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第7話:研修2日目

 ピッピピ、ピッピピ―――。


 見覚えのない天井。ゆう子は、うっすら目を開けて、しばらく動かなかった。


 なんとか手を伸ばして、鳴りっぱなしのスマホのアラームを止める。


「6時半・・・」


 ぐ〜っとからだを起こし、あたりをゆっくり見渡す。


「ホテル・・・?」


 ベッドの横にあった大きな鏡には、大澤ゆう子 が映っていた。


(夢・・・だった? でも、からだが火照ってる)


 ぽ〜っとしたまま、軽く朝食を済ませて、研修会場に向かう。まるでフワフワ宙に浮いているように、からだの重さを感じない。


 都会の人々が動きだす1日のはじまり。ゆう子は、パソコンが入ったカバンを下げて、コツコツと、また慣れないヒールでビルの間を歩く。どこまでいっても殺伐とした人の感情が、かたいアスファルトを通じて胸に染みこんでくる。からだの重さが戻ってきた。


 研修会場に着き、昨日と同じ席についた。


(はぁ・・・。ローレンスの感触がまだ残ってる。あの溶けていく感覚も・・・)


 ゆう子は、顔がボワッと赤くなった。


「おはようございます」


 立花のり子があらわれた。


「きゃーっ!」


 ゆう子は、飛び上がって席を立ち、距離をとった。心臓がバクバクしている。


(クールな瞳・・・スッと通った鼻筋・・・目にかかった髪・・・。ローレンスだ!)


「なに・・・してるんすか?」


 立花は、流氷のように、冷めた目でゆう子をあしらった。


「おっ、おはよう! 今日もよろしくね!」


 がんばって笑顔を振りまいたが、立花はすでにパソコンに向かっていた。


(あ・・・あれ? なんだろう、イライラしない・・・。昨日はいちいち心を乱されていたのに。それよりもなんだか、立花さんがかわいらしく感じる)


 そして、ゆう子の胸がチクッとした。夕日の中、手を引かれながら大通りを歩いたときの、ローレンスの背中を思い出した。


(立花さんも、必要ない感情を持ち合わせないようにしてるんだよね)


 あのときと同じ切なさが、ゆう子の心を波打つ。


「どうしたんですか? むずかしい顔してこっち見て」


「へ?」

(わたし、どんな顔してた⁉︎)


 ゆう子は、慌てて意識を呼び戻す。


「ねえ、今日お昼いっしょにどう?」


 そして、自然に言葉が出た。


「お弁当持ってきたので大丈夫です」


 立花は、表情を変えず、はじまった講師の話に耳をかたむけた。


(いいのよ〜。わたしはひとりで食べてくるから〜)


 ゆう子は、彼女のどんな態度に対しても目をこぼす。



 午前中の講義がおわり、午後から、昨日の続きでペアワークがはじまった。


 立花は、パソコンをゆう子に見せて、今日のプランを立てようとした。ゆう子は、昨日よりも資料がまとまっていることに気がつく。


「立花さん、これもしかして、家でやってくれてたの⁉︎」


「はい。それよりも、ここなんですけど・・・」


 ゆう子は、自分の知らないところで課題が進んでいることに、深い穴に沈んでいくように寂しくなった。


(立花さん・・・もっと自分にやさしくしてよ。できるからって、どこまでもひとりでやらなくていいじゃない)


 ゆう子には、立花を通してローレンスがダブって見える。


「ちょっと、なんで泣いてるんですかっ・・・!」


 立花の声にハッとした。もう、滝のような涙が止まらない。


「あなたの役に立たせてよぉ〜」


 つい、大きな声で言ってしまった。


 立花のからだ中の毛穴がゾワッと開く。立花は、ほかの研修生から、腐った魚ような目で見られているのを感じた。


「あ、あの、いてくれるだけで役に立ってますから・・・」


 ここまでくると、立花はなんとかゆう子をなぐさめにかかり、泣き止まそうとする。


「それじゃ、全然十分だって思えないのよぉ〜」


 とうとう立花は、講師に断りを入れ、ゆう子のスーツを引っぱってロビーに連れ出した。



「はぁ、マジで、なんなんですか・・・」


 立花は、ゆう子を長椅子に座らせ、ハンカチと自動販売機で買ったペットボトルの水を渡した。ぐずぐずのゆう子から1メートルほど離れて座る立花。昨日、会ったばかりのいい大人が、感情をむき出しにして泣いている。なぜか、そのめんどうを見ている自分。立花は、まるで感情を殺した能面のようになって、ぼう然としていた。


「なんなの、この時間・・・」


 立花は、小声でつぶやき、立ち上がった。


「大澤さん、落ち着いたら戻ってきてくださいね。わたし、課題を進めておきますから」


 立花は、なんだかわからないモヤモヤが、自分の言葉にトゲを刺しているのがわかった。昨日から理解を超えるゆう子の言動。実は立花も、ボディブローのようにじわりじわりと、鍋が煮えくりかえるようなイラ立ちが積もり、心を乱されていたのだった。


 幼いころから負けず嫌い。看護の世界に入る前までは、トップアスリートとして生きた。限界までからだをしぼり、いつの間にか生理も来なくなっていた。結果が出せないものは切り捨てられ、実力がなければ光に当たらない世界だった。だから、いつも自分の価値を行動で示し、自分の存在を結果で残してきた。まわりにいた人は、それで信頼してくれた。だから、その生き方が清く美しく、誇りにまで思い、いつしか高揚感さえも感じていた。


(成果につながらない行動なんて無意味。情に流されて、やるべきことができなくなるのは、ただのバカ)


 パソコンに向かう立花のタイピング音が、内側で叫ぶ声と共に、岩を砕く荒波のように強くなる。


(いまは課題を進める時間。ただそれだけ。楽しいなんて必要ない。それをすると、足をすくわれる)


 とうとう、金属バットでおもちゃを破壊するように、ダンッとキーを叩いた。


(だから、大澤さん、そんな哀れみの目でわたしを見てこないで)


 また、まわりから腐った魚の視線を感じた。


(そう、こうやって怒りに任せてモノに当たるわたしも・・・ただのバカ)


 立花は、パタンと静かにパソコンを閉じた。



 2日目の研修が終わる―――。


 ゆう子は、連日のヒールの痛みを忘れたように、昨日の占い師のところへ小走りで向かっていた。


(絶対になにか、立花さんとローレンスにしてあげられることがある)

「あれ・・・? たしかここだったのに」


 昨日、声をかけられたところに占い師の姿はなかった。あがった息を整えながら占い師をさがす。


「うそ・・・」


 ゆう子は、あたりを歩きまわる。路地という路地をくまなく入ってさがした。


(いやだ。なんでいないの?)


 荒い息づかいと小走りとともに、ローレンスと過ごした時間が、早送りされた映画のように頭の中を駆けめぐる。


(ローレンスに会いたい。いや、会わなきゃ。ローレンスは、死と隣り合わせの騎士として生きているのに、あれだけの愛を表現してくれた。あのあと、絶対になにかあったんだ。だから、立花さんはあんな非情にならないとダメなんだ)


 その辛さが胸に刺さる。また、涙がこぼれ落ちてくる。


(占い師、どこよ・・・。もう1度だけ・・・。ふたりを救いたい・・・)


 まるで戦意を失ったボクサーのように肩を落として、暗くなった夜道を歩く。


 そのままホテルの部屋に帰って来てしまった。空腹で血の気が引いていくのがわかる。涙が乾いて象の足のように硬くなった肌と、好き放題に飛び跳ねた髪の毛。鏡に映った自分の顔に嫌気がさす。


「ひどい顔・・・。エイミーは、もう少しかわいい顔してたな」


 ゴロンとベッドに横になった。魂が抜けたようにボーッとして、ただ天井を見つめる。


 ふと、占い師の言葉がよみがえる。


『過去のあなたが、会いに来てほしいって。見せたいものがあって、話がしたいって。いまの隣の人に心をかき乱される、本当の理由がわかるって言ってるけど・・・』


(エイミーは、なんでわたしに会いに来てほしかったんだろう? なにか、わたしに伝えたいことがあった? 結局、よくわからないままだ)


「ローレンス・・・」


(旦那には悪いけど、夢だったからいいよね。かなりリアルで、思いきり感じちゃったけど・・・)


 ゆう子は、吸い込まれるように天井の一点を見つめ続ける。



「幸せだったな・・・いままでで、最高の恋だったかも」



 ゆう子は、おもむろに胸に手をおいた。エイミーがそこにいるような気がして、手のぬくもりを胸の深いところまで染み込ませる。一番に考えないといけないのは、エイミーのような気がした。ずっと立花やローレンスのことばかりになっていた。ふたりの役に立ちたいと思っていた。でも、エイミーが一番自分を必要としているのかもしれない。ゆっくり目を閉じて、胸に感じるエイミーに語りかける。


(エイミー、あなたがわたしに会いたかった理由を知りたい。話そう、ちゃんと耳を傾けるから)


 手を当てている胸の深いところがあたたかくなる。ゆう子は、そのまま眠りに落ちた。

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