妄想にお付き合い下さい 3 会話
現在の科学の水準ですら、未だ「生命」という定義は定まってはいないらしいが、それでも、地球という惑星で数多の生命が日々しのぎを削っているという表現に反対する者は居ないだろう。確率の存在から原子という物質へ、それらが結びつき更に大きな物質へ、やがて、単なるアミノ酸の塊は生命へと変質し、我々はここに居る。それの意味するところは、少なくとも、物質的な原料は全ての生命で同じだということだ。生命の奇異な点は、原材料は同じでありながら個々に違いを齎す現象だ、という事だ。もし、これらのシステムを構築した存在が居るのなら、ありきたりな答えだが、それが「神様」という存在に違いない。科学者は、今日も神様を探求し続けている。個人的に、研究に生涯を捧げた科学者が報われる日が来ることを願う。その暁には、是非、世界の秘密を解り易く教えて頂きたく思う。
そんな謎めいた生命だが、我々が実生活で意識するのは「動物」と「植物」くらいではないだろうか。生活スタイルの違いやその時々で、何方をより意識するかの差はあるだろうが、それ以上細分化して考えることはあまりない様に思う。また、何方も一括りで考える機会も、あまりないのではないだろうか。恐らく、我々は「動物」「植物」を意識せず区別しているのだろう。だが、我々「動物」と「植物」、更には、「非生命」と思われるものも含め原料は同じなのだ。彼等が仲間同士で、我々と同じ様なコミュニケーションをとっていないと言い切ることは出来ない。例えばこうだ。
「おい、イチゴ、起きてるか?」
プランターに植えられたミニトマトの苗の一本が、別のプランターに話し掛けた。返事は無い。暫くして、ミニトマトは再び話し掛けた。
「なあってば、イチゴ、起きてるか?」
「……起きてるけど、何?」
気怠そうにイチゴの一本が答えた。既に日は傾き、オレンジ色に薄紫が混じる空の下、郊外の戸建ての庭の一画に、幾つかのプランターが置かれている。所謂、家庭菜園である。
ミニトマトは、イチゴに訊ねた。
「ちょっと聞きたいんだけど、最近の水まき、少ないと思わないか?」
「え? でも、ウチ等、今日もちゃんと水まきして貰ったじゃん」
不思議そうなイチゴの答えに、ミニトマトは、うーん、と唸った。
「そうなんだけど、水の量が少ない気がしてさ」
イチゴは気の無い返答をした。
「あんまり水が多いと根腐れすんじゃん。気を使ってるだけじゃない?」
「まあそうなんだけど。でも、やっぱり少ないと思うんだよな」
イチゴは黙っていた。暫くして、ミニトマトがぽつりと呟いた。
「俺、もう愛されてないのかな……」
(え、何、キモ……)
ミニトマトの言葉に、イチゴは引き気味になりながら、黙って続きを待った。
「発芽した時は凄く喜んでくれたのに、最近は、事務作業的って言うか……」
イチゴは、面倒くさそうに返した。
「そりゃ、双葉の頃と比べたらウチ等は大きくなってるんだもん。何時までも幼気なベイビーじゃいられない、可愛い盛りは過ぎたってことでしょ。それに、家主はちゃんと世話してくれてるじゃん。今日だって、葉裏をチェックしたり、虫を取ってくれたり、葉が多すぎたら千切ったりしてたじゃない?」
「それだよ!」
「うわ、吃驚した。他の苗も起きちゃうから、声小さくしてよ。で、何がそれなの?」
ミニトマトは声を潜めた。
「健康チェックや虫取りはありがたいさ。でも、何で葉っぱ毟るん? 折角、頑張って生やしたのに」
黙っているイチゴに、ミニトマトは続ける。
「いや、分かってる、分かってるよ。けど勝ち組とは言え、俺等は身動きできない身体だ。家主と意思疎通もままならない。だから、大事に想うなら、もっとこっちの意を酌んでくれよって言いたいんだ」
イチゴは溜息を吐き、ミニトマトに衝撃の事実を告げた。
「そもそも、ウチ等勝ち組じゃなくない?」
「えっ」
「温度やら湿度やら面倒見て貰えてるけど、別にそれはウチ等の為じゃないじゃん」
「えっ」
「もしかして、家庭菜園の意味が解ってないの?」
「……?」
イチゴは、子供に言い聞かせるようにミニトマトに言った。
「あのね、ウチ等のご先祖は野生で、ある程度決まった土地で生きてたの。で、ウチ等は自分で移動できないから、生息地を広げる為には工夫しなくちゃならなかったの」
同じ土地だけで生きていくには限界がある。自分達を脅かす生き物の大量発生や、突発的な自然災害で全滅することも決して珍しくない。種の全滅を避ける為には、新しい地を見付け、そこでの生存競争に勝ち残る必要がある。生命は、生き残りを賭けてのゲームに参加し続けなければならない。だが、まずはゲーム盤に上がる必要がある。
自分で移動できる生物とは違い、植物は新しい盤上に上がること自体が難しかった。ではどうするか。ある者は、根を横へ横へと伸ばすことにした。ある者は、風を利用し、子孫を遠くの地まで飛ばすことにした。そしてある者は、動けるもの達に協力させればいいと考えた。通りかかった動物の身体に種子を付着させたり、動物に食べられることで、離れた地で糞に混じって排泄される方法等だ。
イチゴは淡々と続けた。
「動物は実を食べてお腹を満たす、植物は排泄された先で子孫を増やす。ウチ等のご先祖は、皆が得するやり方で子孫繁栄してきたの。つまり、食べられることが前提なの、分かる?」
「…………」
「その内、動物にも頭が回る奴が出てきたの。人間は、より美味しい実をつける株とか沢山実を付ける株を栽培したり、自分達のニーズに合わせた収穫が出来るようにしていったのね。まあ、ウチ等だけじゃなくて、一部の動物も変えてったみたいだけど」
生物は、同じ種でも個体によって違いがあり、それは全滅を防ぐ為の防御機構となっている。その違いに目をつけた一部の生物が、自分達に都合の良い個体を選別し増やし始めた。やがてそれらは、新品種として定着していく。
「そうやって、私達を時間をかけて変えていったの。品種改良ってやつよ。ウチ等、今じゃご先祖とは別物みたいになってるんだよ。人間が手塩に掛けるのは、美味しい実を沢山採る為なの。世話しないと枯れちゃうからってだけ。その上、人間に食べられるだけ食べられて、種なんて運んで貰えてないの。勝ち負けで言ったら、寧ろ負け組じゃない?」
黙って話を聞くミニトマトに、流石に言い過ぎたと感じたイチゴの口調が和らいた。
「でもさ、先祖が美味しい蜜を出したり実を付けたりするようになったのは、自分達の都合で始めたんだし、結果、ウチ等の兄弟は世界中で大切に育てられてる。勝ち負けって簡単に決着はつけらんないけど、育てる側も育てられる側もお互いが必要なら、どっちも勝ちってことかもね」
ミニトマトが、さっきまでとうって変わった小声で言った。
「てっきり、俺が可愛いから育てられてるんだと思ってた……」
イチゴは溜息を吐いた。
「何でそんな自信があるのか分んない。可愛いって言うなら、確実にウチのが可愛いでしょ? 老若男女に大人気のイチゴだよ?」
ミニトマトも、そこは譲れない。
「俺だって可愛いっつーの! まん丸の可愛い実を付ける予定だし? 種から大事に育てて貰ってさ、発芽した時なんか、家主の子供が『かわいい』って、凄く褒めてくれたんだ。まあ、苗で買われたお前には分からないか」
「はぁ? ウチだって、真っ赤で可愛い実が付くっつーの。何なら、花だって可愛いわ。言っとくけど、『可愛い』が勝ち負けの基準なら、ウチの圧勝だからね。トマトがケーキに乗ってることなんてないでしょ? それに、イチゴは繊細なの。ド素人が種から育てられる程、単純じゃないんですぅ~」
「それって、ただ面倒くさい輩ってことじゃね?」
彼等の言い争いは、激化していく。
「フザケンナ。こっちは『ちびっこが好きな果物ランキング』毎年上位常連よ」
「『トマトが赤くなると医者が青くなる』って諺、知らねえの?」
「栄養価マウント? イチゴだって100gあたりのビタミンC含有量約60㎎、葉酸や食物繊維も豊富で低糖質、ダイエットにも嬉しい果物なんだから」
「果物果物って、お前、本来のジャンルは野菜じゃん」
「あんたこそ、果物と野菜どっちつかずじゃない!」
その時だ。
「もう、止めて下さい」
別のプランターから、彼等の争いに割って入る声がした。
「……ピーマン……」
ピーマンの声は静かだった。
「いいじゃないですか、貴方達はどっちも愛されキャラなんですから……私なんて、『ちびっこが苦手な野菜ランキング』、毎年上位常連ですよ」
イチゴとミニトマトが、慌ててフォローする。
「態々植えたんだし、きっと此処の家の子供はピーマン好きなのよ」
「そうだよ! それに、俺だってさ、『苦手な野菜』にもランクインしてるん……」
ピーマンがミニトマトの言葉を遮った。
「トマトさんは『好きな野菜』でもランキング上位ですよね、私は常に圏外ですけど。
はは、昨日、家主がお隣さんと話してるの聞こえちゃったんですよ。『うちの子ピーマン嫌いだから、自分で育てたら、ひょっとしたら食べてくれるんじゃないかと思って』って……手間暇かけて、一所懸命育てて、それでも『かもしれない』って……確定じゃないんだっなって……思って……」
ぐすぐすと、ピーマンの声に湿り気が混じる。ミニトマトは思わず黙り込んだ。
「ほら、ウチ等って皆、プランターから出られない事に変わりないんだし、そういう意味で仲間じゃん?」
「貴方達はちゃんと熟すまで収穫されないで済むじゃないですか。ワンチャン、鳥に食べて貰って、遠くに種を運んで貰えるかもしれない。私はね、大抵が種の未熟な青い内に収穫されるんです……もし真っ赤な実がなったとしたら、単に忘れられて放置された結果なんです!」
悲痛な叫びに、イチゴも口を噤む。
と、突然。
「悲劇気取ってんじゃねえぞ、コラ」
別のプランターから低い声がした。
「俺なんて、根っこ食われるんだからな。花咲かせる余裕もねえぞ」
「私は葉を毟られまくりよ。花は、蕾の段階で毟られた上にポイされるわ」
「ニンジンさん、ルッコラさん……」
駄目押しに、窓の方から声が掛けられた。
「ワイなんて、ちゃんと実も生るのに『緑のカーテン』って言われてる。もはやクーラーかインテリア扱いやで。なお、住人にゴーヤ好きは居ないもよう」
植えられたばかりのゴーヤの言葉に、一同は静まり返った。
「なんか、変な空気になっちゃったな。ゴメン、俺が変な事言い出したから」
「ウチも、皆に嫌な思いさせちゃったよね……ゴメンね……」
しょげた声で詫びるミニトマトとイチゴに、まだ湿った声のピーマンが、努めて明るく続いた。
「ここで精一杯育つのが勝ちってことですね。私達は皆、植物って生き方を選んだ仲間なんですから」
「Oh、感動デース」
突然、プランター外から陽気な声が聞こえて来た。
「誰?」
土が剥き出しの庭の地べたから、再び声がする。
「申シ遅レマシタ、私、ペパーミント言イマース、ココ住ムノ決メタヨー。仲良クシテネ」
「いやいや、勝手に決められても。てか、アンタ、どっから来たの?」
「子供ノシューズニ付イテキタ」
恐らく、近所で育てられているのだろう。そこから種や根が混じった土が流出し、子供の靴裏にでも付着した、といった所だろうか。
「そういう事じゃねえよ、お前、もしかして外来種?」
「? 難シイノ、ヨク分カラナイネー」
「気の毒だけど、どうせ芽を出してもすぐ抜かれちゃうぞ」
ペパーミントは、あくまで朗らかだった。
「ダイジョブヨ、アッチニ落チタ仲間、モウ根伸バシテルヨ。芽ナンテ、何度モ出セバ良イネ。オ任セヨ、頑張ルネー」
その言葉の通り、数か月後、ペパーミントは庭を覆い尽くすまでに繁殖していた。抜いても抜いても生え続ける彼等との戦いに、疲れ果てた家主は「共存」を決意した。庭の一画を深く掘り石を入れ、敷地外まで彼等が伸びるのを防ぎ、どうしても生えて欲しくない場所には防草シートと砂利を敷いた。それでも、油断すると砂利の隙間から生えてくるミントを抜く家主の「恐ろしや、ミントテロ……」という言葉を、プランター組は茫然としながら聞いていた。
緑に茂る庭を眺め、ミニトマトは呟いた。
「誰が何と言おうと、お前は勝ち組だよ……」
植物の中には、人間を含め動物にとって、強毒性のもの、必要量と消費量が見合わないもの等、生活圏を脅かすものは多数ある。ある種族にとって益であっても、別種に害として作用することは珍しいことでは無い。だが、それが生存競争なのだ。動物だろうが植物だろうが、我々は常に争い合い、依存し合って生き続けるしかない。我々の根本は言葉通り、確かに同じものなのだ。ならば、互いの言葉が聞こえても不思議ではないのではないのかもしれない。理解したいかどうかは、また別の話だが。