【004】ついでに冒険しちゃう感じ
熱くなったグランベルトの指摘から逃げ出すような形で魔法城を飛び出したアベルは、自分がどこを目指しているのかも分らぬまま、悔し涙を滲ませつつもただひたすらに大森林の中を駆ける。
しかしここは未開の地が多い南大陸の中でも、強力な魔物が蔓延る大森林の奥深く。
魔法城の近くということで、普段は両親が火竜の餌や自分達の食料を求めて狩りをしているため、ある程度の知能を獲得している上位存在は近寄らないが、それでも平均して冒険者ランクでいうところのC級程度の魔物はうようよとしているのだ。
C級魔物というのがどれほどの脅威なのかというと、B級が単騎で小さな町を相打ち覚悟で壊滅させることができる存在の、ワンランク下の存在だといえば分かりやすいだろうか。
ゴブリン等のE級が武器を持った農民と同程度。
D級が見習いを卒業した駆け出しの冒険者と言われる、一応は魔物退治のプロとして認められた存在と同程度。
最低限の武器訓練や集団行動を学び終え、ある程度鍛えられた兵士の強さはだいたいこのランクである。
ホブゴブリンなどの上位存在が統率する群れをなしたゴブリンの集団もまた、全体でみるならここらへんだろう。
そのさらに上のC級ともなると、国が抱える騎士や聖騎士でも小隊長クラスの存在。
農村の近くにC級の魔物が出たならば、ほとんどの場合、冒険者ではなく騎士小隊が対応する範囲の災害だ。
冒険者でも対応可能だが、プロ集団の中でも熟練と言われるC級冒険者に農村がいちいち対価を支払っていては、村を運営することもままならない。
よって、そんな騎士でいうところの小隊長クラスの魔物がうようよしているこの大森林の中を、勇者の息子にしてはあまり才能がないとエキナに言われる五歳児が彷徨ったともなれば、いずれ追い詰められるのは必然のことであった。
もっとも、当然のことながら近隣ではC級魔物が上限というだけで、環境下にはD級やE級の魔物だって沢山いる。
食物連鎖というのはそういうものだからだ。
だからここまでアベルは生きて走り抜けてこれたし、護身用の短剣を携えた本人の実力もD級くらいはギリギリあるが故に、一目散にどこかへ逃げるだけなら窮地に陥ることもなかった。
そう、今までは、である。
普段から生活を共にするが故に、いくら食物連鎖の頂点である火竜の匂いが染みついているとはいえ、好戦的なC級魔物にいつまでも出会わないというのは無理な話だ。
さらに奥へ奥へと進んでいけば、いずれ自分に牙をむく自然の驚異にだって遭遇する。
「ギギギギギギ……」
「なっ、あっ……」
アベルの前に立ちはだかり泣き腫らした瞳に映り込むのは、グレーターマンティスと言われる、馬車よりも大きな体躯を持つ巨大カマキリだ。
鋼鉄さえも切り裂く巨大な二本の鎌で獲物の命を刈り取り、背中の羽で短時間の飛行すら可能にするバケモノ。
あえて弱点をあげるとするならば、鎌はともかくカマキリの腹はとても柔らかいということと、移動速度はそれほどでもないというところだろうか。
それでも、少なくとも勇者アルスのような特別な才能を持たない五歳児より遅いとも思えない。
勇者アルスは特別な生まれと下級悪魔の魔改造により、五歳にしてB級に達する超人であったが、その息子は違うからだ。
故に、もはや逃げること叶わずここで死ぬしかないのかと、その巨大な体躯を見ただけで怯んでしまったアベルは呻き声をあげて後ずさる。
せめて魔界姫ハーデスから魔族として魔法の才を受け継いでいれば、状況は違ったかもしれない。
だが人間と魔族、二種族のハーフとして誕生した子供は、どちらかというと人間寄りの存在として生まれてきていた。
確かに魔族の血を引いてはいるものの、いまのところこれといった特徴は垣間見えず、出生を知る者でなければただの少年にしか見えないくらいである。
だからこその絶対絶命。
もはや本人は怯えることしかできず、武器すら構えていない。
「あっ……、あっ、た、たすけ……」
「ギギギギ、ギ、ギィイイイイ!」
誰か、誰か助けて!
アベルがそう願い目を瞑りかけた時、突如として空から煌めく何かが降り注いだ。
目の良さに関しては物凄い性能を発揮するアベルには、それが魔物から採取できる魔石を錬金術で加工した何かだと遠目に判別できた。
小さな魔石にはびっしりと魔法陣が刻まれ、徐々に光と魔力を強めていき、そして────。
「あたしの幼馴染に手を出してんじゃねーよデッカイ昆虫がー! 爆散しろこのやろー!」
────聞き覚えのある幼女の声と共に、グレーターマンティスの頭上で大爆発を起こしたのであった。
いわずもがな、飛び出していったアベルを追ってきた半人半魔の小悪魔ちゃん、エキナである。
彼女は暗殺者としての技術だけを見るのであればC級下位程度であり、一撃でグレーターマンティスを葬るほどの力は無い。
しかも暗殺者は直接的な戦闘を想定しないため、正面から試合形式で戦ったらアベルにすら苦戦し、ギリギリで辛勝するくらいの弱さである。
だが、彼女の本当の武器は暗殺者としての能力ではない。
娘エキナから見ても何でもあり過ぎて、父ちゃんが道具や罠などを駆使して手段を選ばずに戦えば、アルス兄ちゃんよりも確実に強いだろうなとエキナ自身が確信している、父カキューから受け継いだ異次元の錬金術だ。
それこそが小悪魔エキナの最大の武器であり、戦う術。
たったいま魔石に刻んだ爆発術式を駆使して同格以上の魔物を瞬殺したように、戦闘力では計れないアイテム創造能力が彼女にはあるのだ。
「ふぅー。さすがこの前とーちゃんに教えてもらった爆弾石だな。昆虫の頭が、きれーに木っ端みじんになった」
「エ、エキナ! お、おま、なんでここに!?」
自分が助かったことで緊張が解けたのか、それとも幼馴染のエキナが何食わぬ顔で魔物を爆散したことに驚いたのか、調子を取り戻したアベルが慌てて質問をする。
一度死の危機に瀕したからか、さきほどまでのようなめそめそとした感情は見えず、むしろ魔石の爆発と共にネガティブ成分がぶっ飛んでしまったらしい。
いまはもう、ショック療法により完全に立ち直った勇者の息子アベルであった。
それを横目で見たエキナは幼馴染にバレないようこっそり口角を上げ、ちょっと嬉しくなってしまう。
「へっへ~ん。驚いた? あたし、お前が飛び出したのをダシにして、とーちゃんたちから逃げてきたんだ」
「はぁっ!?」
「ほら、いいからもうちょっと探検しようぜ。せっかく外で自由になったのに、遊ばないで戻るなんてもったいないし~」
調子を取り戻したアベルを見て気分が良くなってしまったのだろう。
ニシシッ、と小悪魔的な笑みで幼馴染の手を掴み、たったいま思いついたテキトーな言い訳で冒険を促す。
本人も本当はここで連れ戻すつもりだったのだが、よくよく考えてみればこれってチャンスじゃね、とズル賢い小悪魔ちゃんの頭が冒険のアイデアを提供してしまったのだ。
これにはショック療法でまともな思考に戻ったアベルもたじたじだ。
「ダメだこいつ、この状況で完全に遊んでるぞ……」
「いいのいいの。いつも街の中しか探検できないからさー、こういうのってちょっと楽しみだったんだよね」
もはや聞く耳もたず。
帰ったときに両親から怒られるのは承知の上で、その時は泣き真似をして誤魔化せばいいかな、とか思っているらしい。
二人にはバレないように陰からこっそり見守っているカキューの苦労が偲ばれる。
天使の翼をぱたぱたさせて上空から「ふむふむ」と見学しているメルメルに関しては、エキナの発想には感銘を受けているらしく、しきりに頷いているくらいだ。
「これもまた、知恵なのよね~」
などと言っては参考になるなと手帳にメモしているので、きっと天界の仕事がメンドイ時とか、サボリたい時とか、どこかで同じ手を使うつもりなのだろう。
野生のハトに餌を与えてはいけないように、ヤバそうな天使にも知恵を与えてしまってはいけないのかもしれない。
既に時遅しではあるが。
かくして、少女と少年の小さな冒険は第二ステージへと移行したのであった。