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02 暗殺者はおじいちゃんが嫌いだ。そしてこの日はもっと嫌いになる。

 気がつくと、カリンは映画館にいた。広い会場に一人ポツンと、座席に座っている。

 いったい、いつの間に来たのか。全く分からない。しかし、この場所には見覚えがあった。


「なんだ、夢か」


 カリンは呟くと、知らぬ間に持っていたバケツサイズのポップコーンを一掴み、口に押し込んだ。キャラメルの風味が口の中に広がる。


 ここは夢の中。彼女はよく同じ夢を見る。

 自分の過去。それが映画として流れ、ただ観ているだけという夢。

 これが何度目か分からない。しかし、少なくても本当の映画だったら一分ももたないくらいには、間違いなく見ている。


 その気になれば、このままこの場を立ち去る事もできるはずだ。しかし、今まで一度もそうした事は無い。

 どうしても体が動かないのだ。正確に言えば、自分の中の意識が立ち去る事を拒んでしまう。

 逃げる事は許されない。直視するしかない。そう自分に言い聞かせているかのようであった。


 ブザーが鳴り、暗くなった。そして映画が始まる。予告も広告も無い。いきなり本編だ。

 最初のシーン。それは二人の子供が外で遊んでいる光景だった。



 ◆◆◆



 カリンが10歳の時だ。ハナとの、いや、ハンナとの大事な、だが悲しい思い出。

 この日は二人でキャッチナイフをして遊んだ。キャッチボールのようなもので、ボールの代わりにナイフを投げ合うという、暗殺者らしい遊びである。

 妹の投げるナイフは殺意に満ち溢れていて、素早く、そして的確に急所を狙ってくる。それをスリルと楽しみの気持ちを持って受け止めるのがカリンだ。


『ハンナは凄いな。またキレが良くなってる』


 そう言ってカリンは、時速150kmでナイフを投げ返した。狙いは心臓、受け損なえば確実に死ぬ。


『えへへ』


 ハンナはそれを、二本の指で簡単に止めた。それも笑顔でだ。


 当時ハンナは、まだ5歳。しかし、暗殺者の能力としてはカリンとほぼ同じであった。今は天才と言われているカリンだが、本当はハンナの方が天才なのだ。

 だが、そんなハンナにも弱みがあった。それは幼過ぎる事。心が純粋なため、簡単に洗脳される危険性があった。暗殺者にとって致命的な弱みだ。


 そこで彼女には課題が出された。それは孤児院への潜入。孤児のふりをして多くの子供達と共に生活し、それでも暗殺者でいられるかというものである。

 もしも、子供達と触れ合っているうちに意識が普通の子供になってしまったら失格。彼女は見捨てられ、もう会う事ができなくなる。

 そしてこの日が潜入する日。最後かもしれない不安、暗殺者である事を忘れないための思い出作り、そのためのキャッチナイフであった。


『ハンナー! そろそろ行くわよー!』

『はーい!』


 母親に呼ばれ、二人は手を止めた。その際、時速160kmで投げられたナイフをスレスレでキャッチしたのをカリンは今でもよく覚えている。


『じゃあ~、行ってくるねぇ』


 年齢相当の喋り方で言いながら手を振るハンナ。そんな彼女にカリンは近づくと、ギュッとハグをしてあげた。

 妹は宝物。そんな彼女と一年は会えないと聞いてカリンは寂しかった。きっと彼女だって同じ気持ちのはず。別れる前にしっかりと感触やぬくもりを残しておきたかった。


『いってらっしゃい、ハンナ。しばらく会えないけど心配しないでね。お姉ちゃんはずっとハンナの心にいるから』

『うん、分かったぁ。大好きだよぉ、お姉ちゃん』

『アタシも大好きだよ、ハンナ』


 カリンはハンナの頭を撫でてあげた。そして頬にキスをした。


 場面が切り替わる。それから半年後の話だ。

 カリンはいつものように他の暗殺者と組手をしていた。実践と何ら変わりない、殺意に満ち溢れた組手だ。当時、すでに大人を相手にしないと訓練にならないくらいに、彼女の才能は片鱗を見せていたのだ。

 そんな時に母親に呼ばれ、別室へと向かったのであった。そしてそこでつらい事実を伝えられた。


『ママ、話って何?』

『……率直に言うわ。ハンナの事はもう忘れなさい』

『……え?』


 言われた瞬間、心が潰れそうになった。大事な妹の事を忘れる。そんな事、できるはずがなかった。そして母親がそう言うという事は、ただならぬ事が起きたのだとすぐに理解した。

 しかし、それでも受け入れられなかった。混乱した。そこに追い打ちをかけるように、さらにつらい事を、この後に伝えられた。


『ハンナは死んだわ。言葉通りの意味でね。病気になって死んだそうよ』

『そんな……ハンナ……』


 カリンは悲しみに心がいっぱいになり、膝をついて泣いた。

 たとえ失格だったとしても、ハンナに会うつもりだった。今は無理でも大きくなったら必ず会う、そう思っていた。暗殺者であろうとなかろうと妹が大事な人であるのは変わりないからだ。

 でももう二度と会えない。それは希望が絶たれたくらいに苦しかった。


 そんなカリンを母親は無理矢理立たせた。そして厳しい態度で言った。


カーリン(・・・・)、よく聞きなさい。ハンナがいない今、アナタが頑張るしかないの。アナタが暗殺者になるのよ。私がなれなかった一流の暗殺者に』

『ママ……』

『殺しなさい、カーリン。たくさん殺して上を目指すの。そしてママの無念を晴らして!』

『……うん。アタシ、頑張る!』


 カリンは泣くのを止めて頷いた。


 カーリン。それが本当の名前だ。

 カリンという名前はハンナとの再会をきっかけに変えた。新しい人生を送るために変えたのだ。

 でも本当は、悲しくて苦しい記憶を封印するためにそうした。この先に起きた事を忘れようとするために。


 それから22歳、今から一年前の運命の時までの出来事はダイジェストだ。

 実際、この辺りの思い出はあまり無い。ただひたすら殺す事に没頭したからだ。妹のため、そして母親のため。


 暗殺者は他人を簡単に信用してはいけない。家族だけが唯一心を開ける相手だ。だから普通の家族よりも一層大事にする。

 カリンも同じであった。そう教えられ、妹も母親も大事にしてきた。そして二人とも、殺しをすると褒めてくれる。それが何よりも嬉しかった。

 ハンナが死んだ後も母親は褒めてくれた。ハグして、頭を撫でて、そうして欲しいから殺しを続けた。

 それに殺す事はハンナの供養になる。幼くして死んだ妹。一流の暗殺者になれなかった妹。彼女の分まで生き、そして一流の暗殺者となる。そうして彼女の無念を晴らそうとした。


 殺して、殺して、また殺して。次々現れる目標を、カリンはひたすら殺していった。家族という信念の元に、迷いなく。

 気がつけば、殺しの天才と呼ばれるようになった。でも、そう言われるようになっても、母親から褒められる方が何倍も嬉しかった。


 そして時が流れ、例の日がやって来た。全てを失った日。そして生まれ変わった日。

 カリンはいつものように、母親から指令を受けて殺しに向かった。相手はとある大学の学長。戦えばもの凄く強いという話であったが、不意打ちによってあっさり始末する事ができた。

 暗殺の後はひたすら逃げるだけだ。この時もそう。そして終わりになるはずであった。


 しかし、この日はそうならなかった。街から離れ、森の中まで逃げた時だ。始末したはずの学長が何故か生きていて、逃げ道に立ち塞がったのだ。

 カリンは混乱した。殺し損なった事なんて一度もない。確実に急所を捉えた。それなのに生きている。しかも、傷がどこにも無いのだ。

 あれは影武者か。始めはそう思った。だが、信じられなかった。今までの訓練によって、本物と偽物を確実に見分ける事ができたはずだからだ。


 もう一度殺してみた。学長は何もする素振りは見せず、ただ黙って殺された。

 その死体を念入りに確認して、彼が間違いなく死んだ事、本物である事を確信した。

 ところがまた彼は現れた。木陰からひょっこりと。それを見て、カリンは動揺する。


 今度の彼も本物であった。死体も本物。本物が二人いるのだ。

 再び殺す。しかし、別な木陰からまた別の彼が現れる。これで三人目。いや、最初に殺したのも本物なのかもしれない。

 殺しても次がやってくる。殺しても死なない。不死身。カリンはずっと昔に忘れたはずの『恐怖』を思い出した。


『満足しましたか? では、お仕置きです』


 学長はそう言って右の手の平を向けた。その瞬間、カリンは立っていられないくらいに体が重くなり、その場に倒れてしまった。

 魔法で自分の所だけ重力が大きくなったと、すぐに理解した。だが、理解したところでどうする事もできない。地面にめり込むくらいに体が重い。何もする事ができない。


『何をしているの! 殺しなさい!』


 そんな時であった。どこからともなく母親が現れた。

 ずっと見ていたらしい。幼い頃はともかく、今になってそんな事はしないはず。何故。カリンは再び混乱する。


『殺しなさい、カーリン! 殺して! アイツを殺すためにアナタをここまで鍛えあげたのよ!』


 母親の言葉にカリンは耳を疑った。

 今まで自分を褒めてくれたのはこのためだったのか。愛してくれていたからでは無かったのか。今の言葉に、疑惑が頭を駆け巡る。

 もう暗殺どころではない。パニック状態だ。そこにトドメを刺すかのように、さらに母親からつらい言葉を浴びせられる。


『早く殺して! そのためにアナタはいるの! できないならアナタなんてもういらない!』


 その言葉を聞いて、カリンの心は壊れた。

 母親から愛されていたいから、『良い子』でい続けた。でも、そうではなかった。単なる道具としてしか見られていなかった。私怨を晴らすための道具として。

 そして見放された。もう、心を支えるものは何一つもない。もう、生きている意味も分からない。今までの人生は何だったのか、そこまで思った。


『どうしてそんな事言うのぉ! ママぁー!』


 すると急に体が軽くなり、カリンは立ち上がる事ができた。そして母親に跳びかかった。

 魔法でツララを作り、それを胸に突き刺す。倒れたところに、さらに刺す、刺す、刺す、刺す、刺す。


『アタシ、頑張ったんだよ! 何度も殺したんだよ! でも死なないの! アタシは悪くない! そんな事言わないで! 許して! 許して! 許して!』


 カリンは泣きながら刺し続けた。

 見捨てられた悲しみ、利用されていた怒り、『悪い子』になった罪悪感。溢れ出す気持ちが手を止めさせない。涙が止まらなかった。


『……あ』


 それからどれくらい経っただろうか。カリンはようやく自分がした事に気がついた。

 たった一人の家族、母親を手にかけてしまった。死んでしまったのだ。


『ご、ごめんなさいママ! 起きて! 起きてよママ! 死なないで! もうしないから! 良い子にするって約束するから! だから起きて! 許して!』


 カリンは母親の体を揺すり続けた。

 本当は無駄だと分かっていた。まだ生きているかどうかなんて簡単にわかるからだ。もう二度と彼女は動かない。これで独りぼっちだ。



 ◆◆◆



「……つまらねぇ映画だ」


 カリンはポップコーンを口に押し込んだ。口の中に塩辛い味が広がる。

 ここで初めて自分も泣いている事に気がついた。


 何度見てもつらい。未だに思い出すと苦しくて仕方ない。大事な母親を自分で殺した。たとえ利用されていたにしても、かけがえのない人を殺してしまった。殺しで唯一、罪悪感を感じている出来事だ。

 カリンは鼻をすすり、涙を拭った。すると、小さな手が自分のポップコーンを取ったのが見えた。彼女はその手の主を見る。


「悲しいね」


 それはカリンであった。10歳くらいの小さな自身。彼女はポップコーンを頬張りながら、悲しい顔をする。


「ああ、悲しい」


 今のカリンは答えた。そして苦しさを我慢しなから訊ねた。


「なあ、教えてくれ。アタシは後何回、これを観なくちゃならねぇ?」

「……ずっとだよ」


 小さいカリンは答えた。


「許してくれるまで。ずっと、ずーっと」

「でもママはもう……」

「うん。だからもう、永遠に続くんだ。許してくれるわけないのに、ずっと許して欲しいって思い続けてさ」


 小さいカリンは(うつむ)いて言った。それを見て、今のカリンは天井を眺める。

 何も見えない真っ暗闇であった。まるで自身の心のように。実際、そうなのかもしれない。ここは自分の夢の中なのだから。


「……つらいな」

「うん。つらい」


 二人は同時にポップコーンを食べた。


「なあ、アタシ」

「ん?」

「アタシは殺しが怖いのか? ママの事を思い出すから」

「んーん。そうじゃないよ」


 小さいカリンは否定した。


「殺す事そのものは何とも思っていないの。むしろこれが自分なんだって思ってるよ。確かに全く思い出さないわけじゃないけど、そうしないようにちゃんとコントロールしてる」

「……そうか。じゃあ――」

「うん。もう、殺す理由がもう無いの」

「そうだな。殺してももう、誰も褒めてくれない。褒めてくれる家族がいない」

「うん。だから暗殺者をやれないの」

「でも、昨日はたくさんの人が褒めてくれた」

「そんなの嬉しくないよ。家族だから嬉しいんだよ」

「……だな。だから、ずっと頑張ってきたんだもんな」


 ここで少しの間、沈黙が入る。

 すると、映画の方から少女の声が聞こえた。


『お姉ちゃん!』


 ハンナの、いや、ハナの声だった。スクリーンの方を見ると、彼女が写っている。

 大きくなった。未だに幼さが残るが、姉妹だからこそ分かる『大人』の雰囲気がある。

 時々カリンは、『自分よりもずっと大人なのではないか』と思う時がある。彼女の方が人生経験に富んでいる。そんな気がするのだ。


 再会したのは今から一年前。独りぼっちになった時だ。

 彼女は生きていた。生きて、殺しとは無縁の家庭で暮らしていた。そして偶然にも、不死身の学長の大学で勉強していた。


 再会した時どれほど嬉しかっただろう。まるで暗闇の中の一筋の光のようであった。

 それだけでない。住む世界が違うカリンを彼女は受け入れてくれた。また家族になってくれた。

 だから暗殺者を辞めた。続ける理由も無く、彼女と一緒に普通の人の暮らしをしていきたいから。


「ハナはもう、ずっと前に過去を捨てた。でもアタシの事を『お姉ちゃん』って呼んでくれる」

「うん。だからハナと同じように、アタシも過去を捨てようって思ってる。そして綺麗になってハナと暮らしたいの」

「やっぱり、アタシはカタギになるよ。ハナのためにも絶対に」

「でも……」


 小さなカリンは俯いた。


「もし、ハナが殺しをしていいよって言ったらどうしよ」

「え?」

「もし、ハナのためなら殺しができるんだったら……」

「それは……」


 今のカリンは答える事ができなかった。


 ハナにもしも殺しの理解があったらどうなるか。また信念を失う。

 カタギだから殺しは嫌うだろう。姉が殺しをするのを嫌がるだろう。そう思って今まで努力してきた。

 それが無意味だったとしたら、また人生を浪費してきた事になる。


「……そんな事あるわけない。ハナはそんな子じゃない」


 本当は彼女が殺しを肯定するのを恐れているのかもしれない。

 努力してきた事が無駄になるのが怖いから。彼女がカタギであって欲しいから。


「分からないよ? だって今まで、本当はどう思っているのか聞いた事が無いんでしょ?」

「うっ……」


 今のカリンは言葉を詰まらせた。


「ハナってヒーローもののドラマが好きだよね? アタシもヒーローになったら、もっとアタシを好きになってくれるかな?」

「……黙れ!」


 今のカリンはポップコーンを投げだし、小さいカリンの首を絞めた。

 しかし、彼女は苦しそうにしない。何事も無いかのように話を続ける。


「悪い奴を殺して、ハナを喜ばす事ができるなら、アタシは何人でも殺せるよ」

「止めろ……止めてくれ……」


 首を絞める手にさらに力が入る。


「ハナのためなら何でもやるんでしょ? だったら殺しだってできるはずだよ。あの子が安心できる社会を作るために。良い世界に変えるために」

「……っ」


 説得されて、今のカリンは手を離した。

 相手は自分だ。それも本音に近い自分。口で勝てるわけがない。黙らせる事だってできない。


『お姉ちゃん!』


 再びハナの声がする。さっきよりもハッキリと。映画館全体に響いているかのように。


「呼んでるよ。そろそろ起きてあげないと」

「……そうだな。せっかく起こしてくれているんだ、いつまでも寝ているわけにはいかねぇからな」


 今のカリンは立ち上がった。


「じゃあ、またね」

「もうここには来たくねぇんだけどな」

「ううん。また、ここに来ると思うよ。そして次に来た時には、答えは出ていると思うの」

「……どうしてそう思う?」

「勘。女の勘」

「勘かよ!」


 今のカリンは苦笑いをする。


「でも……確かにそんな気がする。マスターから言われた事が引っ掛かってんだ。何か、アタシの人生が動き出した気がするんだ。少なくても、こんなアタシらしくない、ウジウジした自分を変える何かが、始まろうとしている気がするんだ」

「うん。だから、今日はきっと良い事があるよ」

「ああ。そうなるといいな」


 そう言って今のカリンはその場でジャンプした。夢の中だからこそできる、常識外れの高さまで跳ぶ。

 そしてそのまま真っ暗闇へと吸い込まれていった。


 何も見えない黒一色の世界。その世界に光が流れ込んでくる。どんどんと意識が戻っていく。

 こうしてカリンは目を覚ました。



 ◆◆◆



 ここはどこなのか、起きて最初にカリンが思ったのはそれであった。見知らぬ光景。とりあえず、ここは自宅ではないのは間違いない。

 ふと隣を見る。そこにはハナがいて、じっとカリンを見つめていた。今日も笑顔が眩しい。


「お~はよぅ~」


 ハナは挨拶した。


「……おはよう、ハナ」


 カリンは微笑むと、ゆっくりと辺りを見回した。


 ダイナーのような場所だ。そのテーブル席の一つに、カリンは座っている。

 だが妙であった。自分達以外に誰もいない。空間は細長く、ゴトンゴトンという音と共に少し揺れている。


「ここは?」


 カリンはハナに訊ねた。


「電車の中だよぉ」


 彼女は答えた。


「電車?……電車!」


 その答えに、カリンは昨日の出来事を思い出した。そして理解した。自分は、バルドゥイーンに誘拐されたのだと。

 すると、前方のドアが開いた。そして誰かが入ってきた。


「ハーイ、おはようございまーす」


 入ってきたのは少年であった。小学生ぐらいに見える、茶色の兎である。

 そんな彼が目に入った瞬間、カリンは反射的にナイフを投げた。魔法で作った氷のナイフだ。それは真っ直ぐに飛んでいき、彼の眉間に突き刺さる。

 彼は倒れた。死亡。カリンの経験から考えて間違いない。


「いきなり酷い事しますねぇ。もしかして、低血圧なのですか?」


 するとカウンター席の向こうから、死んだはずの少年がひょっこりと顔を出した。

 彼の死体は扉のすぐ近くにある。でも彼はカウンター席にもいる。二人に全く違いは無い。


「うるせぇ、ジジイ(・・・)! 起きて早々、アンタの顔を見て気分悪ぃわ!」


 カリンは両手で中指を立てながら言った。


 この少年こそがバルドゥイーン・アーベルだ。見た目は完全に子供だが、実年齢は100歳以上と言われている。

 さっきの夢に出た、あの学長である。そして同時に、ハナとカリンの実の祖父なのだ。


「そんな事言わないでください。おじいさんは悲しいですよ」


 バルドゥイーンは眉をハの字にする。しかし、目は笑っていた。彼は神経が太い。それが一層、カリンを苛立たせる。


「お~はよぅ~、おじいちゃん」

「はい、おはようございます。ハナは今日も可愛いですね」


 ハナが挨拶すると、バルドゥイーンは笑顔で返した。


「挨拶なんてするな。アイツは――」

「『お母さんを死なせた相手』、ですか?」


 カリンが言うより先にバルドゥイーンが言った。


「アレは事故みたいなものです。あの子があんな事を言わなければ……アナタに私の魔法を突破する力がなければ……あんな事にはならなかったのに……」


 彼は少し悲しそうな顔をする。


「ハッ! よく言うよ! アンタは悪くないってか? アンタは昔、大勢の女相手にヤり逃げした。ママはそうして生まれた人の一人だ。アンタがそんな事しなきゃ、ママは復讐のために暗殺者になろうだなんて考えなかったはずだ!」

「ええ。だから今、娘や息子を探して保護しようとしているところなのです。おそらく、世界中に散らばった私の子供達をね。もちろん、孫もですけど。一応、私だって申し訳ない気持ちはあるのですよ」

「どうだか」

「信じてください。……あ、そうそう。それよりも、本題に入りましょう」


 バルドゥイーンはカウンター席を離れると、カリンと向かい合う席に移動した。その際、死んだ自身に刺さったナイフを引き抜いてもって来ると、それを一輪のバラに変え、テーブルの上の花瓶に入れた。

 今の話を『それより』で済まされた事をカリンは腹立たしく思ったが、グッと我慢した。どうして自分が誘拐されたのか、その理由を知りたかったのだ。


「で? アタシの力が必要だとか言っていたな? 何をさせる気だ?」

「暗殺です」


 答えを聞いた瞬間、カリンはバルドゥイーンを殴ろうとした。しかし、拳が当たる寸前で彼に止められた。たった指一本で。


「落ち着いてください。この程度で私を殺そうとしては、いつまで経っても話が進みません」


 そう言いながら、彼はドヤっとした顔をする。カリンは頭に血が上りそうなのを、なんとかして抑えた。


「殺しはもうしないって、アタシ、前に言ったよな?」

「はい。ですが、もう一度だけやってもらえないでしょうか?」

「断る」

「そんな事言わないでくださいよ。それにたった今、私を殺したじゃないですか」

「アンタは死なないだろ。ノーカンだ、ノーカン」

「酷いですねぇ。死ななくても痛いものは痛いのですよ」


 バルドゥイーンは肩をすくめた。


「だいたい、誰を、何のために殺せって言うんだ」


 カリンは拳を下ろしながら訊ねる。


「悪い人を、街の平和のためにです」

「……何?」


 言われた瞬間、カリンの脳裏に昨日言われた事が蘇った。『殺しでも、誰かを救う事ができる』。もしあの話が本当なら……そう思うと少しだけ興味が湧いた。


「……詳しく聞かせてくれ」

「はい。ではまず、ナイツ国の現状についてお話しましょう」

「難しい話は止めてくれ。アタシは頭が悪いんだ」

「まあまあ。必要な事なのですよ」

「……分かった。じゃあ、簡単に頼む」


 カリンが言うと、バルドゥイーンは話し出した。


「今、世界のあちこちで紛争が起きています。すると難民が出ます。ナイツ国は彼らの受け入れをしているのです」

「それで?」

「しかし難民の受け入れというのはトラブルの原因にもなる。私の大学がある、ハーデイベルク市も例外ではありません」

「へえ」

「……その反応は、新聞もテレビも見てないのですね?」

「うるせぇ。いいから次を言え」


 カリンはしかめっ面をする。


「難民を受け入れるようになってから、街は治安が悪くなりました。盗みや殺し、他にも争い事とか色々です」

「じゃあ、何か? 難民を始末しろってか?」

「いいえ。それで済めば何の問題も無いのですが……」


 バルドゥイーンは困った顔をして、首を横に振った。


「全ての難民が悪いのではありません。地域住民がそうする事も多いのです」

「住民が?」

「はい。難民が悪い事をすれば、住民の方の反感を買います。でも真面目に働いても反感を買います。これは難民が仕事をすると、その分住民の方に仕事が回って来ないからであり、それが貧困を招く事になるのです。結果的に犯罪に走らざるを得なくなり――」

「あー! もういい! とにかく、難民も住民も悪い奴は悪いって事だな?」


 頭が沸騰しそうになり、カリンは話を遮った。


「まあ、ザックリと言えば。それでですね、アナタには両方が悪さをしないように動いて欲しいのです」

「つまり、アレか? 悪さをすると殺されちゃうぞって思い知らせればいいのか?」

「その通りです。私の愛する街が、これ以上汚されるのは困りますからね」


 その返事を聞き、カリンはため息をついた。


 住民や難民がどうとかよく分からない。しかし、バルドゥイーンが言っている事が身勝手なのは分かる。彼のために動くというのは気が乗らない。

 とはいえ、簡単に断る事はできない。ハーデイベルク市はハナの思い出の地だ。そこで暮らしていた時の話をする彼女は、とても嬉しそうにする。そんな場所が治安の悪化で汚されている。許せないとも思えた。


 ハナのためなら殺しをする、それは本気だ。彼女が悲しむ姿を見たくないから。

 だからたとえ彼女から嫌われても守り続けたい、全ては彼女のために。


「……分かった。引き受ける」


 カリンは決心した。


「おお! それは素晴らしい!」

「アンタのためじゃねぇ。ハナのためだ」


 カリンはくぎを刺すと、ハナの方を向いた。


「……(わり)ぃ、ハナ。お姉ちゃん、また殺しをする事になった。許して欲しいだなんて言えねぇ。でも、ハナの大事な場所を守るためなんだ。だから――」

「ありがとね、お姉ちゃん」


 ハナは笑顔で答えた。


「え?」

「あそこにはねぇ、ハナのお友達がいるの。今、きっと困ってると思うんだぁ。だから助けてくれて、ハナはとても嬉しい」

「そ、そうか……でもいいのか? 人を殺すんだぞ?」

「う~ん。でも、悪い人なんでしょ? だったらぁ、懲らしめなきゃいけないと思うのぉ」

「ハナ……」

「ハナねぇ、ヒーローになりたかったの。悪い人をやっつけて、世界の平和のために戦いたいって思ってた。だからぁ、お姉ちゃんがヒーローになってくれるなら、凄く嬉しい」

「……そうか。ありがとう」


 カリンはハナにハグをした。再び殺しをする自分を受け入れてくれた、それが嬉しい。殺しを許させた、それが申し訳ない。そんな意味を込めたハグだ。

 カタギになるという信念は捨てた。だが、信念を失ったわけではない。ハナを守りたい、その思いが新しい信念となったのだ。カリンは生き返ったような気分になった。


「では、さっそくですが、向かってもらいます」

「え?」


 カリンはバルドゥイーンの方を向く。すると、彼の手には謎のスイッチが握られていた。そして、それが押される。

 その瞬間、カリンはシートごと落下した。そのまま空中に投げ出される。


「嘘ぉー!」


 彼女は叫んだが、風の音にかき消された。なお、この時の高度は一万メートルである。

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