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03 暗殺者は一難去ってまた一難。でも、何とか頑張れる。

 カリンは物心ついた時から暗殺者になるための訓練を受けていた。それでも、子供の頃には子供らしい心を持っていた。

 例えば、雲。小さくなったり、大きくなったり。時には雨を降らし、冬になれば雪を降らす。不思議な物体。

 幼い頃、彼女はそんな雲に夢中になっていた。触ってみたいと思い、一生懸命にジャンプしたり、背伸びしたものである。でも、当然触る事はできない。

 きっとフワフワで気持ちがいいだろう。大きくなったら、絶対触ってやろう。そう思ったものだ。


 ――前略、幼き頃の私。

 覚えていますか、あの夢を。あれからどれほど経ったのか、まるで分かりません。

 もう、すっかりと忘れていました。しかし、今、やっと思い出す事ができました。

 信じられますか。私は今、雲に触っています。あの時の夢が叶ったのです。

 でも、現実は厳しいものです。雲なんてただのモヤです。綿のように柔らかくて気持ちの良いものではありませんでした。

 ……私は、とても悲しいです。


 カリンは心の中で手紙を書いた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 現在、カリンは雲の中を落下していた。

 空から落ちるのは、これが初めてではない。現役時代、目標地点へと空から潜入した事があるからだ。

 しかし、当時と今とでは違う。具体的にはパラシュートが無い。このままだと死ぬ。


 手段が全く無いわけではない。魔法の力を使えばいい。

 魔法には空を飛ぶためのものもある。一般的には箒に跨って飛ぶというイメージの強い魔法だ。だが、実際には箒は必要ではない。重力に逆らう力、前へと進む力、この二つの力があればいい。

 ただ、魔法を使うには魔力が必要だ。そして魔力は有限なもの、使えば無くなる。その上、この魔法は魔力をバカ食いする。つまり、短時間しか使えない。タイミングを誤れば途中で魔力が切れて、やはり落下して死ぬ。

 助かるためには、かなり地表に近づくまで魔法を使う事ができない。


 カリンは両手両足を広げた。こうする事で空気抵抗で落下速度が減速されるからだ。

 しかし、それでも落ちるのは速い。その上、この高さはとても寒い。夏服で夏毛の今、それが身にこたえる。空気が薄いため、息も苦しい。


「ヤベぇ! 死ぬ! 地面に叩きつけられる前に死んじまう!」


 カリンは呟く。だが、どうする事もできない。


 そんな時、急に視界がクリアになった。雲を抜けたのだ。

 下を見る。遠くに山や川が見える。そして大きな街もある。ちゃんとしたスカイダイビングであれば、絶景だと思ったに違いない。


「あれは……」

「ようこそ、ハーデイベルク市へ」


 聞き覚えのある声がして、カリンは声がした方を見た。

 バルドゥイーンだ。いつの間にか、彼がすぐそばにいた。そして一緒に落ちている。


「なんでアンタも!」

「失礼。大事な事を忘れてましてね。あ、電車は自動操縦なんで大丈夫ですよ」


 バルドゥイーンは笑って言う。


「いや、こんな時に言うなって! っていうか、なんで落とした!」

「ほら、善は急げって言葉があるでしょう? そういう事です」

「急がば回れって知ってるか? 急いで欲しいなら安全な方を選べ!」

「まあまあ。それより、話を続けますよ」


 カリンの言葉を、彼は軽く流して話を続けた。


「今、私達は大学の真上にいます。もちろん、私の大学のね。このままキャンパス内に着陸してください。ついでにさっそく一仕事してくださると嬉しいのですが」

「何だって?」

「最近、学生達の間で特定の学生に対する差別が行なわれています。手始めにそれを解決して欲しいのです」

「学生って……いいのか? アンタの教え子って事だろ?」

「ええ。私の大学の評判が悪くなるのは困りますから」

「アンタの存在自体が評判を悪くしてると思うがな!」

「おっと。これは一本取られましたね」


 バルドゥイーンは笑顔で答えた。


「まあ、そういう事ですので、頼みましたよ。私は先に降りてますので」


 そう言って彼は先に落ちていく。その背中にはパラシュートも何も無かった。しかしこの余裕、空を飛んで着地するらしい。

 それを見ているカリン。すると、そろそろ魔法を使ってもいいくらいの高さまで落ちた事に気がついた。


「そろそろか」


 彼女は全身に気を集中させ、魔法を使った。

 魔法で重力に逆らうというのは簡単な事ではない。何しろ、自分で異なる重力を作り出す、つまり自然の法則を大きく捻じ曲げなくてはならないからだ。

 特に落下中は大変だ。いきなり浮こうとすると、壁に衝突した時のような衝撃が来る。まずは少しずつ減速させ、落下速度をゼロにしなくてはいけない。


 ゆっくりブレーキをかけるように、カリンは少しずつ浮かせる力を大きくしていった。

 時速190kmほどで落下していたのが、次第に速度を落とし、時速60kmぐらいにする。ここからさらに速度を落とし、安全に着地できるくらいにするつもりだ。

 地面が迫る中、彼女は冷静に対処していった。


「あ、そうそう。忘れてました」


 そんな時にバルドゥイーンは戻ってきた。これにカリンは気を散らし、魔法が解除される。


「おいぃ! 人が集中している時に何だよ!」

「失礼。これを渡すのを忘れてましてね」


 そう言って彼は、どこからともなく円盤状の物を取り出した。


「CD? DVD? デカいな」

「レコードと言うのですよ。知りませんか?」


 苦笑するバルドゥイーンの顔を見て、カリンは顔が熱くなるのを感じた。『最近の若者は』とバカにされたような気がしたからである。


「し、知ってるっての! 銀色だからそう思っただけだし!」

「ふむ、そういう事にしておきましょう。では、受け取ってください」

「お、おう」


 バルドゥイーンはレコードを投げた。カリンはそれをキャッチする。その瞬間、手に妙な感覚が伝わった。

 レコードはもの凄く柔らかかった。シリコン以上。触れた感覚すらないくらいにグニャリとしている。それに人肌のように温かい。思わず手を離しそうになった。


「うわっ、気持ち悪っ! 何だコレ?」

「それは記憶です。とある方の記憶を複製し、形にした物です」

「記憶?」

「はい。頭に差し込んでみてください。記憶がアナタの物になります」

「アタシに他人の記憶が……」


 カリンは言われるままにレコードを頭に押し当てた。すると、何の抵抗も無く頭の中にへと入っていく。

 その瞬間、頭の中に映像が浮かんだ。男だ。ネコ科と思わしき男が立っている。詳細を見ようとしても何故かハッキリとは見えない。だが、笑っているように見える。

 と、一瞬ノイズで映像が乱れた。そして彼の姿は消え、代わりに別の人物が立っていた。あれは……ヒューマン。


「くそっ……なんだコレ……」


 眩暈がし、カリンは頭を抱える。


「その記憶は、必ずアナタの役に立つでしょう。では、失礼」


 バルドゥイーンは再び去って行った。


「なんでヒューマンの姿が……それにアイツは誰だ?」


 疑問が浮かぶ。だが、そんな事を考えている余裕は無かった。

 かなり地面が近くなっている。それに落下速度も速い。このままでは減速しきれずに衝突する。


「ヤベぇ! もう一か八か、あの方法を使うしかねぇ!」


 カリンは焦る気持ちを抑え、全身から魔力を放出する。

 『魔力の鎧』というものだ。全身を魔力で包み、物質化。魔力を金属のように硬くする事で、身を守る技術である。

 最後の手段であった。『鎧』でガチガチに固め、衝撃から和らげようとしたのだ。


「うまくいけよ! アタシはまだ死ぬわけにはいかねぇんだ!」


 彼女は彗星のように地面へと落下していった。



 ◆◆◆



 同時刻。キャンパス内、屋外。

 一組の男女が大勢の人々に囲まれていた。

 男の名前はスヴェン。ハイエナだ。そして女の名前はヴィマラ。レッサーパンダだ。


「止めてください! こんな事……どうして!」


 スヴェンは叫んだ。彼の背中ではヴィマラが小さく縮こまって震えている。


「何故かばう? 正体は分かってるんだ! その女はイナーム教徒だ!」


 一人が彼女を指差した。


「だから何です? 彼女が何を信じようが、彼女の自由だ!」


 スヴェンは言い返す。その脚は震えていた。怖いのだ。しかし、ヴィマラを守りたい。その思いが逃げるのを拒ませる。


「何を言っている! イナーム教はテロリストが信じている宗教だ。 その女もテロリストに違いない!」

「違う! 彼女はテロリストじゃない! 全てのイナーム教徒がテロリストというわけではないでしょう!」

「うるさい! お前は洗脳されているんだ! どけ! どかないならお前も一緒に殺すぞ!」


 大勢の人々は一斉に魔法の杖を二人に向けた。

 魔法の杖は魔法の力を増幅させるものだ。素手で魔法を使うよりも簡単に、強力な魔法を放つ事ができる。これほどの数、命中すれば二人共ただでは済まないだろう。


「スヴェンさん! 逃げてください!」


 ヴィマラは叫ぶ。しかし彼は首を横に振る。


「嫌だ。君は大事な友達なんだ。できないよ。僕が頑張って守るから……だから、安心して」


 スヴェンも杖を取り出した。戦う気だ。だが、多勢に無勢。現実的ではない。


 大勢の人々の杖が光る。魔法が放たれようとしていた。絶対絶命である。

 スヴェンも、ヴィマラも死を覚悟した。その時だ。


「おい! アレは何だ! 空から何か来るぞ!」


 誰かが叫んだ。その場にいる者、全員が空を見上げる。


「何だありゃ!」

「人だ! 人が落ちてくるぞ!」

「宇宙人か?」

「バカ! 宇宙人だったらUFOに乗って来るだろう!」


 皆が口々に言う中、その人は勢いよく落下。地面に叩きつけられた瞬間、大きな音と共に土煙が舞う。


「ゲホッ……ゲホッ……」


 周囲の人々はむせた。目に土や砂が入り、涙を流す者もいる。


 そんな中、土煙が晴れて落下地点が見えるようになった。

 そして見えたのは……。


「……脚?」


 スヴェンは思わず呟いた。


 地面から二本の脚が伸びていた。どうやら逆さまに地面へ突き刺さったらしい。その場にいた全員の目が点になる。


「ふぅ。何とか生きてるみてぇだな。助かったぜ」


 脚の持ち主は言った。しかし、頭が地面に埋まっているせいか、聞き取りにくい。


「うっ……ヤベぇな。脚以外、埋まって動かねぇぞ! 出られねぇ!」


 バタバタと脚を動かす。とてもシュールだ。


「誰かぁー! アタシを引き抜いてくれぇー!」

「あ、はい。今、助けます!」


 スヴェンは思わず、埋まった人を助けに入った。両脚をしっかりと掴み、大根のように一気に引き抜く。


「ぷはー!」


 地面から兎の女が現れた。緑のホットパンツと黒のシャツを身に着け、そのシャツには『ケツ舐めろ!』と大きくプリントされている。カリンだ。


「あー、くそっ……口ん中、土だらけだ。うがいしてぇ、ついでにコーラ飲みてぇ」


 彼女は立ち上がると、土を払いながら、ぶつくさ言う。

 それを周りの者はポカンと見ていた。


「な、何だお前は!」


 しばらくして、一人が叫ぶ。


「え? アタシ? アタシはアタシだ……っていうか、何? この状況」


 カリンはスヴェンに訊ねた。


「えっと……その……僕達、ピンチなんです」


 彼はおずおずと答える。


「あー、はいはい。アンタ達二人がこんなに大勢にね。うん……よくねぇな、コレ」


 カリンは状況を大雑把に理解した。


「おい、こら! こんな弱そうな奴相手に、大勢とかバカか!」

「ひ、酷い……」


 カリンは周りを指差して言う。弱そうという言葉にスヴェンはとても傷ついたが、彼女はそれを知らない。


「うるせぇ! 部外者は黙ってろよ! この平たい胸族!」

「誰だ! 今、胸の事言った奴!」


 カリンはキレた。

 これでも彼女は女子である。下着はガーリーな物を好み、キャラクターグッズを愛する。もちろん、胸が平たいのは悩みだ。それを悪く言われる事は、傷口に酢を垂らされるよりも嫌なのである。

 ちなみにパッドは使わない。使うと敗北感を感じるからだ。


「野郎の声だったな! キ○○マ一個ずつ踏み潰すぞ、おら!」


 彼女は両手で中指を立てる。そしてそのまま、一人の男のそばに近寄った。


「おい、アンタか?」

「ち、(ちげ)ぇし!」


 男は答える。するとカリンは彼のみぞおちを殴る。


「うっ……」


 彼は倒れた。腹部を押さえてうずくまる。


「じゃあ、アンタか?」

「ち、違う!」


 カリンはその隣にいた男の前に立った。彼は明らかに怯えた様子である。

 そして彼が答えた瞬間、彼女は彼の(すね)を思い切り蹴った。


「ギャアーッ!」


 嫌な音がして、脚が変な方向に曲がる。悲鳴を上げる男。倒れて苦悶の表情で転がる。


「じゃあ、どいつだ! 言え! 質問はすでに拷問に変わってるんだからな!」

「うるせぇ! こっちはたくさんいるんだ! やっちまえ!」


 一人の声を合図に、一斉にカリンへ向けて魔法が放たれる。

 しかし、彼女は動じない。右、左、前、後ろ……向かってくる魔法を全て、余裕で避ける。


 元々兎というのは早く動く事ができる。カリンの場合、それに加えて、現役時代の訓練によって動体視力も反射神経も、常人を遥かに越している。

 その上、彼女は魔法によってさらに早く動く事ができる。高速で動いている間、他は全てがゆっくりになるから避けるのは楽だ。この二つの合わせ技の前には、何も当たらない。


 しかし、それは長くはもたない。彼女はジリジリと追い詰められていた。

 さっきの落下でだいぶ魔力がもっていかれた。そして魔力とは精神の力、消耗すれば精神的な疲労が溜まる。枯渇すれば貧血のような症状となり、まともに動く事ができなくなる。そうなれば彼女といえども、何もできない。

 すでに判断能力が鈍りだしていた。どうすれば一網打尽にできるのか、その最適解が分からない。ピンチである。


 と、そんな時であった。急に何かを思いついた。

 何を思いついたのか、彼女にも分からない。しかし、確実にこの状況を打開できる方法であるとは理解できた。


 頭は覚えていなくても、体が覚えている。そんな風に体が勝手に動く。そしてポーズを取った。

 両足を肩幅に開き、左手は腰、右手は広げて前に。そして口も勝手に動き、一言発する。


「……変身」


 言った瞬間、彼女の体は光に包まれた。魔法は空気を読まずに飛んでくる。が、光に全て弾かれる。

 光の中で、彼女は体が二つに別れるような感覚がした。しかし、痛みとかは無い。むしろ力が湧いてくる。


「はぁ!」


 彼女の掛け声と共に光が消える。そして現れたのは兎のカリンではなかった。

 半分ズーマン、半分ヒューマンという異形の化け物であったのだ。

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