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七階

作者: 国領あき
掲載日:2026/02/05

「うちにもいるんだよね、幽霊」


 そんな話を山田が聞いたのは残業中の十九時頃の事だった。


 自社ビルで仕事していた社員のほとんどは帰宅している為、社内は有線もかかっておらず静かだった。

 現在社内に残るのは山田と後輩社員の早瀬、そして倉庫担当者の佐々木の三人だけで、三人は一階の出荷場にいた。


 佐々木はどうせ早く帰りたくて、山田と早瀬の二人を脅かす為にそんな話をしだしたのだろうと、山田はくすりと笑いながら首を振った。


「この会社に三年いますけど、私はそんなの見たこともありませんよ」

「私も入って半年ですけど、そんな話初めて聞きました。なんでそんな話を今するんですか……!」


 早瀬は明るく元気なタイプの女性だが、怖い話が苦手らしい。目をくわっと剥いて、それ以上話さないでほしいと佐々木に顔でジェスチャーをする。


「それがいるんだって」


 佐々木は勤続二十年以上の飄々とした50代後半の男性で、嘘や誇張を言うタイプではない。噂好きといタイプでもない。そして幽霊の話を彼がするのを聞いたのは今回初めてだ。


 山田は少し興味が惹かれ、佐々木の話に付き合う事にした。


「佐々木さん、まさかこの建物になにか曰くが?」

「いや、どうかな? この建物はうちの会社が立てた自社ビルだから曰くはないんじゃないかな?」

「それではなにか、ほら、過去に激務で命を絶った社員がいたとか?」

「まさか。うちの会社って激務じゃないのわかってるでしょ。大体君たちくらいよ、残業してるの」


 今のこの状態を指摘され、それは確かにそうだと山田と早瀬は頷いた。そもそも、毎日十八時半の終業時間になると社長から役職含めすぐに帰宅するのだ。まず残業をしたくても出来る状況ではない。


 ただ今日に限って山田と早瀬が残業をしているのは、明日午前中に急遽出荷することになった海外発送の荷物の確認の為だ。客先の商社から頼まれてしまい、断れなかったイレギュラーな残業だった。とはいえ、その発送の確認も佐々木の手伝いもありそろそろ終わる予定だ。


「えー、じゃあ、辞めた社員が……何か恨みがあるとかで化けて出る、とか……?」


 早瀬の質問に佐々木は笑う。


「うちの会社はそこそこ社員は大切にするしねえ。出るほど恨まれるとは考えられないよ。みんな定年まで働くし、揉めたような話も聞かないし───だから、出るのは定年退職した社員じゃないかって話なんだよね」

「え、定年退職した人なんですか? それなら誰なのかわかるんじゃないんですか?」


 早瀬は少しホッとしたような顔で言う。会社に恨みのない定年退職の社員の幽霊という事ならば、怖さはかなり薄れるのだろう。


「それがちょっとわからないんだよ」

「わからない?」


 佐々木はニヤリと笑って言う。


「だって男も女も両方出るから」


 早瀬が、ヒッと声を漏らす。

 まさか幽霊が一体だけではなかったのか、と山田も驚く。


「うちの会社、創業二百五十年でしょ。男女とも沢山定年退職してるからねえ。支店もあるしさ。誰なんだろうね」

「それは……そうなりますね」


 会社が創業されて二百五十年の間に定年退職した男女を抽出したところで該当者は多すぎるし、たとえ幽霊の顔を見たところで誰もわからない、という事だ。


「だったら、ならなんで『出る』のが定年退職した社員って思ったんですか? だって誰が『出て』るのかわからないんですよね? 地縛霊とか通りすがりのやつかもしれないのに」


 早瀬の言葉に、それはそうだ、と山田も思った。だがそれはそれで嫌すぎるのではないだろうか───言った早瀬本人は深く考えていないようだけれど。

 佐々木は苦笑しながら早瀬に答えた。


「それがさ、仕事をしてるんだよねえ、幽霊が。棚の在庫数えてたりしてさ。まあ気がつくといなくなっちゃうんだけど」


 山田に限らず、そんな風であるならきっと他の社員も『見て』いたとしても気が付かないで普通に通り過ぎていたかもしれない。

 そして、彼らは働いて馴染んでいるからこそ、円満に定年退職した社員の幽霊だと、佐々木(もしくは幽霊を見た社員)が判断したのだと山田は理解した。


「働いてくれてるなんて、会社としてはすごく助かるじゃないですか。給料なしで働いてくれるってことですよね!」


 早瀬は気がつくといなくなるという言葉に安心したのか、軽口を飛ばす。きっと彼女は見ない(または気が付かない)自信があるのだろう。


「ああ、でもたまに電話に出るんだよ?」

「は?」


 早瀬は佐々木の言葉に眉をひそめた。


「ま、まさか、電話をかけてくるんですかっ?」


 容易に、早瀬が何を想像したのか山田にはわかってしまった。都市伝説のメリーさんだ。もしもし、今あなたの後ろにいるの───というやつ。


「かけては来ないけど、七階に内線電話をかけると、電話に出るよ」

「うそ〜!!」


 早瀬はやだやだと身体をよじりながら言う。

 山田は、佐々木がそれを見てニヤニヤしている様子から、早瀬をからかって遊んでいるようだ。


「……佐々木さん、七階に内線かけて電話に出た幽霊って何かを言うんですか?」

「ああ、何も言わないね。いつも」


───すぐに返答するところを見ると、電話に何かが出る事が実際にあるのだろう。

 だが、ふと山田は疑問に思った。この会社のビルに七階なんてあっただろうか。


 一階は出荷場で、今いる場所

 二階は会議室

 三階は事務所

 四階五階は倉庫

 六階は小さな部屋で試験室として使っており、畳三帖程度の部屋だ。


 だがその上に部屋などあったろうか?

 六階を上がった先に階段があったような記憶がない。


「あの、七階なんて……ありましたっけ?」


 早瀬も思い出したように言う。


「あるんだよ。君たちは用がないから行かないと思うけど、荷物と電話だけある部屋でね。六階の部屋の奥に階段があってさ……ほらその電話を見て、七階の内線のボタンがあるでしょ」


 佐々木は一階の壁際に置かれた簡素な机に置いてある電話を指さす。

 電話本体には確かに『七階』と明記してあるシールが貼られた内線ボタンが存在している。


 山田や早瀬が普段仕事している三階事務所の電話には、七階の内線ボタンは存在していない。だからおそらく六階に上がった事がないような早瀬も、七階などあっただろうか、と考えたのだろう。

 とはいえ、会社の電話が全ての階の内線と繋がっているわけではない。二階にある会議室の電話の内線は、一階の出荷場と三階の事務所への内線番号しか登録がない。つまり電話が置いてある部屋から用がある階の内線しか登録をしてないないのだ。


「ふーん、そっか」


 早瀬は恐怖が薄れたように返事をした。

 現金なもので、彼女は通常の業務では自分が七階に用も無ければ電話のやり取りも発生しないのだと気がついたのだろう。


 しかし山田は違うところが気になった。

 男女の社員の幽霊が出るという話。つまり最低二人はいる、という事だ。

 ただ、気がつくといなくなるとはいえ仕事をしている姿を目撃する事から、彼らが出没するのは人目のある階だ。そうすると七階の幽霊はその男女とは別なのではないだろうか。


(……ひょっとしたら幽霊は三人いる?)


 しかし早瀬をこれ以上怖がらせない為に、山田は佐々木に質問する事をやめておこう───ちょうどそう考えた瞬間だった。電話が鳴った。


 どうやら外部からの着信らしく、電話の外線ランプがついている。


「わ、びっくりした……! もう、佐々木さんが変な話するから!」


 早瀬は佐々木を睨む振りをして、電話に手を伸ばす。


「ああ、待って早瀬さん」


 佐々木がそれを止める。


「それ出なくていいよ。お客さんが急ぎなら、担当か部長か社長に直接電話してくるでしょ。もし出ても何かの依頼だとしても、うちの取引先はみんな時間外だし対応出来ないよ。出なくていいって」


 どうせなんかの営業だよ、と付け足して佐々木は電話を見た。


 確かにこの会社───いやこの業界は、十八時半をすぎたら取引先や工場も時間外で、電話が繋がることはまずない。

 繁忙期やトラブル時はまた違うが、基本的にはこの会社も取引先も営業時間内にしか連絡がつかないのは周知されているのだ。

 実際、時間外にかかってきた電話を山田が取ったときは駐車場や転職の営業電話だったことがあったので、佐々木の電話はどこかの営業だ、というのは概ね正しい。


 三人はなんとはなしに電話を見つめ、コール音が鳴り止むのを待った。


「あ」


 コール音が止まった瞬間、電話に一番近い早瀬が声をあげた。


「誰かが社内で電話取りましたけど……え、七階? え?」


 会社の電話は、外線電話を誰かが取ると、取った階の内線ボタンが赤く光る仕組みだ。

 電話の七階の内線ボタンが赤く光っていた。


 会社に残っているのは、山田と早瀬と佐々木の三人だけで、他には誰もいない。一階で他の社員が帰るのを見送りながら仕事していたので、間違いない。

 ……間違いないはずなのだが。


「……」


 考えたくはないが、七階に不審者が潜んでいて電話に出てる、という可能性を山田は考えた。

 佐々木も同じように考えたようで、慌てて七階を確認しに階段を上がっていった。


 山田と早瀬の二人は、万が一佐々木が不審者に倒された場合を想定して、不審者が一階に降りてきたらすぐに逃げられるように出入口のドアを開けておく。


「……あの、七階の人、まだ電話出てますけど」


 早瀬が電話をチラチラ見ながら言う。


 電話に出ている間は内線ボタンは赤く光続ける。それはまるで電話で用件を聞いているかのように、佐々木が七階に到着して電話を切るまでボタンは赤く光っていた。

 残念ながら佐々木によると、七階には誰もいなかったらしい。ただ、内線ボタンは押されていただけだったと。

「残業なんてするからだよ」と言う佐々木に追い立てられるようにして、三人は会社を出た。


「実は本当に不審者がいて、まだ隠れてる可能性あるのでは?」


 帰り際、幽霊より不審者を疑う山田に、会社の扉を施錠した佐々木はのんびりと答えた。


「うーん、でも幽霊がいるからねえ。もしいたとしても大丈夫じゃない?」








 山田はそれからたまに、会社で天井を見上げて、七階の幽霊の事を考える事がある。

 電話に出られるという事は、江戸時代や明治大正ではなく、昭和に入ってからの社員なのではないだろうか。そして誰も電話に出なかったから、幽霊なのに電話に出てしまったのだとしたら相当せっかちな人だ。


(せっかちで絞込めば意外とわかるかもしれないけど……)


 しかし複数いる幽霊の一体が在籍した時代を特定したとて、会社が存続する限り増えることはあっても減ることはない。そして誰も困らなければ彼らはそのままだ───だから幽霊を見ていない山田も、今日もそのまま、何も変わりはない。



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