【117】あたちの見解では~
とある下級悪魔が女神の空間に割り込み、息子である勇者を鍛えるために自らの領域に引き摺り込んだ頃。
天界に存在する女神の私室では、甘いお菓子を手にしたメルメルが空中に投影された二人の戦いを見学していたのであった。
この場にいるのはエリート天使メルメルと、人類最高峰の暗殺者エルザ、そして女神から齎されたお菓子を食べ過ぎるメルメルを、ハラハラしながら見守る天使長プレアニスの三人。
どうやら部屋の主である女神は不在のようで、自分の試練に割り込んできた下級悪魔の空間にどうにか干渉できないかとハッキングを試みているようだ。
もちろん、そんな女神ですら干渉できない世界を投影できている以上、空中に投影しているのは下級悪魔の力によるものなので、汗水たらしながらハッキング中の女神の姿もついでに映し出されている。
神の威厳もへったくれも無い光景であった。
「無茶をするのよね~。あたち、アイツだけは敵に回したくないのよ」
「ふふ。昔からあの人はそういうところがありましたから。私など、奴隷だというのに母親になれだなんて無茶苦茶を言われましたよ」
それを聞いたメルメルは、お菓子を食べる手がピタリと止まる。
ちょっとした愚痴のつもりだったのだが、返ってきた返答があまりにも容赦のない現実だったからだ。
もしかしたら、自分も何か無茶な要求をされる日が来るのかもしれないと、そう思ってしまったのである。
そして決意する。
もしあのヤバイのが敵に回ったら、自分は子供な天使ということで、難しいことはなにも分からないフリをしようと。
自称エリート天使はずいぶんと姑息なのであった。
そんな急に真剣な顔つきでお菓子を食べる手を止めたメルメルを、残りの二人は不思議そうに見つめながら何事かと投影された映像に視線を移す。
「あら、これは……」
「ええ、どうやら既に息子の限界が近いようですね……。あの人相手にずいぶん善戦したようですが、課題である一太刀を入れるには絶対的に基礎力が違いすぎるようです」
視線の先に広がっていたのは、全身全霊を賭してなお圧倒的な力量差に膝をつく勇者アルスと、どこか厳めしい表情で不服そうに構える父カキューの姿。
どうやら女神の試練でブレイブエンジンの出力が上がった状態でも、この下級悪魔に傷をつけることは叶わなかったようである。
女神に力を解放された勇者という人間における絶対戦力が、手も足も出ない。
そのことにショックを受ける天使長プレアニスであったが、母エルザはある意味納得した顔をして頷く。
……ちなみにこの間、「あたちは真剣ですオーラ」を出したメルメルが考えているのは保身のことだけである。
勘違いしてはいけない。
「やはり、こうなりますか……」
母エルザは知っている。
このような状況では、自らの息子が本気を出しても本領を発揮することはできないであろうことを。
そしてこのままでは、夫であるカキューの目指す境地には、いくら試練の強度を高め追い詰めたところで、到達することなど不可能であるということを。
なぜならば、あの優しい息子の本質は倒すための力ではなく、救う為の力なのだから。
それ故に目標が目の前にあると分かっていても、自らの限界を超えてまで抗おうとする意志を見せることがないのだと、そう直感していたのである。
その優しさは確かに美徳ではあるが、夫が伝えようとしている強さとは別のものなのであった。
「あの人は、きっと今歯がゆいのでしょうね。いまのあの子では魔王を倒す強さはあっても、魔王ごと救う強さはない。だからこそこのような催しを計画したのだと思いますが……。これでは、時間のムダです」
毅然とした態度でそう断言するエルザには、歯ぎしりしそうなほど顔を顰めている夫の気持ちが良く分かっていた。
「魔王ごと救う……、ですか?」
「そうでございます、天使長様。隠しているみたいですが、生まれた時から一緒にいた私たち夫婦には分かります。……仮にもしそうでないのなら、あの子がガールフレンドを泣かせるような男の子だったのならば。私がこの手で息子の顔をひっぱたいてあげなくてはなりません」
そう。
何を隠そうアルスが思いを寄せ守ろうとしている最も大切な存在は、その魔王の娘であるハーデス・ルシルフェルなのだ。
だからこそ勇者などと祭り上げられて、最終的に魔王を倒してハッピーエンド、などという結末で終わらせるつもりは本人にも、そして父にも母にもなかった。
そのような終わりを望んでいるのは、魔界を巻き込んで何らかに決着をつけようとしている魔王本人と、何も知らないで勇者に期待する人間達のみであろう。
……と、そこまで見届けていた二人の間で、ふと調子にのったエリート天使が呟いた。
恐らく自らが何も知らない子供な天使であるという防衛手段を吟味し、意外とイケるんじゃないかと安心したのだろう。
こうなったメルメルの鼻はどこまでも高い。
無敵である。
「ふふん。あたちの見解では~、もうちょっとこの戦いにはスパイスが必要だと思うのよね~。誰かが勇者の人質役になれば、覚醒するのかも?」
などと、そんなことを宣いはじめる。
もちろん自分が人質役になるつもりはないし、きっと誰にも聞かれてないと思っているからこその余裕。
だからこその無敵。
……で、あったのだが。
────ほう、それは良い考えだ。
────ならば、お前を追加で引き摺り込むとしよう。
「……ふぁ?」
どこからか、エリート天使の最も恐れるヤバイ奴の声が聞こえてきたかと思うと、メルメルの眼前に現れた黒い空間に吸い込まれてしまう。
吸い込まれる瞬間に見えたのは、状況を理解していないが故の間抜け面と、きりもみしながら闇に吸い込まれて行くサングラスのみであった。
言い出しっぺの法則、因果応報とはこのことなのかもしれない。
カキュ〇ット「ゴハ〇ン!本気を出せ!おめぇの力はそんなものじゃねぇはずだ!」