第36話 知らない誰かが名前を呼んだ
「ふぅ……」
実況席から控室へ戻る通路は、思ったより静かだった。
どこか遠くで歓声が響いてはいるけど、
さっきまでいたあの熱狂と比べれば、まるで別世界だ。
控室の椅子に腰を下ろし、再び水筒に口をつける。
(第二試合、なんとか乗り切った……!)
まだ心臓の音が速い。
けど、呼吸は落ち着いてきた。
あの速度のバトルを実況しきれた自信――まではいかないけど、
「ちゃんと最後までできた」という実感だけはあった。
モニターに目をやると、いまは会場のミニイベントが映っている。
参加型の軽い余興らしく、観客席から選ばれた人がステージに立って
体感魔法ゲームで遊んでいるようだった。
> 《実況おつかれさまでしたー》
> 《さっきの試合マジで熱かった》
> 《あのスピードでちゃんと伝えてくれるの助かる》
> 《声、疲れてない?大丈夫?》
> 《リオナさんって最近よく見るよね》
> 《てか実況で名前覚えた説ある》
(……あ)
ふいに胸の奥が、じわっと温かくなる。
(知らない誰かが、“リオナ”って言ってくれてる)
いつもの配信では、コメント欄に並ぶ名前もなんとなく見覚えがあったけど――
今日は、完全に“初めまして”の人たちがたくさんいて。
その人たちが、自分の名前を呼んでくれてる。
(街で出会った人でも、試合を見に来た観客でも、
画面越しの視聴者でも、こうやって“つながる”んだ)
「――そろそろ、第三試合の準備が入ります。実況者の方は待機をお願いします」
控室のドアの外から、スタッフの声。
私は軽く返事をして、椅子から立ち上がる。
水筒をキャップで閉じ、通信端末をホルダーに戻してから
ヘッドセットを持って、扉の前で一度深呼吸。
(名前を呼ばれるって、こんなに力になるんだね)
マイク越しの声が、いつか届いて、
届いた先から、また私の名前が返ってくる。
「よし。次も、いこうか」
控室の扉が、音もなく開いた。