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作者: サワヤ

 陽菜と最後に会ったのは1年前。高校を卒業した時だ。


 4年制の大学へと進学した陽菜の中に、俺の存在などもはや残ってはいないだろう。好きな人に連絡をとることすらできない俺に、どうしてそれを悲しむ資格があろうか。


 おそらく陽菜は何らかのSNSを利用しているだろう。俺はそれを見ることができない。現実を知ってしまうことが怖いのだ。



 俺は今、小さな公園のベンチに座っている。夜空を見上げると少しだけ星が浮かんでいて、月が半分に欠けていた。


 俺は何をしているんだろう。いや違う、どうして何もしていないのだろう。いやそれも違う、俺は一体、何をして生きれば良いのだろう。



 俺は先週、仕事を辞めた。高校を卒業した後、知り合いのツテで入った介護の仕事だった。夜勤は辛かった。月に2人は施設から行方不明者が出て、町中を探し回った。介護は結構な力仕事で、俺はまだ未成年なのに腰を痛めた。


 それでも俺は、あの仕事が嫌いではなかった。先輩と一緒に飲む夜勤明けの缶コーヒーは最高だったし、何より施設利用者という人生の大先輩達のことが好きだった。教師だったおじいちゃん、孫が甲子園に行ったことをいつも自慢しているおばあちゃん。彼ら彼女らの笑顔が憎たらしいこともたまにはあったけれど。それでもやっぱり、皆の笑顔が好きだった。


 ある日、俺は高校の友達に呼ばれて焼肉屋へ行った。東京やら大阪やらに行って大学生となった元クラスメイト達が9人、そこにいた。高校を卒業してから半年と少ししか経っていなかったはずなのに、皆は一様に様変わりしていた。


 進学しなかったのは俺だけだった。家庭の事情だとか、そういう類の理由ではない。ただ単に、大学というものに興味が無かったのだ。両親は俺の事など気にかけていないし、教師の進学への勧めも俺には響かなかった。


 大学になど行っても意味がない。もう学校には十分通った。何かしたい事だとか、叶えたい夢があるわけではないけれど、これからのんびり考えよう。高校生の時の俺はそう思っていた。


 焼肉屋で俺は1人だった。外から見れば、皆と楽しく談笑しているようにしか見えなかっただろうが。


 大学生になった皆の話す言葉は、まるで違う言語のようだった。言葉は理解できるのだけれど、意味が理解できなかった。皆は輝いていて、心底楽しそうに見えた。それぞれが単位の事で悩んでいたり、将来のことを考えていたり、ただただ自由に遊んでいたりしているようだった。


 高校生の俺は、大学に行くということがどういうことなのか理解できていなかった。高卒だと就職先が限られるだとか、そんなことはどうでもよかったのだけれど、ただ俺はもう皆と同じではないと感じてしまった。


 夜勤の仕事をしている自分と、大学生の皆。俺はお金を稼いでいる。のんびりと遊んでいるだけの皆とは違う。そう思えればまだよかった。その場に夏帆はいなかったけれど、夏帆も皆も普通の大学生で、そして俺はそうではないんだと思ってしまった。


 理由はわからない。俺は悲しくなった。


 次の出勤日。俺は家を出ようとした時に猛烈な吐き気に襲われた。そうして仕事を休んだ。その次の日も、そしてその次の日も。


 1週間後、俺は問題なく夜勤に復帰した。焼肉屋で皆と会う前と同じ仕事をした。同じはずなのに、何かが違った。俺の心が、どこかおかしかった。腰が痛かった。機嫌が悪いおじいちゃんに殴られた。おばあちゃんが夜ご飯を吐き出してしまった。いつものことのはずなのに。


 それでも半年、俺は勤めた。そうするしかなかったのだ。


 そして先週の水曜日。夕方に目覚めた俺は、夜勤の準備をしようと起き上がろうとした。しかし、起き上がれなかった。全身の関節がアスファルトで固まっているようだった。頭のてっぺんから足の先まで、ガクガクと震えていた。


 もう駄目だと思った。何が駄目なのかわからない。上司や先輩にいじめられているわけでもない。辛くても好きだった職場と何も変わっていない。けれども、もう、辞めなければならないとはっきりと感じた。



 そうして俺は今、夜の公園で座っている。空を見上げて星を数えている。


 いつからこうして星を数える癖がついたのだろう。わからない。わかるのは、この癖がついた理由だけだ。



 高校の文化祭が終わり、学校中が後片付けの喧騒。それでも祭りの後の静けさと、夕暮れの寂しさが高校を橙色に包んでいた。俺は1人でぼんやりと中庭のベンチに座っていて、流れていく雲を数えていた。


「慶一くん?」


「……陽菜」


 気がつくと、陽菜が目の前にに立っていた。陽菜は小学生の頃からの知り合いで、当たり前に近くにいて、俺は当たり前に陽菜が好きだった。けれども俺は、それを陽菜に打ち明ける勇気を持ってはいなかった。


「A組は片付け、もう終わったの?」


「さあ」


「絶対終わってないよ! おばけ屋敷でしょ?」


「そうだな」


「ぼけっとしてないで、戻りな!終わったらジュース買ってあげるから」


「わかった」


 いつものことだった。陽菜はあれやこれやと世話を焼き、そして俺は陽菜に言われたことをそのまま受け入れる。それは意識してのことではなくて、自然とそうなっただけのことだった。


 お化け屋敷の後片付けが終わると、すっかり日が暮れていた。俺は再び中庭のベンチへと戻ると、いつからいたのか、陽菜がそこに座っていた。そうして陽菜は俺の姿を見て、言った。


「お疲れ様。えらいね」


「おう」


「さ、行こうか。もう校門閉まっちゃうよ」


「そうだな」


 俺と陽菜は家が近く、更には高校とも近かった。2人歩いての帰り道、コンビニに寄った。陽菜は俺の好きな100%りんごジュースを2本買った。そしてコンビニを出た時、陽菜が言った。


「西公園に行こうか」


 小さな西公園の大きな滑り台が俺と陽菜のお気に入りだった。とはいえそれは小学生の頃のこと。高校3年生にもなって、滑り台の上でりんごジュースを飲むのは初めてのことだった。


 地上よりも2mだけ高い場所で夜空を見上げながら、陽菜は言った。


「あ、星。2つ、3つ。あれあれ、10個くらいある?」


「そのくらいだ」


「高校を卒業したらさ、私達も会わなくなるのかな」


「そうかもな」


「そうだね。毎日顔を合わせなくとも、友達は友達のまま。慶一くんは、慶一くんだもの」


「……やっぱり東京で一人暮らしするのか?」


「うん。大学に受かればね」


 たまには帰って来いよ、俺はそう言いたかった。けれども。


「そうか」

 としか言えなかった。


「慶一くんは、この近くで就職するんでしょう?」


「ああ」


「私さ、いつかまたここに……」


 陽菜はそこまで何かを言いかけて、しかしその続きは言わなかった。


「何?」俺は気になって続きを促した。


「ううん、なんでもない」


「そうか」


「東京に行ったら、何か変わるかもしれない。私の今の気持ちは、今だけのものかもしれない。将来の約束ができるほど大きな覚悟なんて私には……」


「何かわからない。でも、陽菜がそう思うのなら」


「ありがとう、慶一くん」


「別に」


 あの時の俺は、期待していた。陽菜は俺のことを好きなのではないかと。いや、おそらく好かれているだろうという確信があった。俺から告白することなど恥ずかしくてできないけれど、それでも陽菜から告白でもするのなら、喜んで受けようと。


 けれども告白されることはなく、俺と陽菜は高校を卒業した。


 陽菜は東京へ、俺は変わらずここに。卒業して数ヶ月経つと、連絡もとらなくなった。陽菜の近況報告のメールに、俺はなんと返事をしたらいいのかわからなくなっていったのだ。

 それでも俺の中での陽菜の存在は大きくなるばかりだった。陽菜は東京でどうしているだろうか。俺の知らない派手な遊びを覚えたり、難しい学問を吸収しているのだろうか。


 彼氏ができたり、してしまったのだろうか。


 考えたくはないけれど、どうしてもその思いを消し去ることはできなかった。それでもなるべくその不安を遠くへと追いやり、見て見ぬフリをし続けてきた。


 そして、それは1年経った今でも。



 俺はもう、すっかり生き方に迷い込んでしまった。19歳。まだまだこれから。それはそうだろう。でも。


 俺は仕事もせず、勉強もせず、小さなこの公園のベンチに1人座って、夜空を見上げているだけ。今はもう、目の前の大きな滑り台に登ることもない。


 やりたいこともない。夢もない。それならばどうしたらいい。どこに行けばそれらは見つかるのか。自分のエネルギーはどこにあって、どこに向かえばいいのか。


 このままじゃ駄目なのはわかっている。何でもいいから、どんなことでもいいから、俺は進まなくてはいけない。でも、どうやって。


 俺に残っているものはなんだ。俺が望んでいること。心の向く先。小さなことでもいい、まずは何か。


 ああ。わかっている。わかっているんだ。全ては甘えた自分の弱さだと。何もしてこなかった自分。陽菜に甘え続けて何も育っていなかった自分。


 なんということはない。当たり前に近くにいた陽菜が当たり前にいなくなった、ただそれだけのことで俺はおかしくなってしまったのだ。


 俺はどうしたかったのか。あの時俺は、陽菜に告白されたかった。いや違う、そうではない。俺は例え距離が離れていても、陽菜がいてほしかった。恋人という形で繋がっていたかったのだ。


 俺が一歩を踏み出さなければならなかった。俺が告白しなければならなかった。俺はタイミングを逃してしまった。だから俺は。


 それならば、今、進もう。陽菜に告白しよう。今は夜の10時半か。少し遅いけれど、きっと寝ていることはないだろう。陽菜に電話して、付き合ってくれと言おう。俺と陽菜はあれだけ一緒にいたのだ。きっと陽菜は今でも俺のことを。


 よし。のんびりしていたら緊張してしまう。今、電話をかけるんだ。陽菜と話すのは卒業以来だから1年振りになる。突然の電話に陽菜は驚くだろうか。


 俺は携帯をポケットから取り出してアドレス帳から陽菜の番号を。そして、受話器のボタンを押した。


 トゥルルルル……


『はい。もしもし』


 陽菜の声だった。俺の中に様々な感情が蘇る。


「あ、ああ。慶一だけれど」


『慶一くん。久しぶりだね。でも、今バイト終わりで疲れてるんだ。またにしてくれるかな?』


「そうか。すまなかった」


『ううん、こちらこそせっかくかけてくれたのにごめんね。それじゃ』


 プーッという音を立てて、電話が切れた。


 やってしまった。先にメールなりしておくべきだった。そうすれば都合のいい時に電話をすることができたのに。全く本当に自分勝手な電話をかけてしまった。


 それでも、前と変わらない陽菜の声は俺を安心させた。電話をかける前と今とでは、まるで自分が別人になったかのようだ。


 そうだ。陽菜の近況を知りたい。直接聞いてもいいのだけれど、SNSを見てみよう。今まではなんだか怖くて見られなかったが、今ならもう大丈夫だ。俺の知らない東京での生活を見ても、それはそれだと思えるはずだ。


 俺は携帯でインターネットを開き、陽菜が利用していそうなSNSに登録し、陽菜のアカウントを探した。


 あった。どうやらたくさんの写真を上げているようだ。やっぱり東京での生活は楽しいのだろうな。俺もしっかりしなくては。


 俺は陽菜のアカウント、最新の投稿を見てみることにした。


 その画像と投稿文を見て、俺は崩れ落ちた。



『3ヶ月記念日。あーくんありがとう。これからもよろしくね。私あーくんとのツーショットを皆様にどうぞ、とね!』



(了)

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