第5話 珠(たまき)
尼であるが故に丸坊主。
尼であるが故にノーメイク。
そんなハンデをもろともしない美貌に、ポールはすでにメロメロ。赤らめた頬に伸びきった鼻の下。自殺志願者にあるまじき表情と言ってよい。もし今ここにエマが居たならば、「しっかりやれ!」と怒鳴られていたに違いない。
そんなポールの下心丸出しのリアクションに対し、尼の方はというと、表情一つ変えず至って冷静。目を瞑り両の手を合わせると、静かに口を開いた。
「有り難うございます。あなたの未来に、ご多幸をお祈り致します......南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏......」
彼女にしてみれば、日に何回も行うルーティンみたいなものかも知れないが、その声は湧水の如く透き通り、聞く者全てに癒しを与えた。
そんな恩恵をまともに頂戴したポール......いつもなら「このあと食事でもいかか?」などと、色男モード全開になるところではあるが、ここでそれをやったら人間失格。さすがのポールでも理性が勝っていたようだ。
「有り難うゴザイマス」
ポールも尼に習い、気を静めて両の手を合わせる。そして軽く一礼をすると、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしていった。
まだ随分若そうだったけど......
何で尼になったんだ?......
人には色々事情があるって事か......
いかんいかん、今は煩悩に負けている場合ではない。職務に集中せねば! さぁ、行くぞ! ポールは秘めた闘志を再び燃焼させ、樹海の入口へと足早に進んで行ったのである。
そんなポールの背中に突き刺さる視線......それは他でもない。尼の2つの目から発せられたものだった。尼はポールの後ろ姿を見詰める。そして尚も見詰める。やがて尼の目は狐のように釣り上がり、鬼の形相へと変化していった。
人間の顔とは瞬時にここまで変わるものなのか?......今もしポールがこの顔を見たら、間違いなく腰を抜かすであろう。
やがて尼は、苛ついた表情を浮かべながら足元にツバを吐く。そして小声で呟いた。
「自殺志願者を装ったって私は騙されない......」
だそうだ。
すると、後方から......
「珠さん。今日も一日ご苦労様」
そう声を掛けて来たのは、閉店準備に忙しい売店の店主だった。白髪頭がまるで雪のように見える。汚れのない笑顔が実に美しい。手には、ほうじ茶とお茶菓子。呼び掛けの内容からして差し入れと思われる。
声を聞くなり、珠なる尼の顔は瞬間的に未仏の顔に変貌する。カメレオン並みの変わりようだ。振り向き様に珠は溢れんばかりの笑顔を披露。役者もびっくりだ。
「こちらこそ、有り難うございます。あっ、そのお茶菓子頂けるんですか? ラッキー! 私甘いもの大好き!」
珠なる尼は、満面の笑みを浮かべながら茶菓子を受け取り、口に頬張った。
「いやぁ、聖経院の皆さんがこうして来てくれるようになってから、自殺者の数が激減してねぇ......本当に感謝してるよ」
「感謝なんて、そんな......私達に出来る事なんかこれくらいしか無いんで。自殺者が減ったのであればそれはほんとに良かったです......あっ、ほうじ茶もいいですか?」
「珠さんがもし毎日来てくれたなら、自殺者は間違いなくゼロになるんだがな。珠さんに諭されて改心しないヤツなんぞこの世におらんだろう。それから......さっき来た外人顔の青年......そのまま樹海に向かったようだが、大丈夫なのかのう?」
店主は寒さに身を竦めながら、不安気な表情を浮かべている。
「ああ......彼なら大丈夫。何回もここに立たせて頂いてると大体分かるんですよ。何しに来たかは知りませんが、彼にそんな意思はありません。安心して下さい」
「珠さんがそう言うんだから間違いないじゃろう。そうか、それは良かった......おう、そろそろ車のお迎えが来る頃だったな。湯呑みはそこの棚の上に措いといてくれ。明日もまた誰か来てくれるんだろう。宜しく頼むね」
店主は安堵の表情浮かべながら珠に一礼すると、そそくさと店内に戻って行った。
一方、珠は再び樹海の方角に視線を向ける。すでにポールの姿はそこに無い。
「............」
珠はただじっと樹海を見詰め、微動だに動かない。
いつしか日はどっぷりと暮れ、深すぎる森に長すぎる夜が訪れようとしていた。




