【100】道化師
砂漠の国、迷宮王国ガラードへと辿り着いてから数日後。
ようやく内部の様子を調査していた騎士団から詳しい事情を聞き、休養も物資も十分に整ったアルスたちは、何者かの手によって異空間と化している古代遺跡内部へと突入していた。
ピラミッドである古代遺跡内部には本来広い空間や通路はないのだが、異空間化した影響で既に小さな町であればすっぽり一つは入るであろう巨大空間へと変化している。
その分だけ動きやすくはなったものの、迷路状に広がる町一つ分を探索するのは困難であり、その上際限なく魔物まで出て相手をしなければならないとなれば苦戦は免れない。
「くっ、予想以上に砂人形が多い!」
「全くだぜ! 倒しても倒してもキリがねぇ。俺様の魔力だって無限じゃねぇんだぞ!」
ある程度は騎士団の調査により詳細が明らかになっており、最初は順調に探索を進めていたのだが、少しでも受け取った地図の範囲以上に進もうとすると、とたんに敵の数が大幅に増したのだ。
とはいえ、これは当然といえば当然の結果である。
なぜならば騎士団がこれ以上は進めないと判断し撤退した範囲というのが、この地図の先にある出来事なのだから。
いくら勇者とその仲間達の力が飛び抜けて優秀であろうとも、数の力で調査を繰り返していた騎士団が無理だと判断した魔物の大群を相手にして、そう簡単に前に進める訳がなかったのだ。
「どうするアルス、このままだとジリ貧だぞ! 一旦戻って、ここから出るか!?」
「いや。無策に来た道を引き返しても、数の力を相手に特別な打開策なんて無いよガイウス。だからこそ厄介なんだけどね……。でも、もしこの場に父さんが居たなら、きっとここは……」
そう返事をするアルスの表情には、いままでの彼には見られないような狡猾な笑みが宿っており、まるでどこぞの下級悪魔を彷彿とさせるような頼もしさがあった。
あの日に暴走して以来、父に叩きのめされた一戦から多くを学んだアルスは常に考えていたのだ。
もしあの時の滅びた村に居たのが自分ではなく、父だったらどうしていただろうと。
仮に少年を救えなかったとしても、その絶望を父であればどう乗り越えたのだろうと。
何度も考え、あらゆるパターンを想定し、自分の理想とする人物の行動を分析してきた。
結果、彼は今までにない戦略を見出す。
「よし、逃げるよガイウス! こんな物量作戦を正面から相手にしてやる理由なんて無いんだ! 全ての砂人形から逃げ切って、この魔物を量産しているだろう本体を叩きに行く!」
答えは、そもそも戦わないという選択肢。
またの名を、清々しいまでの敵前逃亡であった。
自らの父は確かになんでも出来るし、底知れない力を持っている。
だが、その力を発揮するのはいつだって必要最低限な、決定的な瞬間の時であり、常に無駄がなく効率的だった。
故に普段起こる雑多な問題に対しては能力で解決しようとはせず、時に母エルザからの追及を言い訳で躱し、時に母の怒りをジャンピング土下座で鎮め、時に隠れて二度寝をしたりサボるために、仕事に適当な理由をつけて逃げ続けているのだ。
だが、それでもいざという時には絶対的な力を発揮する。
つまり、そのことから導き出されるのは、力の要点、使いどころ、手を抜くバランス。
要は目の前で見えている現実だけが全てではないという、本質を見抜く力であった。
「がってん承知、なの! こんないっぱいの魔物を相手になんてしてられないのよね~。あたち、働き過ぎはよくないと思うの」
「アハハハハハ! 確かにそうだねぇ、坊ちゃんの言う通りだよ。ここは逃げるが勝ちってねぇ!」
言うな否や、それぞれが縦横無尽に砂人形をかく乱し、もともと機動力や素早さで圧倒していることもあり、あっという間に迷宮内部を駆け抜けていく。
軍隊として機能する騎士団ではできない、少数精鋭だからこそできること。
そのことに気付いた彼らの進行速度は圧倒的で、ものの一時間もしないうちに砂人形フィールドを突っ切り、本体であろう魔族のもとへと辿り着いた。
「おやおやぁ、これは勇者さま方。ご機嫌はいかがですかな? 私の作品である砂人形たちと戯れていただき、まこと感謝の念が……」
「ブレイブ・ブレード!!」
頭にターバンを巻いた、一見すると人間の商人のように見える者の戯言を聞き流し、問答無用で斬りかかるアルス。
前提としてこんなところに人間が居る訳がないし、いたとしても王都を騒がせている上に魔物を生み出し続けるという、危険極まりない犯罪者だ。
故に手加減をする理由はなく、とりあえず下手に相手に時間を与えないよう行動不能にしようとしたのだが……。
「おひょぉ!? あ、危ないですねぇこの勇者さまは! 私、もう少しで右腕が胴体と生き別れてしまうところでした。およよよ……」
「くっ、こいつ、見かけによらずとても体術が卓越してる! みんな気を付けて!」
しかし、この人間に偽装した魔族の動きは常人では考えられない程に俊敏で、卓越していた。
剣技においても身体能力においても、人類基準では間違いなく最高峰であるアルスの一撃を、目で見てから躱したのだから相当である。
一見すると焦って避けたように装ってはいるが、道化師のようにおどけた様子の男からは窮地に陥った者特有の緊張感が無い。
あまりにも不気味であり、油断ならない相手であった。
「いえいえ。そんなそんな。私ごとき商人魔族を相手に気を付けるなどと、そのような心配は無用でございます。なぜならば私にはあなた方に危害を加える理由などなく、ただちょっと、そちらの赤毛のお嬢さんに用があっただけでございますので……」
「なに? 俺様に用だと? というかお前、どこかで見たことが……」
どこまでが本心で、どこまでが建前なのか。
それとも、この全てがこちらを惑わすための戯言なのか。
アルスがこれまで出会ったことのないようなタイプの敵に対し、どう対処していいのか分からず手が出せずにいるようであった。
「ええ。そうでございますとも、魔界の王太子ハーデス・ルシルフェル殿下。御父上である陛下が、あなたのことを大変心配しておりましたよ? 故に、こうして少し話し合いの場を設けさせていただく事にした次第でございます。……ほれっ」
「なっ!? しまった! ハーデス避けて!」
するとどこからか突然、同じ姿恰好をした魔族と思わしき道化師が、後ろからハーデスを羽交い絞めにしたのである。
もともと立ち位置的に後衛であり、前衛であるアルスやガイウス、アマンダといった身体能力に優れた者たちから距離を取っていた彼女は、あまりにも唐突に受けた不意打ちに対応できず拘束されてしまう。
「なっ!? 放せバカヤロー! 俺様の嫁入り前の清い身体に触るんじゃねぇ! というかアルス以外の男が触るな! ぶっ殺すぞ!」
「ほっほっほ。さて、用件はこれで終わりですので、殿下はこの私が回収しておきましょう。こう見えて私、魔王軍の中では逃げることに特化しておりましてね。ではでは」
するとどうしたことだろうか、気配察知で道化師の動きを察知したアルスが駆け付ける前に、二人の姿と気配が消えてなくなるのであった。
転移したわけではない。
転移魔法であれば強い魔力の残滓が残るはずだし、何より父カキューでもないのに詠唱も無く大魔法が使えるはずが無いからだ。
だとすれば道化師が行ったのは遮音の魔法と、遮光の魔法の併用。
だがそのタネが分かっていても、本人が逃げることに特化していると自負しているだけあって、あまりにも高度に研ぎ澄まされた魔族の技術は今のアルスでは見破れない。
完全に取り逃がしてしまうことになるのであった。
「くそっ! ハーデスが攫われた! 今すぐに……」
「待てアルス! 待つんだ!」
「でもガイウス!」
自分の大切な人が攫われたことがよほどショックだったのか、気が動転したアルスが今すぐに行動を起こそうとするも、ガイウスが後ろから肩を掴み止める。
彼には何か考えがあるようで、焦りを覚え冷静さを失っているアルスと比べ、どこか落ち着いた様子で語り始めた。
「いいから俺の話を聞け。まずあいつは自らのことを魔族と名乗り、魔王の直属の配下であるように振る舞っていた。少なくとも魔族であるならば、主君である魔王の子であるハーデスを無下に扱うことはないはずだろ?」
「…………」
ガイウスの理屈には納得できる部分があったのだろう。
少し落ち着きを取り戻したアルスは暴れるのを止め、一度深呼吸をして我に返る。
「……確かに、その通りだ」
「だろう? じゃあ、とりあえず今は手がかりの無いハーデスのことは置いておけ。なに、あいつだって万が一の時は状況を脱するくらいの切り札はあるだろ。で、あるならばだ。とりあえずこの異空間と化した迷宮の問題を解決するのが先決だろう」
そもそも、ハーデスには転移魔法がある。
たとえ魔界へと連れ去られたとしても、自力で家出をするお転婆姫を拘束することなどできないのだ。
究極の方向音痴であるが故、転移先で迷子になるであろうことはさておき、思い直してみればそこまで心配するようなことでもない。
「すまないみんな、少し気が動転していたみたいだ……」
「へっ、いいってことよ。お前が道を間違えそうになったときに止めるのが、この俺の役目だからな。任せておけ」
ドンと胸を叩くガイウスの拳は逞しく、どこまでも頼りになる最高の仲間なのであった。
だが、そんな時にふとあることに気付く。
「あれ? そういえばあのおチビちゃんはどこへ行ったんだい?」
「え? あ、そういえば……」
「おいおい。こんな時に迷子か!? ま、まあ……。あの道化師に連れ去られたわけじゃねぇみたいだし、たぶん大丈夫だろ……」
なぜか、そう、いつの間にか。
もっとも一人にしてはいけない、ヤバそうな幼女が一名、この迷宮のどこかではぐれてしまっていたらしい。
どこからか、「やっちまったのよーーーーーー!!?」という声が聞こえてくるような、こないような、そんな気がしつつも、勇者一行はこのまま迷宮の最深部へ目指すのであった。
100話。
めでたい。