銀翼
アインが格納庫に帰還するなり、真っ先に声を掛けてきたのは皮肉屋のマルコフだった。いつも通りの嫌味ったらしい表情を浮かべている。
「聞いたぜーアイン、生肉見て気失ったって?かーっ、見てみたかったなぁその場面!」
「もーうるさい、あっち行って」
「そう怒んなよー、少しは気弱なとこもあるじゃんって褒めてんだぜ、珍しく」
「ハイハイ、どうせいつもは機関銃相手に喧嘩売ってるような猪女よ」
アインは毎回毎回邪険にあしらっているのだが、この若い男はやたらと執拗だ。初めて会った時から、どうにも敵対心を抱かれている気がしてならない。そう言った感情を抱かれるような原因に、まるで心当たりがないというのだから質が悪い。
アインが辟易とした表情でマルコフの冷やかしをやり過ごしている間に、ダグは買い出し品を部下に預けて煙草をふかしている。助けてよ、と彼女はさり気無くサインを送っているのだが、昔から変わらずこういう機微に疎い男だ。サインに気付くと、何を勘違いしたか殴りたくなるような笑顔が返ってきた。
「親方、機体のメンテナンスは終了しやしたが、やはり武装に関しては間に合いそうにないですな」
設計担当のトレッシュが、布で覆われた戦闘機のコクピットから飛び降りて隣に降り立った。自分より三十も年上に親方と言われるのは恥ずかしいから止めて欲しいとダグは頼んでいるだが、先代には恩があると言って呼び名を変えてくれないらしい。
「弾丸の方は粗方完成ですな、試し撃ちしましたが想定されていた通りの空力特性を発揮しているようで。しかし、肝心の機銃の耐久性に難があります。超高速飛行下での運用に耐え得る素材となれば、該当するのはやはり黒竜の鎧鱗のみかと」
「あれを加工するとなると専門の職人に受注するしかないか。まぁ本戦に間に合えばいいさ。天覧祭の選抜会は、飛べることさえ証明できれば十分だからな」
天覧祭、それは十年に一度、世界各地より集められた竜騎士達により繰り広げられる戦祭りである。ルールは非常にシンプルだ。出場者はまず十五騎以上の自分以外の選手を撃墜する。そのノルマを達成した上で、誰よりも早くゴール地点に辿りついた者が優勝となる。撃墜を前提とする以上、爪や牙、炎を持たない『偽竜』である戦闘機には銃火器による武装が必要不可欠だ。
「まだ未完成でも本当に通るんスかね」とマルコフは心配そうに機体を撫でた。
「おいおい、こちらにおわす方をどなたと心得る。我らが雇い主ダグ・ルビウス卿は世に名高き《竜殺し(ドラゴンスレイヤー)》の末裔、名門貴族様であられるぞ」
「コイツに金使いすぎて、今じゃ只の落ちぶれ貴族だがな」
ダグは後悔の様子が微塵も見られない満面の笑みで、戦闘機――“D‐04”と刻印された機首を右手でバンバンと叩いた。その手の甲に刻印された刺青こそ、竜殺しの末裔であることを示す『刻竜紋』である。天覧祭のような竜が関連するイベントに限り、竜殺しの子孫達には過去の功績を称えて特待制度が設けられている。そんな権限を利用する以上、親の七光りと罵倒されても仕方がない。だが、この天覧祭の出場には長年の夢が掛かっている。ダグに引き下がるつもりは毛頭なかった。
「あー、ごほん。さて、諸君。いよいよ明日が運命の日だ。まずは今日までD‐04の開発に協力してくれた皆に感謝を捧げたい」
まるで原稿に目を通しながら話す政治家のように陳腐なスピーチをダグが始めると、即座に野次が飛び交った。
「親方、演説下手過ぎッスよ!」
「慣れないことするからー」
「漢らしく一言で済ませちまいましょーぜ!」
ダグの余りに酷すぎる滑舌に、飛行場はダメ出しとブーイングの嵐だ。
「あー、よくわかった、確かに俺らしくなかったな、OKやり直す」
ごほんと咳払いして仕切りなおす。
「いよいよ明日だ、見せてやろうぜお前ら!我が物顔で天空を支配してやがる竜共に、人類の力ってヤツを!」
おおおおおおおーッ!!激励に呼応して男たちが雄叫びを上げる。ただ一人、アインだけはいつまでも鉄面皮を崩すことなくD‐04を見つめていた。
「オイオイ、なんだよその仏頂面はアイン。明日はいよいよ、親父さんが魂を込めて建造してきた愛機の晴れ舞台だぜ?」とマルコフが小声で揶揄するが、アインの無表情は変わらない。
「知ってるでしょ?私は嫌いなのよ、アレ」
「同じ大会出場者のお前さんにとっちゃ、只のライバルってことかい。けっ、父親想いの娘さんだことで」
マルコフの皮肉も意に介さず、アインはD‐04の銀翼を静かに見つめていた。