【068】燃えよ決算書類、めんどい仕事を灰に変えて
ここは異世界の神々が住まうとされる異空間、天界。
世界の裏側にあるとされる魔界とはまた別の、天上の者達が集う神聖なる空間にて、今日も今日とて一生懸命に働くちびっこい天使がいた。
その見た目七歳児くらいの天使の名を、メルメル。
本人曰くスーパーエリートの、自称、激カワ天使ちゃんである。
「では天使メルメルよ。あなたは三日後までに人々の信仰エネルギーの増減値をまとめ、部下の天使たちから得た各地の経過報告書を元に、最終的な決算報告書を作成しなさい。よろしいですね?」
そう真剣な声色で語るのは、この天界の天使たちの長である天使長プレアニス。
彼女はメルメルの存在に一目も二目も置いており、他の天使たちとは違う何かを感じ取っているからこそ、こうして重用し責任のある重要な仕事を振り分けていた。
将来は次期天使長を引き継がせようと思えるほどに、期待をかけているのである。
「メルメル。これは剣神様に献上するために必要なことなのです、分かったら返事を」
「えぇ……。くそめんどいの」
「は?」
「ううん、なんでもないの。分かったの。ちゃんと処理しておくの」
「はい。頼みましたよ」
メルメルの若干気の抜けたような返事を訝しみながらも、いつも信仰エネルギーの増減値を正確に調査してくるちびっこ天使の手腕に期待して、天使長プレアニスはこの場を去る。
だが、天使長である彼女は気付いていなかった。
実はいままで報告を受けていた信仰の増減値は、本当はとても数字の苦手なメルメルが直感で考え、その場のノリと勢いで決めて報告していたものであることを。
そして何よりもっとも信じられないのが、そのノリと勢いで決めた報告が、いままで寸分違わずピタリと正確な値を叩き出しており、下手したら雑用天使たちが必死にかき集めてきた情報をまとめるよりも、さらに正確な情報であったことだった。
そう、ちびっこ天使メルメルは、数字をまとめたり計算したりするのはめちゃくちゃ苦手なクセに、報告書の内容をチラ見しただけでなんとなく正解が分かってしまう、変なところで優秀なエリート天使だったのだ。
つまりこのメルメルの弱点とは、ちょっと報告書を書く事務能力が足りないだけ、ということになる実にもったいない天使であった。
実に摩訶不思議で、珍妙な生態の生き物である。
しかし、その足りない能力のせいで、このちびっこは毎度毎度、持っていてもしょうがない報告の為の決算書類を自分の部屋の押し入れに隠し続け、今日と言う日まで書類は無くなったけど結果は分かっているという謎の高等テクで言い訳をし、凌ぎ切ってきたのも事実なのであった。
「でもそろそろ、この押し入れも書類でいっぱいになってきちゃったの。きっと次に天使長が訪問してきたら、書類がちょっとだけハミ出してばれちゃうのよ……。困ったの」
メルメルは考える。
この決算書類の束をどうするかを。
「う~ん……。ま、なにはともあれ今は仕事の確認が先なのね。このあたちに掛かれば、こんな仕事三秒で終わるのよ。ふふーん」
ちなみに書類に記載されているのは、大まかにこのような内容である。
経過報告その一。
下界の西大陸に存在する宗教国家、カラミエラ教国の農村からの報告です。
本日は村人二百五十人から、平均的な教徒一人あたり十ポイントの信仰エネルギーを獲得。
村人によっては多少バラつきはあるものの、総合して、凡そ二千五百ポイントの収穫となります。
こちらからは以上です。
「なるほど、なるほどなの。でもこの報告書はきっと間違っているのよ? だって、二百五十人もの村人が全員教徒だったなんて、おかしいもの。だからここは少し低く見積もって、だいたい二千ポイントの収穫とすべきなのよね。うん、あたちはやっぱり天才ね」
報告書の計算をガン無視し、勝手に内容を歪曲し始めるメルメル。
だが、このテキトーな感じで決めつけた二千ポイントという信仰値は、実際のところ限りなく正確な数値であった。
この農村からの本当の信仰エネルギー獲得値は、正確には二千十三ポイント。
そのメルメルの直感と真実の誤差割合は、なんと小数点以下なのである。
結果的に、雑用天使が報告してきた値よりも、圧倒的に正しい答えであったのだ。
これこそがメルメルが目をかけられている理由であり、ちびっこ天使でありながらもエリートと自称する所以であった。
というか、たとえ数字が苦手でもここまで情勢を見通す能力があるならば、別の仕事を振ったほうがずっと効率がいいことに、天界は早く気付くべきだろう。
こんなものは宝の持ち腐れ、いや、メルメルの持ち腐れでしかなかった。
誰だこのちびっこを事務職に置いたやつは、責任者でてこい、という状況である。
しかしどんなに苦手な仕事であっても、しょせんメルメルはまだまだ下っ端天使。
今は振られた仕事を、可能な限り正確にこなすしかないのである。
上司から振られた仕事に拒否権は無い。
それが天使であった。
そして……。
「これで今日の仕事はおしまい。あとはこの書類たちを~……」
…………。
…………。
…………証拠隠滅するしかないのよ。
などと、急にキリリとした表情で押し入れを睨みつけ、とんでもないことを言い出してしまう。
問題はどこにこの証拠を隠滅し、きれいさっぱりと消し飛ばすのかであるが、幸か不幸かメルメルにはその隠し場所に心当たりがあった。
その答えなんと、下界。
天界に隠し場所がないなら、下界で処理してしまえばいいの~という精神で、メルメルは決算書類の束をリュックにかき集めて天界を飛び出す。
目指すは女神への信仰が厚く、天使として顕現しやすい下界のカラミエラ教国の、どこかテキトーな場所の教会。
そこでちょこっと場所を貸してもらい、このいつも自分を苛めるイジワルな──あくまでもメルメルから見て──書類たちを全て燃やし、ついでに気晴らしとしてキャンプファイヤーをしてしまおうという魂胆なのである。
この天使、あまりにも思い切りがよく発想が恐ろしいヤバい奴であった。
とはいえ、この件に関してはメルメルの能力を深く理解せず、仕事を断れない天使に無茶ぶりする天界側にも責任はあるだろう。
このちびっこ天使からすれば、これは苦肉の策ともいえる最後の手段なのであった。
◇
「ひひひ、司教様。こちらが今回の奴隷の代金になります。どうぞお納めを」
「ふぅ~む。いつもすまんねぇキミ。しかしダメだよ奴隷などと言ってしまっては。あくまで彼女らは神に仕える敬虔なシスターだ。この度の奴隷落ち、おっと、ではなく、奉公はあくまで彼女らが進んで行ったもの。これも神の試練なのです」
などと宣うのは、カラミエラ教国にあるとある教会を取り仕切る、腐りきった司教と悪徳奴隷商人の二人。
今日も今日とて悪徳を積むこの司教たちは、毎度恒例となった見目麗しいシスター達を売りさばいた金で私腹を肥やしていた。
組織が大きくなればなるほどに、どれほど崇高な理念を掲げようとも腐った者達というのは必ず出現する。
彼らはまさに、その典型例のような存在であった。
だがこの場所、この時代において、彼らを咎めることができる者達は存在せず、たとえ聖騎士たちが教会の近くを通りかかったとしても、秘密裏に動く彼らの悪事が表沙汰になることは決してなかったであろう。
そう、この瞬間までは、であるが。
「んん……? それにしても、なぜだか今日の君はちょっと焦げ臭くないかね? なにか紙の燃えるような、そんな匂いがするのだが……」
ふとしたタイミングで、司教がなにか異変に気付く。
「ええ……? 司教様もですか? 実は私もちょっと、どこかから漂ってくるこの臭いが気になっておりまして……。あれ? なんか、外が燃えるように明るくありませんか? それとこの教会、めちゃくちゃ暑くありませんか? というか、この部屋燃えてますよ!?」
「なにいぃいいいい!?」
そして司教に続き、奴隷商人までもが異変に気付いて外を見てみると、そこには────。
────書類の束を燃やしキャンプファイヤーを決行する、謎の幼女の姿が見えたのであった。
◇
「ふぁいあー!」
時は少し遡り、ちびっこ天使メルメルが下界に降臨してからしばらく。
テキトーに人気のない教会を見つけたちびっこは、さっそく庭で決算書類の束に火をつけ、盛大なキャンプファイヤーをブチかましていた。
その燃える書類の火は轟々と天高く立ち昇り、いままで隠し続けてきたメルメル最大の悩みと共に、きれいさっぱり灰と化していく。
これにはちびっこ天使もニッコリ。
まさに全ての苦行から解放されたかのような晴れやかな笑顔であった。
「いまはとても気分がいいの。なんだか、あたちの心が軽くなったみたい。もっと、もっと火を燃やすのよ。ふぁいあー! ふぁいあー! ふぁいあぁあああああーーーー! FHOOOOO!」
もはや完全にテンションのぶっ壊れたちびっこ天使メルメルは、拳を天に掲げてガッツポーズを取る。
まさにこの瞬間こそが勝利そのものであるかのように喝采を挙げ、一人キャンプファイヤーを楽しんでいたのだ。
だが、そんな勝利のキャンプファイヤーも、やり過ぎれば身を滅ぼす。
ついに轟々と燃え盛る火の勢いは風の流れに乗り、教会の屋根にまで引火してしまったのだ。
「あっ、ヤバいのよ……。ふぁいあーし過ぎて、書類の火が教会に引火しちゃったの。た、たたた、たいへんなのよ……」
あまりにも圧倒的な勝利から一瞬で敗色濃厚になったメルメルは顔を青ざめさせ、ついに自分がやらかしてしまったことに気付き、ぷるぷると震える。
だが、時既に遅し。
仮にもこの火には天使の魔力が籠っている。
それも勝利の余韻のせいでテンションのぶっ壊れた、あまりにも過剰な魔力が込められているのだ。
ちょっとやそっとの火消し程度でなんとかなるものではなく、メルメルはその現場を見ていることしかできなかった。
そしてついに……。
「きょ、教会が全焼しちゃったのよーーーーー!!!」
そう、憎き決算書類と共に、教会は灰になってしまった。
幸い教会の中にはシスターは一人もおらず、情報によると、表向きには人っ子一人いないということだったので死傷者はゼロのようだったが、やらかしてしまったという事実は消えない。
あわあわと首を振り絶望するメルメルだが、もう全てが手遅れなのであった。
「しゅ、出頭するしかないのよ……。こんなことをしたら、きっと天使長のプレアニスは激おこなのよ。あたちもたぶん、平天使からやり直しなのよ……。ぐすん」
その後、隠しきれない自らの行いに観念したメルメルは天使長に洗いざらいのことを報告した。
実は自分が書類仕事が苦手だったこと。
決算書類をキャンプファイヤーしてしまったこと。
人気のない教会を燃やしてしまったこと。
その全てをだ。
「はぁ……。凡その事情は分かりました。ですがまさか、いつも誰よりも正確な報告を上げてくるあなたの仕事が、実は直感によるものだったとは……。ある意味、その才能が恐ろしくもあります」
「ごめんなさいなの……。でも、あたちも頑張ろうとしてたのよ……。でも罪は罪だから、受け入れるの。煮るなり焼くなり、なのよ……」
天使長の前で華麗なスライディング土下座を決め込んだメルメルは、自らの罪を受け入れ謝罪する。
だがしかし、今回の件に関しては少しだけ温情もあったのは確かであった。
「ええ、書類の件に関しては確かにあなたは間違いを犯しました。ですが、結果として情報はより正確になり、私たち天使長の仕事は大いに前進しております。それが直感だろうとなんだろうと、この件の責任者であるあなたが雑用天使たちのミスに気付いたという体であれば、情状酌量の余地はあるでしょう」
「ふぇ?」
鼻水と涙を流しまくったメルメルの前で、天使長はさらに続ける。
「それと、最後の教会全焼の件に関してですが……。メルメル、よくやりました。さすが私の見込んだ天使です」
天使長プレアニスは語る。
実は近々、あの女神信仰の名を騙り、民と敬虔なる信徒を陥れる不届き者たちに天罰を落とす予定であったと。
あまりにも度が過ぎたその行いには下級神である上司、慈愛神が激怒しており、もはや今にも聖女へ神託を下そうとしていたところであったことを、メルメルに語ったのである。
「ですから……。そうですね。今回はあなたの罪と功績を考慮し、一時的な下界への追放処分とします。それとメルメル……。今まであなたが苦しんでいたのに気づいてあげられなくて申し訳ありませんでした……」
それだけ言うと天使長は頭を下げ、その後にメルメルの頭をなでなでする。
しかし本人としては、なぜ自分がこれだけ軽い罪で済んでいるのか分からず混乱しているのであった。
「だからメルメル? あなたはちょっとだけ下界でお休みしなさい。今まで溜まったストレスを癒して、そして天界のエリート天使へと再び復帰するために、新たな功績を積んでくるのです。それがあなたに課せられた追放処分の、本当の理由です」
そんな優しい天使長プレアニスの言葉にメルメルは目を潤ませ、鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔で顔面を崩壊させたのであった。
「うい……! あたち、下界に行っても頑張るのよ! きっとめっちゃ凄い功績を上げて、またエリートの座に返り咲くのよ! 天使長をびっくりさせてあげる!」
「その意気ですメルメル」
そうしてこの日、天界の事務処理部から一人のエリート天使が姿を消した。
果たして消えたエリート天使がこの先、下界でどんな騒動を巻き起こすのか。
または、どんな功績を上げてくるのか。
その答えはまだ、誰も知らない。




