レトロライフシステム 1
いつか、自分は死ぬ。そう思いながら生きていると、全てのことが無駄に思える。
楽しいと思う事など何もない。心の底から笑えない。
死は、それまでの全てを無駄にする。生も、意思も、意味も、全てを奪う。
死は、私の敵だ。
敵ならば、抗わねばならない。争わなければならない。
死を殺さなければならない。死を滅ぼさなければならない。
契約だ、悪魔。
1
「フジミネ、ユウマさん。端的に言えば、あなたの死因は寿命ということになります」
真っ暗な空間で、目の前にいる女性が言った。
ひらひらと布の多い、いかにも神様が着ていそうな服を着て、何でできているかよくわからない椅子に座っている。
「死因って、え?」
思わず聞き返す。
死因。死んだ原因。
え、俺、死んだの?
「はい、残念ながら」
と、女性が答えた。
「死んでしまった、と言いますか、寿命がムリヤリ奪われてしまったために、寿命が尽きたといった感じです」
付け加えるように、女性は言う。
椅子から降りた女性は、俺に一枚の紙を渡し、再び椅子に座った。
「それは悪魔との契約書。私が知る限り最も優秀な部下が、あなたの不可解な死因を調べていてたどり着いたものです」
悪魔の契約書と呼ばれたその紙を、俺は恐る恐る読む。何語で書かれているかがわからない、そもそも文字なのかどうかさえ分からない模様が、見たことのない色のインクで書かれていた。
女性はその契約書の中身を読み上げようとはしなかったが、概要として、悪魔と契約して絶大な力を得る、そのための契約料として、寿命を差し出す必要があると書かれている、と教えてくれた。
「こんな契約した憶えないんだけど」
まるで詐欺にでも引っかかったようなことを口にしたが、間違ってはいない。俺は悪魔と契約なんてした覚えはないし、そもそも悪魔なんて存在を信じていない。
今目の前にいる神様みたいな女性のことも、いまだにドッキリか何かだと疑っているくらいだ。
「ええ、もちろんですとも。その契約書に書かれている名前は、あなたのものではありませんから」
俺は契約書の一番下を見る。よくわからない文字だったが、間違いなく俺の名前ではないことは分かった。
「その者の名前を明かすことは、寿命管理局の守秘義務に反します。けれど、一体何が起こったのかだけは、説明する必要があるでしょう」
寿命管理局? と、俺は聞き返した。
「申し遅れました。私はヴァルキリー。寿命管理局の窓口をしております」
ヴァルキリーと名乗った彼女が軽く頭を下げた。
彼女が言うには、寿命管理局はその名前の通り、全世界の様々な生物の寿命を管理し、ある生物だけが力を持ちすぎたり、適度に進化させたりなどを調整している存在らしい。
なんというか、やはり胡散臭い。
「一体何があったんだ?」
嘘なら嘘で、どう返してくるか。半分くらいは冗談として受け取ることにして、とにかく、彼女の中でどんなお話が出来上がっているのかが気になった。
2
バキン。
突然ものすごい音がして、俺とヴァルキリーは周りの様子を伺う。
ビシ、ビシ。
まるで分厚いガラスか氷にヒビが入ったような音がした。
ガシャン。
空から何かのカケラが降ってきた。とっさに頭を覆うが、何も感じない。そのガラスのような何かは、触れても全く感覚がなかった。
天井を見上げると、それまで真っ黒だった空間が割れていて、向こう側では無数の赤い色の線のようなものが蠢いているのが見えた。
そこから、人間のような何かが顔をのぞかせ、こちら側へと降りてきた。
「なるほど、原因は貴様か」
その人間のようなものは、俺とヴァルキリーを見比べた後、ヴァルキリーに向かってそう言った。
「そちらから出向いて来るとは思いませんでした。悪魔の力を取り込んだだけでなく、契約の代償に捧げる寿命を、よもや異世界の同素体の命で立て替えるとは」
ヴァルキリーが指を鳴らすと地面から様々な武器が生えてきた。そのうち、大きな槍を手に取ると、目の前の人物に向けて左手で槍を構えた。
「その立て替えたはずの寿命が、受け取る前に元の人物に戻って行った。儀式転送を無効にした奴の痕跡を追ってみれば、まさか神とはな」
と、その人間のようなものは言った。
ヴァルキリーは一瞬、こちらの様子を伺うと、その人物に槍を突き立てようと距離を詰めた。
その人物はヴァルキリーの槍を直前で躱すと、槍を掴んで振り回し、投げ飛ばす。地面に転がったヴァルキリーは、地面から生えていた武器にぶつかり、周囲にまき散らした。
その武器のうち、日本刀によく似た剣が俺の足元に飛んできた。俺はそれをとっさに掴み、刀を抜こうと身構える。
「やめておけ、フジミネ・ユウマ。貴様を殺さず、手足を引きちぎるのは難しくないが、ショックで死なれては困る」
男の両腕は、一目で悪魔とわかるくらいに変化していた。黒と赤が混ざったような色の皮膚、鋭い爪。ゲームでもよく見かける化け物の形をしている。
俺はゆっくり立ち上がり、震える手で刀を抜く。
「剣を納めなさい。あなたでは無理です」
と、ヴァルキリーが再び槍を構えると、一度指を鳴らし、まっすぐこちらに向かってきた。
「そうだ、フジミネ・ユウマ。貴様は所詮、養分にすぎん。貴様の時間を、大人しくこちらによこせ」
養分。養分だって?
「ユウマ、あなたでは勝てない相手です。ここは私に任せて、あなたは逃げなさい」
後ろから妙な気配がして振り返ると、まるで空間に穴が開いたように、背中のすぐ後ろに真っ白な光が広がっていた。よく見るとそれは光ではなく、まるで雪原のような景色だった。
再びヴァルキリーの方に向くと、彼女は俺をかばうような格好で、あの男に槍を向けていた。
「ユウマ、そこへ入りなさい。後で使いの者を送ります」
そこへ入れ。この白い空間のことだろうか。
入るとは言っても、まるで空中に写真が浮いているようにしか見えず、どうやって入ればいいかがわからない。
「無駄だ。どこへ隠そうと、すぐに見つかる」
男の声がした。
もう一度ヴァルキリーの方へ振り向こうとした瞬間、ヴァルキリーは俺をその写真の方へ蹴り出した。
写真に触れた瞬間、目の前が真っ白になり、一度、俺はそこで意識を失った。
***
思い返せば、俺の人生なんて他人と比べれば、取るに足らない無価値なものだっただろう。学校には普通に通っていたけど、友達と遊ぶ事もほとんどない。
毎日勉強、学年内の順位が全て。学校の行事では目立たず、リーダー気取りの奴が欲求不満を解消するために人に指図するのを黙って見ていた。
そんな自分が社会に出たって、できる仕事は平凡で、特別な才能なんて求められることは無かった。
世の中はそんな風にできている。結局のところ、努力で変わるのは過程であって、結果ではなかった。
結果が全てで、それすらも消耗品。どんな素晴らしい結果を出そうと、得られる評価はさらなる要求であって、称賛ではない。どうせ、次はもっといい結果をと、さらに努力を求められるのだ。
そしていつか、努力ではどうする事もできない壁が自分を阻む。努力なんて無駄だと、そのうち頑張ることに疲れ、立ち止まる。
そんな自分の姿を見て、周囲は落胆し、過剰な期待を向けた愚かさより、その期待を裏切った相手への憤りを感じるようになるのだ。
期待していたのに、裏切りやがって。そんな言葉を浴びせるようになるのだ。
勝手に期待して、勝手に落胆し、罵声を浴びせる。そんな連中に振り回されるのは、もうウンザリ。
この世界は、努力などしてはいけなかった。それに気付かず、随分と時間を無駄にした。
だから、こんな無駄ばかりの人生など、価値はない。どうせ最後には、誰からも見向きもされなくなるのだから。
***
3
あまりの寒さに、俺は飛び起きた。周囲は一面の雪。それも、ほんの一メートル先も見えないほどの猛吹雪だ。
自分の周囲を確認すると、まるで隕石が落ちてきたような、クレーター状の窪みが地面に広がっていた。
何が起きたか、いまだに頭が追いついていない。真っ暗な空間で、突然、自分は死んでしまったと告げられ、悪魔のような腕を持つ人物に襲われた後、ここへ飛ばされた、で合っているか。
つまりこのクレーターみたいな窪みは、俺が落ちてきてできた跡ってことか。よく生きてたな、俺。
まるで漫画のような状況だ。おまけに今は、見渡す限り真っ白な雪原で寒さに震えている。
一体何がどうなっているのか。
ふと。どこからか、地面を叩くような音がした。ドスンドスンという重い音だ。加えて、低い唸り声のような音も聞こえる。まるで大きな獣がこちらへ向かってきているような、そんな音だ。
音がどこから聞こえてきたのかはわからなかったが、周りを見渡して、その音の正体が自分の思った以上の姿をしていることに愕然とした。
一メートル先も見えないほどの猛吹雪の中でさえ、その巨体はすぐに視界に入った。一応は辺り一面の銀世界の中に隠れるためか、その巨体は真っ白な毛におおわれている。
グルグルと低い声で唸り、唾液が凍り付かないようにしっかりと閉じられた口から、時々ちらと見える巨大な牙が、寒さとは別の意味で背筋を凍らせる。
大きさの問題さえなければ、シベリアンハスキーによく似ていた。ただし、雪に埋まらないためなのか、足先が少し大きい。
まるで周囲の様子を窺うように、その巨大な犬は耳をくるくると動かし、地面すれすれまで顔を下げて、臭いを嗅ぐように鼻をひくひくと動かしていた。
このまま見つからないようにやり過ごせればいいが、ほんの少し動いただけでも見つかる可能性は高い。いや、それではいけない。いずれは見つかってしまうだろう。
まずは落ち着いて、気付かれないように、ここから離れるしかない。
慎重に、なるべく音を立てずに動こうと、俺はまず姿勢を低くした。そして、そのままゆっくりと後ろの様子を伺い、小さな洞窟のようなものがあることに気が付いた。そこに行けば、少なくとも、この大きなモンスターは入ってこられないはずだ。
ゆっくりと後ずさりをしようとして、俺はうっかり雪の下にある石を踏んだらしい。足元がぐらついて、そのまま盛大にすっ転んだ。
その音を聞きつけたか、犬のモンスターはこちらを凝視した。
ドスン、ドスンと、大きな音を立てて、巨大な犬のモンスターが近づいてきた。グルグルと低い声で唸るその巨体が、完全に俺の姿を捉えているようだ。
足場の悪いこの場所で、どこまで逃げ切れるかは分からないが、このまま突っ立っているわけにはいかない。俺は犬のモンスターに背を向け、洞窟めがけて全力で走り出した。
「くそっ! 早い!」
相手は獣。犬や狼の足の速さは、どの世界でも変わらない。
その足の速さのまま巨大になれば、当たり前のように速度は上がる。
犬のモンスターは圧倒的な速さで俺に追いつき、体相応の大きな口で俺にかぶりつこうとした。
もはやこれまで。この場所に来てから、たったの十五分すら経たずして、俺はまた死ぬのだろう。
死にたくない。俺は、未練がましく、頭を抱えてその場に座り込んだ。
「ユウマさまー! どこですかー!」
突然のことに、一瞬、幻聴が聞こえたような気がした。
こんな死にかけの場面に相応しくない、どこか気の抜けるような、少女の声だ。
死の間際にこんな幻聴を聞くとは。俺の頭はいよいよダメになっているらしい。
「ユウマさま! 居たら返事してください!」
いいや、幻聴ではないらしい。やはり少女の声が聞こえる。
恐る恐る目を開けると、犬の化け物に首輪が付けられ、そこから空に向かって鎖がついていた。その鎖の先はよく見えない。まさか、そのまま宇宙にでも伸びているんじゃないだろうな。
よく見ると、鎖は一本だけじゃなく、何本も伸びている。首だけではなく体全体に鎖がついているようだ。
「ああ、こんなところに居られましたか。……て、いきなり死にかけてるじゃないですか!」
声の主が犬の化け物の後ろから顔を出した。素っ頓狂な声を上げたその人物は、涼しげな薄紫色の長い髪を低い位置で二つに留め、薄着で寒そうな格好をしていて、見ているだけでも凍えそうな気分になった。
「さあ、こんな寒い場所、さっさと離れましょう! もう、凍えて死にそうですよ!」
……そんな恰好してるからだろ。
ともかく、助かった、と、俺は思った。すぐに立ち上がり、少女のもとへ歩く。
だが、あまりの寒さのせいか、俺は軽く眩暈を覚え、その場に膝をついた。
「ああ、これはまずいですね。さあ、私の肩に……冷たっ!」
相当冷え切っていた俺の腕に触れたその少女は、あまりの冷たさに思わず飛び上がった。
そりゃあ、こんな場所に十分も居れば、体は氷のように冷え切ってしまうのも当然だろう。
それでも少女は俺に手を伸ばし、自分の肩に腕を回す。ぶるぶると震えながらも、このまま別の場所へ連れて行こうとしているようだ。
しかし、その直後、突然何かが割れるような音がした。よく見れば、犬の化け物についていた鎖が、一本切れている。
「ちょ、ちょっと先輩! まだ早いですってば! せ、せめて私たちが離脱してから……ああ、もう!」
少女が狼狽している間にも、鎖は次々と引きちぎれていく。
先輩、と言ったか。この少女が鎖で縛り付けていたわけではないのか。
「仕方ありません。ちょっと荒っぽいですが、振り落とされないでくださいね!」
と、少女は言って、俺に抱き着くような格好になる。悪い気はしないが、今にも気を失いそうで、それどころではなかった。
少女は力強く地面を蹴ると、そのまま俺ごと空に飛びあがり、最後の鎖を引きちぎって襲い掛かってきた犬を振り切って、ものすごいスピードで雪の世界から飛び立った。
4
「さて、体も温まりましたし、改めて自己紹介を」
巨大なモンスターに襲われたあの雪原での一件の後、この少女に抱えられたまま空を飛んで移動し、近くの街へと逃げ込んだ。
とりあえず体を温めたかったのと、落ち着いて話せる場所を探し、喫茶店かバーのような場所に入り込み、今に至る。
空から見ていてわかったのだが、あの雪原はどちらかと言えば雪山と呼ぶ方が正しい形をしていた。この街はその麓にあり、寒い地域にしか生えていない珍しい種類のハーブが多く取れらしい。
俺が飲んでいるハーブティにも、この地方にしか生えていないものが使われているそうだ。
「私はユウマさまの今後のサポートを勤めさせていただきます、フォルトゥナと申します」
サポート?
「おおよその事情は、ヴァルキリーさんから聞いています。例の、寿命を奪った悪魔から逃れるには、しばらくはこの世界で身を隠して生きるしかありません」
「え、『この世界』って、ここ、地球じゃないの?」
フォルトゥナと名乗った少女は、何でもないことのように、はい、と短く返事をした。
気持ちを落ち着かせるように、俺は目の前のカップに手を伸ばし、ハーブティーを一口、喉へと流し込んだ。
「ひとまず、この世界で生活できるだけの資金や準備は、私の先輩がやってくれました。とりあえず、例のあの悪魔の問題が解決するまでの辛抱、ということで」
と、フォルトゥナは楽しそうに言った。
例の悪魔、あの黒い空間でヴァルキリーと戦っていたあの男。確か、まだ俺の寿命を狙っているんだったよな。
あの時、俺の命を価値のない物と言った事に腹を立てて、思わず転がってきた刀を手に取ったが、戦って勝てる相手なのかどうか……。
「ああ、そうそう。この刀なんですけど、護身用にと、ユウマさまに渡すように言われました」
フォルトゥナはテーブルの上に黒い鞘に入った刀を置いた。刀とは言いつつ、ただの木の柄に、木の鞘、鍔も無い刀だ。あの時、手に取ったものとは全く違う形をしていた。
仕込み杖と言うべきか、外見からはおおよそ刀に見えない。フォルトゥナに刀と言われなかったら、黒い杖にしか見えない、ただの棒だった。
「使い方を知らない」
と、俺はその刀をフォルトゥナの方へ押しやる。
フォルトゥナはその刀をもう一度俺の方に押し、ただ一言「規則ですから」と言葉を発した。
規則? と俺が問うと、はい、と短く返事があった。
仕方ない。おとなしく受け取っておくことにしよう。
「ともあれ、まずは住む場所ですね。しばらくはここで生活することになるわけですし、ホームレスというわけにはいきません。落ち着いたら、情報を集めましょう」
と、フォルトゥナは楽しそうに言った。
5
「ねえねえ、コレ何ですか? ユウマさま」
まるで初めて縁日に遊びに来た子供のように、フォルトゥナは商店街ではしゃぎ回る。
年齢は聞いていないが、もしかしたら、意外と若いのかもしれない。
フォルトゥナが店先に並んでいる食べ物や工芸品を指差すたび、そこの店主や店員が話しかけてきて、それが何かを教えてくれた。
どうやらこの世界の食材は地球とよく似ているらしい。名前もわからない物ばかりだが、先ほど飲んだハーブティーといい、調理方法が地球の食べ物と全く同じだ。
商店街は日本で見ていたのとほとんど変わりがなかった。ただ、大きく違ったのが、小さい武器や防具が普通に売られている事だった。日本なら間違いなく銃刀法に引っかかりそうな武器が、子供でも手に取れる場所に並んでいる。
物珍しさを覚えた俺は、ある武器屋へと足を運んだ。店先には、小さなナイフから短剣まで揃っていた。
どれも両刃の剣の形をしており、きれいに左右対称の形をしている物ばかりだったが、隅の方に、折り畳み式のナイフが置いてあるのを見つけた。折り畳み式のため、片側は刃がついていないものだ。
フォルトゥナは、その折り畳みのナイフを手にとって、食い入るように見つめる。
「……欲しいの?」
冗談まじりで聞いてみると、
「……我慢します」
真剣な目で返された。
店の品は短剣からバスタードソード並みに大きな剣まで様々だったが、銃火器や鈍器は売っていなかった。刃物の専門なのだろうか。
「お嬢ちゃん、そいつが気に入ったのかい?」
と、いかにも鍛冶屋といった風貌の男性に声をかけられた。おそらくここの店員だろう。
フォルトゥナはナイフを畳むと、「はい」と短く返した。
「そいつは、今から三百年ほど前、ちょうど大戦時代のはじめの方に作られた鉱石のナイフだ。今では珍しい片刃の刃物で、武器っていうよりは道具って感じだな」
三百年前……。随分と古い。
「当時は、まだ人間が魔法の使い方を知らなかったんだと。今じゃあ、学会のお偉いさんが研究して、子供の教科書に魔法の使い方が載ってるくらいだが、昔はそういった魔鉱石で作った道具に頼ってたんだとよ」
フォルトゥナが再びナイフを開き、改めて刃の部分を眺める。どう見ても金属にしか見えないが、これが魔鉱石というモノなのだろう。
……ん? 今、魔法って言ったか?
「なあ、フォルトゥナ。この世界って、魔法とかあるの?」
ナイフを真剣に眺めていたフォルトゥナに、こっそりと聞いてみた。
フォルトゥナは小さく、はい、とだけ発した。
「今じゃあ、すっかりただの石ころだ。魔力なんて残っちゃいねぇさ。中には、まだ魔力が残ってるものもあるらしいが、そんなレアもの、最低でも数億の値が付くって噂だ」
この世界のお金の価値をしっかりとは把握していないが、数億という数字だけでも相当な値段になっていることはわかった。おそらく歴史的に価値があるというだけではなく、そのくらいの値段が付けられるほどの影響力があるのだろう。
後でフォルトゥナに聞いてみよう。
そういえば、と、俺は先程フォルトゥナから無理やり押し付けられた刀に目を向ける。これはこの世界のものではない。
魔鉱石とは言わないまでも、何かしらの力が込められていても不思議ではないが、どうなんだろう。
「中も見ていくか?」
と、店主。俺は首を縦に振った。
フォルトゥナは折り畳みナイフを名残惜しそうに棚に戻し、俺の後ろから一緒に店の中へと足を踏み入れた。
6
店の中は、外とはまるで別世界だった。ショートソードからバスタードソードまで、所狭しと壁にかかっており、そのほとんどが錆びている。
よく見ると、壁の剣に埋もれて、非売品と書かれた看板が見えた。文字は見たことのない文字だったが、フォルトゥナが意味を教えてくれた。
「壁の剣は、三百年前の大戦で作られた実戦用の剣と、その時代にお偉いさんが式典で使っていた飾りの剣だ。数年前に街が水没した時に全部錆びちまったが、貴重な作品だから捨てるに捨てられなくてな。もし欲しいのがあれば、ちゃんとした形で複製してやるよ」
詳しく聞くと、この所狭しと並べられた剣は全て一人で打たれた物らしい。流石に弟子はいただろうが、ざっくり数えて百以上はある剣を全て一代で打ったというのは驚くばかりだった。
フォルトゥナはその剣の壁の前で目を輝かせており、しばらくは動きそうになかった。よほど剣が好きなのだろうか。あるいは、刃物全般に興味があるのかもしれない。
「そういやお前さん、見慣れない顔だが、旅行者か?」
店主が言った。
「そんなところだ」
と短く返す。
「その棒、武器のようだが、なんて武器だ? 見たことない形してるが、どう使うんだ?」
と、店主が刀に興味を持った。
鞘から抜いていないから、このまま棒として使うように見えたのだろう。俺は刀を少しだけ引き抜く。
店主は、鞘から覗かせた白銀の刀身を凝視し、驚いたように声を上げる。
「こりゃあ驚いた。まさか、大昔の片刃の剣を持ってる奴がいるとは」
そういえば、店の入り口にあった折り畳みナイフを「今では珍しい片刃の刃物」と言っていた。
俺は一度刀を鞘に収め、店主に渡す。
受け取った店主は刀を抜こうとするが、どれだけ力を込めても鞘から動かなかった。
「無理ですよ。その刀はユウマさまにしか抜けませんし、抜き身の刀を他の人が握っても、重すぎて持ち上がらないようになってます」
と、いつのまにか後ろにいたフォルトゥナが言った。
「なるほど、持ち主を選ぶってやつか」
と、店主。
今の説明で納得できるのは、器が大きいのか、細かいことを気にしないのか。
それよりも、俺にしか使えないってどういう事だ?
「コイツも魔剣の一種ってわけか。まあ確かに、そうでも無けりゃあ、とっくに錆びてるか、折れてるわな」
店主は刀を俺に返すと、番台のようなところの下から、古い本を取り出した。そこには沢山の刀の絵と文字が書いてあり、どうやら図鑑のようなものだとわかった。
本の真ん中あたりのページに日本刀の形をしたものが大量に並んでいたが、文字の方は、見たことがない文字で書いてあり、俺には読めない。
俺が持っている刀と図鑑を見比べている事から、店主がこの刀の情報を探しているのだとわかった。
だが、これはフォルトゥナがよこしたもので、この世界のものではない。この図鑑には載っていないだろう。
探すのを諦めた店主が、図鑑を番台の下に戻す。同時に、入り口の扉が開き、誰かが入って来た。
「ごきげんよう」
と、まるでどこかの貴族のように挨拶をした人物を見て、店主は何かを思い出したように「ちょっと待っててくれ」とだけ残し、急いで店の奥へと向かっていった。
その人物は、上品な挨拶を交わすのにふさわしいほど、貴族の風貌をしていた。加えて、女性だった。
俺はその人物と目が合う。俺は反射的に、軽く頭を下げた。
「見ない顔ですわね。旅人かしら」
その人物は店主とほとんど同じ感想を述べた。
それにしても。ここに来るまでに街の住民を何人か見て来たが、彼女はそのどの人物とも違う雰囲気を持っていた。一言で表すなら、異彩を放っていた、と表現するのが正しいだろうか。
単純に貴族とわかる格好をしていたからではなく、柔らかそうな雰囲気の中に時折、鋭く刺さるような何かを感じさせ、まるで戦士か騎士のような雰囲気だった。
ほとんど会話しないまま時間が過ぎ、店主が大きな木箱のようなものを持って戻ってきた。
「お待たせした、ローウェル嬢。検品はここでされるか?」
無茶苦茶ながらに、店主は敬語で対応しようとしているのだろう。言葉尻がおかしいのもあったが、なんとなく、店主が堅苦しそうにしているのがわかった。
「いいえ。戻ってからで十分です。腕は信頼しておりますので」
と、貴族の女性はその大きな荷物を受け取る。
とはいえ、全長二メートルはあろうかという木箱のようなものに入れられた物体を持つには、流石に女性では難しいだろう。
結局木箱はその場で開けられ、中身だけを持ち帰ることにしたようだ。
木箱の中身は、非常に大きな剣だった。ただし、刃の部分は丸く潰されているらしく、剣先も鋭くはない。
女性はその剣を固定するためのハーネスのようなものを背負い、華奢な腕一本で剣を背中に回す。
いったいどこにそんな力があるのやら。
「すみません、外側はそちらで処分していただければと」
「ええ、もちろん。お任せを」
重そうな剣を背負っている割に、なんでもなさそうな顔で話す。この光景だけでも、彼女が普通の貴族でない事は見てとれた。
「それでは。旅の方も、この街を楽しん……」
楽しんで、と言おうとしたのだろうか。不自然なところで言葉を切り、彼女は俺が持っていた刀を凝視した。
そして、驚いたような目で、刀と俺を見比べる。そういえば、片刃の刃物は珍しいんだったか。けれど、今は鞘に入っているから、店主と同じくただの棒だと思うはずだ。
ただならない雰囲気のまま、まるで鞘の上から刀を見ようとしているかのように、凝視している。
「気になるなら、中身を見せようか?」
と、鞘に入った刀を彼女の顔の前に掲げてみせると、彼女は首を縦に振った。
刀を自分の方に引き戻し、自分の胸の前で少しだけ抜いてみせる。全部を抜き切らないのは、周りを傷つけないよう配慮しているからだが、彼女はお構いなしに手を伸ばし、感触を知りたがるように刀身に指を這わせた。
「片刃の剣……、それも、本物ですわ……。どうなっていますの……?」
なんとなく気になる言葉に、俺は違和感を覚えた。その雰囲気を察したか、店主が頭をかきながら、
「図鑑にも魔剣の辞典にも載ってなくてな。そいつがなんなのかはわからんのですよ」
と口にした。
女性は刀と俺を見比べ、しばらく考え込む。
「あなた、これからウチへいらっしゃい。その剣、少し調べなければなりませんわ」
などと口にした。
そして、神妙な面持ちで、
「申し遅れました。私はエリザベス・ローウェル。この街と周辺地域の領主をしております」
7
領主、エリザベス・ローウェル。
俺たちが居るこの街、名前をパレッタというが、ともかくこのパレッタという街と周辺の平原、近隣の街をつなぐ街道、それから、俺が最初にこの世界にやってきた時に居た、例のモンスターがいる雪山までを領地として治めている貴族で、王国騎士団とやらの一員らしい。
王国騎士団などという大袈裟な名前がついているだけあって、政治の世界にも顔が利くらしく、有事の際は王国から各種専門家を派遣することまでできるようだ。
なぜこんな説明をするかと言えば、今まさにそんな話を彼女、エリザベスがしていたからだ。
それを、フォルトゥナとともにテーブルを挟んで反対側から聞いている。今のところ手足を縛られたりはしていないが、武力やら権力やらの話をしたところを見ると、どうも俺たちを脅しているらしい。
「本題に入りましょうか、ユウマ・フジミネ。この片刃の剣の出処と、あなたたちの素性を教えてください。分かっているとは思いますが、嘘偽りがあった場合、こちらにはあなた方を拘束、場合によってはその場で切り伏せる権利があります」
念を押された。
さて、どう答えたものか。事実をそのまま伝えたところで信じるわけがない。とはいえ、適当にごまかすにしても、俺にはこの世界の知識が足らない。
少しくらい、歴史の勉強をしておけばよかった。
「あのー、そもそもな話なんですけど……」
フォルトゥナが小さく手を挙げた。
「何か?」
エリザベスは視線を向けず、紅茶のような匂いがする飲み物を口にした。
「刀って、そんなに危険なんですかね……?」
エリザベスはフォルトゥナの言葉に「かたな?」と首を傾げつつ、
「正気ですの? 片刃の剣と言えば、大戦時代に『魔王』が生み出した、災厄の魔導器ですわよ? それを知らないだなんて……」
などと呟く。
災厄の魔導器……? ただの刃物ではなく?
そんなことよりも、今、エリザベスは『魔王』と言った。文脈から考えれば、間違いなく悪魔の王ではなく、愛称のようなものだろうが、それにしても……。
おそらく、大戦時代とは、武器屋の店主が言っていた、三百年前の大戦とかいう時代の事を指すのだろう。
大戦時代という以上は戦争の時代なのだろうが、何をすれば魔王などという呼ばれ方をするのだろうか。
「念のため聞いておきますわ。あなたたち、大戦時代に滅んだ大国の名前くらい、わかりますわよね」
俺たちは黙って首を横に振った。
呆れたような、あるいはおかしなものを見るような目つきで、エリザベスは俺とフォルトゥナを交互に見た。
「……まさか、また、ですの?」
やはり呆れたような、あるいはおかしなものを見るような目つきで、エリザベスは俺とフォルトゥナを睨みつけた。
「あなたたち、出身はどこですの?」
俺たちは互いに顔を見合わせた。
どう答えるべきか。この世界の国など分かるわけがなく、適当にはぐらかすのも難しそうだ。
考えた末、ひとまず、なるべく嘘をつかずに話してみることにした。
「出身は日本って国だ。その刀は貰い物で、俺にも詳細はわからん。この子も同じ出身だろうけど、会ったばかりでよく知らない」
エリザベスは首を傾げ、聞きなれない国の名前に困惑した様子を見せる。
「ニホンという地名に心当たりがないのですが、どこかの街の名前でしょうか」
「まあ、そんなところだ」
適当にごまかしつつ、とにかく、怪しまれないように注意しながら、言葉を選ぶ。
「そういえば、片刃の剣、だったか。訳あって、この国の歴史や土地を知らないんだ。差し支えがなければ、教えてもらえると助かる。わざわざ俺たちを拘束してまで、どうしてそんなにもこの刀を警戒するんだ?」
文字通り。単刀直入に尋ねてみた。
エリザベスはこちらを値踏みするように凝視してから、ゆっくりと、大きく息を吐いた。
「……いいでしょう。危険は無さそうですし、嘘をついているようでもありませんわ。お話ししましょう。
まず、片刃の剣というのは先程も言った通り、大戦時代に『魔王』が生み出した災厄の魔導器ですわ。どうやら悪魔の爪か、牙を模して作られたらしく、そのほとんどは刀身が曲がっているのが特徴です。
今でこそ、魔導器に頼ることなく魔法を使う技術、いわゆる魔術が発達したことで、ある程度は道具を使わずとも魔法を使うことはできますけど、大戦時代、およそ三百年前は一部の魔法使いが研究を重ね、魔導器と呼ばれる道具を作り、それに頼らなければいけませんでした。
ただの魔導器であれば、使える魔法はあらかじめ封じ込められたモノのみで、しかも使い続ければ魔導器の魔力が無くなり、いずれは使えなくなります。
けれど、『魔王』が生み出した魔導器は違います。
魔導器そのものが意思を持ち、手にした者の精神を支配する。魔力が尽きることもなく、魔法使いのように様々な魔法を自在に操り、熟練の戦士のように剣を振る。本来ならば何十年も研究をしたり、訓練をしたりしなければならないような力を、剣を手にしただけで使えるようになるのです。そう、まるで……」
エリザベスは最後に、静かに付け加えた。
「まるで、悪魔と契約したかのように」
8
魔剣と呼ばれる類の、呪われた武器。
まるで悪魔と契約したかのような力が手に入るという。
「悪魔と契約だなんて……、まるでユウマさまの……」
そもそも、こんな世界に来ることになった原因は、違う世界の誰かが悪魔と契約するため、自分の寿命の代わりに俺の寿命を差し出そうとしたことが原因だ。
まさか、そうやって逃がされた先で、似たような話を聞くことになるだなんて。
「歴史の授業はこれでおしまいですわ。とにかく、この剣をどこで手に入れたのか、知り合いから譲り受けたというのなら、その知り合いについても詳しく教えて……」
と、エリザベスが言いかけた時だった。
部屋の外から大きな音がして、少し遅れて地面が揺れた。
「何事ですの?」
エリザベスは椅子を蹴って立ち上がり、部屋にいくつかある窓のうちの一つに駆け寄ると、外を眺める。そこから見える場所には特に何もなかったようで、彼女は俺たちに、そこを動くなと怒鳴りつけてから、部屋の扉から外へ駆けて行った。
刀を置きっぱなしなんだが、これは返してもらってもいいのだろうか。
「ユウマさま、私たちはどうしましょう……?」
「動くなと言われたんだから、一応、ここで待っていよう。これ以上、厄介なことになるのはごめんだ」
と、俺は静かに口にした。
ともかく、外で何が起きているのかはわからないが、なんとなく、エリザベスが戻ってくるまで時間がかかりそうだし、今のうちに刀の出処や俺たちの素性について、どう言い訳するかをまとめておく必要がありそうだ。
俺はちらとフォルトゥナの様子を伺う。落ち着かない様子で、エリザベスが出て行ったドアを眺めては、小さく溜息を吐いていた。
「大した事ではないかもしれませんが」
と、フォルトゥナは切り出し、
「この刀は、ヴァルキリーさんの所有物ではないのです」
と続けた。
俺は少し驚いた。これがヴァルキリーの所有物ではないなら、一体誰の物なのか。もしかしたら、エリザベスが言っていた『魔王」とやらが作った刀を、わざわざ見つけ出してきて俺に与えたのだろうか。
フォルトゥナに詳細を尋ねてみる。
「そもそもヴァルキリーさんは、自前の槍以外の武器を持っていないのです。他の物は、武器ではなく触媒に過ぎません」
触媒?
「この世界で言うところの、魔法のような現象を引き起こす触媒です。特にヴァルキリーさんの場合、戦士の召喚や生成を得意としています。元々その人物が持っていたものを複製し、触媒として召喚したり、生成したりして、たくさんの戦士を軍勢を作り出すんです」
と、若干興奮気味にフォルトゥナは言う。
つまりこの刀も触媒で、誰かが持っていた物なのだろうか。
「ユウマさま、もしエリザベスさんがこの刀を没収しようとしても、絶対に渡しちゃダメですよ。神の奇跡の触媒をただの人間に渡すわけにはいきませんから」
なんでそんな面倒くさいものを俺に預けようとしたのだろうか……。
「やっぱり返す。あんたが持っててくれ」
と、俺は刀をフォルトゥナの方へ押しやる。
「ダメですよ。これはヴァルキリーさんがユウマさまのために用意したんですから」
フォルトゥナは刀を俺の方に押しつけた。
しばらくお互いに刀を押し付け合っていると、エリザベスが出て行った扉が勢いよく開き、同時に叫び声が響いた。
「二人とも、その剣を持って逃げますわよ! ヤツらの狙いはその剣ですわ!」
9
俺とフォルトゥナに加え、エリザベスも屋敷から飛び出すと、目の前の光景に驚いた。
例えるなら、陶器でできたネズミの置物が大量に蠢いているような光景だ。
「レッサーゴイルの群れですわ。普通はこんなに集まったりしませんけれど、その剣の魔力を辿っているようですわ」
レッサーゴイルとやらが一斉にこちらに気づいたらしく、少し離れた位置にいるエリザベスやフォルトゥナを無視して、俺に向かって構えている。
「何をしていますの! 早くこちらへ!」
エリザベスが叫ぶのと同時に、一部のレッサーゴイルがこちらへ飛びかかってきた。あまりにも唐突な動きに、俺はとっさに刀を構える。
構えたと言っても、鞘に納まったままの刀を体の前に出し、細い盾のように身構えただけだ。とっさの判断で敵を切れるほど、器用でもないし、そもそも刀自体初めて使うのだ。
まるでスローモーションでも見ているかのように、目の前に敵が迫ってくるのを眺めながら、俺はどうしようかと悩んでいた。
戦闘の経験などない。刀すら使った事がない。
一体何をどうすれば……。
「ユウマさま、ひとまず剣を抜きましょう」
フォルトゥナの声がした。叫ぶでもなく、ゆっくりと、静かな声だ。
周りの景色はスローモーションのようで、まるで止まってしまったかのように遅い。錯覚ではなく、本当に時間の流れが遅くなってしまったようだ。
俺は言われるがまま、両手で握っていた刀をそのまま引き抜いた。逆手持ちと言うべきか、右手で逆さに持っている格好のまま、抜いた拍子に一番近くにいた敵に刀が当たる。
当たった部分は、まるでケーキを切り分けるかのように、スパッと切れ目が入った。そこから血が吹き出たりはしなかったが、空洞になっていたらしいレッサーゴイルの中身が見えるほど、大きく裂けた。
「それで正解です。その刀は、とある盲目の剣士が使っていた仕込みの刀。ヴァルキリーがあなたに与えた、神速の風」
盲目の剣士? 神速の風? 一体何を言っているんだ。
だんだん周りの速度が戻りつつある中で、俺はフォルトゥナの様子を伺う。特に変わった様子はなく、スローモーションの状態で、こちらに飛びかかってきたレッサーゴイルに手を伸ばしていた。
「その刀、決して手放してはなりません。あなたはその剣と共に。その刃の輝きと共に」
どうやらフォルトゥナが語りかけているわけではないようだ。なら、この声は一体どこから聞こえるのだろう。
周りを見渡すが、声の主らしき人物いない。聞き間違いとも思えない。
声はそれきり聞こえなくなり、あたりの時間の流れのようなものも、だんだん元に戻っていく。
ひとまず、声の事は一旦おいておこう。そろそろ目の前に迫るレッサーゴイルの群れの対処をしなければ。
俺は逆手に握った刀をそのままに構える。さっきはコイツらのうちの一体を切ることが出来た。それなら、この刀は奴らには有効なはずだ。
元の速度に戻りつつあるとはいえ、まだ周りの景色は遅い。俺が普通の速さで動いても、周りから見れば速く動いているように見えるだろう。
俺は近くにいる敵から順に、逆手持ちのまま刀を振る。次から次へと敵に致命傷を負わせていく。まるで現実味のない光景だったが、切った感触は感じられた。
飛びかかってきたレッサーゴイルを全て切り終え、いったん刀を納めると、その瞬間、周りの景色は元の速さに戻った。
「……一体、何が起こったんですの?」
切られた後のレッサーゴイルの群れが霧散していくのを見ながら、エリザベスがそう呟く。フォルトゥナも一言も発していないが、驚いた表情を隠していなかった。
レッサーゴイルの群れのうち、後ろの方で様子を伺っていた個体がこちらを凝視するが、襲いかかってくる様子はない。
警戒しているというより、刀の様子を伺っているように見えた。奴らの狙いはあくまでもこの刀の奪取なのだろう。
「とにかく、今のうちに逃げますわよ」
エリザベスが背負っていた大剣を片手で掴み、振った勢いのまま地面に突き立てる。すると、周囲の地面が海のように波打ち、レッサーゴイルの群れを真ん中から両側に向かって掻き分けた。エリザベスが剣を地面から抜き、背中に戻しながらその道を走る。俺たちもそれに続いて道を走った。
10
「改めて、その剣の事で質問ですわ」
と、エリザベス。
先ほどのレッサーゴイルの一件の後、辺りはすっかり夜になっていた。エリザベスの屋敷から離れた後、人の少ない場所を選んで逃げ回り、追ってきたレッサーゴイルは全て始末したのだが、かなり時間がかかってしまった。
遅い時間は色々と危ないらしいため、屋敷へは戻らず、今夜は適当な宿で身を隠すことになった。その宿の中、再び俺とフォルトゥナはエリザベスから尋問を受けることになった。
「ユウマ、私にはあなたが剣を抜いた瞬間を一切見ることができませんでしたけれど、あなたに襲いかかったレッサーゴイルは、あなたに攻撃を加える前に致命傷を負っていました。あれは、その剣で切ったんですよね」
俺は首を縦に振った。
エリザベスは刀に視線を向け、少しだけ考え込むと、
「魔剣にしては、随分と大人しいですわね」
と呟いた。
確かに、レッサーゴイルの一件の前にエリザベスが言っていた、例の『魔王』と片刃の剣の話では、手にした者は剣士のように剣を振るい、魔法使いのように魔法を放つ事ができる、という事だった。
あの周りがスローモーションのように遅くなるのが魔法ということなんだろうが、この刀でやった事といえば、ゆっくり動く相手を切った事だけ。
エリザベスから見れば、魔剣らしからぬ能力らしい。
「まあ、いいですわ。ひとまず、素早く斬る事ができるだけの、ただの剣のようですし。一応、お返ししておきます。ただし、少なくともローウェルの領地において、その剣を人前で抜くことは許可できません。万が一その剣で周囲に危害を及ぼすような事があれば、今度こそ剣を没収し、あなた方を拘束いたします」
エリザベスはそれだけ言うと、窓を閉じたまま、周囲の様子を伺う。人通りの少ない場所を選んで逃げ回ったとはいえ、街の中にモンスターが侵入した事が周囲に広まり、どの家も扉や窓はしっかり閉じられ、雨戸まで閉まっている。なるべく光が漏れないように気をつけながら、周囲を見渡した後、エリザベスは再び顔を引っ込めた。
エリザベスはレッサーゴイルたちの狙いは刀だと言っていたが、今のところ、隠れている俺たちを見つける事ができていない。
刀を追いかけてきたわけではないのか。あるいは、何か理由があって、刀の魔力とやらを追う事ができないのか。
「そういえば、ユウマさま。刀は使えないって言ってましたけど、やっぱり使えたんですね」
と、フォルトゥナ。
そういえば、確かに。
逆手持ちのまま、抜刀と同時に斬るという特殊な使い方ではあるけど、なぜか俺はその刀の使い方に違和感もなく、まるで手足のように使いこなしていた。
なぜかは、俺にもわからない。
「……素性は不明、魔導器に似た武器を使い、しかもその武器は悪魔に追われている。何というか、あなた、本当に一体何者なんですの?」
「さあ。けど、少なくとも悪者になった覚えはない」
ひとまず、軽口を叩いて返す。
目的があってこの世界にやってきたわけではない以上、この世界にとっての俺が何者なのかは、俺にもわからない。何かを成そうとしているわけでもなく、ただ、例の悪魔、俺の寿命を奪ったという例の男の問題が解決するまで、この世界で身を隠せという事になっているのだ。
俺自身が何者かは関係ない。関係ないはずだ。
11
明け方、なにやら外が騒がしかった。予定よりも早くに目が覚めたせいでまだ眠い。
とりあえず、またレッサーゴイルが現れたのかと、俺は刀を握り、窓の外を伺う。
どうやら騒がしくしているのは人間らしい。モンスターのようなものは姿も見えなかった。
俺は少しだけ窓を開け、外の様子を伺う。多くの人が全員何処か同じ場所へ向かっているようだった。
「あら、起きているようですわね。手間が省けて助かりますわ」
ノックもせず、エリザベスが部屋に入ってきた。昨日見たのと同じ大剣を背負っていた。
「あの騒ぎは何だ?」
ひとまず、目の前で起きていることから考えることにした。
「礼拝ですわ。毎週、剣の女神ジブリール様へ祈りを捧げるのが、この国の習慣ですから。この街も例外ではありません」
どことなく冷めた口調で、エリザベスは答えた。
国教というやつだろうか。俺がいた世界でも、どこかの国には国教があるらしいのだが、間近でこういった風景を見るのは初めてだ。
「あんたは行かなくていいのか?」
この国の習慣と言っておきながら、領主であるはずのエリザベスはここにいる。何か理由があるのだろうか。
「私は祈りの儀を護る側。彼らが集会場にいる間、街の警備をするのが私の役目ですわ」
なるほど、そういえば王国の騎士団とやらだった。
「あなたも一緒に来てもらいますわよ。魔剣の事もありますし、なにより、昨日のレッサーゴイルの一件について、事情聴取も必要ですわ」
事情聴取?
まさか、あのレッサーゴイルの群れを呼んだのは俺だと言いたいのだろうか。
「とにかく、準備を。私はもう一度フォルトゥナさんを起こしてきますわ」
エリザベスは背中の剣を背負い直すと、もう一度……もう一度?
「準備ができたら、フォルトゥナさんの部屋までお願いしますわ。あの方、どうやっても起きなかったので、いっそ荷物として屋敷に送ってやろうかと……」
エリザベスは疲れた目で、そんなことを口走った。
12
街の集会場と言うと、狭い小屋のような場所で老人たちが喋っている場所を想像するが、この街の集会場はどちらかと言えば礼拝堂に近い作りをしていた。
部屋の奥にある大きな女性の像は、街の信者たちからの寄付金で建てた剣の女神ジブリールの像らしい。
どことなくフォルトゥナに似ているように感じるのは気のせいだろうか。
「集会場の外は、専門の警備隊が様子を見ていますわ。私たちは集会場内で不審な動きをする者の監視をします。ただし、こちらから手を出さず、下にいる衛兵に知らせるだけに留めますわ」
集会場の中は吹き抜けになっており、二階部分に通路があった。俺たちはそこから、下に集まっている街の住人を見下ろす形で、異変などがないかを見張っている。
正直、異変も何も、初めて見るこの光景自体が異変のようなものに感じた。街の住民のほぼ全員が、同じ建物で身を寄せ合っているのだ。日本に居た頃にこんな光景を目にするとしたら、災害時の避難所くらいなものだろう。それくらい、この光景は異常に見える。
おそらく警備が異常なほど厳重なのも、街の住人のほぼ全員がここにいるせいだろう。このタイミングで、この場所が襲われでもしたら、街の住人が全滅してしまう。
そんな危険を冒してまで、なぜ礼拝などという行為をするのか。この街にとって、それほど礼拝は重要な事なのだろうか。
「一応聞いておくけど、これって宗教の信者の活動なんだよな。この国の宗教をよく知らないんだが、剣の女神と呼ばれる神様を信仰しているってことで間違いないのか?」
と、俺は少しぼかして聞いてみた。
エリザベスは少し怪訝そうな顔をしつつ、静かに答える。
「正確に言えば、有史以前に起こったと言われている実話を基にした、聖剣の加護を拠り所とする宗教ですわね。世界に侵食した悪魔、イブリースを封印するため、女神は一人の人間に聖剣を与え、悪魔を退けた。その聖剣を与えたとされる女神がジブリール様です。もしまた悪魔が現れたとしても、ジブリール様が守ってくださる、というのが、大まかな教義ですわ」
少しだけ冷めた口調に聞こえたのは気のせいだろうか。
エリザベスは背中の剣を地面に置くと、柄に近い部分に彫ってある文字を見せた。俺にもフォルトゥナにも読めない文字だった。
「この文字が、ジブリール様の正確な表記とされています。こうやって、剣を模したアクセサリーや、実際の剣にジブリール様の名前を刻むことで、聖剣の加護を剣に宿し、魔除けのお守りとしているのが特徴ですわ」
と、やはり冷めた口調で言う。
「エリザベスさんは、あんまり信じてなさそうですね」
と、フォルトゥナ。
「当り前ですわ。神様なんて居てたまりますか。人類の英知も、文明の軌跡も、全て神様とやらの手柄になんてされては、たまったものではないですわ」
意外と現実的な言葉を聞き、俺とフォルトゥナは苦笑いした。特にフォルトゥナは、自分が本物の神の使いを自称しているために、いろいろと複雑な気持ちだっただろう。
改めて、階下に集まる人たちの顔色をうかがう。集まった人たちは様々だ。熱心な信者とわかるような人もいれば、退屈そうにしている人までいる。
ただ共通していることは、何かを待っているように、女神の像を凝視しているという点だ。礼拝というのに参加したことがないのだが、誰かが出てきて喋るのだろうか。
「昔、聖剣の教団というのがあったんですが、既に無くなったその教団の集会の名残として、元教団員の子孫が、こういった礼拝でジブリール様の話を語り聞かせて回って以来、こうやって定期的に、ジブリール様の話を聞くようになったんですの。祈りの儀式というか、その辺はどの宗教も同じようなものですわね」
日本にはそういった儀式的なものが少ないらしいが、一部の宗教家はそういったことをやっているらしいと聞いたことがある。大抵はその宗教で崇められている神様がどれだけありがたい存在なのかという事を聞かされるだけなのだが、それを聞いて信者になる人もいるらしい。
まるで洗脳だと、俺は思った。思っただけで口にはしないけれども。
しばらく話をしていると、神父のような格好の男性が出てきて、祭壇のような場所に歩いて行った。
「あの方が、この街での礼拝の儀で語り部をしている方です。本来は領主である私の役目になるんですけど、私は騎士団の仕事のほうが性に合っていますし、何より聖剣の教団の教義が肌に合わないので、あの方に頼んで代行していただいていますの」
自分の街の住人が信仰している宗教を「肌に合わない」とバッサリ切ってしまうとは……。
まあ、領主だからと言って、信仰の自由まで奪われるのは癪だろう。嫌々信仰されるよりは、いっそ無関係でいてもらうほうが、神様だって都合がいいだろう。
しばらく様子を見ていると、神父が静かに語り出した。
「今から約五千年以上も前のこと。この地は、災厄の悪魔イブリースによって、死を迎えようとしていました。そこに住む民は、死にゆく世界に怯え、絶望し、生きる意味を失っていました。
そんな状況を嘆き、世界を救ってくださったのが、女神ジブリール様です。ジブリール様は、一人の勇敢な若者に語り掛け、自らの名を冠した聖なる剣を託し、悪魔イブリースを封印されました。
それからずっと、この世界を守ってくださっているのです。封印された悪魔イブリースは、今でも人の心を惑わし、操り、自身の復活のため、人々を悪の道へと引きずり込もうと企んでいます。そうして悪の道へと進んでしまった人間は、やがて悪魔となり、その魂は悪魔イブリースの養分とされてしまうのです。
けれど、ご安心なさい。ジブリール様は、我々を守ってくださいます。悪魔のささやきに心を惑わされそうになったら、ジブリール様に祈るのです。そうすれば、悪魔の声は次第に聞こえなくなります。ジブリール様は、いつでも我々の味方なのです。いつでも我々を導いてくださるのです。
さあ、祈りましょう。我らが女神、ジブリール様。我々をお護りください」
あれだけ騒がしかった街の住民が、途端に静かになった。集まった全員が祈りを捧げているらしい。
なんというか、異様な雰囲気を感じ、俺は少し吐き気がしてきた。
「宗教なんてそんなものですわ。とはいえ、彼らも心の底から神様なんて信じているような人たちではないんですの。ただ、ああやって祈りの儀に参加することで、目を付けられないようにしているだけですわ」
目をつけられないように?
「みんなと同じ事をして、みんなで同じように生活する。頂き物はみんなで共有して、どんな才能があろうと一人だけ目立つ事はしない。昔からこの街に蔓延している悪しき風習ですわ」
エリザベスの表情が曇った。彼女はどうやら、剣の女神への礼拝自体を嫌悪しているのではなく、あくまでも街の住人が持っている『全員が平等であるべき』という風習を嫌がっているらしい。
「この街では、手柄も名誉も均等に分けられる。頑張った人も頑張らない人も平等に扱われるのです。一見公平に見えるけれど、これでは頑張り損ですわ。頑張った人は頑張っただけ評価されなければ、不公平ですの」
エリザベスの表情は相変わらず曇っていたが、なにやら物騒な目つきに変わっていた。おそらく過去に何かあったのだろうと予想はできたが、それ以上は聞かないほうがいいだろう。
それとなくフォルトゥナの様子をうかがう。仮にも本物の神様の使いが、こういう状況で、こんなことを言っている人間を見て、何を思うのか。
フォルトゥナは、エリザベスを憐れむような眼で見ていた。真意は分からない。そんなことを考えるようになってしまった人生を憐れんでいるのか、そもそも神の祝福とやらを受け入れられないことを憐れんでいるのか。
いずれにせよ、おそらくフォルトゥナがエリザベスに向けている感情は、可哀そう、というものだった。
13
礼拝を終え、街の人はそれぞれの家に帰ろうと集会場を後にした。
それなりに広い集会場の中を埋め尽くすほどの人数だ。人が完全に居なくなるまでにはかなり時間がかかる事だろう。
街の住人は、俺たちが二階にいることにも気付かないまま、ここに来た時と同じように列を作り、外へ出て行く。
その中に一人だけ、奇妙な行動をとる人物がいた。全く動くことなく、神父がいた壇上に目を向けたまま、何かをつぶやいている。
初めは熱心に祈りを捧げているのかと思ったが、まるで呪文を唱えているようにも見える。しかも、目を瞑るのではなく、ずっと誰もいなくなった壇上に視線を向けているのだ。
エリザベスは窓から外を確認し、手を振って合図を送っていた。外の見張りに、不審者の情報を伝えているらしい。
しばらくして、合図を送り終えたエリザベスが、戻ってきた。
「住民が居なくなって、外から見張りが戻ってきたら、私は下へ降りてあの人に事情聴取をします。あなたたちはここから動かないように」
と、静かに言った。
住民が部屋から居なくなると、しばらくして、外で見張りをしていたであろう数人が、それぞれドアを塞ぐように立つ。
それを確認すると、エリザベスは通路の手すりを飛び越え、吹き抜けから一気に下へ降り、その人物の元へ走った。
その人物はゆっくりと立ち上がり、駆け寄ってくるエリザベスに向けて手を伸ばした。
エリザベスはとっさに地面を蹴り、横へと転がるようにした。その直後、昨日襲いかかってきたのと同じレッサーゴイルがエリザベスのいた場所へ飛びかかるのが見えた。
レッサーゴイルは先ほどの男の手の前にできた黒い円から出てきたらしい。俺がこの世界にやってきた時に、ヴァルキリーが使っていたのと同じ、写真のように風景が中に描かれている円だ。
「用があるのはお前ではない。降りてこい。フジミネ・ユウマ」
男は真っ直ぐ、俺がいる場所を見て言った。
俺は剣を強く握り、その男を見る。武器は持っていないようだが、両方の肘から先が悪魔の腕のようになっていた。間違いなく、あの黒い空間で襲ってきたあいつだ。
「ユウマさま、あの人が……」
フォルトゥナは相手を値踏みするかのように、じっくりと観察している。怖いとかそういう感情は無いのだろうか、まるでその気になればいつでも抑え込めると言わんばかりの表情だった。
「事情はともかく、昨日のレッサーゴイルはあなたが原因のようですわね」
地面が揺れ、男を包むかのように波打った。エリザベスの魔法だろう。視線を向けると、あの一瞬の判断で敵の攻撃を避けただけでなく、着地と同時に剣を地面に刺していたらしい。
どうやらエリザベスの持つ剣は、地面に突き立てると、その周囲の地面を操ることができるらしい。エリザベスが剣を握る手に力を込めると、男の周囲の地面が割れ、隆起し、包み込むかのように襲い掛かった。
男はこちらに視線を向けたまま、手を頭上に掲げた。男の手から飛び出たレッサーゴイルの尻尾を掴み、男は地面の波から逃れる。
そのまま空を飛ぶ形で、男は俺の目の前に着地した。とっさに剣を抜くと、昨日と同じくまわりの時間が遅くなったような状態になる。
男がこちらに手を伸ばそうとしているのが見えた。さすがに人を斬るのは気が引けるが、どう見ても人間に見えない腕に傷を負わせる事には、なぜか抵抗がなかった。
一度、二度、俺は昨日と同じように刀を振るい、男の腕を斬りつける。
だが、相手の腕にどれだけ刀をあてても傷一つつけることができない。硬いだけなら、何度か刀を当てていればいずれは傷一つくらいならつけられるはずなのだが、なぜか斬りつけた感覚が無い。
まるで液体を相手にしているみたいに、全く手応えが無い。硬いという感触ではない。斬った衝撃そのものを受け流しているようだった。
俺はフォルトゥナを抱えていったん離れ、刀を納めると、周囲の時間が元に戻った。よほど動体視力がよくなければ、俺が移動したことに気付かないはずだ。
「左腕に何かがぶつかった気がしたが、気のせいか。それよりも、ユウマ、貴様が持っているそれは、やはり魔剣か」
悪魔の腕をこちらに向け、男は構える。それに合わせて、俺も刀をいつでも抜けるよう構えた。
「自己紹介が遅れたな。私はカルヴィン・ウォーカー。見ての通り、悪魔の体を自身に移植し、その力を我がものとする研究を行っている。お前を狙う理由は、ヴァルキリーという神に聞いているだろう」
こいつはやはり、あの真っ暗な空間で襲ってきたやつで間違いないらしい。俺を狙っている理由は、悪魔と契約する儀式に俺の寿命を使おうとしたから、だったはずだ。
俺は疑問に思っていたこと尋ねる。
「いちいち追って来なくとも、また契約とやらをやれば、同じように俺の寿命を奪えるんじゃないのか?」
元々、突然寿命が奪われて死亡したのだから、同じ手を使えば同じ結果になるはずだ。
こいつはわざわざ、俺をこんな場所まで追ってきて、一体何をしようとしているのか。
「お前は、一度死んだ人間が、人間のまま元の通りに生き返ると、本気で信じているのか?」
カルヴィンはニヤニヤと笑いながら、こちらに悪魔の手を差し出す。まるで、握手でも求めているような態度だ。
「死んだ人間が生き返る事自体は、不思議じゃないって言い方だな」
変わらず刀を構えたまま、俺はカルヴィンの動きを注意深く観察する。
カルヴィンは差し出した手を引っ込めて、今度は空へと構えた。砂が舞い、天井に白黒の絵のような形でへばりついた。砂で描いた絵だ。
まるで魔法陣のような形だったが、それが何であるかはわからない。フォルトゥナの顔を伺ってみたが、フォルトゥナにもそれがなんなのかはわからなかったようだ。
「安心しろ。この魔法陣は、現時点では発動しない。それに、そもそもコレは何かを破壊したり、攻撃を加えるような物ではない」
カルヴィンが手を下げると、天井に描かれた魔法陣が一瞬だけ光り、すぐに一部が崩れた。
「あの崩れた一部が、発動までに必要な物のうち、足らない物を表している。お前の寿命ではない。もっと別のものだ」
カルヴィンは俺が構えている刀を指差し、「よこせ」と、短く言った。
俺は刀を強く握る。いつでも抜けるように、境目の部分に指を這わせた。
「他の魔剣にはない、その剣だけの力……。あらゆる自然現象の中で、時間だけが世界の全てに影響を及ぼす。あの小娘が持っている地の魔剣など比べ物にならないほどの力だ」
カルヴィンの言葉が終わるより早く、突然地面が揺れた。正確には、二階部分を支えていた柱の一本を、エリザベスが破壊したようだ。
カルヴィンは再び手を頭上に構え、レッサーゴイルを呼び出し、その勢いで空を飛んだ。少し崩れた天井の一部から外に出て、そのまま逃げたようだ。
「お前には過ぎた力だ。いずれ必ず身を滅ぼす事になるぞ」
カルヴィンの声だけがその場に響くのを聴きながら、俺たちは崩れそうな二階から飛び降りた。
14
「カルヴィン・ウォーカー。聞いたことのない名前ですわね」
念のためと思って、エリザベスにあの男のことを聞いてみたのだが、知らない名前らしい。
自分が治める街で聞いたことがない名前というのなら、俺を追ってここへ来たということで間違いないだろう。もしかしたら、あいつは俺が元々いた世界にも行けるのだろうか。
「そういえば、あんたが持っているその剣……」
と言いかけたところで、エリザベスは剣を地面に突き立て、破壊した柱の周辺の地面を隆起させて階段のような形の足場を作り、近くにいた見張りに合図を送る。
まるで建物が壊れることがわかっていたかのように、部屋の奥から大工道具を持った人物が現れ、柱の修復を始めた。
よく見ると、その大工は初めてエリザベスと出会ったときに立ち寄った、例の武器屋の主人だった。
「どうやらあなたたちは、この世界の住人ではないようですわね」
と、エリザベス。
少し迷ってから、俺は短く「そうだ」と返した。すると、エリザベスは「私もです」と短く言った。
俺は驚いて、エリザベスを見る。
「私だけじゃないですわ。今ここにいる全員、なんらかの形で別の世界から連れてこられた人達、言ってしまえば、異世界からの漂流者とでもいうべき者の集まりですわ」
別の世界から連れてこられた人達。周りを見渡すと、先ほど警備をしていた人と、武器屋の店主を含めて、六人はいた。
俺と、フォルトゥナと、エリザベスを含めると、九人。フォルトゥナはともかく、異世界から来た人がそんなに居るのか。
「異世界漂流者同士、情報の共有が必要ですわ。私が持っている魔剣の話も含めて、ね」
エリザベスは握手を求めるように、手を差し出した。
「改めて、今度は仲間として、よろしくお願いしますわ」
俺は差し出された手を握った。