リプレイ
故郷に帰った時、昇は衝撃を受けた。
電車を降りて改札口へと下る階段に向かう途中、幼馴染がお腹を擦り、自分と同年代の男と仲睦まじそうに歩いているのを見かけたのだ。それだけで、昇には十分だった。元に戻らない日々はあるのだと、思い知るには十分だった。
改札口を出た後、近くのファーストフード店でドリンクとハンバーガーを頼み、頬張った。その後、再び改札口を通り抜け東京に戻っていった。行くときに感傷に浸っていた思いはぶち壊され、数千円の痛い出費だけが残ったのである。昇は電車のドアを叩いた。何度も何度も、ドアを叩いた。
何をやっているんだ俺は……?
何をやっているんだこの俺はよォッ!
何を言っている、ただ現実になっただけじゃないか。
冷めた思考が昇を襲う。
東京出るときから分かってたはずだろ? 上も下も横も後ろも道がなくなって、ただ前に進んでいくしかないんだって。それが現実になっただけじゃねぇか……!
昇はドンッ、とドアに体を押し付け、そして動かなくなった。
売れてやる。
絶対に売れて、何もかも見返してやる。
「は……? 路線変更……?」
雄二は耳を疑った。
まさか天変地異が起きても、この目の前にいる人物だけはそれを口にすることはないはずだと確信していたからである。
「いつまでもさ、化粧してオカマみたいな恰好しててもしょうがねぇだろ?」
昇が向かいのパイプ椅子で踏ん反り帰っている。堂々と気だるげで、説明するのもバカらしいという雰囲気だ。
タバコの匂いが染みついた狭いスタジオ控室に、四人の男たちが一同に会していた。ボーカルの昇、ギターの雄二、ベースの雅、ドラムの梶。結成から四年でメジャーデビューに上り詰めた、ヴィジュアル系ロックバンド・リプレイの面々だ。しかし七年目を迎えた今、彼らはそのアイデンティティを捨てようとしている。
「路線変更って……じゃあどんなのするんだよ」
「JPOPってやつ?」
「はあ?」
調子の外れた声を出す雄二。
「JPOPって……お前、あんなのやるぐらいなら死んだほうがましだって言ってたじゃねぇか!」
「だからよ、皮肉るんだよ。世間ってのはさ、俺たちの音楽が高尚すぎて理解できないんだろ? だからさ、お前らはどうせこんなのが好きなんだろ?ってやってやんのさ。そんでまた売れたら好きなことやりゃあいい」
昇はニヤニヤしている。
雄二が昇の隣に目を向ければ、雅は長い髪で目線を隠して縮こまっていて、その向かいにいる梶は相変わらず何を考えているのか分からない表情だ。
おかしいと思っているのは俺だけなのか。
「お前さ……どうしちまったの?」
「は?」
「お前隠してるけどさ、この前実家に帰ったんだろ? そんときなんか言われたのか?」 ピクリ、と雅が反応する。
昇の表情から笑みが消える。
「は、なに検討違いなこといってんの?」
「お前が突然変なことを言い始めたんだろうが。なに、びびっちまったのか?」
「テメェ……!」
「やめてくださいふたりとも!」
昇が立ち上がり雄二に掴みかかろうとしたところで、雅が慌てて昇の体を抱え込む。
「離せよ、オイッ!」
「雅、お前はどう思ってんだ!」
雄二の言葉に、昇と雅がピタリと体の動きを止める。
「僕……ですか?」
「お前さ、このバンドやるからって無理やりこいつに東京に引っ張り込まれたんだろ? それが急に路線変えるとか言い出してよ。 むかつくとかないの?」
「僕は……」
俯く雅。顔を上げれば、激しい怒気で昇が雅を睨んでいるのは分かっているのだ。
それでも、雅の出した答えは自らの本心に従うものであった。たとえそこに恐怖があったとしても、それだけが全てではない。
「僕は……昇さんに従います。これまでそうやってメジャーにまで来れたんですから、昇さんのことを信じています」
しばらく息を荒げていた昇だったが、雅の言葉に溜飲を下げることができたのか、どかっと再びパイプ椅子に腰を下ろした。反対に険悪なのは雄二のほうだ。信じられないという表情で雅のことを睨んでいる。雅は縮こまるしかない。
「俺も路線変えてもいいと思うな」
三人が一斉に梶へ視線を向ける。
「最近ドラム叩いててもさ、昔みたいに楽しくないんだよね。だから心機一転で変えてみるのもいいと思う」
梶は相変わらず目はぼうっとしていたが、その言葉は辛辣で、三人の心に蟠りを残した。だがこの場に関しては、その蟠りのおかげで今後の方針が固まったのである。
リプレイは今後ヴィジュアル路線を捨て、ポップスターとなることを志す。
衣装室に通されたリプレイの四人は、その光景に目を疑った。
「なんすか……? これ……?」
いつも余裕の表情を浮かべる昇も、さすがに唖然とせざるをえない。
衣装室には、まるで一九八○年代のアイドルたちが着るような衣装が飾られていた。
「この中から好きなものを選びたまえ」
スーツを着た事務所の男は、メガネをくいと押し上げながら言った。
雄二が思わず苦笑する。
「いやいや、冗談でしょ? こんなの来たらポップスターっていうより、ただのコミックバンドじゃないですか」
「選り好みできる身分か」
凍り付く雄二。
「お前らのこの前の曲はなんだぁ? 英語でわけのわかんねータイトルつけた挙句、売り上げはたった五千枚だ。五千枚っていくらかわかるか? たった五百万だぞ。契約を解除されないだけでもありがたいと思わないとな」
メガネ男の言葉に雄二が下を向き、唇を噛む。
さすがに雅も梶も顔が強張り、昇の目も一瞬殺気を孕んだのだが――
「じゃあ俺はこいつでも着るか」
昇はアルミホイルを張り付けたような全身銀色スーツを手に取った。
目を疑う雄二。
「昇……お前本気かよ?」
「その代り、俺たちが売れたら真っ先にあんたのこと首にしますわ」
「そのくらい売れてほしいものだな。最も、売れたならまず感謝してほしいところだが」 昇はメガネの男を睨んだが、男は意に介さず衣装室から出ていった。
「……さぁ、着るか」
服を脱ぎ、銀色スーツに手を通す昇。
雅も手を伸ばすが長い髪の隙間から見える表情は明らかに引いていて、梶は梶で衣装のビラビラした部分を触り楽しみ始めた。
雄二だけがひとり、拳を固く握り締め俯いている。
「俺、リプレイ辞めるわ」
「……は?」
それはある音楽番組の収録が終わった後のことだった。
まるで倉庫のような暗くかび臭い殺風景な楽屋に戻ってきて、昇が銀色スーツの上半身をはだけパイプ椅子に腰を下ろしたときのこと。雄二が楽屋に入らず、突然そんなことを言い出したのだ。
「冗談だろ雄二? 何言ってんだよ!」
しかし雄二の表情は明らかに冗談ではなかった。恐ろしく冷めていたのである。辞めるか辞めないかの境界線を、はるか彼方に置いていってしまったようだった。
「お前さ、まじわかんねぇの?」
「何がだよ」
「こんな恰好しながら音楽続けてるって、バカじゃねえのかお前?」
楽屋の外で手持無沙汰にしていた雅が、さすがに気が気でない様子で雄二の背中を見つめている。梶はトイレで場にいなかった。したがって雄二だけがこのとき昇の表情を捉えていたのだが、雄二の視界の中、昇は明らかに狼狽していた。
「だから言ってんだろ? これはあくまで恰好だけだって……」
「それで音楽番組で悪態つくんだよな? こんなに滑稽なことはねぇよ!」
雄二が半ば笑いながら、壁をバンと叩く。
「ミステリアス気取ってた奴らがさ、全員変な服着てパーマ当ててんだぜ?! お前がバカにしてるやつらとどっちがダセーんだよ! ネットでの俺たちのあだ名知ってるか? パーマンズって言われてんだぜ! 売れたところで元の音楽ができるかクソが!」
閉口する昇。事務所が彼らに強要したのは、服装だけではなかったのだ。全員にパーマをかけることを求めた。八十年代の某人気アイドルはパーマをかけていたという理由だ。昇は訳が分からず苛立ちつつも、渋々従ったのだが……
「お前は銀色の服着てるからウルトラパーマンって呼ばれてるよな? よお、ウルトラパーマン。事務所に玩具にされた感想はどうだい?」
昇は立ち上がり雄二に歩み寄ると、衝動的に殴り飛ばした。勢いよく壁に激突する雄二。昇はさらに殴りかかろうとするが、雅が慌てて止めに入る。
昇を見上げる雄二の瞳は、完全に虚ろだった。
かくしてリプレイは三人体制となった。頭を抱えたのは事務所の面々である。
「貴様ァ、よくあんな騒ぎを起こしてくれたなぁ……おかげでこっちの戦略が全部パァだよ」
昇を会議室に呼び出したメガネ男は、さっそく悪態をついた。
メンバー脱退はもちろん大きな痛手だったが、事務所はそれ以上にイメージへのダメージが大きいと考えたのである。
ヴィジュアルロックから80年代アイドル風ポップバンドに転身させ、そのギャップで世間を引き付ける事務所の戦略は思いのほか上手くいった。音楽番組に出るたびに悪態をつく昇だったが、それが毒舌キャラとしてお茶の間の人気を獲得しつつあったのだ。それに昇の作る曲は元々ポップ性に優れたもので、転身後の路線と妙にマッチした。シングルは久々に週間音楽チャートでトップテン入りし、これから巻き返しが大いに期待できると考えたそのとき、あの事件は起こったのである。誰かが雄二に殴りかかろうとする昇の姿を写真に収めていて、週刊誌に売りとばしたのだ。暴力的なイメージがついてしまえば、これ以上あのキャラクターを続ける意味がなくなる。
「お前リーダーなんだろうが! 内部統制ぐらいできなくてどうするんだ! それであのとき俺を首にするなんてよく言えたもんだなあ!」
「うるせぇよ」
苛立ち会議室の机を蹴り飛ばす昇。
メガネ男が驚き焦りの表情を浮かべる。
「なっ……お前、何やっているのか分かっているのか?」
「イメージ戦略だろ?」
何かを言いかけたメガネ男を、昇が胸倉を鷲掴みにして制する。
「だから今度は暴力的なイメージで売っていくんだろうが。手始めにテメェを殴ってやるか」
「ヒッ……! や、やめっ」
昇が拳を振り上げたところで、メガネ男の表情が崩れる。これまで強硬な態度を取っていた男は、あっという間に矮小な存在となった。
「チンケな野郎だ、殴る価値もねぇ」
昇は手を放すと、くるりと背を向ける。
メガネ男は慌ててネクタイの位置を正すと、昇に向かって叫んだ。
「屑野郎が! お前なんか契約解除だ! どこにでも行っちまえ!」
「テメェにそんなことできる余裕があんのか? 知ってんだぜ? 俺たちが売れなきゃお前も一蓮托生なんだろ」
メガネ男が目を剥き、何も言えず口をもごもごさせる。昇の言う通り、メガネ男もまた崖っぷちだった。かつては懐かしのアイドル路線戦略でスマッシュヒットを飛ばした事務所の異端児だったが、その路線も飽きられた今となっては、ただの勘違い野郎として日陰に追いやられている身分なのである。
「心配しなくても、俺たちのやり方で売れてやるよ。いずれにしろお前なんかすぐクビにしてやるから首を洗って待ってな」
昇はそう吐き捨てて会議室をあとにする。
メガネ男はただ呆然と、昇が出ていったドアを見つめるだけだった。
こうして再始動した新生リプレイだが、彼らを動かすのは怒りだった。
自分たちを金目の道具にする事務所への怒り、白い眼で見る世間への怒り……ポップスターへの憎悪も度を越したものだった。昇は音楽チャート上位に君臨するミュージシャンたちの名前を歌詞に登場させ、強烈にディスった。
――百年も同じ音楽をやってる奴ら。進歩がないね。
これに反応したのは、中傷を受けたミュージシャンのファンたちである。元々昇の発言によりいつ荒れてもおかしくなかったネット界は、これを境に一気に炎上した。
――はあ? ヴィジュアル系崩れが何言ってんの? 売り上げでトップテン入りするのもやっとの奴らがさあ。
――その結果があのパーマンズって、笑えるよね!
――とっとと消えろ、勘違い三流バンドが。
週刊誌でも取り上げられ激しいバッシングの嵐だったが、昇はたじろがない。むしろさらなる怒りの炎を滾らせ、その怒りが次の作品を生み出す原動力となった。音楽はこれまでのいずれとも異なるパンキッシュなものとなり、服装もパンクなものに変わっていく。昇は髪を真っ金色に染め上げ、雅は元の黒髪ストレートに戻し、梶はサイドを刈り上げ片方に剃りこみを入れた。メディアを敵視してテレビへの出演は控えるようになり、ライブバンドへと化していく。甘い囁き声と高音のファルセットはデスボイスに置き換わり、昇は観衆の前であらゆるヘイトを吠えた。雄二なき今はサポートメンバーがギターを担当しているが、そのギターへの昇の風当たりは強く、少しでも間違えようものならアンプを蹴り飛ばす。
最も衝撃を受けたのは、かつてのファン達だった。80年代アイドルポップ路線時代にファンになった者たちはもちろん、ヴィジュアル系時代からずっとファンを続けていた者の多くも今回の路線変更に戸惑いを隠せなかったのである。外見からかつてのミステリアス性はなくなったものの、昇の歌声、音楽性は健在だ。多少ポップ色は強くなったが、それでも根本に流れるものは変わらない、だから自分たちはリプレイについていくのだと。彼女たち(ファンの多くは女性だった)はそう決めたのだが、今のパンク路線は自分たちが好きだった音楽性とは全く異なる。その証拠に、雄二も辞めてしまったのではないか! そして彼女らはアンチと化した。
世間を敵に回し、かつてのファンも敵に回し――しかし周りの批判の声とは裏腹に、リプレイはますます勢いをつけていった。ライブを行うごとに、新たなファンは確実に増えていったのである。元々彼らはインディーズ時代、ライブで名を挙げたバンドだ。否、メジャーでデビューしたバンドの多くは、そもそもライブで名を挙げたバンドだったのだ。それがテレビに出演し、商業ポップの波に飲まれる中で、耳触りのよい大衆性の音楽に取り組むようになり、勢いが落ちていく。そうではない、それでは駄目なのだ。ライブのたびに盛り上がりを増す観衆を見て、昇は確信した。間違いない、俺たちの進む方向は間違いない。何年かぶりに生き返った気がする。俺はこのために生きてきたのだ。
そして新たにリリースされたアルバムは、音楽チャート週間で初登場2位を記録した。武道館ライブも決定、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らは絶頂期にいた。しかし昇は気が付かなかったのである。彼が批判してきた多くのもののなかに、まさか自分のメンバーも含まれているなどとは……
その日武道館ライブ宣伝のため久々にテレビ出演することになったリプレイは、明らかに不機嫌な様子を見せながらも、ライブパフォーマンスで暴れまわり満足げに楽屋に戻ってきた。昇はマイクに電源が入っていないことをアピールして、どうせネットはまた荒れるんだろう。けど理解してくれるやつは理解してくれる。
「あー、バカどもをコケにするのは最高に気分がいいね」
マッサージチェアに腰を下ろし、ご満悦であった。以前ふざけた格好でテレビに出演したときから、まだ一年も経っていない。それがあの黴臭い楽屋からこの一流の楽屋にランクアップである。
俺たちは三人なのに、化粧台がいくつ並んでるんだ? 寝ころびくつろげる座敷に、このマッサージチェアだ。今や向こうから出てくれって頼まれる地位さ。こんなに気分良いならまた出てやってもいいなあ、梶!
その梶は珍しくさっさと身支度を整えていたのだが、あー、と声を出すと、突然昇に思いがけないことを話し始めた。
「昇くん、俺リプレイ辞めるよ」
「は?」
昇はぽかんと口を開き、マッサージチェアの駆動音が鳴り響く。昇にとってその言葉は、本当に晴天の霹靂だった。
楽屋の隅でベースの手入れをしていた雅も、梶の決断に驚きを隠せないようである。
「お前……何言ってんだ! 俺たち絶頂期だぜ? こんなときに辞めるってどんな理由があるんだよ!」
「最近ドラム叩いてて、あんまり楽しくないんだよね」
「は?」
昇は再びぽかんと口を開いた。
ドラム叩いてて楽しいってなんだ? 意味がわからない。
「俺さ、売れるとか売れないとかどうでもいいんだよね。楽しく音楽したい」
「バカかお前。俺たちゃプロだぞ? 売れるのが正義だろ。楽しくて売れないとかクソじゃねーか!」
「昇くんの音楽はさ、息苦しいんだよね」
梶の言葉は昇の胸に深く突き刺さった。途端に息苦しくなり、溺れそうになる。
何故こんなにも梶の言葉が胸に響くのか、昇には分からない。
「昇くんが前歌詞でバカにしてたバンドさあ、俺好きなんだよね。それで俺も昇くんの嫌いな人間のひとりなのかと思ってさあ」
ボストンバッグを肩に下げ、楽屋を出ていこうとする梶。
「雄二くんも俺が何も知らないうちに辞めることになってたでしょ? あれもずっと根に持ってんだよね。誰かのワンマンバンドって、俺やる気でない」
梶は言いたいことを言ってのけ、ひとり楽屋をあとにした。
昇はマッサージチェアの肘掛を何度も叩き、沈痛の表情を浮かべる。雅が手入れを止めて、じっと昇の横顔を眺めていた。
その後のリプレイは、まるで両翼をもがれた鳥のようであった。武道館ライブを決行するも、そこにいるのは梶ではなくサポートドラマーの姿。観客からは悲鳴が上がった。昇のヘイトはたしかに多くのファンを引き付けたが、梶の何を考えているか分からない奇妙なキャラクターも、そのヘイトの中で一種の清涼剤的役目を果たしていたのである。
息苦しい、どうしてこんなに息苦しいんだ?
昇は何故こんなにも息苦しいのか分からなかった。海外から連れてきたドラマーは超絶テクで、梶なんかとは比較にならない。だが音が全て尖っていて、それが全部昇の胸を刺すのだ。ギターもそうだ。全部尖ってる。昇の歌声も尖っていく。こいつは負け犬の遠吠えだ。いくら吠えても虚しさしかない、尖っていく。
雅のベースのみが元のリプレイの形を伴っていて、しかしそれだけで全部支え上げるのは困難だった。虚しさがポロリポロリと剥がれ落ちていく。この先にあるのは破滅だ。しかし昇は止まらなかった。この商業世界の中で、転がり続けたバンドは止められないのだ。
息苦しさを感じた多くのファンは、また離れていった。しかし変わらず応援するファンや、新規でつくファンもいた。昇の思いとは裏腹に、その虚しさが、昇の元々感傷的だった感性にさらに磨きをかけたのである。歌詞は外部への攻撃性を潜め、自らに残る幼さのナイーブな面を描くようになっていった。恥知らずもいいところだ。しかし両翼を失っても鳥は飛ぶ、飛び続ける。昇が転がりをやめるそのときまで、鳥は飛び続ける。
新たにリリースする新譜は音楽チャートを駆け上がり、ついに初の一位を獲得する。夢を失くし迷走する多くの者たちの支持を得て、昇は今やカリスマとなった。しかし昇の心は満たされない。その先を目指しても何もないことに、昇は気付いてしまった。
季節は秋。大箱アリーナでのライブを終え、楽屋に戻る昇と雅。昇は憮然と椅子に座り、雅は相変わらずベースの手入れをして、一言も会話がない。かつてから、二人の間柄はそうであった。雅は同じ学校の一つ下で、以前から根暗で口数が少ない。雅がバンド活動していると知ったとき、こんなやつがと昇は大いに驚いた。しかしそのベーステクの凄まじいこと……雅は真面目なのだ。真面目に一流のベーシストを目指し、多くの優れたミュージシャンたちと共演することを夢見ていた。どこか軽さのあったリプレイの中で、雅だけは異質の存在。だから昇は雅を自分のバンドに引っ張り込んできたのだ。元々、仲が良いからとか音楽性が合うからとかそんな理由で引っ張ってきたんじゃない。だが昇は雅を信頼していた。信頼していたからこそ、次に雅が口を開いたとき、自分たちは完全に終わるんじゃないかと。
「……昇さん」
口を開いた雅の表情は思い詰めていた。昇が感じていた息苦しさを、雅も感じていたのだ。そして今や雅には、多くのミュージシャンたちからラブコールを受けていることも知っている。
「辞めたいのか」
昇は反射的にそういった。
「……はい」
雅の返事は小さく、しかしはっきりとした意志の込められたものだった。
「お前に言われなくても辞めてやるよ、こんなクソバンド」
昇はそう吐き捨てると、何もかもがどうでもよくなっていった。これまでの出来事が走馬灯のように駆け巡ったが、全て無駄だったのだと。クソッタレ。
次の日の朝、会議室にメガネ男を呼び出した昇は、机に辞表を叩きつけた。
「そうか、もう限界か」
メガネの男は言った。リプレイの状況を全て分かっていたかのようだった。
「……結局、私を辞めさせることはできなかったな」
「てめぇなんかに付き合ってる暇なんかなかったんだよ」
昇の言うことは確かだった。ヘイトを向ける先なんて、このメガネ男なんて構わずともたくさんあったのだ。そしてメガネ男は、当初昇が思っていたよりも有能だった。一時期二日に一回という殺人的ライブスケジュールを組んだリプレイだったが、メガネ男は一度も問題を起こすことなく会場を押さえてきたのだ。それがどれだけ難しいことか、インディーズ時代に自分で交渉を進めていた昇はよく分かっている。メガネ男もまた、快進撃を続けていたリプレイの一部だったのだ。
「解散ライブはいつにする」
「そんなものいらねぇよ」
「お前らはプロだろう。ファンへのけじめをつけろ。それが責任だ」
「……勝手にしろ」
昇は席から立ち上がり、会議室を飛び出した。そして都内の高級賃貸マンションに戻り、床にごろりと寝ころんだ。家賃がクソ高く、ただだだっ広いだけの部屋だ。ライブ後の寝床に使っているだけで、ほとんど意味がない。
実家にでも顔を出すか、と昇は思った。
勝手に東京に飛び出したことで実家とは絶交状態だったが、一流のバンドマンとなった今となっては、堂々と戻ってやっても何も問題ないだろう。無駄に稼いだ金で何か買ってやってもいい。
昇は帽子とサングラスをつけると、最低限の変装で車に乗り込んだ。
閑散とした町だった。
山を切り崩して作られた新興住宅街といえば聞こえはいいが実際に発展しているのは駅の近くだけで、そこを外れればどこで遊んでいいのか分からない。
故郷の向かう途中、ふと墓参りに行こうかと昇は思った。小さいとき自分を何かと気にかけてくれた婆ちゃんの墓参りだ。年金を使って、遊園地やいろいろな場所に連れて行ってくれた。夢があるなら追いかければいいんだ、と言ってくれたのも婆ちゃんだ。だったら、まずは婆ちゃんに報告しておくのが筋だろうと昇は考えたのだ。
適当な場所に車を止め、見知らぬ百円ショップで最低限のものを買い墓に向かうと、そこには見知った女の姿があった。
「真理……?」
昇に振り向いた女の顔が、さっと歪む。その人物は間違いなく、幼馴染の真理だった。傍に子供を連れている。
真理はさっと子供を抱え、逃げようとした。昇が慌てて立ちふさがる。
「おいおい、何で逃げるんだよ」
「なによ、アンタこそ何でこんなところにいるの」
「ちょっと暇が出来たから久々に実家に顔を見せにきたんだよ」
真理は何も言えず、昇から顔を背けた。抱える子供はまだ二歳ぐらいだろうか。自分が何を考えているのかも分からないといった様子で、顔にはてなを浮かべている。
昇はその子を見ながら、ふと思い浮かぶことがあった。深く考えることもなく、その思い浮かんだことが反射的に口を出た。
「お前……男はどうした?」
「……なんで……アンタがそれを知って……」
真理が驚愕し、苦痛の表情を浮かべる。
その表情を見た瞬間、昇は悟った。あの日真理とすれ違ってから約三年。自分がバンド活動で苦悩している間、彼女の身に何があったのかを悟ったのだ。
「お前、捨てられたのか!」
真理はカッと目を見開くと、殺さんばかりの勢いで昇の腹を殴りつけた。
昇が苦痛に顔を歪ませる。いくら男女の体格差はあれど、不意打ちは効くのだ。
怒りで去ろうとする真理の腕を、昇がとっさに捕まえた。
「ちょっ、待てよお前」
「何よ! 離しなさいよ!」
「待て、まじで待ってくれ……」
真理の腕に縋りつくように取り付く昇。
「バカにしようとして言ったんじゃない、そう聞こえたならマジで謝るよ」
あまりにも昇が必死なので、真理は思わず立ち止まってしまった。
「一緒に、墓参りしようぜ。そのほうが婆ちゃんも喜ぶだろう」
昇の人懐っこい笑顔に、真理は逆らえないものを感じた。子供がひとり、やはり訳のわからない様子でふたりを交互に見つめていた。
三人で墓に向かう。草むしりやゴミ拾いをして綺麗にした後、線香に火を付けお供えをする。昇が持ってきたものは、先ほど百円ショップで買ってきた駄菓子だ。
「アンタ、そんなものお供えするの?」
「いいじゃねぇか、婆ちゃんが好きだったんだからよ」
呆れ顔の真理に、大人げなく反論する昇。
ふたりで手を合わせているうちに、昇の脳裏に祖母との日々が蘇ってきた。遊園地やどこかに出かけるとき、昇の傍には必ず真理がいたのである。そして二人は当然のように付き合い始め、昇が夢を追うため別れるまで、ずっと一緒であった。全て昇が選んできた結果である。そして今、ふたりの思い出に関係ない第三者が不思議な顔をして昇と真理を見つめているわけだが、昇はその子のことを不快に思わなかった。むしろどこか親近感に近いものを胸に抱いたのである。
「この駄菓子、やるよ」
子供がお供えの駄菓子を欲しそうにしていたので、昇は子供にそれをやった。
「ちょっと、勝手にお菓子あげるのやめてよ。アレルギーとか怖いんだから」
「細けぇなあ、じゃあお前が後で食えばいいだろう」
ふたりが言い争いしている間、子供は無邪気に嬉しそうである。三人で並んで歩く姿は、まるで親子のように見えなくもない。
「アンタ、私と歩いてていいの? ファンの子とか週刊誌に見つかったら大変じゃないの」
「は、お前俺をアイドルかなんかと勘違いしてんのか? だいたいもう三十にもなるし、プライベートでキャアキャア言われる時代はもう終わってるっての」
言い終わり、昇はハッとする。自分は三十歳になったのだ。たしかに二十歳で東京に飛び出し、リプレイを結成してからもう十年経っていた。メンバーの脱退を繰り返しもはや元の影も形も残っていないが、自分が命を燃やし走り続けてきたバンドは、今や十周年を迎えていたのだ。
「……悪い俺、今すぐ東京戻るわ」
は? という真理の声も聞かないうちに、昇は走り出した。
「リプレイはもう解散すんだよ! だから最後は盛大にやらなきゃな!」
「はあ?! なんで解散するの!」
「もう決まったことなんだ! お前も見に来いよ!」
昇は真理の返事も聞かないまま、あっという間に墓場から姿を消した。
車に乗り込み、昇の頭にはいろんなことが駆け巡っている。雅や、雄二の奴や梶も呼んでやろう。他に何か仕事があったって知ったことか。俺たちは責任を取らなくちゃならないんだ。
昇は今まで自分を突き動かしていた憎悪が、とても矮小なものであることを知った。だが昇は開き直っている。人間ってそんなもんだろう。今を生きていれば理由なんてどうだっていいんだ。
昇は再び頂点を目指すことを誓った。それがまた誰かとバンドを組むのか、ひとりでやるのかは分からない。しかし今度は自分も満足したまま頂点に立ってやると、心に誓ったのである。(終)
お題:「○○にのぼる」
例のネットサイトに投稿しようとしたが、まさかの時間超過+文字数(10000字)超過、どうしようもない……もはやどうしようもない……
お話がなぜこんな展開かって、私は某バンドの音を聴きすぎたのである。