第九十八話 電話口の向こうに
澤田さんが中学生の頃に体験した話だ。
土曜日、友人三人と一緒に自転車で四十分ほどの距離にある商業施設に映画を見に行くことになった。公園で待ち合わせをして、そこから一緒に行く、という段取りになっていたのだが、友達の一人のOがなかなかやってこない。
そのころは今から三十年近く前で携帯電話は存在していたものの、中学生が持っているような代物ではなかった。だから、連絡を取るにはお互いの家の電話を使っていたし、そのためにちゃんと番号も覚えていた。
公園の隅にある公衆電話から電話をかけることにした。
1コールですぐにつながる。早いなと思いつつ、
「もしもし? 澤田ですけど」
だが、返事が無い。ぷつぷつとノイズの音が聞こえる。
「もしもし? もしもーし」
こっちの声が聞こえていないのかと思って何度か呼び掛けると、
「むうううううぅ……むううううぅ……」
低い呻き声が返ってきた。まるで口を塞がれている人が必死で搾り出した声のようだ。
澤田さんは最初、Oくんの悪戯だと思ったそうだ。
小さくため息をついて、
「Oさあ、くだらねえことしてねえで、さっさと来いよ。もう時間過ぎてんぞ」
それだけ伝えて電話を切り、友人の所へ戻ると丁度そこにOくんがやってきた。
Oくんの家からは自転車で普通に走って十分弱、全力で漕いでも五分はかかるはずだ。だが、Oくんは息も切らしていない。
あれ、と思いつつ、さっきの電話のことを訊ねてみた。
「いや、なんのことだよ。電話なんか取ってないし、そもそも俺が出るとき家に誰もいなかったけど」
そんな馬鹿な。もしかしたら、番号を間違えたのかもしれない。そう思って念のためOさんに自宅に電話をかけてもらった。
携帯の電話帳機能がなかったから、当時は絶対に自分の家の番号だけは頭の中に入っていた。間違えるはずはない。
だが、電話をかけたOさんは「えっ」と言って、青い顔で受話器を手渡してきた。
澤田さんが恐る恐る受話器を耳に当てると、
「むうううぅ……むうううぅぅぅぅ……」
先ほどと全く同じうめき声が聞こえてきた。
慌てて受話器を戻して電話を切った。
「な、やっぱり変な声聞こえるだろ? お前の家、なんかいるんじゃねえか?」
「気味悪いこと言うなよ、こんな変なことあったの初めてだぞ……」
Oさんの顔は真っ青な顔をして、しかし、再び受話器を取った。
「なあ、じゃあさ、澤田。お前ん家かけてみろよ」
「? いいけど」
どうせ自分の家じゃないし、と安心していたのかもしれない。
澤田さんは言われるがまま、自宅の番号に電話をかけた。
すると、1コールで繋がった。
「むううううううぅ……むううううぅぅぅぅぅ……」
さっきよりも大きく、はっきりと呻き声が聞こえた。
「うわああああああああっ!」
澤田さんとOさんは同時に電話ボックスを飛び出していた。
「な、なんで俺ん家からも同じ声がするんだよ!」
「は? 何言ってんだよお前……」
青い顔をして、Oさんが言う。
「最後の声さ、電話ボックスの中で聞こえたんだぞ」
その言葉に、澤田さんは、はっ、となった。
声は電話口から聞こえてくるものとばかり思っていたから、勘違いしていた。
すぐ傍で声がしたために、大きくはっきりと聞こえたのだ。
声の主がいるのは、Oさんの家にも、澤田さんの家でもなく……。
澤田さんはどんな急用がある時でも、二度とその電話ボックスは使うまいと心に決めた。
最近では公衆電話自体ほとんど利用されなくなったが、その電話ボックスは公園の片隅に残っているそうだ。




