げるので、僕は少々戸惑っていたが、彼女の名前が里子だということが知れたので嬉しくもあった。
僕は三人に「ここは、どこですかね?それと今、西暦何年くらいか分かりますか?」と、最も知りたかったことを聞いた。
彼らは小声で何かをヒソヒソと話し出した後、父親が「ここは、豊前国で西暦一九〇〇年頃じゃな。明治三三年と言えば分かるかい?」と親切に教えてくれたことから、先ほどの話し合いは、このことを確認するためにしてくれていたのだということが推定できた。
「教えて頂き有り難うございます。大変助かりました」と言うと、皆不思議そうに僕の方を見てくる。
そして三人は何がおかしかったのか、腹を抱えて笑いだした。
「何かおかしいこと、僕言いましたかね?」と聞くと、里子が代表して「そんなことが分からなかったのが少し可笑しかったの。にしても今日は遅くなってきたから家に泊まってくといいの」と言い、すぐに両親に確認をとった。
結果、僕は今日ここに泊まらせてもらうことになり、しかも里子と同じ布団で寝ることになってしまったのだ。
......僕は里子の母親に言われて五右衛門風呂に浸からせてもらっていた。
湯加減は少し熱いと感じる位で、肌触りは、まろやか&なめらかで何とも言えない感じだった。
(仮にここが明治だとしたら、どうやって現代に戻ろうか...)なんて考えているうちにのぼせかけたので湯を上がることにした。
乾いたタオルで体の水気を拭き取ると、入浴前に言われたとおりに一着の真新しい浴衣を身に纏った。
これは、里子の母親がいつかの客人用として作っておいたものらしい。
畳の間へ戻ると、三人は興味津々に僕の方を見てきた。
まず口を開いたのは里子で「よくお似合いなの!」と、頬をほのかに染めて言ってきた。
それから、他の二人もお互い顔を見合ったりしながら僕のことを良く言ってくれていたので、それら全てに対しての気持ちを込めたお礼を言った。
すると何故かその浴衣がもらえることとなり、明日から僕の気の済むまで家に居てほしいということになったのだ。
理由は分からなかったが、今は元の時代に戻るすべが見つからないことから、しばし甘えさせてもらうことにした。
しかしそれだと申し訳なさの方が強くなってしまいそうだったので、ここの家業を手伝うことを条件に加えさせてもらった。
そうして、ここに来てから約一ヵ月の月日が経った。
綿花から糸を紡ぐ作業を手伝ったり、反物を里子の母親と一緒に売りに出たりと中々骨が折れるものだった。
そして、ここ里子の家系は糸や布を作成するのにおいて近辺では知らない者がいないというくらい有名な所だった。肝心の工場は『豊前製糸工場』といういかにもな名前だった。
今日も朝と晩にご飯を食べさせてもらい、お風呂に入らせてもらう。
そんなとき、ガララ...っと風呂場の戸を引いて開ける音がしたと思っていたら、二人で入浴するには狭い五右衛門風呂に里子が侵入してきた。何故入ってきたのか本当に意味が分からない。
‘居候させてもらっている家の娘と一緒の布団で寝ているというだけで危ないシチュエーションが想像できるというのに、今回の場合はそれ以上に危険ではないだろうか?’
そんなことを真剣に考えていると里子が「龍之介はさ、私のことどう思う?」と、意味のわからないことを聞いてくる。
僕の名前が龍之介だということは、泊めてもらい始めた日に名乗っていたので彼女が知っているのは不自然なことではなかった。
が、風呂にまで入ってきて、それを聞くというのはどんな目的からなのだろう。
僕は鳴り止まぬ胸の鼓動をどうにか誤魔化し、落ち着いて「どうって、普通に嫌いでないよ」と思ったことを言った。嫌いというより、ここ最近では寧ろLOVEの感情の方が近いと自覚していた。
だが、下手なことを言ってしまったせいで里子やその親との関係が悪化してしまっても困るため、あえて回りくどく言ったのだ。
そのつもりだったのに...「ってことは、好きってことなの?私もなの♪」と敏感なのか鈍感なのか、僕の返事に対してそう言った里子は僕の唇に甘い口づけをしてきた。
それにより僕の身体の内側が熱くなってきた。それも煮えたぎるように。
ついには、僕の意識がどんどん遠のいていき意識を失ってしまった。
その間何が起きていたのかというと、そこにいるはずの僕が蒸気のようにいなくなり「母様ぁ~、龍之介が消えちゃったの~...」と言うと母親がそのことを確かめ、僕がもらった浴衣と初日に着ていた服を確認するもどこにも見当たらなかったことから「あの青年は、きっと神様が里子を助け、私達の手伝いをするために派遣してくれた神使のような方だったんじゃないのかね?」と、僕は神様見習いのような扱いになってしまった。何ら変わりない普通のヒトという生物だというのに......
ただ、このことについて僕はどうやっても知る由がないため、これは僕がその場にいたらそう思うだろうという憶測のようなものでしかないため、そう思ってくれたら嬉しい...。
「んぁ、ここは...」と目を開けて周囲を見渡すと、そこは過去らしき世界へとタイムリープした始発点、大学の正門付近だった。
それは善しとしてもあそこで一ヵ月近くは生活していた。だから時刻も...と、僕は大学のテニスコートに設置された時計を見上げた。しかし時刻は事の全てが始まった時より一分経過しているだけだった。
それと、一番重要な服はというと...着ている状態で、青のチェックシャツも羽織っていた。
(そんな~、あのときのことは幻か夢だったのか...)と、ショックを受けた。
調子があまり出ない中、大学の講義を受ける部屋へと入り席についた。
「はぁ、それにしてもあれが夢だったとか未だに信じられないよな~。だって、あまりにも現実的だったんだからさ...」と、思わず声に出して言っていた。
「はぁ~」と溜め息を吐きつつ、足元のリュックのファスナーを開け、教材を取り出そうとするとボタッという鈍い音と共に里子のお母さんからもらった浴衣が地面に落ちた。
元から入れていたわけもなかったことから、あのとき=現実だったと確信し思い出に浸っていると...キイ~ッと前方の入口のドアが開く音がし、教授と生徒らしき女性が入ってきた。
それを見た僕は驚きの余り、自分でも目が飛び出すんじゃないかと心配するくらい目を大きく見開いていた。何故かって、それは本来ここには居ないはずの女性の姿があるからだ。
人違いでなければ、昔アパートの隣に住んでいた詩織という幼馴染みの女の子なのだが彼女は、先にも言ったように小学校進学後に仙台の方へと引っ越しをしていて、大学もそっちの大学に進学したという知らせまで届いていたからだ。
疑問に思いながらも黒板の前で会話を続ける二人を見続けていると、チラチラと女性が僕の方を見てきた。あまりにもじっと凝視していたので不審がられているのだろうと思い、リュックの中にある教科書の方へと目線を変えた。
それからしばらくして、教授と話を終えた女性がこちらにやってきて僕の隣の空いている席に座った。
「久しぶり、龍之介くん」と、隣に座った女性から僕の名前が呼ばれたので僕は彼女を見て「間違ってたら悪いんだけど、詩織ちゃんだよね?」と聞くと「やっぱり龍之介くんだ♪」と、満面の笑みを浮かべていた。
しかし、僕は納得ができていなかった。彼女がどうしてここにいるのかということが...
僕は意を決して聞いてみた。「どうして今頃仙台の大学に通っているはずの君がここにいるの?」と。
すると彼女が「この大学の他の学部って仙台にもあるでしょ。そこからこっちに編入学しただけの話よ」と言った。
僕は彼女がなぜそんなことをしたのかがまるっきり理解できていなかったため、その理由を尋ねてみることにした。
「けど、どうしてそんなことをしたの?」と聞くと彼女は次のように話してくれた。
「私ね、最初は、ここの学部に入りたかったんだけど学力が足りなかったせいで受験に落ちて、滑り止めにしてた仙台の方にある学部に受かったんだ。だけど、それだと納得できなくて一年間必死に勉強して、どうにか二年生から龍之介くんと同じ学部に入れたんだ」と、嬉しそうに話してくれた。
何故、昔に離ればなれとなった二人がお互いの現在の姿を知っているのかというと、僕の母親と彼女の母親が今でも仲が良く年に三回ほど手紙のやり取りをしていて、その際には必ず子供の写真も同封する。だから互いの姿を知っているというだけの単純な話だ。
その頃、前の方では教授がパソコンに電源を入れて講義の準備をしていた。
......今日の講義もすべて終わり、いつものように一人で自転車にまたがって家に帰ろうとしていると「まって~龍之介くん...」と、息を切らしながら詩織ちゃんが走ってきた。
僕は、特にこれといって入りたいサークルなどが無かったためどこにも属していないのだが、彼女からしたら魅力的なものがあったろうにどうしてここにいるのか見当がつかなかった。
「どうしてここにいるの、詩織ちゃん?」
「どうしてって、今から帰るからだよ」
「サークルとか入らなくてよかったの?」
「それだったら龍之介くんこそ」...としばらくの間、話をした。
彼女も僕同様に入りたいものが無かったらしいが本当かは定かではなかった。
とりあえず二人で帰ることになり、彼女も自分の自転車にまたがっていた。
走り出してしばらくして「龍之介くんは今も、あのアパートに住んでるの?」と詩織ちゃんが聞いてきたので「今は、詩織ちゃんが引っ越した後に近くにできたマンションに住んでるよ」と僕は言った。
「へぇ~そうなんだ。で、どこらへんなの?」
「あの頃住んでいたアパートの向かいの道路を挟んだ所だよ」
「えっ、そうなんだ。私は、あのアパートに馴染んでたっていうこともあってまたあそこに住んでるよ」
これには僕も驚きを隠せなかったが、またご近所さんになれるのは嬉しくもあった。
ペダルを漕ぎはじめてから三〇分~四〇分経ち、お互いの家の前に着いた。
その間色々な話をした。彼女の両親は今福岡にいて、先祖が昔住んでいた家をリノベーションしている真っ最中のため彼女は今一人でこっちにいるといったことなど。
また、僕がその家のことについて聞くと、今度の土曜日に見せてもらえることとなった。
「じゃあね、龍之介くん。また明日」
「こちらこそ、また明日ね」と返事をして、僕はマンションへと入っていった。
五〇二号室の表札を確認して僕はドアを開ける。
「ただいま母さん」と、僕が言うとすぐに「お帰りなさい、りゅうちゃん」と返事が返ってくる。
僕がいくら『~ちゃん』呼びは嫌だからやめてくれと言っても母さんは直してくれない。
そこだけが唯一、母さんに対しての不満だ。あとは、きほん僕のやりたいようにやらせてくれるから有り難いのだが。
僕はリュックを自分の部屋に置くとリビングに行き「母さん、今日詩織ちゃんが大学に編入してきたよ」と言うと「言ってなかったっけ、そういえば...」と母さんがあたかも初めから知ってたかのような口調で言ってきたので、僕がいつからそのことについて知っていたのか確認すると「あ~そういえばね、大学一年の終わった春休みの時に彼女のお母さんと電話して、そのことを知ったのよ。でね、びっくりさせたいからそのことは龍ちゃんには内緒にしといてって言われたから今まで黙ってたのよ...」と、笑いながら教えてくれた。
つまりは、僕だけがそのことを知らなかったということだ。
続けて僕は母さんに「今日、詩織ちゃんに僕たちの家の場所聞かれたんだけど、言ってなかったの?」と聞くと「あぁ、そのことなんだけど、伝えてたわよ。彼女のご両親には」と、意味深な返事をしてきたのでそのことについても言及してみた。
母さんは、そのことについても答えてくれた。つまりはこういうことらしい。
彼女の両親には伝えていたが、相手の親の判断で娘には「龍之介くんは今も昔と同じ地区に住んでる」としか言っていなかったらしい。どういうわけかは知らないが。
それから毎日詩織ちゃんと一緒に大学に通うようになり、とうとう土曜日を迎えた。
その頃、僕は朝食のお伴としてコーヒーを飲み終え「行ってきま~す」と両親に言って家を出るとエレベーターに乗って一階のエントランスに向かっていた。
詩織ちゃんはというと、僕からのメールを確認して家をちょうど出たところだった。
僕が一階に降りると、ガラスを一枚挟んだ向こう側で彼女がイスに座って待っていた。
「待たせちゃったかな?」と僕が聞くと「いや、待ってないわよ。龍之介くんからのメールを確認した後に家を出たから」と、彼女が笑顔でそう言ってくれた。
それから少しして、僕たちは最寄りの駅へと向かって歩き出す。
彼女が僕の方に手を伸ばしてきたかと思ったら、今度は僕の左手に彼女の温もりのある指を絡めてきたので「うわっ!」と思わず声が出てしまった。
「龍ちゃん、私と手ぇつなぐの嫌?あの頃みたいに」と言われたので「嫌じゃないけど、詩織ちゃんいきなりどうしたの?」と、少し照れながら聞き返すと「なんとなく...♥」と、恥ずかしがりながら答えた。
何故だか、彼女から『~ちゃん』付けされるのは嫌な気がしなかった。
そして僕は、そのままでいる方が彼女のためになると思ったのと同時に、なんだか懐かしくて温かい気持ちになったためそのまま駅に向かい電車に乗ることにした。
はたから見れば完全にカップルに見えたことだろうが、それでもいいと僕は思った。
そして福岡のその家がある最寄りの駅に着くと、彼女にリードされてしばらくの間歩き続けた。
「ここが、その話していた家よ!」と彼女が言ったので、僕は言われるがままに目をやった。
「えっ...」と僕が驚いて大きな声を出したので、彼女が「どうしたの、龍ちゃん?」と聞いてくる。
どうしたもこうしたも、周りの景色は時代と共に移り変わっていてもその家の外観は里子の家と同じだったので、僕は彼女に駄目もとでそのことについて聞いてみることにした。
「詩織ちゃん、変に思われるかもしれないんだけど一つ聞いてみてもいいかな?」
「良いよ、言ってみて」と言われたので、僕はあのときの不思議な出来事についての話をした。
「僕の単なる夢だったのかもしれないんだけどね、豊前里子っていう女の人が出てきて、その両親とここに住んでいたんだ。それで、その家の人たちが『豊前製糸工場』っていう工場を経営していてね、もし何か詩織ちゃんが知っていたら教えてほいいなって思って」と言うと、彼女は僕の方を見つめて「里子って人は知らないけど、その工場なら私のおばあちゃんが経営しているわよ。今まで誰にも話したことなかったから、龍之介くんの口から言われて正直びっくりよ...」と、彼女は表情一つ変えずに言葉を綴った。
その後、その家に僕は入れてもらい、彼女の両親に挨拶をした。
「あのときと比べると、大きくなったわね~龍之介くん」と彼女の母親が言うと、それに続けるかのようにして「いや~写真とかは君のお母さんから送られてきていたけど、実物はもっと立派に見えるね。これなら、家の詩織のこともお願いできるよ」と、彼女の父親が言った。
「やめてよ、お父さん。私たち、まだそんな関係じゃないんだから!」と、詩織ちゃんが口をとがらせて言いながらも頬を赤らめていた。
「冗談だよ、詩織」と父親が言うと、今度は再度僕の方を向いて「龍之介くん。こんな所で悪いけど、ゆっくりしていってくれよ」と言ってきた。
「有り難うございます」と僕は言うと、続けて「それと、いきなり押しかける事となってしまって悪いとは思っているのですが、豊前里子っていう女性ご存じありませんか?」と、今回も駄目もとで聞いてみた。
すると彼女の父親が奥の部屋へと行き、当時の写真と思われる写真を持ってきて「この写真は、私の母が幼いころの物なんだが、母の隣に写っている女の人で間違いないかい?」と聞いてきた。
僕は、目を見開いてその写真を覗き込んだ。
そして「間違いないです。その方だと思います」と言うと、父親が「もう亡くなっているが、私の母のお母さんに当たる人なんだ。けど、どうしてそれを君が知っているのかい?」と、不思議そうに聞いてきたので僕は、お礼を言うと何とか言い訳をしてごまかすことにした。
しかし、僕はそのおかげで里子さんが彼女の父親のお母さんのそのまたお母さんに当たる人だということと、どんな運命の悪戯であれ、僕は里子さんに出会ったということを確信することができた。そして運命か偶然かは分らないが、こうやってもう一度、詩織ちゃんに出会えたのだということを今一度感謝した。
それ以降、僕と詩織ちゃんは少しずつではあったが親密で互いにかけがいのない存在にまで発展していくことになるのだが、そのことは想像に任せることにしよう。
しかし、これだけは確かだ。
仮に生まれ変わってもう一度この世に生を受けることができたのなら、例えどんな形であれもう一度会いたいということだけは......。