【019】新たな火種
チクタク……。
チクタク……。
「ううむ……」
南大陸最大の魔法国家ルーランス王国。
そんな大国の一部である、町の一角。
ラドール子爵が治める町の領主邸にて、この町の守護神とも称えられているとある人物が子爵と面談を行っていた。
もう齢五十を過ぎた生ける伝説は、その肉体の衰えを微塵も感じさせない風体でドッシリと領主の対面にあるソファーに座り、そばで控えているこの子爵家の騎士団長すらも息をのむほどの威圧感をもって唸っているようだ。
静まり返った室内で時計の針の音が響き渡るのも、彼の存在感を増す一つの要因になっている。
しかし貴族の当主を前にして、そんな尊大な態度を取る彼を咎める者はこの場には誰一人としていない。
事はそれだけ重大で、なによりこの男は冒険者ならば誰もが知る人ぞ知る、勇者アルスの英雄譚を支えた最強のS級冒険者。
超戦士ガイウスその人なのだから。
そのうえガイウスはこの冒険者好きのラドール子爵家に食客として迎えられており、町の防衛、いや、いざとなれば南大陸を守護する人類の切り札として数えられているので、むしろそういう面においては子爵よりも立場が上といっても過言ではない。
子爵自身もそれがわかっている故、礼節など抜きにした自然体のこの男と接しているのだ。
「それで。貴殿にこの件で協力を仰ぐことは可能か?」
「難しいな。というより、俺の手に余るといった方がいいだろう」
「ば、バカな……」
対面に座る子爵からの質問に、眉間にシワを寄せた難しい顔をしつつもハッキリと無理だと答えるガイウス。
一体どのようなことを依頼されたのかは定かではないが、この戦士の真髄を極めた大男にわざわざ頼むのだから、間違っても頭脳労働ではないだろう。
少なくとも依頼内容は戦士としての力が試されるなんらかの戦いを舞台とするはず。
だが、そうであっても尚、なにをどうあがいても自分ひとりでは力不足だと語るガイウスの言葉には力があり、下手に実力を誇示しないことから真実味が感じられた。
いや、むしろそのような誠実な実力者が無理であると断言するからこそ、絶望は大きい。
返答を聞いた子爵は一瞬自らの耳を疑い、これが現実なのだと呑み込めないようであった。
「しかし! しかし貴殿以上の戦士が、この大陸にそう易々といるはずもない! 一人では無理だというのであれば、騎士団と連携するのはどうだ? もちろん、必要な物資は依頼料とは別にこちらで融通しよう。それでどうだろうか?」
「いいや、それでも無理だな。騎士と俺が組んで突入したところで、なんの意味もない」
現実を否定するかのようになおも食い下がるが、願いは届かず首を横に振られる。
それどころか、自らが擁する騎士団と連携させたところで焼石に水だと聞かされてしまい、打つ手の無い状況に絶望感が増すばかりであった。
「で、では……。どうすれば……」
「いやなに、別に俺の戦士としての力が全く通用しないというわけじゃねえ。一対一なら敵組織の連中に後れを取るとは思っちゃいねえよ。奴らの実力は、以前にアルスの奴と勢いで拠点に乗り込んだ時にある程度確認しているからな。だがなあ……」
ガイウスは言う。
直接的な戦闘能力、武力では劣っていないと。
では何が問題なのか。
それは自ずと子爵の口から発せられた。
「勇者や超戦士が乗り出せば、それだけであまりにも目立ちすぎる、ということか……」
「そうだ。敵もバカじゃねぇからな。俺やアルスが直接的に動けば、絶対に気取られる。そうすれば戦いにすらならず逃げられるだけだろう。ここに騎士団なんていう目立つやつらが同行しても、結果は同じだ」
そう結論付ける子爵の話に、肯定の意を返す。
そもそも事の発端がなんなのか、なぜ彼らがこうも後手に回っているのか。
それはひとえに、ラドール子爵が統治するこの町で起きた事件に、彼の娘が巻き込まれたことが発端であった。
事の起こりは三年前。
エキナやアベル、フラダリアら子供たちと対峙した人攫いの犯罪者たちを捕らえたことから話は始まる。
その時はただの人攫い、もといそれに連なる闇組織の連中を国から一掃するだけで処理は終わったのだが、問題はそのさらに背後にいる組織の手がかりが明るみになったことで状況は変わった。
というのも……。
「それに魔族と人類の因子を掛け合わせる人体実験だったか? A級に到達した冒険者なら一対一でも勝てるとはいえ、そんじょそこらの騎士ではまるで勝負にならないぜ、あの化け物は。今回、ラドール子爵家のお嬢さんを間一髪で救い出せたのはまさに奇跡。運がよかった、といっても過言じゃない。……たとえ後遺症が残っていたとしてもだ。これがちょっかいをかけた俺たちへの、奴らにとっての報復の一つだったんだろうよ」
そして三年後の現在。
その明るみになった組織の最終的な目的が何かは不明瞭であるが、少なくとも人と魔の融和が図られつつあるこの世界において、因子の融合とやらが新たな火種として南大陸に降りかかろうとしているのであった。
いや、南大陸だけではない。
人間大陸と呼ばれる西大陸にすらその魔の手はおよび、どこからともなく現れる「因子改造人間」、またはそのような存在の素体を集める組織の者たちが蠢きだしたのもまた、ここ最近のことなのだ。
もっともこれを知っているのは事件の被害にあった者たちや、大国の王族や上級貴族といった一部の者たちだけに限られる。
事態が事態だけに、国のトップからは箝口令を敷かれているのだ。
下級貴族であるラドール子爵が詳細を知っているのは、三年前に組織の末端を駆除したガイウスやアルスの働き、そしてエキナたちが相対した人攫いの者達の捕縛が、ラドール子爵の手腕によるものとして敵側に判断され報復を受けたからに他ならない。
そして犠牲となったのは彼の娘である、システィア・ラドール嬢。
現在十三歳のフラダリアと同世代である彼女の右腕には、魔族の因子を組込む人体実験の後遺症となる、呪印のようなタトゥーが出現していた。
敵組織の人間はこれを人類の新たな到達点、「祝福」だと宣っていたようだが、本人たちからしてみれば望んでもない呪いと大差ないのだからタチが悪い。
幸い、今回呪われた右腕が人体に悪影響を及ぼす効果はないようだが、他の事件では理性を失った人間や、人形のように感情を失ってしまった人間も確認されているという。
今回はたまたま、本当にたまたま助かったようなものなのだ。
間一髪で救い出せたというのも、実験が最終段階まで進行する前に救い出せたことによる、不幸中の幸いではあった。
だが娘をこのようにされて、父親としても貴族としても黙っていられるわけがないのも、また事実である。
悔しそうに俯く子爵を前に、ううむ、と唸りをあげてさらに険しく眉間にシワを寄せるガイウス。
故に。
「一つ、問題の解決方法に心当たりがある……」
「なにっ!! 貴殿、それは本当か!!」
「任せろ。といいたいところだが、ここから先は子爵の誠意と、交渉次第だな」
あまり気乗りしなさそうにしながらも、切り札を切ることにしたようであった。
それになにより、子爵の気持ちは同年代の娘を持つガイウスとてよく理解していたのだから。
そして、伝説の超戦士が頼りにする無敵の切り札とは、もちろん……。
「あー、なんだ。またご主人に借りができちまうなぁ……。返せるのか、これ?」
などと、とある下級な感じの悪魔のことを想い独り言をつぶやくのであった。