ある女性の独白
───付き合わないか───
そう言われて初めてできたカレシ。
あの時、好きでもないのに流されて頷いた自分をとても後悔した。
涼しげな目を持つ清廉そうな雰囲気の美丈夫。美しい物には棘がある。それは本当のようだった。
「幽霊みたいなアンタがヒデカズの彼女とか、何勘違いしてんのよ。幽霊は幽霊らしくしてなさいよ」
無理矢理連れて来られて目の前で言われるのはまだマシで。酷い場合だと、"ヤらせてくれる女”"男ならなんでもいい女”という噂をばら撒かれ勘違いをした人達に狙われて身の危険を感じる事もしばしばあった。
一番キツかったのは、友達にもその魔の手が迫って次々と離れてしまった事。唯一離れないでいてくれた玲子には感謝しきれない程感謝している。
その状況を知らない筈がないカレシは、何も言わず何もしてくれなかった。それどころか噂に便乗したのか、迫られる事がしばしばあった。ただ、私は……古臭い自覚はあるけど初めての人は結婚してくれる人がいいと思っていた。だからその度にごめんなさいと断ってきた。
それが良くなかったのだろう。カレシから別れ話が出た。今までの事があったので、即座に別れた。
別れたという話はすぐに広まった。
ざまあみろという言葉や嘲笑をしばらく浴び続けた。玲子がその度に相手をキツく睨む為、少しずつだかそれも収まっていった。やはり薔薇のような華のある美人の睨みは迫力があるのだろう。私は幽霊やら日本人形(勿論、髪が伸びる怪奇人形の方)やら言われるので、迫力が足りないと思う。見習いたい。
その頃からか、やたらとお腹が空くようになった。いつもの2,3倍は軽く食べるようになっていた。一人暮らしだし、趣味も読書だけだから食費に結構さけた。ただ、ケーキを1ホール全部食べてしまった時は少し自分に引いた。
そんな食生活をしていたら、体重に転化される。洋服が入らなくなり、2サイズ上の服を新たに購入した。ふかふかとした手は自分の手ではないような気がしたが、何となく血色もいいような気がしてくる。玲子からは痩せた方がいいと言われたが、このまま体重を維持しようと思う。
その頃、私は和泉式部に興味を持っていた。メジャーな物は何となく外していたが、和泉式部日記を読んで全く違う価値観に惹かれた。
彼女の人生に同情をしながら、色々読み進めた。
現在の本は法華経だ。何でも悪者である女性はこの法華経でのみ成仏できるのだとか。まだ読んでいないが楽しみ。この前の小倉百人一首もなかなか楽しかった。和歌やお経は門外漢だけど。
そしてあの騒動から半年経った今、電車の中にいる。
これから万磐寺に行くのだ。ネットでお寺のお掃除、しかも秘仏のお掃除の求人を見つけて衝動的に応募して受かったので、これから掃除に行くのだ。
万磐寺の住職さんはとてもカッコいいダンディーな人だった。
何となく、元カレシに似ている気がしたが、気のせいだろう。たぶん。いや、絶対違う。
さて、この煩悩も仏様に払ってもらおう。場所と道具を渡されて1人になった時に頭を振って気合を入れた。目の前には11月なのにもううっすらと白くなっている小さなお堂が遠くに見えた。
うん、雪かきは要らなそうだな。今後本格的に降ってきたらさっきの住職さんとかお弟子さんとかがするんだろう。
サクサク、キュッキュッと音をたてながら白い地面にうっすらと足跡を残していく。
秘仏があるらしいお堂は本当に小さかった。屋根には誠照寺派だからか2つの下がり藤の紋が両端に飾られていた。ただ、他の本堂などには看板があるのにこのお堂には看板がなかった。誠照寺は阿弥陀堂って明記されていたのに。
お堂についている階段をあがり、錠前の鍵をあける。時代を感じさせるこげ茶色の扉は酷く冷たかった。
軋みながら開いた扉の先には扉と同じくらい時を感じる板間の一番奥に台座に阿弥陀様が鎮座されていた。ただ……
「プッ、あ、アフロな阿弥陀様……」
そう姿が普通と違った。装飾の無い衣装くらいしか共通点が見つからない。顔も明らかにまん丸していて大きいのに、それよりも大きい頭。なんだろう、鏡餅とかそんなずんぐりむっく……いやいや、これ以上は失礼だな。これにもきっと理由がある筈だ。……たぶん。
「ひゃっ!痛ったぁ~」
板間に一歩踏み出した途端にコケた。うぅ、これは天罰かしら?ごめんなさい、もうアフロとか鏡餅とか言いません!
痛いなぁと思ったら膝を擦りむいていた。仕方ない、後で絆創膏を貼ろう。
板間をよくよく見るとうっすらと積もった埃の下が凍っていることが分かった。これは滑るわ。
私は慎重に動きながら板間を掃除し、危険地帯を抜けて阿弥陀様へ到着した。こちらも古いのか黒い阿弥陀様の埃を払ってあげる。そして、阿弥陀様の裏側の板も掃除しきって私は達成感に満ち溢れていた。
やった!終わったぞ!
そうして私は阿弥陀様に背を向けた状態で立ち上がった。
この時、私は達成感に酔い思い切りよく立ち上がってしまったのだ。
まだ滑る板間なのに。
「あれ?」
案の定足を滑らせた私は、
後頭部にとても大きな衝撃を受けて、
意識を失った。
これが私の最後の記憶にあるとは思わずに。