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北条氏康 我が子の湯漬けの食べ方に落胆する
あるとき、嫡子の北条氏政が湯漬けを食べていたとき、湯を継ぎ足し、継ぎ足し、食べている。
湯漬けなど、何度も食べているはずなのに、一度に湯の量も決められぬとは。これでは、北条家の先も見えたと。氏康は落胆したという。
不幸なことにこの氏康の予感は当たってしまう。
のち、豊臣秀吉率いる軍勢に囲まれて、小田原城が落城したのはご存知のとおり。氏康が小田原城を堅牢な城に作り変えたこともあり、長く籠城するが、そのとき、評定を開くも結果が出ない。このことから、議論を重ねても結論が出ないことを小田原評定というが、氏康の予感がこのことを示唆しているようである。
北条氏康といえば武田信玄をはじめ、今川義元、上杉謙信と互角に渡り合った武将だが、少青年期は、織田信長と同じくうつけと呼ばれていたようです。