馬車の車輪は回り出す
王都中心地に近い一等地。
その一角に立つ、グローヴズ侯爵邸の一室には三人のメイドが集い、盛り上がっていた。
「まあ、お嬢様、やはりお似合いですわ!」
「ええ、本当に!」
三人のうち一人は、この侯爵家の令嬢ユーフェミア。
理由あってメイド姿になっていた。
「本職が、そう言うのなら自信が持てそうよ。
わたくし、他のご令嬢方より背が高いものだから、悪目立ちするのではないかと心配だったの」
「お嬢様! ピシリと背筋の通ったメイドは、女装メイドや護衛メイド等々を匂わせますわ。誰かの趣味にピンポイントで刺さる、尊いものでございます!」
「……褒められたのかしら?」
「お聞き流しを」
鼻息の荒い後輩メイドに、チラリと冷たい視線を送る先輩メイド。
『後で言っておかなくちゃ、仕事は仕事、趣味は趣味。
目の前の光景を心のスケッチブックに高速描写しつつも、興奮は表に出さない。侯爵家のメイドたるもの、それくらいは出来ないと務まらないわ』
心のチェックリストに説教項目を書き込みながら、先輩メイドはお嬢様に化粧をする。
「お嬢様は素がよろし過ぎますので、いつも地味目にメイクを施させていただいております。
これ以上、地味には出来ませんから、知った方がご覧になっても一見ではわからないように、顔をお作りいたしますわ」
「あらまあ、すごいわ!」
丁寧ながら素早い仕事の仕上がりに、令嬢は歓声を上げる。
「先輩、素晴らしいです!」
「褒めるより覚えて!」
「はい!」
不測の事態が発生した場合、これと同じことを後輩メイドがしなくてはならない。
一度見ただけで真似できなければ、ここでは通用しないのだ。
「次は、あなたにやってもらいますからね」
「畏まり!」
そうして令嬢とは別人のようなメイドが出来上がった時、部屋の扉を叩く者があった。
「お嬢様、お客様がお越しです」
「あら、何か予定があったかしら?」
「ご婚約者のウィングフィールド辺境伯ご令息がお見えに」
「まあ、今日、王都に着くことは伺っていたけれど、お会いできるのは明後日だったはず」
ユーフェミアは学園卒業後、辺境伯家嫡男ダライアスに嫁ぐ予定だ。
彼女は最終学年に進級したばかり。
貴族学園の最終学年は、将来へ向けての準備が最優先される。
騎士団を目指す者は、見習いとしての実地訓練に参加し、文官を目指す者は王宮での臨時アルバイトに応募する。
それらは推奨され、単位の対象となるのであった。
卒業後すぐに婚姻する令嬢が、婚家や婚約者と親睦を深めることもしかり。
さすがに休日のデートが単位の対象になることはない。
しかし、遠方の婚家の領地へ手伝いに行くなどという大義名分があれば、単位の取得も可能らしい。
ユーフェミアの婚約者であるダライアスは、五歳年上。
既に辺境伯家の騎士として立派に仕事をしていた。
だが、将来の辺境伯としては王都での社交も大切である。
婚約者との交流を含めた諸々のことを、この一年間に消化すべく、一人王都へ出てきたのであった。
「今から着替えたら、お待たせしてしまうわね」
「ご用件を伺うだけなら、このままでもよろしいのでは?」
「そうね。では、応接室の方へお通ししておいて」
従僕が戻っていくと、二人のメイドは意味ありげに微笑む。
「お嬢様、チャンスですわ」
「何のことかしら?」
「このお姿を、見知った方が見破れるかどうか、試せます」
「まあ、本当ね」
「お嬢様は見習いメイドということにいたしますので、とりあえず、お口は開かぬようお願いいたします」
「わかったわ」
「失礼いたします。
ダライアス様、ようこそお越しくださいました。
お嬢様は少し遅れていらっしゃいます」
応接室で待っていた男は、見知ったメイドの声に顔を上げた。
「ああ、突然済まない。
いや、今日はユーフェミアに会いに来たわけではないのだが……」
「まあ、お会いになりたくない、と?」
「まさか、そんなわけないだろう!」
「安心いたしました」
「ユーフェミアに会えるなら、もっとこざっぱりした格好で来たかったんだが、緊急事態が起きてしまって」
いくら、何事にも素早く対応の辺境伯領騎士とはいえ、侯爵家を訪ねるのに旅装のままというのは珍しい。
気さくで、やや脳筋の彼でもその辺は気になっているようだ。
「お急ぎでしたら、私がご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、辺境伯家の王都屋敷のことなんだが……」
辺境伯家の主戦場は辺境伯領。
なので、王都屋敷は必要最小限で、少数の使用人しかいない。
主人一家の誰かが来る時は、臨時で人を雇っているという。
「実は、執事が体調を崩してしまって」
他にもいろいろ偶然が重なり、辺境伯領への連絡すら間に合わなかった。
ダライアスが着いた時には、料理長が出迎えに出たほどだという。
「とにかく、私がいたところで、執事の世話も満足に出来ないのだ。
人手を手配するにも要領を得ず時間がかかる。
そこで申し訳ないが、侯爵家から使用人を借りることが出来ないかと思って来たのだが……」
「それは、さぞやお困りでしょう。
あいにく、王都屋敷を預かっていらっしゃる坊ちゃまは執事を伴って外出しておりますので、正式な手配はお帰りを待ってからになります。
とりあえず、こちらの見習いメイドと乗っていらした馬車でお帰りください。
追って、手伝いの者を派遣いたしますので」
「見習いメイド?」
そこに来て、ようやく背の高いメイドに視線をやったダライアス。
黙ったまま、軽く微笑むメイドは背が高い。胸がデカい。
そして、見習いメイドにしては緊張感が薄く、大らかそうな雰囲気。
まるで、自分の婚約者みたいだな、と彼は思った。
彼女とは二年前に、ここを訪れて以来会っていない。
誕生祝いの席でダンスをした時に感じた、動作の癖や身体つき。
そこから二年経過すると、このくらいになるのではと妄想、いや想像していた形に近いメイド。
もしや、という考えが過ったが、そうだとしても理由がわからない。
例えば、自分をもてなすために仮装してみたとか……
いやいや、それはあまりにも自分だけが嬉しい妄想に過ぎる。
それに、突然の訪問だったのだ。有り得ない有り得ない。
侯爵家の令嬢が、メイド服で客をもてなすなんて。
「猫の手も借りたいところだ、よろしく頼む」
背の高いメイドは、黙ってお辞儀をした。
「ダライアス様、済みません。
御者台に大きなささくれがありまして。
メイドさんと一緒に、箱の中に乗っていただけませんか?」
馬車に戻ると、御者にそう言われた。
御者は、辺境伯領から共に馬で駆けて来た騎士だ。
「いや、しかし」
メイドは若い女性。馬車とはいえ、二人きりになるには躊躇いがある。
「御者台の後ろの窓を開け放しておきますし、ダライアス様のことは皆、信用しておりますから」
「信用……いや私のことより、彼女が気にするかどうかではないか?」
「確かに。あの、貴女はダライアス様と同じ馬車に乗っても大丈夫でしょうか?」
メイドは黙ったまま、微笑んで頷いた。
表情によっては、やはり自分の婚約者を思い出させる顔。
ダライアスは、つい見惚れてしまった。
「では、そろそろ出発しましょう」
御者に声をかけられ、ハッとする。
慌てて乗り込むと、馬車の車輪は回り出す。
使用人と言えど、年若い女性と馬車の中で隣り合い、肩を触れ合わせるわけにはいかない。
となれば対面して座ることになる。
すると、その姿がついつい目に入る。
とうとう目が合って、メイドが首を傾げた。
これは、自分の視線が訝しいのだろう、とダライアスは思う。
「済まない。
君が、あまりにも私の婚約者に似ているような気がして。
……そう言えば、彼女に挨拶もせずに辞してしまったな。
久しぶりに、顔を見たかったが。
二年ぶりだ。更に美しくなっているだろう」
目を瞠るメイドに、彼は苦笑しながら頼んだ。
「独り言だ、聞かなかったことにしてくれ」
メイドが頷くので、ダライアスは言葉を続ける。
「ユーフェミアは、ずっと王都で育った。
学園に入る前ですら、都会の水が合う垢抜けた令嬢だった。
あれから二年。辺境伯領のような田舎より、王城の舞踏会が似合う淑女になっているだろうな」
窓からは、大通りに並ぶ高級店が見える。
「時々、悩んでしまうんだ。
あんな野蛮な田舎に、都会で一二を争うような美女を連れ帰っていいのだろうかと。
……だが、今更、他の女性を迎えるなど考えられない。
それで、せめてもの罪滅ぼしに、嫁入りしてもらう前のこの一年で、なるべく一緒に王都でしか出来ないデートなどで親睦を深めたいと思っているんだ。
いや、これも、私が嬉しいだけで、彼女にとっては大したことではないかもしれないな……」
「いいえ、そのお気持ち、とても嬉しいですわ」
「え?」
「ダライアス様、わたくしです。
あなたの婚約者、ユーフェミアでございます」
「え? あ? ……わっ! 確かに、その声はユーフェミア。
メイド服も似合う……じゃなくて、美しい君は何でも着こなすね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「しかし、君はどうしてメイドの格好を?」
「実は、学園祭のメインテーマが仮装ということに決まりまして。
実行委員会に属するわたくしは何に扮するべきか、メイドに相談していたところでしたの」
「……私は反対だ」
「はい?」
「メイド服は似合い過ぎる。
こんなに似合っていては、ただでさえ美しい君に、男たちが群がり寄って来るじゃないか!」
「まあ」
「君はもっと、自分の魅力がもたらす結果に危機感を持つべきだ!」
「あら」
ダライアスが思わず立ち上がった瞬間、馬車がガタリと停まる。
その勢いで、ユーフェミアの座る座席の背もたれに壁ドンの体勢になるダライアス。
「失礼いたします!
メイド隊一式、到着して、お待ちいたしておりました。
……あら、お邪魔でしたかしら?」
停まった瞬間、驚くべき速さで馬車のドアを開けたベテランメイド。
車内の様子にニンマリではなく、すんとした顔で対応する。
「いや、大丈夫だ、何でもないし何にもなかった。
……それにしても、早かったな」
慌てて馬車を飛び降りたダライアスは、そう言って取り繕った。
そこへ御者から声がかかる。
「申し訳ございません、ダライアス様。
ゆっくり、遠回りするよう、そちらのメイドさんから指示がありまして」
「御者を務められた騎士様のお陰で、お二人は久々の再会の感動を楽しまれたことかと。何よりですわ」
ダライアスが振り返ると、車内のユーフェミアは、うっすらと頬を染めていた。
「では、私はお嬢様を連れて帰ります。
万能系のメイドを取り揃えておりますので、何なりとお申し付けください。
失礼いたしました」
「ユーフェミアを、もう連れ帰ってしまうのか?」
「このお姿を他の方に晒すわけには行きませんので」
「……そうだな」
「ダライアス様」
ユーフェミアが、馬車内から婚約者を呼んだ。
「ちょっと、こちらへ」
呼ばれたダライアスが、扉内を覗く体勢になる。
ユーフェミアは席を立ち、婚約者の額にそっと口付けた。
「次のご訪問をお待ちしておりますわ」
「ああ」
不意を突かれたダライアスは、しばらく夢の余韻に浸った。
訪問予定日には無事、花束を抱え、婚約者に会えた辺境伯令息。
落ち着いて考えてみると、侯爵家令嬢とのあんなハプニングはなかなか起こることではなく、ベテランメイドの大手柄と言える。
ダライアスは、流行りのショコラティエで婚約者への土産を見繕ったが、ついでにメイドたち用にお徳用大箱も購入したのであった。
しばらく後に開催された学園祭当日。
メイド服を反対されたユーフェミアは検討の結果、執事服を採用。
背の高い彼女は、これも見事に着こなした。
当日は、ダライアスも一般客として学園に赴いた。
執事服でも油断はできない。彼女に群がる男子生徒がいたら蹴散らそうと決心していたのだ。
しかし、ユーフェミアの周りに群がっていたのは下級生女子たち。
か弱い女子生徒を蹴散らすわけにもいかず、ダライアスは指をくわえて遠くから見守るしかなかったのだった。