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『まず牛を球とします』――秋の夜長はSFをどうぞ。







『まず牛を球とします』


 柞刈湯葉/著 

 河出書房新社/発行 (2022.7出版)




◇ ◇ ◇ 





 職場の猫好きな後輩と「生まれ変わったら裕福で可愛がってくれる飼い主の家の家猫になりたい」との意見で一致しました。にんげんはいろいろつらすぎる。みんな猫になればいいのに。なんならカピバラでもいい。



 さて。少し暑さが和らいできたような気もしますが、いかがお過ごしですか。私もなんにもする気しなくて積んじゃってた本をようやく開く気になってきました。で、読んだのがこちらの本です。


 小説はあんまり紹介するつもりないと言いながら、今回も小説ですよ! 前言撤回どんとこいです。

 7たす5もあやしいし、掛け算も6の段以降覚束ない私が理系の人が書いたSFについて語りますよ、すみません。



 柞刈湯葉さんについては、かつて『横浜駅SF』(※1)というタイトルのキャッチーさにやられて読んだら、ユニークでありながらちゃんとシリアスもあって素晴らしく素晴らしい(語彙)作品だったので大好きだわこの人、という印象だったのですが、今回の本のタイトルがまた好き。

 あとがきと共に、著者ご本人による収録作の解題が書かれており、気になる表題作の意味も解説されています。

 表題作は食肉も工場で人工的に製造される未来の世界の話で、肉の均一性を保つために牛肉が球状に製造されているということで、タイトルはまんま、なのですが、理系のあるあるジョークもダブルミーニングされているらしいです(これが文系のふんわり説明だ!)。理系の人ならさらに、くすり、となるのでは。理系の人って、極端ですよねぇ。合理的、ともいうのか。このあたりの意味を知りたい方はぜひ本書を読んでくださいね!



 短編SFの作品集なのですが、SFというくくりで未来も過去も味わえて、一編一編全然短さや物足りなさを感じさせず、読み応えがある豪華な作品集です。それでいて元がweb小説という性質だからか、生粋の文系人間でもふんわり楽しく読めます。

「大正電気女学生~ハイカラ・メカニック娘~」は大正時代を舞台にしたお嬢言葉女学生百合風味だし、「沈黙のリトル・ボーイ」は第二次大戦直後の広島を舞台としたあり得たかもしれない物語、「改暦」はモンゴル帝国・元で日蝕月蝕を予測する漢民族の官吏の骨太もの……、という具合に、通常のSFのほかにもさまざまなテイストの作品が並びます。どれも読みやすく、面白いです。


 私の好みとしては冒頭の「まず牛を球にします」や「犯罪者には田中が多い」などがタイトルが特に秀逸な上、内容も唸る面白さで好きなのですが、特に良いなと思ったのがあとがきのあとに収録された「ボーナス・トラック・クロモソーム」でした。

 タイトル通り、音楽CDのボーナス・トラック風にラストに収録されています。

 クロモソームというのは染色体のことだそうですね。

 物語は、染色体を設計する研究者のひとり語りとなっています。

 


『人類を幸福にするのが仕事です。』



 この一文から始まるのですが、最初著者が本職(※2)の紹介をするエッセイなのかな、と思ってしまいました。読み進めると、語りはどうやら女性のようです。しかも、人の遺伝子が編集されるようになった、少し未来の話。架空の語りでありながら、研究者がなんたる者か、というのがなんだかリアルで著者が透けて見えるような気になります。


 この女性が住む世界では、旧世代は遺伝子を編集することに対して拒否感があるが、それが当たり前の若い世代は肯定的で、このまま編集が続くと将来的には、



『人類は最終的にカピバラみたいなモフモフの生物になって、一日中温泉に浸かっているかもしれない。』



 と冗談のような一文があり、くすり、とさせられます。

 私は、猫もいいけど、全員カピバラなら平和だろうなあ、とそんな世界を思わず望みそうになりました。確かに「幸福にするのが仕事」という気になるなあ。


 なぜクロモソームが「ボーナス・トラック」なのかは後に語られるのでぜひお読みいただきたいです。なるほどなー、という綺麗なオチ。そのオチとは別に、「生まれなかった姉」というモチーフが語られていて、私は「ああ……」と溜め息を吐いたのです。その感覚がすごくよくわかったからです。



 私には「生まれなかった兄」がいます。厳密には生まれたのですが、息はしていなかった。その人が生きていれば、私はおそらくこの世にはいません。母にいつか言われたことがあったからです。姉がひとりではかわいそうだから、もうひとり産んだ、長男が生きていればあなたは生まれて来なかったかもしれないね、と。母には「最初から全部やり直したい」とも言われたことがありますが、いつも思い返すたび最初ってどこだろう、私がいない最初かな、とぼんやり思います。どちらの過去でも姉は生まれるでしょうが、出来損ないの私は生まれない方が良かったのかもしれないな、とどうしても思ってしまうことがあります。


 まあ、こんな話、蛇足ですね。


 世界がカピバラだらけだったら良かったのに、と溜め息ばかりです。



 ちなみにこの「ボーナス・トラック・クロモソーム」はとても素敵な話です。希望や明るさがあって、人の可能性を感じさせる素敵な話。難病を患った身としてはこんな未来を望みます。好きだなあ、と改めて思います。前述の私の感慨はただ引きずり出されただけのもので、作品とはなんの関係もないです。ただ、いろいろ思い出したり考えちゃったりしたわりには重苦しい気持ちではなくほのかに明るい気持ちにさせる本でした。


 柞刈湯葉さんの作品はどれも、たとえディストピアであってもどこか希望を感じさせるところがあって、うっすら明るい印象です。それがいいなあ、と思います。そして着想は全部へんてこなのがまた素敵。へんてこな話大好き。


 収録作によっては雑誌掲載がなく、今でも無料でwebで読めるものもあります。

 プレイリストで好きなように曲が聴けて、もはやアルバムを頭から聴く人なんていない、と音楽のアルバムについて作中でも語られているのと同じように、本もそういう時代になっているのかもしれません。しかし、音楽のアルバムの曲順が制作者の意図であるように、本もその作品の並びには作者の思い入れがあるのでしょう。もちろん、webで読んだ話は読まないでいい、好きな順番で読みたい、というのも自由です。ただ、装丁込みで紙の本を「どうしてこの順で収録したのかな、もしかしてこの作品が作者の推しかな」なんて想像しながら読むのもまた楽しいかもしれませんね。

 ちなみに私は頭から順番に読みましたよ。堪能しました。

 

 秋の夜長にSFなんて、いかがですか。

 


 


※1 『横浜駅SF』 KADOKAWA/発行 (2016.12)


 自己増殖し続ける〈横浜駅〉に日本は支配され、横浜駅でない場所はもはや海を挟んだ北海道と九州、四国と離島しかなく、人々は脳にSuicaを埋め込まれてエキナカで暮らし、ルールを破ると強制的にエキナカから廃棄される世界の話。

 横浜で暮らしたことがある身としては「増殖し続ける横浜駅」というところでニヤリとせずにはいられない。あの無秩序に広がる迷わずにはいられない地下街と永遠に工事中の横浜駅を見たことがある人には、その発想に思わず頷くしかない。横浜駅は永遠に工事中だし、いずれ日本はぜんぶ横浜駅になるんだ……。信じられるかい? これでコメディじゃないんだぜ? ちゃんとSFなんだぜ?

 続編の『横浜駅 全国版』(2017.8)も面白いです。おすすめ。



※2 著者の本職とは


 noteの略歴を見ると、分子生物学を専門とされる大学勤務の研究者だったそうですが、2019年に退職されて今は専業作家さんのようです。じゃあ、本職は作家か。柞刈湯葉さんのイメージは研究の傍らSFも書く人、というイメージだったのですが。現在は元研究者の作家さん、ですね。

  


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