ライダー
タカシが気がつくともう朝になっていた。小さな神社の社の裏で眠ってしまったらしい。ミンミンゼミが鳴いている。季節は夏だった。さあどうしようかと思いあぐねていると傍らに見覚えのある白い服となにやら大きなビニール袋のようなものがあった。「これって俺の服じゃん。」そう思って服を拾い上げてビニール袋のような半透明の塊を突くとぱらぱらと砕け散った。それは人間の形をしている様だった。
「気持ち悪いな。」
と呟こうとしたが声は出なかった。改めて手を見て驚いた。自分の手が自分の手じゃなくなっていた。棘がたくさん生えていた。身体も変わっていた。皮膚が浅黒く分厚く固まって所々切れ目が入っていた。顔は?と社の割れたガラス窓に映すと怪物が映っていた。なんだこれ虫?ガラスに映った自分の顔をまじまじと見た。大きな複眼と眉間の触覚と異様な口元。理解が追いつかなかったがたぶん半透明のやつは自分の抜け殻だと悟った。しばらく食いいいるように見つめていたが人の気配を察して我に返った。こんな姿を見られては大変だ。タカシは神社の裏手の森に身を隠す事にした。
森は小高い里山に続いており道無き斜面を草をかき分け登っていく。この身体に変身してから身体が軽く頭も靄が晴れてすっきりした感じだ。
外に出られた開放感と空腹感を感じていた。
頂上付近まで登って周りを見渡した。大きめの川と手前に並行して走る高速道路、川の向こうの高台に住宅地が広がっている。その先に高層ビルがまばらに小さく見えた。
「いい眺めだなぁ、ここ相模原じゃん。」
呟いたが相変わらず声は出ず紙を丸めた時のようなかすれた音が出るだけだった。
「あの病院みたいな所での変な治療のせいだな。」
自分の変わり果てた手を見てそう思った。もっと上から景色を見ようと今度は木に登ってみた。小さな棘の付いた手や足のおかげで楽々と登れる。
天気は良く晴れて遠くまで見通す事ができた。遠くにヘリコプターが飛んでいた。穏やかな日常の風景を眺めながら自分の身に起きた大事件をなんとか受け止めようとしていた。
夕方暗くなるまで山の中に潜んでいた。その間こっそり菜園のトマトやきゅうりを拝借して空腹を満たした。唇が無いためうまく食べられずトマトの汁だらけになってしまう問題が発生した。それと木登り以外にも木と木の間を飛び移れるような跳躍力と運動神経があることを発見した。視界も複眼のためか広くなったようだ。虫人間のような見た目通りの能力を得たようだった。
「人間の姿に戻れるのかな。」
「冬は越せるのか。」
虫の短い寿命を思い不安になった。あの病院に戻ろうかとも考えたが戻ったら今度は厳重に監禁され死ぬまで実験台にされ死んだら昆虫標本にされる。だから絶対に戻るのはやめようと思った。
「でもあの先生にはもう一回会ってどういう事か聞いてみないとな。」
「あの建物から出てきたら尾行してご自宅に伺えばいいな。」
今後の方針を決めた事でタカシの心は少し落ち着いたのだった。
夜になり人通りが無くなってきたのを見計らって街方面へ行ってみる事にした。跳躍力を使って電柱に飛び移ったりして新しい能力を使う事が楽しくなっていた。
「高圧電線に気をつけないと黒焦げだぜ。」
とうそぶく余裕が出てきた。食べる物を見つけようとしていたがお金を持っていないしこの姿でお店に入るわけにはいかない。電柱の上からどこかに忍びこめやすそうな店がないか物色していた。
高い塀に囲まれた解体屋を見つけ何気に中を覗き込むと数台バイクが置いてあるのを見つけた。
「バイクだ。」
バイク事故で一回死亡したタカシだったが興味は失っていなかった。
敷地内に降り立つと一台の見たことの無い大型バイクに近寄った。
「こんなの出てたっけ。」
「改造車だな。ストファイだ。」
「なんだこれ、盗難車か。」
バイクの脇にしゃがみこんでいろいろ観察していると不意にセンサーライトが灯りちょっとびっくりした。
「これは俺が貰っておこう。」
大胆になったのは虫人間に変身して異様な運動神経を手に入れたせいなのか。解体屋の事務所のドアを力ずくでこじ開け侵入した。警備システムの警告音が鳴り響いている。バイクの鍵束を見つけると合いそうなキーを選んで差し込んだ。セル一発で目覚めたエンジンをふかして調子を見る。出入り口の扉に掛かっているぶっとい鎖を手刀で断ち切り重い扉をスライドさせて開いた。
「セコムしてますか?」
と掠れ音で呟いてからバイクを発進させた。
久々にリッターバイクの加速を楽しんで何台か対向車とすれ違ったタカシはノーヘル状態に気がついた。
「ヘルメットは義務ですよ。」
早速バイク用品店を見つけて調達する事にした。店から離れた目立たない所にバイクを止めて屋根伝いに店まで移動。器物破損を最小に抑えるため裏口のドアの鍵を壊して侵入。手早く自分に合いそうなヘルメットと上下ウエアを取ってセキュリティの警告音の鳴り響く店内を後にした。
バイクまで戻るとウエアを手足の棘に引っ掛けないように注意深く着込んだ。ヘルメットはLサイズを持ってきたが変身して頭部が少し大きくなっているのかきつくて入らない。
内装材をむしり取ってむりやりかぶるとなんとか収まった。触覚がシールドに挟まってちょっと邪魔だったしせっかくの複眼の視界がフルフェイスヘルメットの開口では狭くなってしまった。手足はそのままだったが一見するとバイクに乗る人の見た目になったのでOKにする事にした。バイクに乗ってれば怪しくないだろう。深夜の街道をぶっ飛ばしながらタカシはふとこんな感じで空き巣をして暮らしていこうかなと思った。