辻斬り
動物の一種に、双頭の蛇がいる。一つの体に二つの頭を持ち、食い物を争って互いに噛み合い、ついにお互いに食いあって自分自身を殺す。
−「韓非子」−
正親は暗闇の中、刀を携えて、道端の木の陰に隠れている。月には雲がかかり、暗い道には人通りもない。
そこへ、一人の村人がやって来る。正親は刀を抜いて道におどり出る。村人が驚いて声を上げようとするところへ一太刀浴びせると、相手は悲鳴を上げて倒れ、また起き上がって逃げようとする。
−今回は最初の一太刀で倒せなかったか、惜しいな−
と思う正親。村人はよろめきながら逃げようとするが、どのみちその傷では逃げ切れまい。正親は追いすがる。相手も、逃げ切れぬと悟ったか、絶望的な表情で向き直り、何事かわめきながら立ち向かってくる。その腕をばっさり切り落とす。村人は絶叫、
−今の一太刀は、なかなかうまくいった−
続く一撃で首を切り落とすと、うるさい悲鳴もやんで、相手はばったり倒れた。正親は刀をおさめ、悲鳴を聞いた誰かがやって来る前に走り去った。
正親が辻斬りに手を染めるようになったのは3ヶ月ほど前のこと。正親は武士である。当然、常に他国との戦に備えているわけだが、戦は常にあるわけではない。正親は戦では負け知らずだったものの、戦が終われば腕をもて余してしまう。
斬りたい。無性に人が斬りたい。
そんなわけで、ある夜、最近噂の辻斬りというやつをやってみた。その時の相手はたまたま通りがかった盗賊で、相手も応戦し、真剣勝負の末討ち取ったのであった。しかしそれ以降は、相手が誰であれ、構わず斬るようになった。
もちろん正親とて、辻斬りが悪行だと知らぬ訳ではない。が、一度この味を覚えてしまえば、もうやめられるものではない。要するに、病みつきになっていた。
相手は村人のこともあれば、盗賊や追い剥ぎ、武士のこともある。相手も腕が確かであれば斬りあいになり、血沸き肉踊る闘いになる。しかし正親は一度も、負けたことも取り逃がしたことも無く、全て討ち取ってきた。正親はむしろ、その事をひそかに誇りに思ってさえいたのであった。
そして朝になれば、なに食わぬ顔で務めに出ていく。武芸の訓練でも正親は強かった。それも当然だ。俺は実戦で鍛えているのだからなと、内心優越感を感じる正親であった。
そんなある日、正親の仕える領主の親族が死亡し、葬式に出ていた正親は、やって来た僧侶を接待することになったが、その僧侶、正親をちらりと見て、
「あなたには、何か邪気がまとわりついていますな。精進なさりませ」
などと、他人の見ている前で言うのであった。
正親は内心怒りを感じた。この坊主、人前で見下したようなことを言いやがって、余計なお世話だ。
正親は僧侶が嫌いであった。彼は僧というのは皆、詐欺師のたぐいだと思っていたので、上からものを言うような彼の態度が気に入らなかったのである。しかしもちろん、そのような感情を表に出すことはない。
数日後、正親がまた夜の道端にひそんでいると、一人の笠をかぶった僧が通りかかった。
この間のことを思い出した正親、ひとつこいつを斬ってくれよう、普段取り澄ました坊主がどんな悲鳴を上げるか楽しみだわいと思い、刀を抜いて飛び出し、斬りかかった。
ところが、相手はまるで予測していたかのように、手にした杖で刀を払い、飛び下がった。
何だと、気付かれていたか。まあいい、所詮ただの杖だ。負ける事などあるまいと思った正親、相手の顔を見てぎょっとした。
異様に大きな目に、削ぎ落とした痕のような平たい鼻、耳まで裂けた口の中には鋭い牙が並び、手には指が三本しかなく、振り乱した髪の間には二本の角。
−鬼だ。
さしもの正親も一瞬固まったが、鬼が何だ、斬り捨ててくれるわと、刀を構え直した時、鬼の姿は幻の如く消え失せた。
その夜は一晩中まんじりともできなかった正親、翌日、まだ日の落ちないうちから刀を携えて、例の道をうろうろしていると、道を通りがかった村娘が問いかけてきた。
「お武家様、何かお探しですか」
正親はありのまま答える。
「私は昨日、ここで鬼が歩き回っているのを見た」
「えっ!」
「私は、そいつが何か悪さをしないように、そいつを斬ってやろうというのだ」
それを聞いた娘、しばらく呆然としていたが、突然ひざまづいて、泣きながら正親にすがりついた。驚く正親に、娘が言うには、
「ああ、あの噂は本当だったのですね。それでわかりました。お武家様は知らないでしょうが、最近、この辺りで、夜中に人が斬り殺されている事がよくあるんです。きっと、その鬼の仕業に違いありません。私の父さんを斬り殺したのも、きっとそいつだ!」
「…」
「お武家様、どうか父の仇をとって、この村の人々を鬼から救って下さいませ」
「…ああ、もちろんだ。領民を守るのは、武士の務めだからな」
娘はありがとうございますと何度もお礼を言い、きっと鬼を退治してください、ご武運を、などと言って立ち去った。しかし結局その夜は鬼は現れなかった。
次の日、また正親がその辺りで鬼を待ち伏せていると、幾人かの村人がやって来る。そして口々に言うには、
「私の夫も、鬼に斬り殺されました」
「私の娘もです」
「私の息子もです」
等々。
そして一様に、
「どうか、鬼を退治してください」
と頼み、彼らが持ってきた酒や魚を差し入れて、どうかご無事で、などと言う。それに対していちいち、うむ、わかっている。領民を守るのは武士の務めだからな、などと言う正親であった。
ところが、肝心の鬼はなかなか現れない。数日後、夕暮れ時に、いらいらした正親が例の道をうろついていると、女の悲鳴が聞こえた。
はっとした正親、刀を抜いて、声のした方に急ぐ。見ると、道端の木の下に、いつぞやの娘がへたりこんでおり、その前には、抜き身の刀をひっさげた男がこちらに背を向けて立っており、刀を構え、娘ににじりよっていく。正親は怒り心頭、
「何をするかっ!!」
と叫んで男に斬りかかる。素早く振り向いた相手は自前の刀で受け止める。見ると、紛れもなくあの鬼である。
鬼は猛然とこちらに斬りかかってくる。かくして、鬼と斬り結ぶこと十合、二十合。この鬼、相当な剣の使い手である。今まで負け知らずだった正親が、明らかに押されている。娘は腰が抜けたように、まだその場に座りこんでいる。
「早く逃げろ!」
と言うが、娘はやはり動けないようだ。
−ここで俺が斬られれば、あの娘はきっと殺されてしまう。絶対に負けられぬ−
奇妙な話ではあるが、今、正親は紛れもない義侠心から闘っているのであった。正親は渾身の力を振るった。全力を出し切った。かつてこれほど真剣に闘ったことはない。それでも鬼は強かった。ともすれば、危うく斬られそうになる。
と、鬼が振るった刀に弾かれて、正親の刀の切っ先が跳ね上がる。鬼は懐に飛び込んできて、こちらの胴を真っ二つにせんものと刀を振るう。避けられぬと悟った正親、そのまま相手の頭上に刀を振り下ろし、己の胴が斬られるのと同時に、鬼の頭蓋を叩き割った。
−殺った!−
と思った瞬間、激痛と共に意識が飛んだ。
人斬り鬼を退治し、鬼と相討ちになった正親は英雄と讃えられ、丁重に葬られた。人々は彼を讃えてやまなかったが、幾つか奇妙な話もあった。
まず、鬼の死体が無くなっていることである。もっとも、鬼は元々この世のものではないのだから、死体が無くてもおかしくはないが、闘いを見ていた娘の証言では、鬼は正親に斬られるのと同時に、幻のように消え失せたということである。
それと同時に正親も倒れたのだが、もう一つ奇妙な点は正親の死に方であって、胴を斬られたはずの正親は、何故か頭蓋を斬り割られて死んでいたのであった。
とはいえ、恐怖にかられ、逃げようとしながら見ていた娘の証言などどこまで信用できるか分からぬし、正親も既に葬られていて、もはや確かめる術もない。
ともあれ、それ以降はもう、人斬り鬼は出なくなったのであった。