4 心臓
―――
「あの、報告に行くんですよね。……こんな細い道なんですか?」
「……」
門番は、答えない。ただ淡々と足を動かし、先に先にへと進んでいく。
影になって顔が見えず、彼がどんな表情を浮かべているのかも分からない。正直、気味が悪いとヘイゼルは思っていた。
こんな道に、門番達の上官はいるのだろうか。街灯も無く、月明かりのみに照らされた暗い路地裏。足元に転がっている小石すら見えず、何度か転びそうになってしまう。
「……あの、まだ着かないんですか?」
痺れを切らしたヘイゼルが、眉を顰めて言った。怪我をしているかもしれない彼に対して、強気に出るのは良くないことなのかもしれないが。流石に時間がかかり過ぎているし、通る道もぐちゃぐちゃだ。
このまま歩き続けても、門番達の上官のいる場所に辿り着けるとは到底思えない。
「着かないよ」
「……え?」
彼が呟いた刹那、その顔が粘土のようにぐにゃりと変形したのが目に映る。と、同時に視界が投げ付けられた外套で覆われ遮られてしまう。
「……!?」
「悠久!!この時を待ってたよ!!」
咄嗟の出来事に大きく体勢を崩すヘイゼル。しかし、それが幸いしたのか外套を切り裂きながら放たれた斬撃は彼女が元いた位置の空を切る事となる。
「……っつ、なっ、何を!?」
「何をも何もないよ!……ただ、君を殺してその力を手に入れる!!それだけさ!!」
切り裂き、真っ二つになった外套を腕で払い避けながら、青髪の少女は一気にヘイゼルとの距離を詰める。
「ウゥルカーナ……じゃないっ!」
「懐かしい名前だねえ。あの脳ミソの詰まってない女の名前なんて何時ぶりに聞いたかなあ。あいつなんかと、一緒にしないで貰えるかなあ!?」
鎌のように、持ち手と刃が折れ曲がった短刀を彼女は横薙ぎに切り払う。本能的にその動作の予測をし、ヘイゼルは喉笛の元に腕を置き、致命書を避ける事に成功する。
「……っつあ!?」
しかし、斬撃そのものを防げたという訳では無い。首の代わりに手首がバックリと切れ、そこから滝のように血が溢れている。
焼けるような痛みに体が硬直し、その勢いのまま青髪の少女に組み伏せられる。
「なあんだ。案外あっさりと行くもんだねえ。感動の再開じゃないかあ。……じっくりと嬲って殺してあげるよお」
少女はぐい、とヘイゼルの顎を持ち上げ息のかかるほどの距離まで鼻を近づける。
「……ああ、この匂い。懐かしいね。一体いつ以来だろうねえ、その香りを嗅ぐのは」
「……は、なしてっ」
「随分力も貧弱になったもんだねえ。どうしたのかな?本気出さないと、本当に殺しちゃうよ?」
体を暴れさせ抵抗するも、四肢をがっちりと固められろくな身動きすら出来ない。
「っ――――」
「もしかして本気でやってそれ?……ふぅん、なんか拍子抜けしちゃったなあ」
ヘイゼルの体の上に馬乗りになりながら、少女は困ったように眉を顰めため息を着いた。
「でも、間違え無くこれは悠久の香り。その心臓、貰っていくよ」
「……っあ!?」
少女は手に持っていた鎌を置き、ヘイゼルの鳩尾に手を乗せる。そしてその鋭利な爪を皮に突き刺し、肉を抉って行く。
「――――!?」
声にならない悲鳴がヘイゼルの口から漏れる。あまりの痛みに全身が痙攣し、必死の抵抗を試みるがそれは意味を成さない。
「――っ、ガっ……」
「ああー、ごめんごめん。これは気管かな。もう少し下か」
血の水音を立たせながら、自身の体の内部を彼女の指がまさぐっているのが生々しく伝わってくる。
胸からは血が噴水のように噴き出し、それを見ているだけでも血の気が引いてくる。
「っ、やめっ……ろっ!!」
「――っ!?」
ヘイゼルは少し緩んだ右手で、地面の砂を掴み取り彼女の顔に叩き付ける。完全に気を抜いていたようで、砂は彼女の目、鼻、口に直接入り込む。
「……なっ、いった……!?」
その隙に、大きく体を反らせ少女を転がり落とさせ、死に物狂いで近くの物陰に身を隠す。
「くっ……、傷が……」
血の溢れる胸を手で抑えても、その程度では出血は収まらない。ダラダラと溢れる血が徐々に地面に血溜まりを作っていく。
今はアドレナリンが出ているのか、痛みはそこまで感じなかった。しかし、それが切れれば。とても意識を保っていられるとは思えない。
「…………」
物陰から少女の様子を伺う。彼女は、まだそこにいて目に入った砂を擦って取ろうとしている。
彼女がまだあそこに留まっているうちに、何とかして逃げなくてはならない。
ヘイゼルは物音を極力出さぬよう、静かに行動を開始する。逃げるとすればどこに行くべきか、彼女は若干ぼやけ始める意識の中で思考を巡らせる。
当初向かおうとしていた門番達の上官の元へ行くべきか。しかし、見当違いの場所に誘導されたが故にその場所は全く分からない。
ティール達の元に向かうべきか。ただ、彼女は上官のいる建物の元で合流と口にしていた。だとすれば、すれ違いになる可能性が高い。
であるならば、人の多い道に出ること。それが最優先だろう。あの少女がいくら強かったとしても、人混みの中で刃物を震えば当然人の目に付く。幸い、ここに来る途中何度か人通りの多い道を通過してきている。故に、ある程度の方角までいければそこに辿り着ける可能性が高い。
ヘイゼルはへたる足に鞭打って、静かに体を進めていく。
「いったぁ……。あれ、悠久?どこ行ったのお?逃げないでよおー」
背後から自分を呼ぶ声が聞こえる。彼女が声を発してくれたおかげで、現在の彼女と自分の位置が凡そだが検討が着くようになった。
しかし、こちらは手負いの身。彼女が居場所を見つけて直線的に追いかけてきたら、そこで今度こそ終了だろう。
「……っふ、逃げても無駄だよお。血の跡がべっとり残ってるから。ほら、震えて待ってなよお」
青髪の少女は鎌を握りしめ、地面に残った血の跡を追いかける。
血の痕跡は、所々途切れてはいるがそれでもある程度向かった方角がわかる程度には目に付いた。それにある程度まで近づければ、彼女には良く効くその鼻がある。
「うんうん、匂うねえ。しかもこの匂い、凄く恐怖を感じるい」
ヒタヒタと彼女の足音が夜道に響く。透き通った夜の空気を突き抜けるようにして伝わるその音はヘイゼルの耳に嫌に染み入ってくる。
「ほら、そこにいるんでしょ?隠れても私からは逃げられないよお」
少女は血痕が途切れた先にある干し草に向けて鎌を振るい、その塊を粉々にし四散させた。
「……っ……。……服?」
しかし、その中にあるのは彼女の鎌で無数の穴が空いたヘイゼルの服。その胸元にはベットリと血が染み付いていて、少女は自分の追っていた匂いがその服のものだったのだと理解した。
「……ダミーかあ。……中々やるじゃん?」
どうやらそう簡単には掴まってくれないらしい。少女は不敵な笑みを浮かべて舌なめずりをした。
そう、こうでなくては。一方的な戦いは詰まらないし、もう飽きた。どちらも死に物狂いで己の命を掛けた戦いをする、そうでなければ彼女の闘争本能は満たされることはない。
「タネが分かれば後を追うのも簡単。……直ぐに追い付いてやる」
ヘイゼルの残したダミーに少々時間を取られてしまったが故に、その間にそこそこの距離は取られているだろう。
だが、相手は既に手負いの身。それも人並みの痛覚があれば、走るのも困難な程に。
「心臓喰らい。待っててよねえ」
少女は二対の鎌を背中に取り付けてある鞘に納め、体勢を低くして地面を蹴った。
ダミーを残してそれと同方向に逃げるとは考えにくい。ヘイゼルは出来る限り距離を取りたいはずだ。そして逃げるとするのならば。それは人通りの多い場所に助けを求めに行くだろう。
それらの情報を脳内で集約し、ある程度の彼女の位置を脳内にマッピングする。ある程度の距離まで近づければその鋭敏な嗅覚が己を導いてくれるだろう。
――
「……はあっ……はあっ……」
額に脂汗が滲む。まだ差程痛みは感じていないのだけれども、体は既に限界が近いのか、視界がぼやけ膝の力が抜け始めている。
ヘイゼルは汗を拭い、尻目で背後を確認した。
彼女の声が聞こえなくなってから十数分が経った。どうやら、咄嗟に作ったダミーに効果はあったらしい。
ヘイゼルはティールから上着を羽織らせてもらっていた為、中に着ていた血に濡れたシャツを囮にし、今は上着の前をしっかりと閉じ壁伝いに夜道を進んでいる。
しかし、彼女もヘイゼルが人通りの多い場所に向かおうとしている事はある程度想像できるだろう。彼女がヘイゼルに追いつくのが早いか、ヘイゼルが人通りの多い場所に出るのが早いか。その時間の勝負である。
わざと出血痕を残す為、手に貯めた血液を途中途中で振り撒いて来たのだが、彼女がそのダミーに気づくまでには差程時間は掛からないだろう。
「はあっ……はあっ……」
息を吸って酸素を体内に取り込んでいるはずなのに、頭はぼやけ視界が歪み続ける。壁から手を離してしまえば、今すぐにでも膝が折れその場に倒れてしまうだろう。
「……っ、あと、少し……」
目の前、後数メートル先の所に街灯が立ち、その前を幾人かの人が往来しているのが見える。ほんの少し、後ほんの少し進めばそこに辿り着く。
「っつあ……」
壁に身を預け、体を刷らせながらその通りに倒れ込むようにして身を躍らせる。
「うわっ、お、お嬢ちゃん!?大丈夫か!?」
幸い、その様子を見ていたのか近くにいた初老の男性が咄嗟に駆け寄り肩を貸してくれる。
「血塗れじゃないか。……おい、しっかりしろ!」
体を揺らされるが、意識が朦朧とし、口から呻き声が出るだけでまともに言葉を発する事が出来ない。
「おい!お前ら!重症の子がこっちにいる!手ェ貸してくれ!」
ヘイゼルを抱える彼がそう喉を張って叫ぶと、周りからわらわらと人が集まってくる。視界がぼやけている為、誰がどんな顔をしているのかまでは分からないが、それでもその人数は一瞬見ただけでは数え切れない程であった。
しかし、どれだけ視界が効かないとしてもその変化だけはハッキリと目に付いた。ヘイゼルの周りを囲う大人達の内の一人の顔がグニャリと歪み、みるみる形が変形していくでは無いか。
「……っ、あっ……」
周りを囲う者たちの視線はヘイゼルに向いている為、誰もその変化に気が付かない。何とかして伝えようと試みるが、水面に浮かび上がる金魚のように口をパクパクさせるだけで上手く言葉が出てこない。
やがて、変形を終えたその顔は先程まで自分を殺そうとしていた青髪の少女のものへと変化を終える。
口元が、三日月状にばっくりと割れ、顔ははっきりとは見えないが不敵な笑みに満ちている。
「……あっ……う……」
ヘイゼルは残された最後の力を振り絞って腕を持ち上げ、そちらに指を指した。
一瞬、その指を初老の男性は訝しげに見詰めたが、その先にあるものが尻目に写り目を見開いた。
「……っ!?」
彼が咄嗟に腰に手を回し、小刀を己の胸元に構えた刹那、鋭い斬撃がちょうどその場所に放たれ、衝撃で男性は大きく体を吹き飛ばされる。
「……っく」
その男性に支えられていたヘイゼルの体は落下し、地面に叩き付けられる。頭を石の地面にぶつけ、一瞬思考が歪む。
「全員その青髪の離れろ!武器を持ってるぞ!」
直ぐに体勢を整えた男性は声を張って周りへ注意を促した。その言葉で、ヘイゼルの周りを囲っていた人たちは一斉に距離を取り、円を描くようにしてヘイゼル、青髪の少女、そして初老の男性を再び囲った。
「……へえ、中々筋がいいじゃん」
「ふん……、この街を護る者として、貴様のような街中で刃物を振るうような奴に遅れを取ってたまるものか」
「ふぅ~ん。いいね、気に入った。私はプル、私の名前を土産に死ぬといいよお。……この街の門番みたいにね」
「っ!!!」
名乗りを上げたかと思えば、次の瞬間彼女の姿は消え、男性の目と鼻の先程の距離までに間合いを詰めていた。
しかし、これを読んでいたのか男性は体を大きく引かせ鎌による鋭い斬撃を躱す。
一撃必殺を狙ったプルの一撃は、モーション後に大きな後隙が生まれていた。彼はその無防備になった胴体に向けて逆手に持った短刀を突く。
が、次出された彼の腕を軸にするように体を回転させ、華麗に攻撃を交わし、短刀を持つ右腕を捉えたプルート。
「ちっ」
そのまま遠心力で腕をあらぬ方向へ折られるのを察した彼は、体を彼女と同じ方向に回し、地面に倒れ込みながら少女を後方に吹き飛ばす事に成功する。
「いっつ……、思ったよりも腕が立つみたいだね」
「……土産として覚えておけ。俺の名前はヴィオラ。ただし、お前が行くのは地獄では無く牢獄だがなあ……!」
今度は初老の男性、ヴィオラが優勢。プル程のスピードは無いが、代わりに力強さがある。
バックステップで距離を取ろうとするプルに対して逆に距離を詰め重い攻撃を叩き込んでいく。
彼女は両手に鎌を握り締めているが、故に守りが不得手。癖のあるその武器の形は、一方的に攻められている状況下では不利である。
「っち、そう時間も無いんだよねえ!おじさん!お遊びはここまでだよお!」
プルが懐に潜るようにしてヴィオラの背後に周り、数メートル程の距離を取る。そして鎌の柄の尻の部分を捻ったかと思えば、そこから紐が垂れ、彼女はその紐を手に巻き付けるようにして握った。
「……っ……」
そして遠心力を活かし、振り回した鎌をヴィオラへと振るう。先程よりも数段スピードの上がったその鎌はヴィオラの短刀を弾き飛ばし、腕の皮を掠め彼女の元へと戻っていく。
「ちっ……。珍妙な武器を使いやがる……!」
切られた部分から垂れた血が地面に滴り血痕を作る。幸い深い傷では無いようだが、素手であのリーチのある武器相手に戦うのは些か無理があるだろう。
「さっきまでの威勢はどうしたのさあ!ほら!ほら!」
勢い付いたプルは更に鎌の回転数を上げ、連続的にヴィオラに向かって鎌での攻撃を仕掛けてくる。
辛うじて既のところで見切って躱しているも、かまいたちのように体のあちこちを切り付けられ、そう長くは続かない状態だった。
「終わらせよっか!!」
両手の鎌が同時に放たれる。一つは狙いを逸れたのか足元に飛来してくる。
ヴィオラはそれを難無く躱し、もう一つの鎌を探そうと目を回す。
「っ」
「そう!避けるよねえ!」
が、鎌は既に己の首の目の前にまで迫っており、どう足掻いても回避は難しい位置にある。
体の重心を崩して致命傷を避けるか、しかしその崩れた体勢を彼女が狙わないわけが無い。では何かで防ぐか、しかしもう時間は残されていない。何か行動をする前に己の首が弾け飛んでいる未来が見える。
「……!!」
硬い金属音がした。人間の首を切り裂くにしては、嫌に高い音が。
「てめえ!この街でしゃしゃってんじゃねぇぞ!!」
彼の首元にあった鎌は大きく軌道を逸れ、彼の背後に吹き飛んでいく。
「なんだお前っ!っく!?」
そして次の瞬間、プルの体は横に向けて大きく吹き飛び壁に激突し、舞い上がった砂埃で見えなくなってしまう。
「……っ、ティールさん?」
「っ、ヴィオラ!平気か!?」
砂埃の中から白髪を揺らしながら姿を現したのは、この街で顔を知らぬ者はいないティール。彼女は立ち惚けているヴィオラの元に駆け寄り、全身をじっと見たあとホッと一息ついた。
「良かった、大きな怪我は無いみたいだな」
「俺は大丈夫です。しかしこの女の子が……」
ヴィオラが指を指した先にいる、血を流し気を失っているヘイゼルを見て、ティールは思わず目を見開いた。
「っ、ヘイゼル!!」
「知り合いですか?」
「……ウチで預かっててさ。くっそ、俺のミスだ……」
「先程まで息はありました。急いで治療すればまだ助かる見込みあります」
「……んにしても、先にこいつを倒さねえとなあ」
土煙の中から姿を現し、意気揚々と紐の括られた鎌を振り回すプルを見て、ティールは舌打ちをした。
彼女が指先を少し捻るようにして動かすと、近場に転がっていた彼女の乳白色の短剣が命を吹き込まれたようにして宙に浮かび上がり、ふよふよとティールの脇に浮遊したまま静止した。
「先程はそれで俺を?」
「間一髪だったなー。感謝しろよ?もう少しでその首飛んでたからな」
「いやはや、面目無い」
「ほら、これ貸してやる。さっさと終わらせるぞ」
ティールは太ももに巻いたベルトから一本の黒光りするダガーナイフを引き抜き、ヴィオラにそれを手渡す。
投げナイフであるが故に、刃も薄く短いが、それでも素手で戦うよりはマシだろう。
「ありがとうございます、ティールさん」
「礼は終わってからでいいよっ……!!」
再びティールが指先を動かす。すると短剣は針のように飛んでいき、彼女の持つ片方の鎌を叩き落とし再びティールの脇に戻ってくる。
「……っ!?な、何い?そのへんちくりんな武器は」
鎌を吹き飛ばされた事に一瞬気づかず、息を飲んで問うプル。流石の彼女も、自由自在に飛んできて攻撃してくる短剣とは戦ったことは無いようで、驚きを隠せずにいた。
「なんでもねーよ、ただ魔力で飛ばしてるだけさ。ほら、どんどん行くぜ?」
彼女の宣言通り、宙を舞う短剣による猛攻。文字通り四方八方から数多の斬撃が飛び交い、プルの体に無数の傷を作っていく。
とても対人間では考えられないような角度からの攻撃を、守りに不得手な鎌で守らなければならない。何度か短剣を捌き、攻撃に転じようとしているのは見受けられるが、そんな隙を許さないと言わんばかりの攻撃がプルに降り掛かる。
「……っ!!っあああああっ!!!」
やっとの事で攻撃の合間を縫って投げつけた鎌も、ヴィオラの持つダガーナイフによって弾かれ、力なく地面に横たわる。
「決着、かな」
空中を舞っていた短剣が、遂に止まる。それはプルの喉笛に刃を押し当てた状態で。
「はあ……。参ったなあ……君、何者?一般人にしては強過ぎない?」
プルは両手を上げ、深々とため息を着いた。彼女の鎌は二本とも手の届かない所まで吹き飛んでいるし、抵抗してくる様子もない。どちらにせよ、何か不審な動きをするものならその短剣が喉を貫くのだが。
「この世の中には思った以上に強い輩がいるもんだぜ……。……さ、お前、何が目的でこの街に入ってきた?」
短剣を手に持って、更に喉に押し当てるティール。軽い口調で話しているが、目はしっかりとプルの事を睨み付け、今にも頃しかねん勢いで彼女に顔を近付けていた。
「……私は変化。双鎌使いのプルだ。……狙いは悠久、そのしん、ぞ……」
「……っ?」
ふと、彼女の顔に影が落ちた。ティールのものでは無い、他の誰かのもの。
周囲で一連の様子を見ていた人らがどよめき、すぐ側にいたヴィオラも小さく声を漏らした。
「っ、ヘイゼル?」
声も発さず、静かに彼女に後ろに立っていたのは他の誰でもないヘイゼルであった。
「どうしたんだよ?傷、大丈夫か?」
ティールは首だけ動かして彼女の方を見た。未だヘイゼルは胸元から多量の出血を起こし、そこから滴った血液が体を伝って足元に血溜まりを作っていた。
しかし、ヘイゼルはティールの問いかけにウンともスンとも反応せず、明らかに様子がおかしかった。流石のティールも不審に思ったのか、眉を顰めヘイゼルの目の前で手を振ったり、数度呼び掛けたりして反応を見た。
「な、なんだあ?血ィ出しすぎておかしくなっちまった、か……?」
ティールが苦笑いを浮かべ、プルの方へ首の向きを戻すとそこには顔を蒼白に染め、先程までの自信に満ちた表情とは売って変わってガクガクと震えている彼女の姿があった。
「あっ……や、……」
「な、なんだよ……お前まで……。皆様子がおかし――――――」
ティールが苦笑を浮かべようとした時、腹の下に重い衝撃が走る。
「……っが……!?」
「――――!?」
刹那、目前にいるプルが口から噴水のように吐血し、目を丸くして己の胸元に釘付けになっていた。
ティールも誘導されるようにそこに視線をやると、そこには色白で華奢な腕が彼女の胸を貫き、生物の核である心臓を握り締めているではないか。
では、その腕は一体誰のものか。
その腕は、ティールの腹部を貫通し、彼女の背後から伸ばされたものであった。
「……なっ、ヘイ、ゼル……!?」
「……」
その事を認識した瞬間に、焼けるような痛みが腹を中心に全身に伝播していく。
尻目でヘイゼルの表情を確認するも、彼女は顔色ひとつ変えず、そのまま血に塗れた腕をプルの胸から、ティールの腹部から半ば無理矢理引き抜いた。
「――っ」
致命傷では無いにしろ、腹にでかでかと穴を開けられて平気でいられるような生き物はいない。
ティールは血の溢れる腹部を手で抑えながら、プルの体の上に重なるようにして倒れ込んだ。
「……ば、化け物……」
辺りを包んでいた静寂を、周囲を囲っていた野次馬の内の一人が切り裂いた。呟くように言ったその声は、拡声器でも使ったかのように周りに響き渡り、ぽかんと状況を飲み込めずにいたその他の人間は我に返り各々甲高い悲鳴を上げ転がるようにして逃げて行く。
「……き、君は……」
「……っく……、へ、イゼル……」
倒れるティールの元に駆け寄り、その体を支えるヴィオラ。そんな彼らの様子など目もくれず、ヘイゼルは手に握りしめたプルの心臓を一瞥したかと思えば、まるで林檎でも食べるかのようにそれにかぶりついた。
「……っ」
それを見たヴィオラは固唾を飲み込み、痛みに悶絶しながらティールは言葉を失った。
心臓の分厚い筋肉に、白い歯が突き立てられる。ブシュッと生々しい音と共に赤色の果汁が迸り、びちゃびちゃとそれを撒き散らしながらそれを口内に押し込んでいく。
歯で噛みちぎり、幾度か咀嚼をしたかと思えば何の躊躇いもなく飲み込み、再び残りの心臓に食らいつく。
心臓が彼女の胃袋に収まるのには、差程時間はかからなかった。そして、指先に残った肉片をねぶり糸が切れたかのようにその場に膝を着いて俯いてしまった。
「……ティールさん。彼女が我々の心臓を食らうようなら……、俺は容赦しませんよ……?」
「……」
ダガーナイフを構え、目を細めたヴィオラに対してティールは何も答えなかった。
「……っ。ん……ん」
再び動き始めたヘイゼルが小さく声を漏らし、目元を擦る。
「……あ、れ。私……何して……。あっ、ティールさん……!?大丈夫ですか!?」
当たりを見回して、重症のティールに目をつけたヘイゼルは慌てて彼女の元に駆け寄る。
「……っ、寄るな」
「えっ」
が、ヴィオラにダガーナイフを向けられ彼女はピタリと足を止めた。何故、自分が彼にナイフを向けられているのか。ヘイゼルはまるで理解出来ずにいた。
「で、でも……、ティールさん、怪我を……」
「覚えて……ないのか?ティールの怪我はお前が……!」
「……え、?」
ギリ、と歯を鳴らしたヴィオラが低い声でそう言ったのを聞いてヘイゼルは目を丸くした。冗談ですよね?と、ヘイゼルはティールに目を向けると、脂汗を流しながらティールは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら目を逸らした。
「……え、ええ。え、……?私が、……?」
そしてヘイゼルは自分の手元に視線を落とした。そこにあるのは、血によって深紅色に染め上げられた己の両手。それとティールの負傷を交互に見て、ヘイゼルは目を点にした。
「……うそ、ですよね?う、そ……。なんで、わた、し…………」
ヘイゼルは、その場に崩れ落ち意識を手放した。