06 暗殺者はヒーローっぽい事をする。ただし、殺しは楽しむ。
翌日の朝、カリンはバルドゥイーンの部屋、つまり学長室で寝ていた。昨日の晩、ここに泊まり、殺しの準備をしていたのだ。
来客用のソファーに横になり、下着姿で爆睡している。暗殺者としても、女子としても失格だが、それだけ楽にできる程、ここは安心できる場所であった。
「カリン、起きてください。もう朝ですよ」
「……ん」
バルドゥイーンに起こされて、カリンは目を覚ました。ヨダレを手で拭い、ゆっくりと上半身を起こし、大きく伸びをする。
「あー……よく寝た。やっぱり、いいソファーだな。寝心地最高だよ」
「寝るために買ったのではないのですけど……昨日も言いましたけど、汚さないでくださいよ」
バルドゥイーンは困った顔をする。
「別にいいじゃん。クリーニングするなり、買い替えるなり。カネはあるんだろ? それより、朝飯だ。飯。久しぶりに殺しをするんだから、たっぷり食わねぇと」
頭と尻を掻きながらカリンは言う。
「それなら、もちろんご用意してありますよ。ほらここに」
バルドゥイーンは来客用のテーブルの上を指した。するとそこには、いつの間にか食事が置いてあった。
「……やるじゃん」
カリンは食事を手に取った。野菜たっぷりのサンドウィッチである。大きく口を開け、一口食べる。
「……マズっ」
カリンは器に残りを置いた。
「何だよ、よく見りゃコレ、黒パンじゃねぇか!」
「お嫌いですか?」
「ああ、黒パンは嫌いなんだよ」
「そうでしたか、大事な孫のために頑張って作ったのですがね……」
バルドゥイーンは少し悲しそうな顔をする。その顔を見ていると、なんだか心苦しくなった。だから我慢して食べる事にした。
残ったサンドウィッチを口の中に詰められるだけ詰め、一気に噛んで、コーヒーと一緒に飲み込む。
「……ま、よく味わえば、黒パンも悪くはないな」
「そうでしょう? ナイツ国は健康志向の人が多いので、よく食べられてるのですよ」
バルドゥイーンは微笑んで答えた。その様子を見てカリンは顔を背ける。複雑な感情、それが『反抗期』と呼んでいいようなものである事を彼女は知らない。
「そんな事より、ハナはどこに行った?」
サンドウィッチの最後の一口を咀嚼しながら、カリンは訊ねる。
「ハナですか? 彼女ならもう出かけましたよ。ボランティアに参加するとか……」
「スヴェンとヴィマラだっけ? あいつらとか? 勉強はどうした?」
「今は夏休み期間ですから」
「ああ、そう……に、しても、ボランティアね。じゃあ、アタシも頑張るとするか」
カリンは残ったコーヒーを一気に飲み干すと、立ち上がった。
「ちょっと待ってください。服はちゃんと着た方がいいですよ」
「うっせぇな……分かってるって」
その辺に脱ぎ捨てられた服を着ながら、カリンは顔をしかめる。
「それにしても、大人の女性が苺柄の下着を着るというのはいかがでしょうか? もっと年齢相当の物を着た方がいいと思うのですが……」
「別にいいだろ、人の趣味に口出しすんなって。そっちだって、いいとこのクソガキみたいな恰好してるクセによ」
「ああ、それもそうでしたね」
バルドゥイーンはまた微笑んだ。
「じゃ、行ってくるわ」
「あ、ちょっと!」
行こうとしたところを呼び止められ、カリンは不機嫌になった。
「……今度は何だよ? 荷物の確認か? お出かけ前のキスでもして欲しいのか?」
「いえ、それもお願いしたいのですが、食事の後は歯磨きしましょう。ね?」
そう言うバルドゥイーンの手には、歯ブラシと歯磨き粉が握られていた。
カリンは大きくため息をつくと、無言でそれらを奪い取り、便所へと向かった。
◆◆◆
カリンは再び旧市街にいた。ただし、いる場所は道の上ではない。屋根の上だ。
そこで屋根ギリギリの所にしゃがんだまま、身を乗り出して通りを見下ろしている。高所だが恐怖などない。現役時代には高い所から飛び降りる事もあったし、昨日はもっと高い所から落ちたからだ。
「……さて、悪い子はどーこだ?」
カリンは悪い笑顔で呟く。
『殺しは楽しめ』。暗殺者の先輩がよく言っていた言葉だ。そうでなくては心がもたないからだそうだ。だからカリンも楽しむ気持ちで殺しをしてきた。そして今も、その気持ちを持っている。特に、それで人に親切にできるとあってはなおさらだ。
「どこだ? どこだ?」
彼女はそう言いながら、屋根伝いに、真っ直ぐ目的地まで移動する。
本当はどこに殺すべき相手がいるのか分かっていた。さっきから声が聞こえるのだ。呟いている事は単なる演技である。
「――である事から、難民は即刻排除すべきであり――」
彼女が声の主の対角線上に立つと、耳を塞ぎたくなる程に声がよく聞こえた。男が拡声機を使って声を上げている。道の上に台を置き、その上に立って演説する様子はまるで選挙みたいだ。
演説。それはある意味正解だ。しかし、彼がやっているのは難民に対するヘイトスピーチである。
「あーあー、嫌だねぇ。どうして人を悪く言う時って、あんな嫌な顔をするのかねぇ」
しばらく聞いていたカリンは顔をしかめた。
彼女にとって、ズーマンは皆兄弟、差別するという感覚がない。殺せば、誰だって死ぬからだ。だからバルドゥイーン以外には、どんな人にも等しく付き合う事ができる。
そんな彼女には、差別する者がとても醜く思えた。死の前に人は等しい、他は些細な事、そう考えられず、自分だけが特別だと思っている間抜けのように見えるからだ。
人を悪く言う奴にはお仕置きが必要だ。そう考えた彼女は、スマートフォンを取り出すと、それに向かって話しかけた。
「ヨー、Ketu。『爆裂テディベア』出して」
『今、出します』
スマートフォンは答えると、画面から光の渦を出した。そして、その中から巨大な熊のぬいぐるみが飛び出した。
『電子化収納』という機能だ。名前の通り、物質を電子化して内部ストレージに保存する事ができる。魔法の技術を応用した機能である。
「おはよう、テッド」
『おはよう、カリン』
カリンは裏声で、ぬいぐるみのセリフを言った。そして手を振らせる。
「なぁ。あのオッサンどう思う?」
彼女は演説している男の方へぬいぐるみを向かせた。
『んー、最低だね。あんなの、生きる価値が無いよ』
「やっぱり? じゃあ、始末しちゃっていいかなー?」
『いいともー』
カリンはぬいぐるみを揺らす。そして胸のところにあるボタンを押した。
『ナデナデ シテー』
ぬいぐるみは喋る。カリンはそれを聞いて、ハグし、ギュッと抱きしめ、そして撫でた。
「おー、よしよし」
『大好キー』
再びボタンを押すと、ぬいぐるみはまた喋った。
「じゃあ、今度はあのオッサンにナデナデしてもらいなさい」
『うん、分かった』
カリンはぬいぐるみにそう言わせると、背中を向かせ、尻を突き出させる。
そこからは紐のような物が飛び出していた。導火線である。ぬいぐるみの尻にダイナマイトをブチ込んでおいたのだ。彼女は迷く事無く、魔法で指先に火を灯し、導火線に着火する。
「バイバイ、アタシの友達」
『バイバイ、またオモチャ売り場でね』
カリンは別れを言うと、演説中の男に目掛けて、ぬいぐるみを投げた。ぬいぐるみは弧を描き、落下する。そして彼に命中した。
その瞬間、爆発。男も、その仲間やそばで熱心に聞いていた者も、みんなが肉片へと姿を変える。ついでに建物や道もボロボロになった。しかし、それ以外に被害は無い。彼女がそうなるように計算して爆発させたのだ。
「ハイ、大当たりー!」
カリンは親指と人差し指で爪を鳴らした。悪を滅ぼし、気分は爽やかだ。
が、これで終わりではない。彼女は知っていた。爆発の直前、二人の男がこっちへ跳んできたのを。そして今、彼らが自分を挟むかのように立っている事を。
「……3Pの趣味は無いんだけど」
カリンは立ち上がる。
「ふざけるな」
「今のはお前の仕業だろう」
二人の男は答えた。種族は違うがどちらともネコ科だ。一人はチーターで、もう一人はヒョウのように見える。
「もしかして敵討ち? なら、止めとけって。自分の命が惜しいならよ。でないと、アタシのコレが唸るぞ」
そう言ってカリンは、スマートフォンから武器を取り出した。トイレの詰まりを直すアレである。
「何?」
「こんなので死にたくないだろ? ほら、さっさと家に帰ってクソして寝な」
「ふざけやがって! 死ね!」
二人の男は持っていた魔法の杖から魔法を出そうとした。しかし、もう遅い。カリンの攻撃はすでに始まっていた。
彼女はヒョウに向かってアレを投げた。柄の方から飛んでいくアレは、男の左目に突き刺さり、そのまま脳にまで達した。死亡。
そして彼が倒れた瞬間に、彼女は後ろに立っていて、刺さっていたアレを目玉ごと引き抜いた。
チーターは今の早業に驚き、魔法を使うのを止める。それをカリンは、刺さった目玉を取り除きながら見ていた。
「これで1対1だな。どうする?」
カリンは取った目玉をチーターへ投げつけた。目玉は彼の足元に落ちる。
「貴様ぁー!」
チーターは再び魔法を使おうとした。しかし、その時にはすでに、アレの吸盤は彼の顔に吸い付いていた。
急に何も見えなくなり、慌てる彼。そんな彼のそばに一気に詰め寄ったカリンは、思い切り蹴飛ばす。彼は宙を舞い、そのまま通りへと落下していった。ドサリという音、悲鳴。確認するまでもなく、彼は死んだ。
「これでお終いっと。じゃ、移動すっか」
カリンはヒョウをスマートフォンで撮影した。すると死体は光の粒子となってカメラに吸い込まれた。電子化して保存したのだ。
「名前は『死体01』でいいや。目ん玉一個無いけど、他の臓器は無傷だし、そこそこの値段で売れるよな?」
彼女は呟きながら、その場を後にした。
◆◆◆
それからしばらくして、カリンは相変わらず、屋根の上でパトロールをしていた。
あれからずっと『悪い事』をしている奴は見つからない。さっそく効き目があったのかもしれないが、今の彼女にはどうでもよかった。
「……暑い」
彼女は両手から冷気の魔法を出し、涼をとる。
今は真夏だ。それも、雲一つ無い快晴である。涼しいと言われるナイツ国でも、さすがに屋根の上は暑かった。
「あー、クソっ。アイス食いてぇ……もしくはキンキンに冷えたコーヒーが飲みたい……でも、ナイツ国っていったらビールだよな? ラドラー飲みてぇな……」
彼女は呟く。
現役時代の訓練によって、暑さにも寒さにも耐える事はできる。しかし、耐えると平気なのとは別だ。今となってはもう我慢したくない。冷房の効いた室内で、下着姿で寝ていたいくらいなのだ。
「今日はもういいや……明日から本気出す」
彼女はそう言って裏路地を探した。屋根から降りる所を見られたくない。そのために人目につかない所に移動しなくてはならないのだ。
場所はすぐに見つかった。たまたま、すぐ近くにいたからだ。しかし、降りようと思って近づくと、下の方から人の気配がした。彼女は誰がいるのかと静かに眺める。
二人の男であった。どちらも黒ずくめである。そして謎の鞄を交換していた。どう見ても、怪しい取引の現場である。
どうするか。そんな事、考えるまでもなかった。カリンは飛び降りた。そして空中で、魔法を使って両手からツララを出すと、落下の勢いを利用して二人の首に突き刺した。
『アサシン・ダイブ』。彼女がかつて所属していた暗殺ギルドでは、今の技をそう呼ぶ。それによって、二人は同時に死亡した。
「……あー、脚痛ぇ……久しぶりにやったから、ちょっとミスった。こりゃ、勘を取り戻すまで時間がかかるぞ」
着地で痺れた脚をさすりつつ、カリンは呟いた。
「で、鞄の中身は何だろなっと……」
近くに落ちていた鞄の一つを引き寄せると、中身を調べてみた。すると中には、大量の札束が入っていた。
「ワーオ、まさかの臨時収入! 今夜は派手に飲めるんじゃね?」
彼女はそう言ってスマートフォンに大金をしまう。そして今度はもう一つの鞄を開けた。すると中には、小袋に包装された白い粉がいくつも入っていた。
「んー、これは小麦粉だな。こんなに丁寧に包まれているんだから、上等な物に違いねぇ。パンケーキ作ったら最高じゃねぇか?」
袋の一つを開封し、指先に粉をつけると、その指を舐めてみる。
「ん~、バンタム。ランクはAAAってとこか? グラタンもいいかもな……」
そう言って粉を吐き出し、袋を鞄に戻す。
「なんてな。コイツはヤクだ。つまり、コイツらは売人って事になるな。と、なると……まいったな」
彼女は困った顔をして、頭を掻く。
「って事は、どっちかは作ってる工場の場所を知ってるよな? でも、アタシがノリで殺しちゃったから聞き出せないぞ。どうすっかなぁ……他の売人を探すにも自力で工場を探すにも時間がかかりそうだし……なんか手掛かり無い?」
売人の死体を探ってみる。
一人目、持っていたのは拳銃と財布だけ。どちらもいただき、次の死体を調べる。
二人目、持っていたのは拳銃と財布、そして……
「ん? なんだ? この紙は?」
四つ折りになった紙があった。広げてみると地図と思われるものが書いてある。
「えっと、この星マークが受け取り場所かな? で、ここから線を辿っていくと……こう行って、こう……この丸がアジトか工場かな? ……へっ、バカな奴だ」
紙をたたみ直し、ポケットにしまう。拳銃と財布、そして死体はスマートフォンにしまう。
「手掛かりゲット。じゃ、さっそくブッ潰し行って――」
そう言いかけたところで、急に腹が鳴った。そして、空腹を感じる。
手に持ったスマートフォンで時間を確かめる。すると、お昼近くであった。
「うっそー! さっき朝飯食ったと思ったら、もうこんな時間かよ! 一日ってこんなに短かったっけ? これじゃ、あっという間にババアになっちまうぞ!」
驚くカリン。しかし、大きく息を吐いて落ち着かせると、別な事を考える事にした。
「よし、飯だな。いや、ブッ潰すのが先か。さーて、どっちにしようか……」
彼女は行ったり来たりを繰り返しながら悩みだした。