【139】始まりの地にて
突然届いた謎の手紙。
内容がどのようなものであったのかはともかくとして、差出人には心当たりがあった。
なにせ人類で最も強いとされる勇者アルスと、それに匹敵し得る魔王の一人娘、魔界姫ハーデスが何の予兆を掴むこともできずに目の前に届く手紙だ。
こんな芸当が出来るのは、世界広しと言えどもたった一人しかいない。
そう、最強の勇者を育て上げた無敵の下級悪魔。
父カキュー以外には、不可能な連絡手段である。
手紙にも彼の直筆で差出人である父カキューの名が記載されていたが、そのことよりも、魔力感知に長けたこの二人にすら捉え切れない転移の魔法こそが、その存在の何よりの証明であった。
なお、手紙にはただ一言。
「アルス。お前の生まれた意味を証明するため、始まりの地にて待つ」
とだけ記載されている。
このことが何を意味するのか、ハーデス自身には何が何やらといった様子であったが、アルスには察しがついていた。
自分の生まれと、始まりの地という意味合いで想像できるものなど一つしかない。
女神の試練にて知った自分の出生を鑑みれば、始まりの地というのは、おそらくあの村のことなのだろうと。
そうすると問題なのは、なぜ父カキューがこのような手紙を寄こしてまで長らくこの魔法城を留守にしていたのか、というのが疑問点として浮かび上がる。
口頭では伝えず、そこまでして準備していたものはなんなのかが気がかりであった。
虫の知らせとでも言うのだろうか。
絶対ではないが、可能性の一つに父との別れが訪れるような感覚に襲われたアルスは、一瞬だけ顔を青ざめさせる。
そんなことは起こりえないと信じていても、嫌な予感が拭いきれない。
だがすぐに夫であるアルスの様子がおかしいことに気付いたハーデスは、不安を取り除くように抱きしめて背中を支えた。
「大丈夫だぞ、アルス。お前には俺様がついてる。あのやかましい聖女がついてる。執念深い剣聖がついてる。無駄に運が良いチビだって、ガイウスのおっさんだって、アマンダだって、皆だ。お前が救いある未来を望むなら、いつだってそれは、お前の手の中だ。勇者アルスが選べない未来なんて、この世には無いんだ。不安になんて、負けるんじゃねえ」
頬を寄せ、抱き合うハーデスの温もりが身体を伝い、心に流れ込む。
すると先ほどまでの不安はなんだったのかというほどに消し飛び、一気に元気を回復したアルスの瞳に再び意志の炎が宿る。
「そうだったね。僕たちはいつだってそうして前に進んできた。危うく大切なことを忘れるところだったよ。助かった、ハーデス」
「へへへ……。俺様の夫はそうじゃなきゃな」
復活した姿を見てはにかむハーデスが愛おしかったのだろう、軽くその唇に口づけすると、そっと妻から離れてすぐに出立の準備を始めた。
どうにも己の人生において最大の戦いが待っていそうな気がしたようで、一瞬だけ新たな命を身ごもった妻や親友たちを連れて行くか悩んだようだが、結局は父カキューの誘いには仲間達と向かう予定を立てたようだ。
というのも、もし仲間達へ何らかの危機が迫る形でこの手紙を寄こしたのだとするのならば、あの父の性格からしてこのような回りくどいことをするとは思えなかったからである。
自然に発生した危機であればあのお人よしの父が勝手に対処するか、もしくはいつものように自分達を導くようにしていた可能性が極めて高い。
そしてあり得ないことではあるが、父が能動的に仲間達へ危害を加えるつもりならば、その気になれば世界を滅ぼせる力があるのだから、わざわざこのような演出をする必要もないだろう。
それに、この手紙には一切「一人でこい」などとは記載されていない。
であれば、必要だと思える準備があるなら好きにしろ、時間も自由だと言っているのだろうと察することができたのだ。
そうした経緯で、なんだか只事ではない空気感の手紙の真意を理解したアルスは準備を整え一週間後。
ちょうど手の空いていた仲間達をハーデスの転移でかき集めて、全ての始まりの地である開拓村へと集ったのであった。
◇
一週間後。
始まりの地である開拓村へと転移で訪れたアルスたちは、改めて見るとやはりデカ過ぎると言わざるを得ない大聖堂を眺めつつ、近くに母であるエルザとサングラスをかけた謎の美女、そしてその美女を孫のような瞳で見つめるお爺さんがいるのを発見した。
「あ~! ハーデスたちなのよね~! でも、なんでお腹がちょっとおっきくなってるのかちら? 食べ過ぎで太ってしまったのかも?」
「はあ? なんだこの豪運チビみたいな喋り方をするサングラス女は。ちょっと胸がデカいからって調子にのるなよ。どうみても子供がいるからに決まってんだろ」
すると、ちょっと頭の足りない感じで語り掛けてくるサングラス美女が振り向き、いきなり失礼なことを言い出す。
たしかに成長して豊満な胸を獲得したハーデスといい勝負をしているサングラス美女であったが、本人は別に煽っているつもりは無いらしく、「なぜか怒らせちゃったのかも?」と疑問符を浮かべ、自分の胸とハーデスの胸を見比べて、何に思い至ったのかニヤリとした。
「はあ!? お、おいアルス! あの女いま俺様と何かを比較して笑ったぞ! こ、この……!」
「あはははは……。落ち着いてハーデス。あれはたぶん悪気があったわけじゃなくて、大人の女性になった自分の姿が嬉しくて笑顔が零れちゃっただけだよ。ね? そうだよねメルメル?」
アルスが物事の核心を突くように宣言すると、集まった仲間達がその美女を見て瞠目する。
自分に対するそんな周りの反応が面白かったのだろう、ひとしきり大人の状態を楽しんだメルメルと思わしきサングラスの美女は、「うぃ」とだけ呟くといきなり、しゅぽっ、という効果音を立てて元のちびっこ姿に収縮したのであった。
「う、うそだろ……。チビがいつのまにか変身技術を身に着けてやがった……!」
「驚いたかしら。あたちってば天界でも最高位のエリートになったので、本気を出せば大人な感じにもなれるのよ?」
「聞いてないぜ……」
このメルメルの変身姿に度肝を抜かれた一同であったが、唯一この場に集まった中でメルメルとあまり関わり合いのなかった五歳の天才幼女、ガイウスとアマンダの娘であるフラダリアだけは一瞬で状況を読み取っていた。
「つまり、貴女はアルスお兄ちゃんたちと世界を救った天使様で、その功績が天界で認められて新たな力を得たのですね。私、お兄ちゃんたちの冒険譚をお父さんから聞いて、ずっと天使様にお会いしたいと思っていました。サインください」
「あら、構わないのよね~」
サササッ、と現在南大陸で自らが執筆中の本、勇者アルスの冒険譚を取り出しサインを求める。
フラダリアは幼いながら学術にも興味があったが、それよりももっと、英雄である父と共に旅を続けた勇者の物語に対しても熱狂的なファンであったのだ。
簡単に言えば、超がつくヒーローマニアであった。
ちびっこに戻ったメルメルも満更ではない気持ちで、「あたちはファンを大事にする天使だったりして」と言いつつ上機嫌でちょっと下手なサインをしている。
そうしてしばらく和気あいあいとしていると、皆と再会して喜びの「FHOOOOO!」で喝采を上げるメルメルと、勢ぞろいしたかつての仲間達を見て微笑む母エルザ、そして愛に満ちた人間達の営みを肌で実感し一人頷いている謎のお爺さんのもとに、一人の男が現れたのであった。
「よう、どうやらみんな揃ったようだな。フラダリアのお嬢ちゃんも久しぶりだな。息子の結婚式以来か。覚えてるか? アルスの父、カキューさんだぞ!」
「はい、お久しぶりです。おじさんのことは父からもお話を伺っています。なんでも、全力のアルスお兄ちゃんでも勝てるか分からないくらいの、凄い人なんだとか」
ヒーローマニアのフラダリアとしては、目の前にいる普通の優男っぽい人がそんな強いのかな、と疑っているようであった。
だがその本来の実力を知る周りの人間は、まあそう見えるよね、といった感じで苦笑いしているようだ。
メルメルだけは、「この恐ろしい怪物の強さを疑うとか、とんでもない命知らずなのよ……」と戦々恐々としていたようであったが、もちろんエリートなので態度には出さない。
ちょっと冷や汗をかいて、サングラスをクイッとするだけである。
「はっはっはっ! まあその強さの証明は、いまからすぐにできると思うから存分に見学していってくれ。……さて、魔法神の爺さん、準備はいいな?」
「うむ、全て予定通りだ。問題は無いな」
魔法神という単語を聞いた瞬間、イーシャやエインは慌てて跪こうとするが、魔法神オルデミルはそれを手で制す。
本人曰く、これは有望な若い天使を陰から見守ってくれた男に対する礼として、お忍びで下界に降り立っただけあるとのこと。
故に畏まる必要はなく、最低限の敬意を持ち自然体で接してもらって構わないと言ったのだ。
「畏れ入ります、この世のあらゆる魔法、神秘を司る魔法神。天界の上級神にして……」
「ああ、いいからいいから。この爺さん、本当にそういうのは気にしてないから。イーシャちゃんももっと気楽にね。な、爺さん」
「そうだ。軽すぎる言い方が少し気に入らんが、この男の言う通りではある」
と、下級悪魔と魔法神のやり取りで再び場を制すと、何度も畏まるのはむしろ失礼だと理解しイーシャは一礼だけしつつ、普段通り自然体の態度を取るのであった。
そうしてこの始まりの地に役者が揃い、準備も滞りなく終えたところで勇者アルスの父カキューは切り出した。
────それじゃ、そろそろ最終決戦と行こうか。