【120】最恐の下級悪魔、動く
暴力と魔力が交差する魔界の中心、雄大に聳え立つ魔王城。
その力と死の象徴たる謁見の間にて。
静寂に包まれていた室内に、カツン、カツン、カツン……、という硬質な足音がどこからともなく響き渡る。
玉座に鎮座する魔王は音の方向に目を向けると、黒髪黒目の男を確認し、「やはり、こうなったか……」と告げ、ついに時が訪れたことを悟った。
「陛下。ここは私に……」
「よい。そもそも、お前や私がいくら足掻いても、あの男はどうすることもできん。魔王の第一家臣として臆することなく、堂々と構えよ」
「ははぁっ!」
魔王の第一家臣。
道化師のような姿をした側近は、自らが出過ぎた真似をしたことを恥じ引き下がった。
しかし、彼の気持ちも理解できる。
相手は自らが陛下と仰ぐ魔王の力を大きく超えた……、いや、超越した魔神とも言える存在。
かつて出会ったどの勇者よりも、そして天界に存在しているであろう、どの神々よりも強大な力を感じているのだ。
このような怪物が自然な足取りで向かってきたのならば、思わず抑えが利かなくなり、反射的に主の盾となるべく前に出ようとしてしまうのも無理のないことだろう。
そんな魔界のツートップを前にして悠々と歩を進める怪物の名は────。
「よう! 久しぶりだな、居酒屋のおっさん。悪魔と、取引をしようぜ?」
────異世界からやってきた地獄の悪魔、カキューと、言った。
◇
「……と、言うわけでだ。力は馴染むか?」
「うむ! うむ! うむぅ! なんというパゥワァーだ! これが魔神の力か、カキューよ! いやはや、そなたほどの男が私の家臣でなかったことが、実に惜しい!」
まてまて、それはもう居酒屋の席で聞いたって。
ほんとに諦めの悪いおっさんだなぁ。
「まだ言うかおっさん。何回目だよ!」
「ぐわぁーーーーはっはっはっは! そうであったなぁカキュー! はぁーーはっはっはぁ!」
ほんとに大丈夫かよ。
こりゃたぶん、俺の話を微塵も聞いちゃいないな。
間違いない。
まあ、楽しそうだからそっとしておいてやろう。
ちなみに俺がこの魔界に乗り込んだ理由はただ一つ。
魔王のおっさんと俺の思惑が一致したことによって可能になった、世界を股にかけた八百長を実現するためだ。
いや、というのも。
ちょっと気合を入れてアルスを追い詰めすぎた結果、あいつは勇者の力を異次元の領域まで高めてしまったんだよ。
どれぐらい高めてしまったかというと、具体的には一人で魔界に乗り込んで魔王一味を葬り、何食わぬ顔で帰ってこれるレベル。
ようするに、このままだと黄金の力で、魔王をワンパンできてしまうからしてだな……。
なんというかだ。
あまりにも勝負にならず、俺の目的が達成できなさそうだったが故、手を貸すことにした次第だ。
では、おっさんの目的とはそもそもなんだったのかというと、それはズバリ魔界の大掃除だ。
いまもなお人間を食料としか見ていない魔族や、見下し奴隷にしようとしている魔族。
そういった不穏分子を排除するために、一度人間界へ侵攻をかけて「あえて勇者に負ける」ことで魔王である自分ごとあの世へ葬る予定だった。
なぜそのような決断をするに至ったのか?
それらは全て、おっさんの一人娘であるハーデス・ルシルフェルの幸せを願っていたからだ。
本来は次代の魔王になるべく育てていたらしいし、ハーデスちゃんが突飛な行動をしなければ特にこういった選択に打って出ることもなかった。
いままで通りに魔界を統治し、無駄に人間界を刺激せず、もしかつての勇者のような存在が乗り込んできたのならば負けじと応戦するだけ。
それだけで良かった。
たとえそれが根本的には何の解決にもならず、いつ魔界が滅ぶともしれない道であったとしても。
だが、ある日この城からハーデスちゃんが家出をして、アルスに出会ってから状況が変わった。
ハーデスちゃんは次期魔王と期待されながらも、人間である勇者に恋をしたのだ。
かつて先代の魔王が敵対し、そしてついぞ敵わなかった最強の人間、……勇者にだ。
ここでおっさんは二つの選択を迫られることになった。
それは魔王の責任を果たしハーデスちゃんを始末するか。
それとも魔王の責任を放り出して人間側につくか。
要するに、魔界を取るか、家族を取るか、ということだな。
おっさんは悩んだ。
当然だ。
魔王の責任を果たさなければ魔界は混沌と化し、おっさんですらその手綱を握ることができなくなる。
これでは結局、魔界と人間界の全面戦争は避けられないだろう。
ではどうするのか。
……結局、出した結論は自爆特攻だ。
あくまでも人間に敵対し、ハーデスちゃんを始末するという大義名分を持ちつつ、魔王としての責任を形だけ果たすことで、勇者を挑発し人間に敵対する魔族ごと自分を滅ぼすという選択肢である。
こうすることでおっさんは、魔王の責任を果たしつつ魔界の秩序を存続させ、ハーデスちゃんの未来をも勝ち取ることを選択したらしい。
いやはや、あっぱれな男だよ、あんた。
もう既に自分が死んだことを想定して、次代の魔王はおっさんの妻である妃に委ねるつもりでいるらしいし、決断が早い。
本来ならばこの計画はうまく行ったんだろうな。
覚醒したアルスにおっさんが勝てる見込みはないから。
だが、ところがどっこい、そうはいかない。
なぜならここで待ったをかける存在がいるからだ。
「居酒屋で約束したからな。どうしようもなくなった時に一度だけ、どんな場面からでも助けてやると」
「ぐわはははは! おうとも! 声をかけろと言われた手前、呑み仲間に別れも告げず勝手に死ぬわけにはいかないのでな! この城で大声をだしてやったわ! そなたなら来ると信じていたぞ!」
「ああ、よーく聞こえてたよ」
待ったをかける存在?
そんなものは決まっている、この吞み仲間であるカキューさんを置いて他にはいまい。
そもそも、おっさんは分かっていないのだ。
こんな自爆特攻で父親が死んでみろ。
魔王の意図を理解し大人である妃はまだしも、残されたハーデスちゃんはどうなる。
そしてハーデスちゃんを救えなかったアルスはどうなる。
というわけで、俺の息子のためにも、おっさんの娘のためにも、父親二人が立ち上がったというわけだ。
魔王軍を人間界にけしかけることは変わらないが、着地点は違う。
この俺がきた以上、おっさんが死ぬクソのようなバッドエンドは絶対に訪れない。
人間だろうが魔族だろうが、相手を騙すのは悪魔の十八番。
この世界規模の自作自演、地球出身、地獄の下級悪魔さんの力で見事騙し切ってやる。
この小説も、そろそろクライマックス!