【026】武術大会へ向けて
聖女イーシャ・グレース・ド・カラミエラ様五歳、お誕生記念武術大会。
そうデカデカと城に掲げられた横断幕が、教国の皇都カラミエラにて強烈な存在感を主張していた。
行き交う人々はその武術大会を示す横断幕を見て、自らの力を試すために気合を入れなおす者、この国を挙げた一大イベントにて活躍することで仕官を目指す夢見る者、またはよからぬことを企む不埒な者と、様々な思惑を胸に秘めて集まっているようだ。
「そろそろですね、お嬢様」
「ふぇ? え、ええ。そうね~。はじまるわね~」
そう言葉を交わすのは幼き主君と若き従者。
いや、この祭りの主役である聖女イーシャ本人と、武術大会子供の部、筆頭優勝候補である剣の申し子エインと言った方が的確であろうか。
だがエイン少年の語りかけにイーシャは気のない返事を返し、心ここにあらずといった感じで集まる人々の中を見回している。
どうやら、誰かを探しているようだった。
「はあ……。またあの少年のことですか、お嬢様。あの日以来、ずいぶん彼に入れ込んでいるようですね。ですが、それはこの国の聖女であり皇女である者として、あまり良い傾向とはいえませんが?」
そう語るエイン少年の表情には若干の疲れが見え隠れしており、おそらくこの数日間で何度も同じセリフを繰り返して来たであろうことが窺える。
もしこの場で彼の内心を代弁するのであれば、「この手のかかる馬鹿聖女の本性を知らずに狙われているとは、彼も可愛そうに……」と同情していることだろう。
それもそのはずで、なにせこのイーシャは聖女としての上っ面だけは完璧であったのだから。
結果としてその真実に気づかずにすり寄り、聖女の肩書だけを知って甘い蜜を吸おうとしてきた、無能極まる貴族子弟に関してはことごとく蹴散らされているので、実績があるだけに余計タチが悪い。
そういった面では有能と言えるし、この本性と上っ面の二面性も使いどころを間違えなければ有用だろう。
だが、あの金髪の少年がこの暴走幼女に「本気で」狙われているとなれば、話は別だった。
なにせこのイーシャは突拍子がなく、限度を知らない。
もしこの先も本気であの少年に興味関心を寄せてしまうとなれば、どんな手を使うか想像もできないのである。
もしかしたらこの我儘のために教皇を動かすかもしれないし、聖騎士団を動かすかもしれない。
そしてそれは、たった一人の少年のためにやるにはあまりにも大げさなことであると同時に、聖女を止められなかった従者として、全てのしわ寄せがエイン少年一人に降りかかることになるのと同義であったからだ。
実はこのエイン少年、まさに中間管理職ともいえる、胃の痛い立場を十歳にしてこなしているのだった。
「くれぐれも……。くれぐれもあの少年に余計なことはしないでください。お願いしますから」
「なっ!? なによ、彼とはそんなんじゃないわよ!? あんたこそやきもち焼いてるんでしょエイン! 知っているんだから!」
「あぁ……。ダメだ、何も分かってない……。もうダメかもしれない」
「なんですってぇ!? ムキィ~!」
数日前、とある金髪の五歳児が引き起こした活躍により、黙って馬車から抜け出した事を悟られることなく誕生パレードを無事に成功させた聖女は憤慨する。
ゴロツキ共を蹴散らした手腕も見事であったが、あの少年に出会ったからこそ護衛のエインも帰宅を急いだし、それによってつつがなく脱出ゲームが成功を収めたのだから、なにも警戒するようなことはないはずだと、イーシャはそう思っていた。
なんならいまから見つけ出して個人的に恩賞を与えるか、もしくはそれが切っ掛けで、あの子とお近づきになりたいなぁ、なんて思っていたりもする。
思考回路が完全に色恋にのぼせた少女のソレであるが故に、エイン少年がなぜここまで頑なに注意しているのかという事実に気付かないのであった。
「恋は盲目というが、まさか俺の主君がここまでポンコツだとは……。その上っ面の聖女成分が本性だったら、どれだけ良かったことか……」
「なによ、なによ、なによ~! エインのば~か! やきもち男~! こんにゃろ! こんにゃろ!」
呆れかえるエイン少年に対し、怒りの幼女パンチを連打しはじめる。
しかししょせんは訓練もしていない五歳児パンチ。
彼にとっては痛くもかゆくもないので、ますますイーシャを憤慨させてしまう結末になるのであった。
「まあ、そう慌てなくとも大丈夫ですよお嬢様。あれほどの少年がこの国で話題にもなっていないということは、他国の者なのでしょう。であれば、わざわざこの時期に来たのですから武術大会には出場するはずです。そして、よっぽどのことがない限りは早々に負けることはないでしょう」
「はっ!? そ、そうよね! でかしたわエイン、あなたの言う通りよ!」
このままではキリがないと感じた彼はそのように諭し、主君であるイーシャの機嫌をコントロールする。
だが、この話の内容そのものは彼の本心でもあった。
もし仮に自分が警戒するほどの力量を持つライバルとなるのであれば、予選はもちろん、自らと当たるまで敗退することなどありえない。
そのくらい剣の申し子と呼ばれ、最強の聖騎士団長を父に持つ自らの剣技には自信があるし、仮にあの場で戦いになっていたとしても、主君を守り切れる確たる自信があったのだから。
いままで剣において自分と対等に戦える者など存在していなかった彼は無意識に期待し、そしてあの金髪の少年と戦えることを夢想しているのである。
そしてそれは、話の当事者であるアルスにも言えることであった。
「お父さん。武術大会には、やっぱりあの子もでるのかな?」
「お? 楽しみか?」
「うん! だって、なんとなく友達になれるような、そんな気がしているんだ」
「そうか~。なら、友達に失望されないように、最後まで勝負を諦めちゃだめだな。がんばれアルス」
「うん!」
カラミエラ教国、武術大会子供の部、予選の会場にて二人の親子の会話が人知れず交わされる。
片や黒髪黒目の優男に、片や金髪碧眼の五歳児。
一見すると血の繋がりが見えない二人の親子であったが、その談笑から感じ取れる信頼は本物の親子のそれであった。
「さて。それじゃあ俺も、アルスのために一肌脱ぐとしようかね」
そしてこの日ついに、後に語られる伝説の勇者の物語、その仲間たちとの邂逅の一端が幕を開けようとしていた。




