【086】咎を背負う者
「まだか! まだあの商人から連絡は届かないのか!?」
「はっ! 申し訳ありませんフランケル侯爵閣下! どうやらかの商人は皇女殿下に不正の証拠を握られたことを察したのか、連絡を取ろうにも姿を見せず……。それどころか、既に国外へ逃亡した可能性すらあります」
時は聖女イーシャが謎の情報屋と接触してから、凡そ数週間後。
カラミエラ教国の南東に位置する、南大陸と交易のある港町。
大貴族であるフランケル侯爵が治める侯爵領の、城と見まがえるほどに立派な作りをした侯爵邸にて。
他大陸と交易を行っている中心地だからこそ様々な物資が手に入り、さらに船を通じた密輸が行いやすいこの場所は、しかしだからこそ逃亡するのにもうってつけな条件が揃っていたのだ。
恐らく侯爵から大金を稼いだ商人は教国の皇女を敵に回した以上は危険だと判断し、ここが潮時だとしてどこかへと姿を晦ましたのだろうということが、彼らにはハッキリと理解できた。
「くそっ!! もう時間はないのだぞ! もはや不死病の禍々しい魔力が完全に行きわたるまで、あと一月もない……! いまここで手を打たなければ、妻は、娘はどうなる!? 不正だのなんだのと、そんな小さいことに拘っている場合ではないのだ!」
ガレリア・フランケル侯爵は手に持っていた失敗作のポーションを床に叩きつけると、焦燥感に駆られた表情で逃げ出した商人と、それを追い詰めた聖女に憎しみの感情を向ける。
悪徳商人と手を結び違法植物を購入していたのも、そんな商人と取引するために法外な金を用意する必要があり、結果として民に重税を課していたのも、全てはこの不死病を患った家族を救うため。
そう。
このことから分かるように、ガレリア・フランケル侯爵は不正に手を染め悪に堕ちようとも、彼が本来持つ善性、その本質が完全に消え去ることはなかったのだ。
「心中お察しします……」
「いや、よい……。取り乱してすまなかったな。思えば君はよく働いてくれている。思うようにいかないからといって、部下に当たるような真似をする無様な私についてきてくれることを、ありがたく思っているよ……」
それに、皇女殿下は何も悪くはない、悪いのは私だ。
侯爵はそう呟くと、力無く椅子へと腰掛ける。
分かっているのだ。
領民を背負って立つ自分が、身内を守るために重税を課すなどあってはならないことなのだと。
知っているのだ。
違法植物を手に入れる為に悪徳商人と手を結ぶということが、法の指標となる貴族の価値そのものを貶めていることを。
どんな理由を掲げようとも、たとえ家族の為だとしても、悪は悪。
自分が許されるはずなどないということは、侯爵自身が誰よりも理解していた。
「だが、ここでは止まれぬ。止まれるわけがない。妻と娘は、本来見捨ててしかるべきであった不死病患者を、領民を、彼らを救うために立ち上がり、そして犠牲となっているのだ!! ここで終わることなど、私には出来ぬのだ……」
不死病。
それは生きながらにして死者になるという、恐ろしい不治の病。
一度患ってしまえば徐々に症状は進み、約一年の時間をかけて完全なアンデッドへと変貌してしまう極めて稀な魔力疾患。
もちろん簡単にはこの魔力疾患に陥ることはない。
不死病はいわゆる負の魔力をベースとした病であり、よほど免疫力が低下していなければ、患者のそばにいようとも他者から伝染することはないのだ。
だが、侯爵の妻と娘はその善性から、この奇病を患った領民を救うために立ち上がった。
夜通し患者のそばで魔力実験を行い、どうにかして治せる方法はないのか、完治できないにしても、どうにかして今まで見つけられなかった改善点はないのかと探し求めた。
結果、日々魔力を使い切り疲れ切った彼女たちの免疫力は低下し、不死病患者の負の魔力が体に染みついてしまったのだ。
それが今から約、一年前のことである。
「だが、魔法使いとしても研究者としても優秀だった妻と娘は、最後に私へと希望を残した。本当に最後の手段ではあるが、皇女殿下である聖女様すら治療することのできない不治の病の突破口を、私に齎してくれたのだ……」
そう語る目線の先には、禁呪と呼ばれるとある魔法陣が描かれているのであった。
妻の研究ノートに書かれていた、あと一歩で完成するという不死病の治療薬。
しかしその治療薬は、魔法使いとしては優秀でも研究者としては二流だった侯爵が完成させることはできず、結局は一年という期間に間に合わせる事ができなかった。
だからこそ失敗を視野に入れていた侯爵は、あらかじめ何か手がかりはと探したところ、なんと研究ノートの片隅には最後の手段として、この世界のどこかにある禁呪を用いることで解決する可能性が示唆されていたのだ。
そして侯爵は、禁呪を再現させるために必要な魔法陣を、かの商人から既に入手していた。
「フランケル侯爵閣下、それは……」
「みなまで言うな。分かっているとも。これを使えば私は教国の罪人、……いや、人類史にすら残る最悪の大罪人になるだろうことはな」
そうであってもなお、この禁呪には価値がある。
そう締め括った侯爵は、どこからか不正の証拠を掴みこちらへと赴こうとしている聖女を歓待するため、部下の騎士に命令を下した。
「皇女殿下を例の場所まで、丁重におもてなししろ。もし私が糾弾され、近衛騎士や教国最強の剣聖エインに取り押さえられようとも、お前たちは決して手を出してはならん」
「しかし、それでは……! ……くっ、わ、わかりました。全て滞りなく、手配致します」
決断を下した侯爵に、無礼だとは知りつつも物申そうとする部下を視線で押さえつけ、命令を遂行させる。
そうしてやりきれない気持ちと共に去って行った忠臣を見送ると、さきほどまでの勢いはどこへいったのか、どこか気落ちした様子で、誰も居ない部屋の中で自らの罪を独白する。
「……ふ、分かっているさ。犠牲になる者など、必要最低限で良いなどという世迷言は偽善だと。こんなことをしたところで、他者の視点で見れば最悪の結末になることは変わらないだろう」
不死病を完治させる禁呪を発動するために必要な条件は二つ。
一つは強力な聖なる力を持つ人間の魔力。
もう一つは、その魔力を持った人間と、それに加えて治療したい人数と同じだけの数を持つ、命の贄。
つまり、妻と娘を不治の病から救うためには、最低でも聖女の命と自分の命を捧げなければならないのだった。
これが禁呪が禁呪たる所以。
メリットやデメリットという面でも、道徳的な面でも、決して手を出してはならない生者への冒涜なのである。
「救われた妻と娘は、なぜこのようなことをしたのかと私を憎むだろう。許してくれとはいわない。これは私のエゴだからな……。だが、それでも……」
想いを最後までは言葉にせず、拳を握りしめるガレリア・フランケル侯爵は、屋敷の片隅にて審判の時を待つ。
その俯く姿はどこか、自らが目論む計画が、どうか失敗して欲しいと願っているように見えた。
しかし、そんな本人しか知る由のない心の内を見届ける者は、この場にはいないだろう。
たった一人、彼の決意と聖女の信念が交わるこの物語を、最後まで見届けようとする、とある下級悪魔を除いて……。
 




