第9話:山賊・バーリン
冷んやりとした、湿った空気を肌に感じて、気がついたら大男の横にいた。酒と汗が混じって腐ったような匂いが鼻をつく。手が自由に動かない。
(縛られてる⁉︎ なに、この状況・・・⁉︎)
ゆう子はとっさに頭を上げて周りを見渡した。
(あ、頭痛い・・・っ!)
後頭部の内側から、つり鐘を鳴らされたような衝撃を覚えた。
かがり火の明かりで、横の大男と10人ほどの毛深い不潔そうな人が岩に座ってこちらをじっとり見ているのがわかった。物騒な武器を持ち、まるで腹をすかせた狼のような野蛮な集団だということが肌で感じとる。
(どう考えても、まずい状況ね・・・。そうだ、ローレンス! どこ⁉︎)
ふたりの男が、手足をロープで縛った状態のローレンスを大男の前に連れてきた。おでこは血で染まり、刺された左の腕は赤黒くなっていた。どさっと投げられ、地面に顔がこすれる。ローレンスは、上半身を起こし、チャンスがあればいつでも反撃するかのように、刺すような目で大男をにらみつける。その目が気にくわなかった。ドスっと腹を蹴られ、顔を殴り飛ばされる。しばらくサンドバッグのように袋叩きにされ、血反吐が何度も岩に飛び散った。
「ちょっと! やめて!」
ゆう子は、恐怖で胸が張り裂けそうになりながら叫ぶ。
大男は、ねっとりとゆう子を見た。白目が多く、何人も殺してきたような目つき。油ぎったドス黒い肌に赤い鼻。すべての欲をのみ込んできたような大きな口。カブトをかぶっている。体毛が濃い。分厚い筋肉と、張り裂けるような大きな腹。何ヶ月も洗っていないような、シミだらけの衣が、胸の大きな甲冑からはみ出ていた。かがり火に反射して、にぶく光る大きな鉄の斧がそばにある。
「だまってろ。おまえはあとでゆっくり楽しませてもらう」
(ぐぅ・・・なんて卑劣なやつ・・・!)
「ああそうだ、いまでもいいぞ」
(ええっ⁉︎ ちょ、ちょっと待って・・・!)
ゆう子は、大男にあごをつかまれ、顔が至近距離になった。
(やばいやばい! こいつ・・・本当にやばいし臭い!)
涙目で、力の限りからだをのけぞり抵抗する。
「おい・・・エイミーにさわるな」
ローレンスが、からだをゆっくり起こしながら静かに口を開く。
「目的はおれなんだろ? おれを先にやれ」
ローレンスは、いまにも人を殺すかのような凄みのある目で大男をにらみつけた。
「おい・・・じゃない。バーリン様だ」
バーリンは、じっとりローレンスを見下ろし、あらん限りの力で蹴り飛ばした。そのいきおいで、ローレンスは荒く削られた岩にからだを叩きつけられる。その場で痛みを散らすようにうずくまった。
「ローレンス!」
ゆう子は、全身の細胞が縮こまり、思わず目をそらしてしまう。
バーリンは、うずくまっているローレンスの髪をつかみあげ、自分の顔を近づけた。
「第2騎士団団長さん。おまえの部下はあの日で何人減った?」
バーリンは、にやにやした顔で、ローレンスを挑発するように問いかける。子分たちが噴き出すように笑った。
ローレンスの瞳孔がいっきに収縮し、ゾワッと全身の毛が逆立つ。
「・・・いま、なんて言った?」
ローレンスは奇襲にあった日の記憶が、押しよせる津波のように頭の中を駆けめぐる。
「たしか、モリス卿って言ったか? おまえのことが、おきらいのようだ。平民は、平民らしく、ぼろ雑巾のようにして消してほしいとのことでね」
いまにも刺し違えるかのようなローレンスの怒りが、ゆう子に伝わってくる。
(ローレンス、気持ちはわかるけど抵抗しないで・・・!)
それからどれくらい時間が経ったかわからない。ローレンスに浴びせられるにぶい音が絶え間なく聞こえる。暴風雨が横なぐりに叩きつけるかのように、ローレンスへの打撃は止まなかった。バーリンの子分たちは、ただその様子をみて、性欲を満たすかのように、にやけて楽しんでいた。
ローレンスが動かなくなった。
「ふう。そろそろ、ぼろ雑巾になったころか?」
少し息が荒くなったバーリンがローレンスの胸ぐらをつかんで言った。
首がうしろに垂れて、ローレンスに意識があるのかないのか、ゆう子からはよくわからなかった。ただ、ホコリまみれになったシャツに飛び散ったおびただしい数の血反吐だけはわかった。
「ローレンス!」
ゆう子は、ローレンスの名を呼ぶのが精一杯だった。
(マジで、しっかりしなさい、ローレンス! こんなとこでくたばるんじゃないわよ!)
ローレンスは、震えながら頭を起こし、射るような視線をバーリンにおくる。そして、バーリンの顔に唾を吐きかけた。
(よし! ローレンスはまだ生きてる! でも、唾なんか吐くんじゃないわよ! また殴られるじゃない! バカ!)
ゆう子は、安堵と怒りが交差して内側が忙しい。
「ちっ!」
バーリンは、ローレンスを投げ捨て、鉄の斧を手にした。
(ちょっと、さすがにそれはダメ・・・!)
ゆう子は、とっさにバーリンの腰の服を噛んで止めようとした。
「この女!」
一瞬で近くにいた子分に引きはがされてしまった。ひざで背中を押さえられ、地面にうつ伏せになって身動きがとれない。
「エイミーから離れろ・・・」
ローレンスの虫のような声が聞こえた。
(これは・・・絶体絶命っ・・・。このまま、本当になにもできないの・・・?)
バーリンが、のっしのっしローレンスに近づく。斧を大きく振りかぶり、ローレンスの首をねらう。ローレンスは、目を伏せたまま動かない。
「お願い! やめて!」
(マジでやめなさい!この豚野郎!)
「ん? なんだか外が騒がしいな」
バーリンは外の異変を感じて振りかぶった斧をわきに降ろした。洞窟の岩にはね返った多数の叫び声が聞こえる。
(ほんとだ、なんか聞こえる)
「バーリン様! 王宮の奴らが攻めてきました! 囲まれています!」
(え⁉︎)
「ちっ、なぜここがわかった! とりあえず、こいつだけ始末する!」
バーリンは、もう一度、斧を振りかぶり、ローレンスの首に向かって振り下ろした。
ゆう子は、時間が止まったように声が出ない・・・!
キ―――ン!
耳から頭を突き抜けるような甲高い音が鳴り響き、ゆう子は薄目を開けた。バーリンの斧が途中で止まっている。ローレンスの前になびく白銀の髪に赤い外套。キラリと光る長身の刀にバーリンの斧が食い込んでいる。
「すまない、遅くなった」
コールマン団長が腕に力を集中させながら、肩越しにローレンスを見て言った。
「コールマン団長⁉︎」
ゆう子が黄色い声をあげた。
コールマン団長に続いて侵入してきた第1騎士団兵が、バーリンの子分たちと一戦を交える。
(たっ助かったわよ、ローレンス! さあ、立ちなさい!)
「わたしの部下に、これ以上、汚い手で触るんじゃない」
そう言ったコールマン団長は、洞窟内の空気が波打つほどのパワーを放ち、バーリンを突き飛ばした。
その隙に、ユトがローレンスのうしろにまわって手足の縄をほどく。
「ローレンス、待たせたな。もう大丈夫だ」
「ユ・・・ユトさん・・・?」
ローレンスがユトの存在を確かめるように言った。
3時間前―――。
騎士団屋舎の稽古場。第1騎士団と、第3騎士団が合同訓練をしている。第2騎士団兵は、その脇で見学していた。カンカンカンと木刀がぶつかり合う音が鳴り響く。
「コールマン団長」
ウィリアムがコールマン団長を呼んだ。
「山賊・バーリンの根城がわかりました。西の森にある洞窟です。いまから馬を走らせると日没前までには着く距離です」
コールマン団長の上半身がザワッと反応する。
「なぜ・・・いまからなんだ?」
コールマン団長は、刀が光るような目でウィリアムを見て言った。
ウィリアムは耳元ですべてを報告する。
「なにっ・・・ローレンスとエイミーが⁉︎」
コールマン団長は、それを聞くなり、大地をのみ込む集中豪雨のごとく、頭の中でありったけの知恵と思考を駆け巡らせた。
「おいクリス、ローレンスになにかあったのか?」
そばにいた第3騎士団団長ロイド・オーベルライトナーの声がした。幼馴染のロイドに、やりとりが聞こえていたらしい。
コールマン団長は、ロイド団長の肩をポンとたたき、稽古場の一番高いところにのぼって兵を見下ろした。185センチメートルの長身。肩に触れる白銀の髪の毛が、頂点の太陽の光に反射してシルクのように見える。氷河に浮かぶ氷のような、蒼いダイアモンドの瞳。オリーブ色の分厚い団長服から、騎士団長だけがまとえる赤い外套が風になびく。
コールマン団長は、鼻から大きく息を吸い込んで肺いっぱいに空気を送った。
「みんな、聞いてくれ!」
コールマン団長の声が、稽古場一帯に響く。ロイド団長は、コールマン団長を下から見守る。
木刀の音がピタリと止まり、300個以上の目という目がコールマン団長に突き刺さった。
「これから、ここにいる第1騎士団と第3騎士団で、山賊・バーリンが根城にしている西の洞窟へ攻撃をしかける! 最近の調査で、多くの民が襲われ、犠牲になっているとの報告がある。この国の反乱因子として、今日の日没までに一掃することになった!」
兵たちたがザワザワしはじめた。
「いまから?」
「こんな急に?」
コールマン団長は、一呼吸おいて続ける。
「そこに第2騎士団団長ローレンス・エドワードが拘束されている」
兵たちにピーンと緊張が走り、あたり一帯が深海のようにしんと静かになった。
「我々の任務は、山賊の討伐とエドワード騎士の救出! これは、この国の存亡にかかわると思え! エドワード騎士なくしてこの国を守れるほど情勢は甘くない!」
そして、コールマン団長はありったけの空気を吸い込み、すべての内臓を震わせながら言う。
「なんとしてでも、我々の最強騎士を奪還せよ!」
コールマン団長の場を震かんさせるオーラで、兵たちの士気が一気に高まった。空気の振動が肌で感じられるくらいの絶叫が王宮中に響き渡る。
「ウィル、このことを陛下に伝えてくれ。第4騎士団には留守を頼むと」
コールマン団長は、下に降りて、静かにウィリアムに指示を出す。
「わかりました。こちら、奴らの洞窟までの地図です。すでに偵察部隊を出して、敵の動向を探っています。この時点で落ち合うように指示しました」
ウィリアムは一枚の茶色い紙をひろげて言った。
「わかった。そして、ひとつ頼みたいことがある」
そう言って、コールマン団長は耳打ちをした。
「救護団の・・・ですか? はい、わかりました」
ウィリアムは命令を把握し、王の御殿に向かって姿を消した。
「ロイド、わたしが先頭で、洞窟内に侵入する。すべての出入り口を囲み、援護を頼みたい」
コールマン団長は、早口で言った。
「ああ、まずは偵察部隊と合流してからだな」
ロイド団長は、慎重な姿勢を見せる。
「数はこちらが倍以上だ。ふくろのねずみにする」
コールマン団長の、尖ったつららのような鋭い目が光る。
「・・・はぁ、わかったよ」
ロイド団長は、こうなると聞く耳を持たないとばかり、ため息混じりに反応した。
「ローレンスとエイミーを、見つけしだい救出する」
「エイミー? だれだそれは」
ロイド団長はコールマン団長の顔をあらためて見て言った。
「ローレンスに必要な人だ」
コールマン団長は即答した。
「そうか、わかった」
ロイド団長はうなずく。
「おい、クリス。くれぐれも油断するなよ」
そう言って、ロイド団長は第3騎士団の方に向かった。
「・・・油断? あいつは、だれに向かって言ったんだ?」
コールマン団長は、自分の腹でうごめくドロドロしたものを感じながらつぶやいた。
分厚い団長服を脱いで、兵が持ってきた鎧を装着する。深海のような青みがかった鉄がコールマン団長の上半身と腕をおおい、赤い外套が太陽に反射して、ところどころに紫の光を帯びていた。
「コールマン団長、騒がしいですな。これから出陣でも?」
モリス卿が通りかかって、コールマン団長に声をかけた。
「モリス卿・・・。あなたがどうしてこんなところに?」
コールマン団長は、氷にヒビが入るかのごとく反応した。
「威勢のいい騎士団兵の声が、王宮中に響いたものでね」
モリス卿は、上がりたがる口角を必死に下げながら言った。
「エドワード団長が、何者かに拐われました。これから救出に向かいます」
コールマン団長は背を向けて手短に答えた。
「ほお、それはそれは。まったく、エドワード騎士は団長に任命されてからついてませんな」
モリス卿は、コールマン団長を引きとめるように話を続ける。
「初遠征での壊滅に、自身も重傷を負った。さらに今回は、憧れのコールマン団長に丸腰で町に出されて拐われるなんて。あなたも、さぞかしそのご決断を後悔されているかと」
口元が震える。これ以上にない優越感がモリス卿に流れ込む。
「後悔?」
コールマン団長が半身だけモリス卿に向けて言った。
「ふっ、モリス卿。あなたは大きな誤解をしているようです。我々、騎士団兵は、いまを生きる精鋭部隊。後悔という文字は、最初から持ち合わせていません。一刻を争いますので、失礼します」
そう言って、コールマン団長は、出陣準備が整った騎士団兵の中に消えていった。
「ご武運を」
モリス卿は、とうとう我慢できず、にやつく顔を皮膚から出した。
第2騎士団兵のホセが、決死の形相でコールマン団長に駆け寄ってきた。
「コールマン団長! わたしたちもいっしょに行かせてください! エドワード団長は、我々の団長です!」
ホセの周りに20人ほどの第2騎士団兵が集まり、コールマン団長に志願する。
「おまえら、怪我の具合はどうなんだ?」
コールマン団長が、馬にまたがりながら聞く。
「問題ありません!」
みな、口をそろえて答えた。
「ふっ、いいだろう。ただし、前線には出るな。援護に集中するんだ、いいな?」
コールマン団長は、ローレンスとホセたちの姿が重なった気がして微笑した。
「ありがとうございます!」
第1、第3騎士団は一斉に出発した。