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第11話:研修最終日

 ピッピピ、ピッピピ―――。


 宿泊先ホテルの天井。ゆう子は、うっすら目を開けて、しばらく動かなかった。


 ムクッとからだを起こした。鏡を見る。大澤ゆう子がいた。


「シャワー・・・浴びよ」


 シワだらけになったスーツ。ゆう子は、おなかを締めつけていたパンストを脱いで、シャワーのカランを全開にした。狭いバスタブに取りつけられたカーテンを閉め、真っ白な湯気に埋もれていく。お湯は火傷するくらい熱いのに、氷のように冷たい水が天井から降ってきた。どっちも刺されるように痛かった。


 ゆう子の中でなにかが吹っ切れた。今日も立花に会う。昨日と同じような自分ではいられない気がした。なにをどうしたらいいのかわからないけれど、とにかく立花に正面から向き合おうと思った。


 スーツにアイロンをかけて、レストランで朝食をとった。まるで、何日も食べてなかったように、口にたくさん放り込んで、いきおいよく飲み込んだ。




 研修会場―――。


 ゆう子は、ロビーで水を買って、昨日の長椅子に座った。研修がはじまるまで、しばらく時間がある。


 コツコツと、だれかが近づいてくる。ゆう子の前で、足音がピタッと止まった。


「大澤さん」


 名前を呼ばれた。立花の声だ。


 ゆう子は、正面に立っている立花を見上げた。


「おはよう、立花さん。・・・どうしたの?」


 ゆう子は、昨日と立花の雰囲気が少し違うことに気づく。目の前で仁王立ちする立花。上からまっすぐゆう子の目を見ている。あらためて見ると、背筋がまっすぐ通って、バランスのいい骨格をしていた。栗色の前髪がサラッと流れて目にかかっている。


(ローレンスだ・・・)


「話をしましょう、大澤さん」


 立花は、深く落ち着いた声でゆう子に言った。


「は、はい」


 ゆう子は、立花の雰囲気に吸い寄せられるように返事をした。


 立花は、ゆう子の隣に座る。少し胸がドキッとした。ローレンスと石橋の上で座ったシーンが、ゆう子の頭をよぎった。


「たぶん、あなたが見たものすべて、わたしも見ました」


 立花は、目を下に落とし、無表情で言った。


「へ?」


 ゆう子は、立花がなんのことをしゃべっているのか、まったく入ってこない。


「あなたは町医者の娘、エイミー・ヒューバート。わたしは第2騎士団団長ローレンス・エドワードだった」


 立花は、真剣な眼差しでゆう子を見つめて言った。


「・・・!」


 声が出ない。ゆう子は、鯉のようにパクパク口を動かすかのがやっとだった。


「実は、昨日の帰り道、むらさきの服を着た変なおばさんに声をかけられましてね。過去のあなたが会いたがってるから、会ってこいって言われたんです。思いっきり無視したんですが、どうしても引き寄せられて」


 立花は、表情を変えず淡々と話す。


(あ〜、思いきり無視したんだ。ははは・・・)


 ゆう子は、無視している立花の姿を容易に想像できた。


「ん? ちょ・・・ちょっと待って」


 ゆう子は、あごがガタガタ、顔が真っ赤になる。この場から逃げ出しそうになるくらい、からだが火照ってきてしまった。


「あ、わたしはずっと斜め上からの映像で、ふたりを傍観してただけですよ。ローレンスに入り込んで、昨日の大澤さんみたいになりたくなかったので」


 立花は、ゆう子の反応を見て歯切れよく言った。


「でっ・・・でも、全部見たの?」


 ゆう子は、熱いシャワーを浴びたあとように、汗が噴き出る。


「はい、見ました。幸せそうでしたね。そんなによかったですか?」


 立花は、真顔でゆう子をのぞきながら言った。


「きゃああー!」


 とうとう、ゆう子のからだから火が噴き出した。穴があったら入りたい。


「てか、なんでそんな涼しい顔してられるのよ!」


 ゆう子は、立花のほおを平手打ちするかのごとく叫ぶ。


「はぁ〜。わたしが話したいのは、そこじゃないからですよ。てゆうか、もう少し静かにしてください」


 立花は、凍てつく氷のような冷ややかな物言いで話す。


「なっ・・・! じゃ、じゃあ、なにを話したいって言うのよ・・・!」


 ゆう子は、高まる鼓動を抑えながら、平常心を保とうとした。



「わたしたちは、これを見てどうしたいのか」



 立花が核心をついてくる。ゆう子は、また意識の矢印が自分に戻ってくるのを感じた。


「大澤さんは、どうしたいですか? わたしは、ローレンスがわたしになにを伝えたいのか知りたい」


 立花は、真剣な表情で言った。ゆう子は、立花に引き寄せられるようにうなずく。なんだか、胸のあたりがあたたかくなってきた。


(へ・・・?)


 また、境界線を超えた感じがした。無重力の世界かのように、からだがうまくコントロールできない感覚に陥る。一面に光の原っぱがひろがる。隣に立花がいる。ゆう子は、とっさに立花の腕をつかんだ。立花は、まっすぐ前を見て、細い針穴に糸を通すように神経を集中させている。ゆう子は、立花の視線をたどった。



 エイミーとローレンスがいる―――。



 ふたりが町で出会ったときの姿で、お互いに顔を見合わせている。


 エイミーは、すべて起こったことを受け入れるようなあたたかい瞳で、ローレンスをじっと見つめていた。ローレンスは、切り傷を風にさらすような顔をしている。無力な自分を悔やみ、まるで足かせをつけて自らを戒めるように、光が届かない真っ暗な深い湖の底にとどまっていた。


「ローレンス」


 エイミーが、やさしくローレンスを呼んだ。ローレンスは、グッと奥歯を噛み締め、下を向いたまま返事をしない。


「わたしは大丈夫よ。すごく幸せだった。だから、顔を上げてほしい」


 エイミーは、ローレンスにわかってほしい自分の思いを言った。ローレンスを暗い闇から救いたい。彼が持っている無限のやさしさと愛情を、彼自身にわかってほしいと願った。


「それでも・・・ダメなんだ。おれは、君を守れなかった」


 ローレンスは、声をしぼり出した。肩が震えている。前髪に半分かくれた顔は、だれの言葉も受け入れないシールドにおおわれていた。


「どうして、わかってくれないの・・・?」


 エイミーは、暗黒に吸い込まれていくような悲しみと絶望感に襲われる。



 むなしく宙に浮遊するふたりの想い―――。



「あー、もうっ!」


 そう言って、立花は、ゆう子につかまれていた手を振りほどいた。らちがあかないふたりの様子にしびれを切らしている。


「行きますよ、大澤さん!」


 そう言って、立花はローレンスの元に向かった。


「大澤さんは、エイミーと話してください!」


 立花は、肩越しでゆう子に向かって言った。


「え・・・っ! は、はい!」


 ゆう子は、ドンと背中を押されたように、エイミーの元に向かう。



「ローレンス!」


 立花は、自分の顔を見ろと言わんばかり、ローレンスの胸ぐらをつかむ。


「あんたの言ったとおり、会いにきた! わたしに見せたいものは、全部見せたんだろ? それで、なにがしたいの!」


(たっ、立花さん・・・! コールマン団長なみの容赦のなさ・・・! しっかりね、ローレンス!)


 ゆう子は、ローレンスに背を向けてエイミーの方へ行く。



 ローレンスが、立花の手をつかみ、ゆっくり胸ぐらから下ろした。


「会いにきてくれて嬉しい」


 石のように硬直していたローレンスが、溶けるようにやわらかい声で言った。


「え・・・なに?」


 立花は、全身のうぶ毛が逆立った。


「ずっと、君と話がしたかった」


 ローレンスは、立花を見つめながら言った。ローレンスの安堵感が、立花の胸に入り込んでくる。


 立花は、深く息を吐いて自分を落ち着かせた。


「わかった、なんでも聞く」


 立花は、真剣にローレンスと正面から向き合った。


「おれは、バカだった。ただ騎士として、任務だけをやっていればよかった。でも、心のままに動いてしまった・・・。守れないなら、最初からエイミーに会いにいかなければよかった! 失うなら、最初からなにかを大切に想う心を持たなければよかった!」


 ローレンスは、のどが焼けるように苦しそうな声で言った。



「・・・記憶にある」



 立花は、なにかを思い出した。


「ある時期から、もうひとりのわたしが、ただ楽しむ心にシャッターを降ろしていくの。最後、結果が出せなければ、その途中で感じた幸せもなかったことにするの。人との付き合いも、深く踏み込まないように、自動的にストップをかける。それ、もしかしてあなたがしていたの?」


 立花の中で、全貌が見えなかったパズルが解けていく。


「ああそうさ。おれが味わった苦しみを君に経験させないようにしてた。そうしないと、君も心のままに生きてしまうから」


 ローレンスは、あの日のようなことが二度と起こらないように誓った。己の肉体が滅び、入れ替わっても、その想いだけは強く握り締め、いま立花の中で存在していた。


「・・・ありがとう。いままでそうやってブレーキをかけてくれて。わたしを守ってくれてたのね」


 全身の血液が上がってくる。目頭が熱くなった。そして、これまで、たくさんのことを成し遂げられたのは、ローレンスがいてくれていたからだと感じた。


「ずっと、それでいいと思ってたんだけど・・・。実は、君にブレーキをかけるたび、斬られるような痛みが走るんだ。そろそろ限界にきてる」


 ローレンスは、立花にありのままを伝えた。


 立花は、胸が締めつけられた。ローレンスがどれだけ痛い思いをしているのか感じられるのに、ブレーキなしで生きていく勇気がない。彼を解放してあげられない自責の念が立花を襲う。



「おれは、エイミーを愛してた。彼女と過ごした時間は・・・、すごく楽しくて・・・、幸せだった」


 ローレンスは、唇を震わせながら言った。


 立花の目から、ひとりでにポロポロと涙がこぼれ落ちる。ローレンスの感情が立花に流れ込んでくる。同時に、自分にもその感情があったことを思い出させてくれる。


「おれは、君にもそれを経験してほしい。あのとき確かに感じた、あったかいものを・・・君にも」


 ローレンスは、自分でつけた戒めの足かせに手をかけながら言った。


「・・・・・・っ!」


 立花は、言葉が出てこない。受け入れてしまうと、悲しさや孤独、絶望を経験してしまう。二度と出られないブラックホールに引きずり込まれるような恐怖が襲う。


「ごめん・・・。わたしはどうやってあんたを救ったらいいのかわからない」


 立花は、肩を落として言った。


 ローレンスは、目を閉じて、やさしく首をふる。


「君がいっしょにいてくれたらそれでいい。だれが見放しても、おれだけは君の味方だってことを忘れないでほしい」


 立花の真ん中に閃光が走った。ダムが崩壊したように涙があふれ出す。



「なんだか心強いな・・・力が湧き上がってくる」



 立花の胸から狂おしいほどあたたかい心があふれ出し、ローレンスの足かせを解き放した。そして、それは熱を帯びながら、全身の細胞に染み込み、これ以上にない安心感となって形を変える。うそのように恐怖が消え去った。


「あったかい・・・。だれかといっしょって、こんな感じなんだ」



 立花は、ローレンスをしばらく見つめる―――。



「わかった。あんたがもし、また別々がいいって言い出しても・・・、わたしはずっとあんたといっしょに生きていく。覚悟しなさい」


 そう言って立花自身も、観念したような笑顔を見せた。


 ローレンスは、子供のような無垢な笑顔でうなずいた。





 ゆう子は、魂が抜けたようにローレンスを立花のやりとりを見ていた。隣にいるエイミーは、ほおをぬぐいながら、しくしく泣いている。


「わかってほしい・・・」


 エイミーは、詰まる息を押し出して言った。


「そうよねー、でも見てよ。ローレンスも立花さんも、自分たちでよろしくやってるわよ」


 ゆう子は、自分の心をどこに置けばいいのかわからないまま言った。


「ずっと、寂しかった」


 エイミーは、ゆう子を見て言った。


「わかる、わかる。寂しいよね」


 ゆう子は、ここぞとばかりエイミーに共感する。


「・・・・・・」


 エイミーは黙った。


「へ? どうしたの?」


 ゆう子は、どこかにさまよっていた心が戻ってきたようにエイミーをあらためて見た。


「わたしは、あなたに無視され続けて寂しかった」


 エイミーは、ゆう子を直視して、はっきり言った。もう、涙は乾いている。


 ゆう子は、まるで雷が落ちたような衝撃を受けた。この期におよんで、立花とローレンスのことばかり考え、エイミーのことを置き去りにしていた。


「ごめん、ごめん! わたしは、あなたに会いにきて話をしにきた! ちゃんと聞く!」


 ゆう子は、慌てて背筋をのばした。


 エイミーは、ゆう子を見つめながら、落ち着いて話しはじめる。


「わたしは、自分が醜くて仕方なかった。大切に思われていることを確かめたくて、相手を困らす悲劇のヒロインをしてた。自分の価値を確かめたくて、わざわざ苦しむ人をつくって助けようとした。それを、本当に愛してくれた人にもしていたのかと思うと吐き気がする」


 エイミーは、自分の心臓をひねり潰すように言った。


 ゆう子は、言葉にならないくらい心当たりがあった。考えたくはなかったが、立花とローレンスを救いたいと思ったのは、自分を満足させたかっただけなのかもしれない。ふたりを自分の都合でかわいそうな人にしてしまっていたのかもしれない。


「わたし、最低だね・・・」


 ゆう子は、いまにも消えるような声でつぶやいた。


「でもね、これだけはわかってほしいことがあるの」


 エイミーは、急に声のトーンを上げて言った。


「理由はどうであれ、わたしたち、本当にがんばってきたって思わない? 自分をあとまわしにして、他人の幸せを一番に考えて。そこまでできる人、そういないわよ」


 そう言って、パッと花が咲いたような笑顔をゆう子に見せた。


「へ?」


 ゆう子は、なにもないところで虹を見たように目を丸くした。ゆっくりエイミーの言葉を噛み砕いていく。いつも、心は泣いているのに、笑顔を振りまいていた自分の姿が頭を駆け巡る。


 必死だった―――。



 孤独を感じて、震えるうさぎが冷たくなっていくように、いつしか命の灯火が途切れそうにもなった。


「たとえ、だれにわかってもらえなくても、わたしだけは、あなたの本当に大切にしたい想いをわかってる。本当に素敵なあなたを知ってる。だから、どんなときもひとりじゃないからね」


 エイミーは、お日様のような笑顔で言った。


 ゆう子は、涙が津波のようにいきおいよく流れ出た。胸のあたりに感じる、ねっとり黒く分厚い殻が、内側からの光で押し破られる。忌みきらっていたものは、まるで光り輝く水晶のようなものに姿を変えた。


「ほら、わたしたち素敵でしょ?」


 エイミーは、すっきりした顔で、胸を張ってゆう子に伝えた。


「これ、わたし・・・? わたし、こんなにきれいだったんだ・・・」


 ゆう子の胸で光の輝きがどんどん増す。次から次へと放たれるその光は、ゆう子のからだを突き抜け、あたりいったいを包んでいく。もう外に求めなくても、すでに自分の中にあった自信と信頼が無限に広がっていく感覚がした。


「エイミー、ありがとう。あなたが伝えたかったことって、これだったのね」


 ゆう子は、目を輝かせながら言った。全身の血液が下に降りて、足がしっかり地球の真ん中につながっているような、これまでにない落ち着きと安心感があった。


「わかってくれて嬉しい」


 エイミーは、日が差し込むような笑顔を見せた。そして、ローレンスの元へ向かった。



「ローレンス!」


 エイミーは、目を輝かせながら叫んだ。


「エイミー!」


 ローレンスが大きく腕をひろげる。エイミーはその中に飛び込んだ。


「わたしは大丈夫よ。ローレンスは?」


 エイミーは、ローレンスを抱きしめながら言った。


「おれも、もう大丈夫。エイミー、愛してる」


 ローレンスは、エイミーをギュウッと抱きして、耳元で溶けるような声で言った。



 ふたりの唇が重なり合った―――。



 ゆう子は、立花の袖を握り、顔を赤くしてふたりの様子を見ている。



 立花は、ずっと表情を変えず見守っていた。



 エイミーとローレンスは、夜空に瞬くきめ細かい花火のように、息をのみ込むほどの輝きを帯びて消えていった。

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