【020】アルス、幼少期の思い出
もぞもぞと蠢く魔法陣に注意を向けると、どうやら追加の魔族が出現しそうな予兆を観測した。
たぶん、さっき死んだ魔族の親玉かなんかが攻め込んでくるのだろう、さきほどとは比べ物にならない力を感じられる。
「……なんか、来るな」
「何ッ!?」
「旦那様!?」
俺の言葉にアルス以外の者が強く反応した。
おそらく優秀な戦士と暗殺者である二人にも、相手の力量がなんとなく伝わってきているのだろう。
ガイウスは自らの力で皆を守るために警戒を、そしてエルザは自分ではどうしようもない程にかけはなれた魔族の気配に、俺を心配して顔を青くさせているようだ。
いつもドSなエルザにこんな表情を向けられるのは新鮮な気分である。
うむ、役得役得。
「む、ここは人間界か……。私の配下が死体で送り付けられた時は天界からの当てつけかと思ったが、ふむ……?」
現れたのはゴキブリのような肉体を持った、執事服を着た謎の生命体。
おそらく実力は俺を除いて、この場の誰よりも強いだろう。
さきほどの魔族など比較にもならない強さだ。
もしかしたら、スノードラゴンの群れすらも相手できる程の実力かもしれない。
だがまあ、この程度の化け物は地獄界にいくらでもいたので、いまさら驚くような程でもない。
腐っても魔族なのだ、もし天界に喧嘩を売る者たちだというのであれば、このくらいでなければ張り合いというものがないだろう。
しかしゴキブリ魔族はこちらに気付いているはずなのだが、まったく注意を払う素振りが見受けられない。
もしや、まだ俺が悪魔だということにすら気づいてないのか?
確かにこの世界の魔族とは出身が違うし、異質ではあると思うのだが、たかだか魔力を周囲に漏らさず見た目を完全な人間に偽装している程度で、気づかないものだろうか?
あれ?
もしかしてこいつは、俺が思った以上に弱いのか?
「ふむ。分からんな。まあ、そこの人間たちの脳に直接聞けば何かしら手がかりがつかめるだろうか。おい、そこの優男、ちょっと脳をよこせ。その知識を啜ってやる」
あら、俺をご指名かい?
まあ、いいけど。
肉体言語で説得して、お帰り願う手間が省ける。
「だ、旦那様!? アルスを連れてお逃げ下さい! ここは私が命を以て時間を稼ぎます!」
「私の邪魔をするな、女。不愉快だ」
彼我の実力差を正確に理解しているのか、あまりの恐怖に半狂乱になりかけたエルザが俺の前に出ようとするが、それが不愉快だったのだろう、ゴキブリ魔族は高濃度に圧縮した魔力の塊を爪から射出し攻撃を行ってきた。
いわゆる無属性の魔弾というやつだ。
って、おいおいおい。
なにやってるんだよエルザ、いつも冷静なお前らしくもない。
このままその魔弾が直撃すれば、いくらなんでも命はないぞ。
それに、お前が死んだらアルスが泣いてしまうだろう?
もっと自分を大事にしてくれなきゃ困るな。
エルザは俺の妻で、アルスの母親なのだから。
仕方ないので、俺がさらに前にでて魔弾を受け止めることにした。
直撃である。
「旦那様ァァアアアアア!! 嫌ァアアアアアア!!」
「ご主人!?」
「む? おや、死んでしまったか。仕方ない、次はそこの女、前に出なさい。この魔王様の右腕たる四天王の私が、直接脳を啜ってあげよう」
いや、君ら俺を勝手に殺すなよ。
いまの一撃は結構な爆発を生み出したので、俺の周囲はもくもくと煙が立ち込めて中身は判断できないだろうけど、こんなジャブで俺がダメージを負う訳ないだろう。
あの四天王とか言っているゴキブリはともかく、エルザたちまでひどいじゃないか。
そんな絶望した顔を見せないでくれないか。
それじゃあ、このゴキブリにムカついて、意味もなく殺したくなってしまうじゃないか。
せっかく穏便にお帰り願おうと思っていたのに。
「お母さま、どうしたのですか? なぜ、そんなに悲しいお顔をなされているのですか?」
「ア、アル、ス…………。逃げて……」
「お母さま?」
ほら、そんなに悲痛な表情を浮かべるから、アルスが心底分からないって顔しちゃっているじゃないか。
おお、俺を信じて待ってくれているのは我が息子だけらしい。
むしろ我が息子様は、もっと心配してくれてもいいんだよ?
いや、こんな攻撃で父ちゃんがやられる訳がないって信じてくれているのは、嬉しいんだけどね?
「……ガイウス。おそらくこれが最後の命令になるでしょう」
「ああ。分かってる。アルスのことは任せろ」
「ええ、後は頼みましたよ。私たちの最後の希望を、託しました」
しかしエルザはアルスの態度を、ただ状況を理解できていないだけだと思ったようで、息子を信頼できる戦士に託し、自らが生け贄になろうと最後の気力を振り絞った。
やっちまった。
これ完全に出遅れたやつだ。
やっぱり俺、もう死んだことにされて話が進んでるよ。
いや、まだ間に合う!
いまこの煙を晴らして声をかければ、この空気をぶち壊せる!
う、うおおおおお!
やるしかない!
いけーーー!
「おいおい、だから勝手に殺すな! 俺、生きてるから! ピンピンしてるから! ほら、見てこの力こぶ、健康的でしょ?」
「旦那様!?」
「ご主人!?」
「ナニィ……?」
おうおうおう。
三者三様の態度を見せるじゃないの。
それにナニィとかいっているゴキブリ君、君も魔族なら、もう少し観察眼を磨いてきなさい。
目の前に立っている俺は、君よりはるかに高位の悪魔さんですよ。
「あっ、お父さん。お母さまが先ほどから変なのです。どうしたのでしょう?」
「大丈夫だぞアルス。お母さんはちょっとゴキブリの見た目がショッキングで、気が動転していただけなんだ。いまあの虫にはお帰り願うから、ちょっとまっててな?」
「あ、そっか! お母さま、虫嫌いだもんね! お父さん頑張って!」
お~う。
任せろ~。
それじゃあ一撃でいくぞ~。
俺は目の前で戦力差を勘違いしているゴキブリを元の世界に送還させるべく、それはもう親切に魔法陣を再構築し、強制退去の魔法に魔力を込めはじめた。
いくら庶民的な悪魔とはいえ、なんて優しい対応なのだろうか。
優し過ぎて涙が出そうだ。
まあ、正直いまここでこの四天王とか言っているゴキブリを殺してしまうと、いくらなんでも魔界とやらと戦争が始まりそうだったので、面倒臭かった部分もある。
せめてアルスの教育が一段落するまでは、魔界とやらに活発に動いてほしくないのだ。
なぜなら、俺はいま子育てが楽しいからである。
このスローライフを邪魔されたくない、その一心という訳だ。
「こ、この人間風情めが……。たかだか魔弾を防いだくらいで図にのりおって……」
「うるせえ。いま元の世界に返してやるから少し黙ってろゴキブリ。あんま煩いと殺虫剤かけるからな」
「…………。もはやこれほどの侮辱、我慢ならぬ。死ねぇ!」
自らを四天王だと思い込んだ一般男性、もとい魔族のゴキブリがキレたのか、今度はさきほどよりも強めの魔弾を連射してきた。
こんなジャブでは効果がないというのに、懲りないやつだ。
地面のホコリを巻き上げるだけの花火で、悪魔がダメージを負う訳ないだろう。
「な、なぜ効かない……」
「はあ、まだ分からないか?」
「お前は、いったい……」
ちょうどいい、もくもくと煙が立ち込め、再び放心しているエルザとガイウスには見えないだろうから、ちょっとデビルモードで脅してやるか。
ほれ、これがお前の見たかった答えだ。
「これで満足か? これが俺の本気の姿だ。流石に鈍いお前でも、ここまでくれば分かるだろう」
「お父さん、やっぱりそれカッコイイー!!」
「…………ッ!? …………ッ!?」
魔力を一部開放し、真の姿であるデビルモードを見たゴキブリは口を金魚のように開閉させる。
虫なので表情は分からないが、どうやら驚いてくれたらしい。
まあ、だがサービスはここまでだ。
あとはおとなしくおうちに帰りな。
「それじゃ、ま、達者でな。グッバイ」
「~~~~~~~!!!」
俺が完成した魔法を行使してゴキブリ魔族を送還させると、最後に声にならない声のような悲鳴をあげて去っていった。
もう二度と来ないで欲しいね。
いや、もう魔法陣は消したからこれないだろうけども。
「ふう、悪は去ったな! どうだアルス、面白かったか?」
「うん! 面白かった! また今度やろうね!」
「い、いや~。また今度はむりかな~。はははは……」
そんなこんなで、アルス五歳の誕生日プレゼントはガイウスの復活とお父さんのデビルモードという思い出で彩られ、その後つつがなく翌日を迎えることになるのであった。
のちにアルスはこの幼少期の思い出を、いずれ現れる仲間達に宝物のように語ることになるのだが、それはまた別のお話。




