潜伏
甲武ヒロシは意識を取り戻した。
マシンが突然倒れて頭を打ったのを思い出した。故障かなにか?それにここはどこだろう。研究所の外じゃないか。ここまで歩いて来た記憶は全く無かった。
そこはどこかの国産車メーカーのディーラーの駐車場だった。自分を乗せたマシンは物陰に隠れている様だった。脳波検出ヘッドセットは自分の首に掛けてあった。
不意にマシンが素早く動いて充電中の電気自動車のコネクターを引き抜きドアをこじ開けた。
「おい、何するっ」
ヒロシはマシンに向かって叫んだが動きは止まらない。車の持ち主はどこかに行ってしまっている様で近くに人気は無い。マシンは大きな身体を器用に運転席に滑り込ませた。細いドライバーのような物をキーボックスに差し込み捻ってパワースイッチを押し起動させると車を発進させた。マシンの重量のためサスが深く沈み出入り口の段差で腹を擦った。モーターが小さな金属音をたてて唸り太い加速Gで身体がシートに押し付けられる。バックミラーに持ち主らしき人が追いかけて来るのが映った。ヒロシは完全に自分が動かしているのでは無い、AIが勝手に動かしているのだと分かった。早く東博士に連絡しなくては。だが携帯電話を所持しておらず身体の自由もきかなかった。
なすすべが無いとはこの事だ。甲武ヒロシはマシンが運転する車の中で何も出来ずにいた。
やっと自由に行動できるマシンを手に入れたと思っていた。それから逆戻りした現状を嘆いた。
マシンが自分の身体からケーブルを引っ張り出し車のUSBポートに差し込んだ。
独り悪態をつくヒロシにAIノバディは車のオーディオスピーカーを使って語りかけた。
「甲武様にはご不便をおかけします。申し訳ありませんがもう少しお付き合い下さい。」
わざと感情を殺した機械ぽいしゃべり方をした。
ヒロシは驚いてマシンに喋りかけたがAIノバディはそれきり何も話さなかった。
マシンをよく見る服を着ていた。どこで調達したのか特大サイズのシャツとチノパン。靴は履いていない。
運転しながら車内にあった白マスクをヒロシに掛けさせた。変装のつもりなのか。
もうNシステムを何度も通過したし車のナンバープレートも映っているだろうから警察が見付けてくれるだろうと思った。
車は東名高速に乗り渋谷方面に向かっていた。
用賀料金所を抜けるとすぐ左手にあるパーキングに車を止めた。
マシンは車内コンセントから自分のバッテリーに充電していたが満充電にはならなかった様だ。
人通りの無い瞬間を見計らって車外にで出た。
パーキングの休憩所の建物に入り階段を下って行く。
細く長い通路を抜けると地下鉄の駅に出た。
もうすぐ終電の時間だ。
AIノバディは明るい構内を行き交う酔客の形態を学習し歩き方を真似した。これでヒロシが喚いても酔っ払いにしか見えないだろう。
マシンとヒロシは渋谷方面最終電車に乗り込んだ。
都内はもうすぐ開催される東京オリンピックのため警備は厳重になっていた。それを名目に公園や地下鉄通路にたむろする浮浪者はすべて排除された。いかがわしい事を生業としている店はクリーン作戦の摘発を恐れオリンピック期間中は休業だ。
オリンピックをターゲットにしたテロを未然に防ぐためあらゆる対策がとられた。
都内への不審者の流入を阻止すべくAIによる顔認証防犯カメラの導入も進められている。全世界の主だったテロリストの情報をインプットされ防犯カメラに写ればたちどころに分かる仕組みだ。
AIノバディは甲武ヒロシの体力の消耗を考えどこかきちんとした部屋に行くことを考えていた。ヒロシは喚き疲れてうとうとしている。
ホテルなどはオリンピック関係者に全ておさえられている。この警備体制ではそもそも身分証が無い者はマンガ喫茶にすら入れない。
ヒロシを乗せたマシンはとあるマンションの前にやって来た。通りに人影は無い。
マンションをよじ登り4階の角部屋のベランダに侵入した。ネットに接続した時に「独身、長期海外出張者、都内住み、オートロック、3階以上、角部屋、セキュリティー有無」などの順に検索していき何件か出てきた候補のうちの一件だ。
セキュリティの無いのを確認し注意深く窓を壊し中に入った。マシンはカーテンを閉め部屋の様子を確認し灯りを点けた。ヒロシは目を覚まし またどこか知らない所にいる事に気付いた。
「どこだよここは。」
とまた騒ぎ出すヒロシの口をマシンが押え「静かにしないと殺す。」と書いた紙切れを見せた。
「助けて下さい。」
と泣き始めるヒロシをマシンはただそのままにするだけだった。