【138】新たな命たち
自らの息子との最終決戦を目論む下級悪魔が、数ヶ月もの時間をかけて天界でなんやかんやしているころ。
めでたくハーデスと結ばれたアルスは、父カキューと母エルザが魔法城から忽然と姿を消していることに疑問を抱きつつも、アツアツな新婚夫婦二人だけの幸せなスローライフを満喫していた。
「はい、アルス。あ~ん」
「あ~ん」
大好きでしょうがないアルスの笑顔を見るためだけに、男が喜ぶと巷で評判の際どいエプロン姿で豊満な胸を強調し、出来立てほやほやの料理を口に運ぶ。
並みの男なら確かに効果てきめんな煩悩への刺激であったが、しかし勇者アルスの心はあまりにも清らか。
本人としても好みど真ん中の容姿をしたハーデスの煩悩攻撃よりも、自分が喜ぶことを願って愛を募らせてくれるその気持ちの方に好感を抱いているのだ。
そしてそれが分かっているからこそ、ハーデス自身の心を理解してくれているアルスのことをよりいっそう好きになってしまうのも、また無理のないことであった。
「うん! ハーデスの手料理はやっぱり美味しいよ! 大変なのにいつもありがとう。もしよかったら、次は僕が作ろうか」
「んふううっ!? そ、そうか? えへへ……。それなら良かったじぇ……」
優しく微笑み美味しいと言ってくれる素直な気持ちと、愛してくれる妻への感謝と敬意。
そのダブルパンチを喰らったハーデスは、もはや結婚してから何度目になるかも分からない胸キュンを経験し、脳みそがピンクで一色に染まる。
この調子では、夜の夫婦生活も主導権はアルスのほうに傾いていそうであった。
「んふふ……。し、幸せすぎるぜ……。な? お前もそう思うよな~?」
そうこうして、ひとしきりラブラブな空間を満喫していたハーデスは、膨らみかけのお腹に手を当てて語り掛ける。
お腹が膨らんでいるというのは、別に彼女が運動不足で太ってしまったとかそういう話ではない。
単純に、その身には二人の愛の証である新たな生命を宿しているという話だ。
どうやら異世界の悪魔とダークエルフの間には自然に子供ができることはないようだが、この世界で生まれた者同士である勇者と魔界姫の間には、めでたく子供を宿すことが可能だったらしい。
というよりも、異世界からやってきたかの下級悪魔は魔法生物に限りなく近い特殊な生命体だ。
その点、この世界の魔族は魔法的な側面よりも比較的に物理面へと存在が偏っており、人間との間に子を宿すことはある意味自然の摂理でもあった。
ただその妊娠期間がいかほどかは不明なため、新たな命が生まれてくるまでにまだ時間がかかるのか、それとももうすぐ誕生するのか、という点においては不確定である。
「子供が生まれたらエインやイーシャちゃんたちにも報告しないとね。あちらも第一子がもうすぐ生まれると言うし、運が良ければまた、子供たち同士で僕らみたいな幼馴染になってくれそうだ」
「おう、そうだな。ガイウスのおっさんとアマンダの子は、今年でもう五歳だっけか。あのガキんちょ、やけに頭の回転が速いから年齢を忘れそうになるぜ……」
「あはは……。それはちょっと、僕も思うかな」
ちなみに二人の大親友であるイーシャとエインは、皇女であった彼女が教皇となるタイミングに合わせ、カラミエラ教国の大聖堂での国をあげた結婚式を終えていた。
多くの国民から祝福された二人の結婚は、それはもう盛大だったとか。
アルスたちの結婚も世界中から関係者や重鎮が集まったという意味では大きなものであったが、あちらもそれに引けを取らないほどの規模であったことは間違いないだろう。
また、下級悪魔が全ての才能を知力に全振りしていると太鼓判を押したガイウスの娘だが、彼女は現在すくすくと育ち日々両親を驚愕させている。
その知力は三歳の時には簡単な算数とこの世界の文字を完璧にマスターし、五歳となった今では図書館で歴史書や学術書を読みふけり、既に知識面においてはそこらへんの平民では勝負にすらならない。
ただ、あまりにも運動音痴であるため、たまに何もないところでずっこけたり、自宅から図書館まで歩く体力すら足りていなかったりする。
そのため必ずガイウスかアマンダが背中に背負って送迎しているようだ。
趣味の延長なのか、冒険者を引退した二人は片手間に小さな宿屋をはじめたらしく、S級冒険者として蓄えた莫大な財産もあるためにあくせく働くほど時間に追われていない。
そのせいもあって、常に両親のどちらかは手が空いており図書館まで付き添いで見守ることができている。
そのことを幼いながらも理解している聡明な五歳児は親に感謝しつつも、自らの運動能力や体力不足を補うために魔法を目下勉強中。
なんと成果は上々のようで、既に身体強化とスタミナ回復の魔法を使えるようになったとかなんとか。
本来はいくら賢くとも魔法への適性があるかは別の話であり、魔力量も一定水準に到達していなければ習得は困難な特殊技能が魔法というものだ。
だが幸運なことに彼女はそれらの問題を全てクリアしていて、魔法の習得に勤しむ本人曰く、「私が魔法の習得を願うと、目には見えない誰かが必要なだけの力を貸してくれるの」と語っていたとか。
そのことを周りの大人たちは何らかの神の寵愛を受けているのだと理解したようだったが、裏事情を知っている両親はそろって「サービスが良すぎだぜご主人」とか、「こりゃあちょっとした加護、では済まないねぇ……」とか言っては顔を見合わせて苦笑いしている。
なんだかんだいって、基本的に下級悪魔は身内に対して激甘なのであった。
そんな感じで一種の神童、もしくは超天才とも言える五歳児を思い出したアルスとハーデスは、あの人ならやりかねないなと納得する。
下級悪魔が本気で魔改造した最強の勇者アルスには及ばないだろうが、魔法だけを見るのならば歴史に名を刻むほどの器であることに間違いはない。
そうしてラブラブな新婚夫婦が南大陸の魔法城で談笑し、久しぶりに仲間であるガイウスのところに顔を出しに行くか、もしくは日々の政務で疲れているだろう幼馴染のガス抜きに付き合おうかと語り合っていた頃。
目の前のテーブルに、いつのまにか一通の手紙が届いていたのであった。