世界が終わる日のある男の話。
こういう話、一回描いてみたかった。
―今日が終わる。
……でも、明日はこない。
世界は今、大きな彗星が落ちる事によって終わろうとしていた。
この事実は、自然を破壊し数多の生物を絶滅に至らせてようやく、手に入れた人間の科学力など何の役にも立たず、人類は、いや、地球は。
「お前ら!お前らは本来、シャバに出るなんて許されないが、世界が終わる今日、解放する事になった!」
ここは刑務所。特に強盗などが集められる様な所だ。整然と並んだ人の列に刑務所長が声を張り上げる。
「お前らには外すことの出来ない腕輪をつけた。罪を犯したら即座に毒が打ち込まれて死ぬ様になっている。変な事は考えずに愛する者の所に行くか、死ぬのに良いと思う場所に行け!……俺は、お前らに構ってる暇はない。愛しい娘の所へ行く。」
ひとしきり話をし終えた所長はさっさと刑務所を出て行った。それに続くかのように1人、また1人と刑務所を去っていった。
これが、ある男の朝の記憶。
現在、午後10時。人類滅亡まであと6時間。
彼の生まれ故郷は、義母の住む場所は駅から3時間かかる。その道を、慣れ親しんだ道をただひたすらに急ぐ。歩いていたのが早歩きに。だんだん走って。息を切らせ切らせ走った夜は静かで、冷たく、いつもと変わらない気がした。目に、大きい星が映るのを感じ、彼は更に急いだ。
家に着いた。鍵は空いており、暖かい光が灯っていた。いつも、そうだったと男は思い返す。少年時代、暗くなるまで遊んで帰ってくると柔らかい光と簡単に開くドアが彼を待っていた。きっと母はいる、と確信した手は幾万と開けた見知ったドアを開ける。きっと、いつもの様にご飯を用意して待っている。
半分あたり、半分ハズレ。
開けた先に広がっていたのは、ほぼいつも通りの光景。湯気立ち登るご飯、こじんまりとしたちゃぶ台にのっている。母だけが、いなかった。愕然とした男は、ちゃぶ台にメモがのっているのを見た。そこには、
『世界が終わる日やけど、ご飯はしっかり食べなあかん。あんたの好きな物にしといたからしっかり食べるんよ。』
とあった。そのメモは彼に母を、血が繋がっていないのに彼を引き取り、義父が死んだ後は女手一つで彼を養ってくれた義母の、小さく、それでもしっかりと頼もしい背中を思い出させた。彼女は一緒にご飯を食べれない時、メモを必ず残した。息子を悲しませまいと下手くそな4コマ漫画などがついていた。彼はその時反発していたが、後思い返すと涙が出ない時は無かった。そんな事を考えながらご飯を食べた。彼の大好きだった大根と油揚げの味噌汁、生姜焼き、炊き込みご飯。隅々まで母を感じさせる味だった。
でも、最期ぐらいはあの日の様に。
食べ終わった彼は、流しに皿を持っていって置いた後、サンダルをつっかけて午後2時を回った森の中をかけ回る。動物の多いこの森も今夜は静かだ。皆、迫り来る終わりを前に愛しいものたちと身を寄せ合っているのだろう。
彼は母との思い出の場所を探し回った。あっちはダメ、こっちは?……ダメ。そうしながら、青年期から刑務所に入るまでを思い返す。彼は思春期に入ると徒に彼自身の不幸を呪った。そうして彼のやり場のない怒りは母に向かった。血が繋がっていない事も引き合いに出した。その時の苦痛に満ちた母の顔は胸に残っている。何回も苦しめてしまったと、彼はひたすらに後悔した。その後、勝手に家出をして上京。だが、生活が成り立たなくなって盗みに手を染めた。やぶれかぶれに物を盗んでいたある時、警察に捕まり、流れ流れて刑務所に入った。不貞腐れた彼は幾度となく母の面会を断った。
どれほど心配をかけただろうか。どれほど悲しかっただろうか。
星の数程ある失敗に歯を食いしばった彼は藪を駆け抜けた。この先が、最後の思い出の場所だ。ここにいないならば、愚かな自分を母は見限ったという事だ。
死ぬよりも怖いと思った。
藪を抜けた先には美しい草の波が走る丘だ。そこはまだ赤ん坊であった男と義母が出会った場所であった。春の優しい陽光が降り注ぎ、野草の花が盛りであった場所に男は籠に入れられて置かれていた。それを義母が抱いて連れ帰ったという事だ。
度々母は、「天からの贈り物だと思った。」と言っていた。
母は、そこに居た。
もう夜が白むかもといった様な時で、残された時間は後少しであるという事を彼は悟った。
何か言わなければ。謝罪を、懺悔を、そして感謝を。
感情が入り混じり、彼に言えたのはただ、「ただいま、母さん。」という言葉のみであった。
それに母はゆっくりと振り向く。刹那、男は恐怖した。母は自分を拒絶するのではないか、と。いや、そうに違いない。とも思った。諦めだった。罪を犯した自分を、たくさん傷つけた自分を誰が受け入れるのだろう、と。
しかし、母は笑っていた。愛しき者を見る、満足感に満ちた美しい笑みだった。
それを見た途端、男は言葉になりぞこないの謝罪と感謝を叫びながら、顔をクシャクシャにしながら必死に走り寄り、抱きついた。母は、大きくなった息子を受け止める。そして頭を昔そうしていた様に撫でる。
「母さん、ごめん、俺、俺……」
「もう、いいんやよ。何も言わんくていい。」
ひとしきり泣いた後、彼は聞いた。
「母さん、俺を拾ってくれて、ご飯食べさせてくれて、許してくれて……愛してくれて、ありがとう。」
「いいさ。母とはそういうものや。」
「母さん、こんな最期まで言えなくてごめん。……大好き。」
それを聞いた母は嬉しそうにした。
その瞬間まばゆい光が世界を包んだ。
後はもう、何もない。
初めてで、面白かったかは分からないのですが、読者さんが楽しめたらいいな。