第3話:王宮からの要請
ゆう子がエイミーに入り込んで数週間後―――。
「はい、今日のお薬です」
ヒューバートの診療所で働くゆう子の姿があった。
「いつもありがとねぇ、エイミー。ヒューバート先生が出してくれる薬はほんとうによく効くよ」
杖のついた老婆が、ゆう子から薬を受け取りながら言った。
「無理しないでくださいね、お大事に」
最後の患者を見送り、今日1日の診察がおわった。まだ外は明るい。
町医者の娘、エイミーとして存在しているゆう子。肉体はエイミーでも、ゆう子の意識はゆう子のままだ。現役の看護師。医者の父親の手伝いは、ほとんど現世と同じ感覚でできた。
(まだこんな明るいうちに1日の仕事が終わるなんて、考えられないわね)
「エイミー、明日の患者さんの診療録を机に置いておいてくれるかい?」
ヒューバートが、診察室から顔だけ出して言った。
「はい、お父様」
ゆう子は患者のカルテがズラッと並んだ棚の前まで行く。
(だいぶ患者さんの名前も覚えてきたわ。やるわね、わたしも)
ふたりが裏口から帰ろうとしたとき、はげしく診療所の扉をたたく者がいた。
「ヒューバート先生!」
男性の声でヒューバートを呼ぶ声がする。
「お父様、急患かしら」
ゆう子とヒューバートは、顔を見合わせた。ヒューバートが表の扉を開けると、そこに兵士の格好をした男が、荒い息づかいで立っていた。
「どうしましたか、そんなに慌てて」
ヒューバートは、兵士を頭から足元まで目を往復させながら言った。
「王宮からの遣いです! 先ほど騎士団が遠征から戻ってきたのですが、負傷者が多く、王宮の救護団では人手が足りません! いますぐ支度をして我々といっしょに王宮へ来てください!」
兵士は、息を吸うのを忘れたかのように早口で言った。
「わかりました。エイミー、緊急事態だ。いっしょに来てくれ」
そう言って、ヒューバートは、すばやく身支度をする。
「は、はい、お父様!」
ゆう子の心臓の鼓動が速まって、背筋が伸びた。
ふたりはそのまま用意された馬車の荷台に乗りこみ、太陽がかたむいているのを横目に王宮へ向かった。同じように集められた人が他にもいる。
「エイミー、わたしたちは、王宮の臨時要請があった場合の指定診療所になっているんだ」
ヒューバートは、落ち着いた声で言った。
「あ、だから診療所の壁に王国の紋章があったのですか?」
ゆう子は、ふと思い出した。
「ああ。王宮に関わっているもの、すべてに紋章が入っているんだよ」
ヒューバートは、丁寧に教えてくれる。
「やあ、ヒューバート先生も呼ばれましたか。エイミー、大きくなったね」
ゆう子はペコリと頭を下げた。
「薬草をおろしてくれている先生だ。君が小さいころ、よく世話になった。なにがあったんでしょうか?」
そう言って、ヒューバートは薬草屋と話しはじめる。
「第2騎士団の任務中、敵に襲われたらしいです。エドワード様が団長に着任されてから、はじめての遠征だったみたいですね」
薬草屋は、兵士から聞いたとおりに答えた。
「そうですか。このような事態はしばらくなかったのですがね」
ヒューバートは、のどに小骨が刺さったような顔で言った。
王宮の敷地に入ってからしばらく走り、ようやく建物に近づいてきた。
「エイミー、大丈夫かい?」
ゆう子はヒューバートに声をかけられる。わたしが緊張の面持ちだったのだろう。心配をかけてしまった。
「大丈夫です、お父様。いまのわたしにできる限りのことをするつもりです」
ゆう子は口角を上げるが、つばをゴクっとのみ込みながら答えた。
「いつも通りでいいからね」
ヒューバートのやわらかい顔が、ゆう子ののどの締めつけをほぐす。
馬車はスピードをゆるめず、2つ目の門を通過し、負傷者が集められている騎士団屋舎へ向かって突き進む。
荒々しく止まった馬車。
「着きました、降りてください! あとは、救護団員の指示に従ってください!」
みな、一斉に荷台から降りる。ゆう子は父親の背中を見失わないように建物の中へ入っていった。
そこは、1階のタイル張りになっている広い講堂。負傷者が転がされるように、乱雑に運び込まれていた。奥にいる重傷者を優先に手当がほどこされていたため、まだ診てもらえていない者が中央から出口まであふれかえっている。
(ひどい・・・)
ゆう子の胸がギュウっと締めつけられた。
「もっと灯りをくれ!」
「こっちは水だ!」
救護団員の予断をゆるさない、せっぱつまった声がフロアに響きわたる。この惨状に胸が裂けるゆう子。
「あ、ヒューバート先生、こちらをお願いします!」
この場をしきっている救護団員がヒューバートを呼んだ。
「エイミー、わたしは行ってくるから、君もできることをしなさい」
ゆう子はポツンと、とり残された状態になった。
知らない土地、時代、場所、人に加えてこの惨状。それは、全身の血が蒸発していくかのように、地に足をつけさせてくれなかった。
その場に固まってしまったゆう子―――。
(どうしよう、からだが動かない・・・)
すると、いきなりガッと足首をつかまれた。
「はっ!」
我に返り、足元に目をやるゆう子。
「ううう・・・」
足元に倒れている兵が、痛みと戦っていた。
ゆう子は、その負傷した兵を前にして、自動的に看護師のスイッチが入った。兵の状態を近くでよく見る。
(切り傷に、刺されたあと。打撲による内出血もある)
ゆう子は別人になったように、目にも止まらぬはやさで救命処置をほどこしていく。これ以上にない集中力だった。
(大丈夫、からだが勝手に動く・・・)
ゆう子の精神は、だれにも踏み入れられない境地に達しているようだった。
「君、つぎはこっちを頼む!」
救護団員がゆう子を呼ぶ。
「はい、すぐ行きます!」
数時間後―――。
「ふう・・・」
気がつけば、ゆう子はほとんどの団員の処置にたずさわった。
「エイミー、よくやった」
ヒューバートはうしろからゆう子の肩をたたいた。
「あ、はい、お父様。みんな、これでなんとか一晩のり越えてもらえればいいのですが」
ゆう子は、落ち着きはらっていた。
「やれるだけのことはやったさ。これから日が昇るまで交代で看病をすることになるが、いいかい?」
ヒューバートは、おだやかに言った。
「はい、大丈―――」
「エドワード団長!」
ゆう子が答えようとしたとき、第2騎士団兵のホセが、はねる声を上げて遮った。フロアの空気がガラリと変わり、建物の入り口付近に視線が集まる。団長服のボタンを大きくはずし、外套をまとったローレンス・エドワードが入ってきた。無造作の髪の毛の下に白い包帯が見える。キリッとした表情をしていた。講堂の3分の1まで入ったところで、ホセたちに囲まれる。
「みんな、傷の具合はどうだ?」
ローレンスは集まった兵たちに話しかけ、容体をうかがった。
「はい、わたしは手当てをしていただいたので、もう大丈夫です!」
「わたしもです!」
口々に兵たちが答える。
「このようなことになって、すまなかったな」
ローレンスは、表情を変えずに言った。
「そんな、団長のせいではありません! まさか敵があのタイミングで襲ってくるなんて、だれも予想できませんでした。なあ、みんな!」
ホセは、全力で騎士団長のフォローをする。
「そうですよ、団長!」
ほかの兵もホセに続く。
「手当が済んだ者は各自部屋に戻れ。今夜はしっかり休むように」
ローレンスは、みなに向けて指示を出した。
「はい!」
そのやりとりを一部始終、近くで見ていたゆう子。
(ふっ、すごい人気だわね、立花のり子さん。ちなみに身長は175センチといったところかしら。歳は、20歳前後かな・・・。どっちにしても若いわね)
ゆう子は、この第2騎士団団長ローレンス・エドワードが“立花のり子”の過去世の姿だとわかっている。そのため、ここにいる兵や、町の民衆よりも、どこか冷めた目で彼を見ていた。
(でもこの人・・・)
なにかに気づいた。
ゆう子は、おもむろに団長のまわりに群がる兵たちの間をすり抜け、つかつかとローレンスの目の前まで歩いていった。
じ〜っと、彼の顔を見つめるゆう子。
ローレンスは、少しあごを引いて、しばらくゆう子と目を合わせた。
「団長、この方の処置がすばらしく、わたしたちは助かりました!」
ホセは、ゆう子の活躍をローレンスに報告する。
「そうか、世話になった。ありがとう。名前を聞いてもいいか?」
ローレンスは、ホセから視線をゆう子に移し、ひきしまった表情を変えずに言った。
ゆう子は黙ってローレンスを見つめたまま、ゆっくり右の手のひらを彼に向けた。沈黙が流れる間、ローレンスや兵たちがゆう子のしぐさに注目する。
すると、ゆう子はローレンスの左脇腹をポンと突いた。
ローレンスの足元が少し揺らぐ。
「なにをする!」
そう叫んだホセが、瞬時にゆう子をとり押さえた。
「お父様、この方を診てあげてください。たぶん、左のあばらが折れています」
ゆう子は、数人の兵たちに腕をつかまれたまま、ヒューバートを呼んだ。
「なっ、なんだって⁉︎」
ホセは、ひとりとり残されたように焦って、目の前にいたはずの団長を探す。足元に目をやると、ローレンスは激痛に耐えられず、その場にうずくまっていた。
「だっ、団長! 大丈夫ですか⁉︎ ヒューバート先生、はやく!」
ホセが汗を噴き出しながら叫ぶ。
ローレンスはそのまま気を失い、ゆう子の腕はほどかれた。