【009】聖女誕生と教国の思惑
その日、教国は沸いた。
国を挙げて盛大なパレードが行われ、教皇の手に収まる主役の赤子に向けて羨望や希望が混ざる眼差しが集中する。
そう、この日、この時代。
世界は聖女という存在を手に入れたのであった。
「キャーー! あれが聖女様よ! ああ、なんて可愛らしいの!」
「千年前に押し返した魔族たちがまた活発になってきた近年、まさか伝説の通りに再び聖女様がお生まれになるなんて!」
民衆は世界を救う英雄の誕生に喝采し、そして教皇自身も自らの子が聖女であったことに、自然と笑みが零れる。
それもそのはずで、教皇にはこの日まで子が生まれず、世間一般からは哀れみを買うような立場に甘んじていたのだ。
もちろん、そんなことを国のトップに直接言うような阿呆は存在しなかったが、それでも視線や態度というものは表に出るものである。
彼自身それで他者を責め立てるようなことは無かったが、それでも焦りやストレスに感じていたのは確かな事実だろう。
既に三十を超える、地球でならまだまだ全盛期である中年の彼は、この世界の人間では行き過ぎていると判断される年齢であったのだから。
「お世継ぎの誕生に、民もこれ程までに祝福してくれているようです。喜ばしいことですな、教皇猊下」
「ああ、そうだな聖騎士団長。これで、この世界に一つの希望が生まれた。人間を守護する皇として、そしてただ一人の父として、私も少し肩の荷が下りたよ。だが……」
そう、聖女の誕生そのものは喜ばしいことに違いない。
だが、いまこの国、いや世界が抱えている問題はそれだけでは無かった。
言いよどむ教皇を前に、聖騎士団長は再び口を開く。
「もしや、聖騎士小隊が全滅したことに責任を感じておられるのですかな? であれば、その配慮は無用です。彼らとて、その任務の中で殉職する可能性は覚悟の上での行動だったはずです。それにあれ程の大魔法を一息に行使できる魔族の情報を、死してなお痕跡として残してくれた彼らは、誰に恥じることのない立派な騎士でありました」
人々を守る聖騎士の誇りを、自らが負うその役割を守るため、彼らの尊厳は何一つとして傷つけられてはいないと、聖騎士団長は語る。
その全滅の原因となったのが、たとえ村人の虐殺の後に行われた報復によるものだったとしても、彼らがそのことを知るはずがないのだから、聖騎士という崇高な理想から推測できる結論としては間違っていないのだろう。
真実は真実。
理想は理想。
どちらが正しく、どちらが間違いというものでもない。
現に聖騎士団長は高潔で、もし彼がその場に居合わせていたのなら、問答無用で村人たちを殺すことはなかったのだろうから。
「それに教皇猊下、時代は我らに味方をしております。あなたが神からお告げとして聞いた、勇者様誕生の件もあるでしょう。たとえ魔王が再び人類を脅かそうとも、我ら聖騎士が、聖女様が、勇者様が、この世界を必ず守護してみせます」
「そう、だな……。その通りだ」
教皇は多少の不安を抱きながらも頷き、無理やりに納得する。
勇者誕生のお告げから一ヶ月ほど後にもたらされた、魔族による聖騎士小隊の一方的な全滅。
その報を聞いたときは彼も心臓が止まるかと思ったが、聖騎士団長の言葉と世継ぎとして生まれた聖女の誕生により、希望は繋ぎ止められたと信じることにしたのだ。
「しかし、それにしても勇者様はどこにおられるのでしょうか? お告げではこの大陸のどこかとありましたが……」
「それは私にも分からぬ。だが、聖女であるこの子には勇者と引き合う力があるはずだ。伝承通りであれば、そう心配することもあるまい。私にできるのは、それを最大限支えていくことだけだろう」
彼らは知らない。
その勇者が誕生した村を聖騎士たちが襲い、皆殺しにしたことを。
辛うじて救われた唯一の生き残りである勇者は悪魔の手に堕ち、元気にすくすく成長中であることを。
「なにはともあれ、世界は安寧だ。生まれた勇者と聖女、そして歴代最強と呼ばれる聖騎士団長をもってして、自分よりも剣の才能は高いと言わしめた剣の申し子。これらがきっと、未来を救ってくれるに違いない」
「はっはっは! こう言ってはなんですが、自慢の倅です。才能だけなら私など話にもなりませぬ。とはいっても、まだ剣を持ち始めたばかりの五歳児ですがね」
盛大なパレードの中、教国における主要である二人の会話は誰に聞かれることもなく進んでいく。
未来がどんなに希望に満ちているのか。
魔王などにこの世界は渡さないと、そう決意を固めて。
勇者、聖女、剣の申し子。
そして魔王の影。
彼らが時を同じくして生まれた奇跡の時代。
────こうして、世界の運命は動きはじめた。
◇
この次元における世界の裏側で、闇が蠢く。
世界の裏側というのは比喩でもなんでもなく、この星の影に存在する別世界。
つまりは魔界のことだ。
闇に潜む者、いわゆる魔族と呼ばれる者たちが今回の顛末の件についててんやわんやと慌てていた。
「どういうことだ。あの面倒くさい教国の聖騎士小隊が全滅したらしいぞ。デマじゃないのか?」
そう呟く者もいれば、
「いや、潜入に長けた同胞が、実際に教国で確認し現場も見たから間違いない。事実だ」
と言い争う者がいる。
彼らの今の議題は、突然殲滅された聖騎士小隊の話で持ち切りであった。
突然もたらされた、謎の同胞による聖騎士殲滅。
人間社会で暗躍する上で、いままで目の上のたんこぶだった神に祝福された者たちが消えたとなれば、こうなるのも頷ける。
「静まれ! 陛下の御前であるぞ!」
「よい。しばらく好きなようにさせてやれ」
「し、しかし陛下……」
そして、その会議を見守る魔に連なる者の王、魔王。
彼らの慌てぶりに側近が声を荒らげるが、状況を深く理解している魔王はその手で側近を制す。
理解しているのだ。
天界にすらその存在を悟られることなく厄介な聖騎士を殲滅したナニカが、おそらく自分たち……、いや、自分と似たような質の、同じく強大な力の持ち主であることを。
であれば、真に対応するのは自分だけで良い。
家臣や部下の間で交わされる議論など、好きにやらせておけばよいと、そう思っているのである。
この者たちが何をしようが自分と同格の存在であれば手の打ちようがない。
それに聖騎士に手を出したということは、少なくとも今は敵ではないだろう。
だが、と思案する。
「────しかしいずれは、我が手中に収めるべきか」
彼は誰に聞こえることもない声で呟くと、再び口を閉ざしたのであった。