【114】過去の真実
「なっ……! こ、ここは……?」
ブレイブエンジンの力を起動させ、黄金のオーラを身にまとったアルスが門に触れた瞬間。
突如、門へと吸い込まれるようにして転移させられた彼は漆黒の空間に連れ去られていた。
転移する瞬間、その場に居合わせていた仲間達──特にハーデス───が目を見開き慌てた様子ではあったが、落ち着いた表情の教皇が垣間見えたので、恐らく今頃は予定通りであると宥められていることだろう。
そうアルスは再認識すると、周囲の無限に広がる闇の中で一歩を踏み出した。
真っ暗闇の中に広がる隠しきれない程の壮大で、そして神聖な気配に、これが勇者の試練であることは直感で分かるが、かといってこのままでは何をすべきなのかは見当もつかない。
幸いこの闇はただの闇ではなく、まるで蛍のように煌めく無数の星々がほんのりと存在を主張していた。
この世界の存在ではない、地球出身の下級悪魔がその場に居合わせていたら「宇宙空間の投影」と表現していたに違いない。
そうして少しの間、星々が煌めくこの闇の世界を窺っていると、突如彼の目の前が強く輝き一人の女性を出現させた。
「ようやく試練へと訪れてくれましたね、勇者アルスよ。私はあなたを歓迎いたします。さあ、どうぞこちらへ」
「……っ! あ、あなたは……」
闇に閉ざされた世界の中に輝く無数の星々が存在する、夜空のような空間にその女性はいた。
淡く輝く深緑の髪がたなびくと、女性とアルスの間に光の道を作り上げ自らの場所へと誘う。
その姿や存在感は荘厳であると同時に神々しく、まさかこの人は女神様なんじゃないか、という疑問が湧くほどである。
そして、その予想は当たっていた。
「これは申し遅れました勇者よ。私は人々の言葉を借りるのであれば、創造の女神。この世界を管理する主神ですね」
「め、女神様ぁ!? あ、す、すみません……」
この試練の空間の様子からして何かあるとは思っていたが、目の前にいる存在がまさか神々の中でも頂点に位置する主神であるとは知らずに、いつも冷静沈着なアルスとは思えない素っ頓狂な声をあげる。
とはいえ、そんな偉大な神様から間違いなく勇者であると認定されたことで、実感はないが確かに自分は伝説の勇者だったらしい、と上の空で考えるのであった。
だが創造主からしてみれば、そんな人の子の様子も愛おしく、そしておかしかったのだろう。
口元に手を当ててくすくすと小さく笑い微笑むと、気にする事はありません、と前置きをして一つの魔法を行使し、映像を投影させた。
「そうですね……。本来であれば勇者であるあなたには下級神である剣神か闘神がサポートにつき、魔王を倒す力を得るはずだったのですが、今回は少し事情が異なります。まずはあなたの力を高める前に、あなた自身が何者であるのかを知ると良いでしょう」
投影された映像の中には貧しくもどこか平和な村の光景と、なぜかそこで村人達と笑顔で語り合う父カキューの姿。
村の兵士らしき老人や、雑貨屋だろう店主のおばあさん、そして農夫、木こり、村の子供達、それを世話する女性たちに囲まれる、幸せそうな父が居たのである。
「あ、あの、その前に女神様……」
「なんでしょう」
「これ、父さん、ですよね……?」
「ええ、そうですよ。この黒髪の男性は間違いなく、あなたの義理の父、カキューです」
義理の父。
その言葉の意味を理解しようとして、一瞬頭が真っ白になる。
だがアルスも馬鹿ではない。
いや、むしろ普通の人間よりは賢く、察しの良い方に含まれるだろう。
今までの人生で何度も、明らかに父カキューとは違うことを察していたこともあり、この瞬間パズルのピースがカチリとはまるようにして理解してしまう。
……理解する事ができてしまったのである。
なぜ自分と家族が似ても似つかない容姿であるのか。
なぜ父は毎年、何もない廃墟へと、自分を連れて墓参りをしにいくのか。
だとすると、なぜ自分が父の下で息子として過ごしてきたのか。
そのすべてが、繋がってしまった。
「そうか……。だから父さんは……。ということは、僕はこの、村、の……」
「ええ。その通りです。いまあなたが考えていることは、間違いではありません」
様々な感情が渦巻き、精神的に追い詰められ始めたアルスを見てニヤリとした女神は、それにほら、と続け映像の場面を切り替える。
今度は轟々と燃える村の中で、先ほどまで幸せそうに父と語り合っていた老人が、何かを待つかのようにして聖騎士と戦い、首を落とされた。
また、よく周囲を観察してみると、全ての村人が惨殺された光景が広がっているのが確認できる。
必死に抵抗し、ボロボロになりながら前のめりに倒れる木こり。
手足を切り刻まれるようにして殺されてしまった子供。
腹を裂かれ、無残な姿を晒す民家の女性。
この地獄における全てが聖騎士によって、教国の手の者によって成された悪夢であるのだと、映像は雄弁に物語っていたのだ。
そうして最後に場面が移り変わり、蹂躙された村へとどこからともなく現れた、父カキュー。
彼はこの村唯一の生き残りと思われる一人の赤子を民家から救い出し、抱きしめ、彼方へと向けて大魔法を放つ。
そして彼方で巨大な爆発が起き、この村を襲った者達の命を散らしたことを確認し、空間に投影されていた映像は終了したのであった。
「…………」
「ふふっ」
茫然自失とするアルスは、聖騎士がなぜここまで執拗に村人を追い詰めたのか。
賊に抗おうとする老人が誰を待っていたのか。
そして、この赤子がいったい、誰であるのか。
その全てを反芻するように、噛みしめるように。
……なにより、初めて見た父の泣きそうな顔に黙りこくる。
「どうです? 感想を聞かせてください」
「感想、だって……?」
「ええ。どうでしたか? 勇者よ。これがあなたの過去。その真実。そして、人の醜さです。あまりにも滑稽。あまりにも愚か。何よりあまりにも、……愉快ですよね? くふっ」
女神の無神経な物言いに、思わず罵詈雑言を浴びせ殴りかかりそうになる。
あの聖騎士はお前を信奉する信徒じゃないのかと、あの光景を見てなにも思わないのかと。
父と村の人達の想い、人間の人生をあざ笑うなと問い詰めたくなったのだ。
だがそう一歩を踏み出そうとした瞬間。
ふと、ここには居ないはずの父の手が自分の肩に触れた気がして、彼を押しとどめた。
「…………っ!」
「ほう……」
今の今まで激情に駆られて殴りかかりそうになったアルスが急に冷静になったのを見て、一瞬だけ目を見開き驚愕する女神。
この結果は計算外だとでもいうような表情で驚いたようだが、すぐに表情を取り繕って再びニヤニヤと笑い出す。
その姿はまさに、まだ「試練」は終わっていませんよ、とでもいうかのようであった。
「一つだけ、聞かせてください」
「くふふ。なんでしょう」
「……いえ、あなたではありませんよ女神様。僕は、父さんに聞いているのです」
「…………っ!!」
だが、次に飛び出してきたアルスの言葉に、女神は今度こそ表情を崩す。
まるで信じられないものを見るかのように、あり得ない何かをみるかのように。
しかしそんな驚愕する女神を無視して、アルスはどこかへと向かって語りかける。
「ねぇ父さん。父さんは、僕が家族で、……幸せだったのでしょうか」
この問い掛けにどれほどの意味が込められていたのだろうか。
それはアルス自身にも整理がつかなかったが、ただ一言、その答えを待った。
それからしばらく、お互いに無言の時流れ、そして……。
────当たり前だ。
どこからともなく感じた心の声にアルスはただ一言、「そうですか」とだけ返し、まるですべてが腑に落ちたように穏やかに笑うのであった。
そしてその光景を見た女神は……。
「……これは、完敗ですね。予想以上の精神強度です。もはや私では、これ以上あなたを追い詰める手立てが見当たりません。これほどまでにあっさりと自分を乗り越えた勇者は、かつていませんでしたよ……」
先ほどまでのニヤニヤ笑いはどこへやら。
慈愛の籠った真剣な眼差しでアルスを見つめる女神からは、予想を超えた精神強度を持つアルスと、それを育てたここには居ない何者かに向けて、畏怖ともとれるような感情が垣間見えたのであった。