【134】真の勇者
最後の一撃。
そう宣言した勇者アルスはゆっくりと黄金の剣を振り上げ、また、それに呼応するかのように魔王の両腕には己の全てとも言える大魔力が凝縮されていく。
そして、お互いに言葉を発することもなく、運命の火蓋は切られた。
片や人々の想いや願い、祈りの全てが光の大河となり集う、虹色の光。
片や魔界の行った全ての罪と王としての責任を背に立つ男の、朱色の光。
虹色の極光と、朱色の極光。
二つの大いなる力は魔王城を突き抜け、次元すら歪むほどの破壊力となって拮抗する。
しかし拮抗したのも束の間。
徐々に朱色の極光は押し返されて行き、限界を超えた魔王の両腕からは血管が破裂し、血が噴き出す。
「……やはり、既に私では及ばぬ境地であったか。まさにあっぱれな男よ、勇者アルス。そしてカキューよ。お主の育て上げた息子は、まさに最高の男と呼ぶに相応しい傑物であるぞ」
勇者が放つ虹色の極光。
その力はもはや人の身に収まるような矮小なものではなく、人の根幹に根差す一種の概念に近いだろう。
あえて説明するのであれば、これはいわば、世界の意志そのものだ。
勇者アルスという男を基軸にして、人の「勇気」という概念が具現化した存在。
彼等の歩んだ道のりが。
彼等が灯す勇気の光が。
彼等を望む人々の声が。
それら全てが世界の意志に呼応し、認められ、こうしてその力を一つとする奇跡を起こしたのだ。
これこそが勇者だけが扱える、真の魔法。
全てを力で支配する魔王では決して及ぶことのない、勇気の魔法、とでも言うべき概念なのだろう。
「認めよう……」
魔王は想う。
いまとなっては気の遠くなるような過去。
人の世では伝説となってしまった、遠い昔の出来事。
あの時、勇者に敗れた先代の魔王は、自らの父は……。
きっと、今の自分と同じような気持ちだったのかもしれないと、そう感じたのだ。
そして同時に察することができた。
人と魔が憎しみ合い、幾度となく繰り返された血塗れた歴史は、これが最後になるのだろうと。
この戦いの決着が、新たな時代の幕開けとなるのだろうと。
「認めよう、勇者アルス」
誰にも聞き取れないほどの小さな呟きを零すと、魔王はさらなる力を解放する。
魔力が足りなければ、命の力を以て。
ここが踏ん張り時だと決意した魔王は、己の生命力という、決して手をだしてはならない禁断の術技で虹を押し返す。
だが、おそらくこれでも、自らの力は勇者アルスに及ばない。
しかしそれでも、この魔界の大地に倒れ伏す最後の瞬間まで抗ってみせよう。
なぜならばそれが、この戦争を始めるに至った魔界の王としての責任だから。
魔界全ての魔族が認める最強の魔王が、それすらも超え得る最強の勇者に命を賭して抗い、そして敗れることで物語は完結するのだ。
これによって魔界の悪意は砕け、魔族は人類を認め、世界は融和への道を切り開いていくだろう。
もちろん、それでも従わない例外的な魔族はいる。
だが、それがどうした。
極まった魔王の全力ですら歯牙にかけぬこの男を前に、表立った動きができるわけがない。
あらゆる困難を跳ね除け、どんな試練をも乗り越える義息子にとって、そんな障害は無に等しい。
……故に。
「認めよう!! 勇者アルス!! そなたこそ、この魔王を討ち果たした真の勇者であると!! そして心して聞け、この世全ての魔族達よ!! 魔界はこれより、人類との融和を目指す!! これはお前達魔族の頂点に君臨する、力の到達点、歴史上最強の魔王による最後の勅命である!!」
残り僅かとなった全ての生命力を振り絞り、世界にその意志を轟かす。
「気に入らぬとは言わせんぞ!! 文句があるのならば、今すぐ勇者アルスに挑んでみるがよい!! 無論、一瞬で消し炭にされるだろうがな!! ふはははははははは!!」
命を捨ててまで抗い、そして敗れるであろう己の最期だというのに、魔王はこれ以上ない程の歓喜を露わにした。
魔族たちは確信する。
喜色満面のその表情には一切の憂いは無く、むしろこれからの未来にこそ期待する姿を見て、我らが王が望んでいたのはこれだったのだと。
ならば、従おう。
お前がそう言うのであれば、その決定に従おうではないかと、王の言葉を魂に刻んだ。
「ああ、愉快だ。実に愉快だ人の英雄たちよ! そして勇者よ、お前に託そう! 我が娘ハーデス・ルシルフェル。いや、ただのハーデスを今すぐにでもかっさらっていくがよいわ! この時を以て、この魔王自らが許可を下す!!」
そう宣言した瞬間、ついに限界を迎えた魔王の両腕は崩壊し、その肉体は虹色の極光に包まれたのであった。
また同時に、極限まで力を解放した勇者の視界は、最後に一瞬だけ、チラリと漆黒の翼を持つ黒い人影が通り過ぎていくのを捉えたようだが、果たして……。
しかし、天井に吊るされていた魔力の檻が砕け散り、中から魔界姫ハーデスが勇者の腕の中にふわりと落ちたことで、勇者アルスは黒い人影が誰だったのかに思い至る。
魔王を殺せば砕けるはずのない魔力の檻と、虹色の極光に包まれ跡形もなく肉体が消え去った魔王。
それらが意味することは、一つであった。
こうしてとある事実に気付いた勇者アルスは、既にここには居ないであろう人物へ向けて、確かに感謝を伝える。
────ありがとうございました、義父さん。
────そして、父さん、と。
◇
「い、いってぇぇえ! いっててててて! 超、いてぇ!!」
はい!
どうもどうも~!
地獄から呼ばれて飛び出て、息子の渾身の一撃でけっこうなダメージを負ってしまった下級悪魔こと、カキューさんですよ!
いや、強すぎだろアルスのやつ!
なにがあってもいいように、間違っても魔王のおっさんの救出が遅れないようデビルモードで待機していた俺に対し、ここまで確実な傷を負わせるとは……!!
まさにこれは、拾った赤子があまりにも立派に育ちおとうさん困惑してます、と言ったところだろうか。
とにもかくにも、あの虹色のビームはやばかった。
俺が悪魔の因子を組み込み、損傷の少ない即死ならば蘇生できるようにしておいたおっさんを救出するのがあと一歩遅かったら、肉体は木っ端みじんどころか塵となって消し飛んでたぞ!
そうなれば本当の本当にジ・エンド。
魔王のおっさんを蘇生することは叶わなくなるところであった。
「しかしアルスのやつ、本気の俺にここまでのダメージを与えるとは……。人類の力が集ったとはいえ、我が息子ながら凄まじい成長だ……。なあ、そう思わないかおっさん」
ちなみにどれくらいの損傷かというと、虹色の光が直撃したことで脇腹が抉れて、風通しのよい大穴が空くレベルの大怪我だ。
もちろん回復魔法でちょちょいのちょいっと、すぐに回復できちゃうわけだけどもね。
しかし、当たり所が悪ければ復活に相当時間がかかってたであろう、とんでもない威力の一撃であったことには変わりはない。
そりゃあ組み込んだ悪魔の因子にまだ慣れていないおっさんくらいでは、どう頑張っても押し負けるわけだ。
むしろ命を代償にした全身全霊ぐらいで、よくあれだけの時間耐えられたよ。
さすがこの世界の魔王というだけはある。
「ぜぇ……、はぁ……!! はぁ……、ぜぇ、はぁ……! の、呑気にしゃべる余裕などあるわけないだろう、カキューよ! もう少しで本気で死ぬところだったわ! というよりも、ちゃんと一回死んでおるわ!」
「まあまあ。そう言うなって。ちゃんとほぼデスペナ無しで復活させてやっただろう?」
「デ、デスペ……? デスペナとはなんだ」
デスペナはデスペナである。
本来、死からの復活には力の半減を伴う悪魔ではあるが、損傷の少ない即死からの復活であり、なおかつ他者からの丁寧な蘇生術を受ければ、そのデメリットをある程度は回避させることができると、俺は長年の地獄生活で仮説を立てていた。
今回はそれが証明されたわけだ。
まあ、だが。
しかし、なんだ。
「そろそろ戻らないとハーデスちゃんが本気で泣いちゃうだろうから、帰るか。なあ、魔王のおっさん」
どうやら人間の限界をとっくに超えてしまっているアルスのやつは、隠れている間も含めてバッチリと俺のことを視界に捉えていたようだが、まだまだ修行不足であるハーデスちゃんは別。
いま彼女は実の父親を失ったと思い込み、悲しみが心を支配していることだろう。
なるはやで戻ってやらないと、それはそれで別の悲劇が起こりそうであった。
「ぬぅ!? そ、それはいかん!! はやく娘のもとへ連れていけ! ことは急を要するぞカキュー!!」
「まあ、そうなんだけどなぁ……。だが、その姿のままで行ったら笑われるが、いいか?」
というのも、今のおっさんは本来の偉丈夫姿とは異なり、まるでミニカキューのようにデフォルメされた姿の状態で俺の手にぶら下げられているのだ。
さきほど説明したが、死のデメリットを回避できるのは、「ある程度は」である。
死んだことによる永続的な力の半減は抑えられたものの、さすがに完全復活とまではいかなかった。
その代償としてデフォルメミニキャラ魔王になってしまったわけだが、実のところ能力はそんなに変わっていない。
およそ全力の一割減、というところだろうか。
いつまでかかるかは分からないが、時間経過で元のパワーに戻るくらいの誤差である。
悪魔の因子を組み込んでパワーアップしたことを踏まえれば、メリットが高すぎておつりがくるくらいだ。
とはいえ、あのお転婆娘ちゃんが今のおっさんの姿を見たら、間違いなく爆笑するとは思うけど。
「笑われるぞ? いいのか?」
「ぬっ!? いや、しかし……!!」
はいはい、父親の葛藤というやつね。
俺もアルスの父ちゃんやってるわけだから分かるけども。
さて、それでは魔王のおっさんの葛藤が一段落するまで、しばらく様子を見ておこうか。
魔界の魔族や人類におっさんが生きていることがバレるのも面倒だし、アルスやハーデスちゃんのもとへ戻るにしてもこっそりと、だな。
彼らが後始末に関してどうケリをつけるのかを見るのも、また一興だろう。