【021】エルザとカキュー
「旦那様。朝でございます」
「ほい」
「朝でございますが?」
「ほいひお……」
「フンッ!」
「アァーーーーッ! 俺のオフトン様が!」と叫ぶ甘ったれの掛布団をひっぺ返し、問答無用で起床を促し掃除を継続します。
まったく殿方というのは、どうしてこうも自堕落なのでしょうか?
今もなおしぶとく布団にしがみつくこの甘ったれ様は、「お慈悲を!」だの、「鬼エルフ!」だの喚いていますが、関係ありません。
そのような甘えた生活、私の目がある限りは決して許しませんよ。
それにしても、ふふ……。
かつて大国の暗部に所属し、【宵闇】と恐れられた私も甘くなったものです。
昔の私だったら、殴り飛ばしていたことでしょう。
ああ、申し遅れました。
私の名はエルザ。
今はただ、この自堕落で自由気ままな、……そして少しばかり放っておくことのできない殿方の、ただ一人の妻エルザでございます。
「チッ、しぶとい」
「辛辣!? 辛辣すぎるよエルザさん!?」
辛辣ではありません。
いまもなお掛布団を死守しようとするあなた様がおかしいのです。
この後も仕事が詰まっているのです、さっさと起床してくださいませ。
それにそのお顔に、寝ぼけた証拠がついているではありませんか。
「ほら、旦那様。お顔に涎の跡がついております。身だしなみはきちんとして下さいませ」
「んぁ?」
「もう。仕方ありませんね……」
どうやら夫であるカキュー様はまだ寝ぼけておいでのようです。
このままでは仕方ないと判断した私は、水の生活魔法で少し濡らしたハンカチを頬にあて、その跡が消えるまで拭き取ってあげることにしました。
旦那様は理解しておられないようですが、こういう身だしなみがこの城の主君としての威厳を保つのです。
たとえ現時点でこの城の使用人がそれ程の数がいないのだとしても、やはり形というのは大切でしょう。
「お、おおう。久しぶりにエルザたんのデレがきたぁーーー! この愛が尊いっ! これであと二千年は生きられるぞ!」
「何を馬鹿なことを仰っているのですか。人が二千年も生きられるわけないでしょう」
「はっはっは! そうかもしれないな!」
「はぁ……」
私の正論に大笑いする旦那様を見て溜息を零します。
いったい何が面白いのか私には分かりませんが、目が覚めたのならよしとしましょう。
それに今日はやることが山盛りなのですから、さっさと起床してもらわねば始まりません。
なにせ今日、ついに私たち家族の最愛の息子であるアルスが五歳の誕生日を迎えるのですから。
誕生パーティを成功させるためにも、やけにノリノリな使用人であるガイウスと連携して準備に当たらなければなりません。
それに今回はいつもと違い、追加のサプライズがあるのですから。
「しかし、アルスももう五歳か。……分かってはいたが、あっという間だったな」
「はい……」
五歳。
それは十四歳で成人するのが一般的とされる人間族において、本人にとっては長い長い子供時代のまだまだ序盤とも言えるでしょう。
しかし、人間の時というものは長命種である私にとっては瞬きのようなもの。
いまのこの瞬間を大事にしなければ、きっと私は後悔するはず。
もちろん、成人したからといってすぐに立派な大人の仲間入り、という訳ではありません。
あくまで手取り足取り親がお世話をする期間が終わり、自立に向かっていく境目に到達したというだけに過ぎないでしょう。
成人というのはまだまだ大人ではなく、しかし同時に子供と呼べるほど幼くもない。
そんな時代です。
まあ、親から見れば子供はいつまでたっても子供なのですが。
ですがそれでも、それが分かっていても感慨深いものです。
「さて、気合入れるか。今年のサプライズプレゼントはきっとあいつもビックリするぞ」
「ええ。なにせ初めての家族旅行ですから。この南の大陸と各拠点の城付近が世界の全てだったアルスにとって、かけがえのない思い出となるはずです」
家族水入らずの初旅行。
それ故、私たち家族の他にはもっとも信頼のおける使用人であるガイウスを連れて行くのすら、最初は躊躇った程です。
まあ、これは私のわがままですね。
最悪この城を放置しても、外敵に対しては旦那様のペットである火竜のボールスもいますし、いざとなったら対応するように命令してあるので大丈夫でしょう。
旦那様にガイウスを連れて行くことを優しく諭されては、私には否定することなどできませんでした。
「さて。それと、エルザ」
「はい」
「今まで何度も言っているが、お前を裏切った国に復讐したくなったら、いつでも言うんだ。この俺がいる限り躊躇などいらない。あとはお前の気持ち次第なんだからな」
その言葉に息が詰まりそうになりますが、同時に嬉しくもありました。
やはり旦那様は、……カキュー様は、私との約束を忘れていなかったのですから。
ですが、それは要らぬお世話というものです。
既に私はあなたが居て、アルスが居て、この城の仲間達がいる生活に満ち足りているのですから。
もう、復讐などどうでも良いのです。
いま私の心を占めるのは憎しみなどではなく、単なる忠誠などでもありません。
それよりも、もっと温かい────。
「ふふ、覚えておきましょう」
「ふっ。まあ、大船に乗ったつもりでいてくれ!」
ああ、それでも、あなたとの繋がりであるこの約束を失うには惜しい。
この約束がある限りは、これから先もあなたの目を私に向けさせることができるのですから。
ですから、しばらく。
もうしばらくだけ、この約束に甘えさせてもらいます。
この幸せな私たちの関係が、ずっと続くように。




