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幽怪百物語  作者: 背戸山葵
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第九十六話 べとべとさん

 私は幽霊の話も好きだが、それに輪をかけて妖怪の話が好きだ。子供の頃から学研の「妖怪伝説辞典」や水木しげるさんの妖怪本に親しんでいたからだと思う。彼らの登場する話を聞いていると、どこか懐かしい気持ちになる。

 そんな中でも私が特に好きな妖怪が「べとべとさん」である。有名な妖怪であるから、すでにご存じの方もおられるだろうが、少し彼の説明にスペースを割きたい。

 「べとべとさん」というのは夜道を歩く人の背後に現れる足音だけの妖怪で、特に悪さをするわけではないが、ヒタヒタと後ろをつけてくるのだそうだ。

 それを怖いと感じた場合には、道のわきによけて「べとべとさん、べとべとさん、お先へどうぞ」または「お先へお越し」と唱えると、足音だけが先を越して進んでいくのだという。

 姿のない妖怪であるが、水木しげるさんの本では白くて丸い餅のような身体に、でかい歯のならぶ大きな口だけがあって眼鼻はない、胸も胴もないが丸い身体から二本の足が伸びている、そんな姿で描かれていた。と、こう特徴を記すとかなり不気味なのであるが、絵を見ていただければわかるが、非常にかわいいのである。

 その外見と、害がなく対処法もあるということに親しみを覚えたのだろう。私は小さなころから「べとべとさん」が実在すると信じ、独りで道を歩いている時に後ろに気配を感じたら、その呪文を唱えていた。

 さておき、去年の暮のことである。夜中小腹がすいて、近所のコンビニまで夜食を買いに行ったその帰りだ。家のすぐ傍の住宅街を貫く一本道を歩いていると、ふいに背後から足音がしていることに気が付いた。

 歩きながら耳を澄ます。やはり、自分の足音とズレて、違う種類の音が聞こえる。

 後ろを振り向いたが、時間は夜中の一時だ。誰の姿もない。

 奇妙だなと思った私は、例の「べとべとさん」の対処法をやってみた。

「べとべとさん、べとべとさん、お先にどうぞ」

 道の脇によけてそう呟く。自分でも馬鹿らしいとは思うが、怖さを紛らわすにはちょうどいいおまじないだ。こういった現象は、ほとんどは恐怖心が作り出した錯覚なのである。

 だが、再び歩き出そうとした私の背後で、

「べとべとさんって誰だよ……」

 ぼやくような男の声がした。

 私はギョッとして再び背後を見た。やはり誰もいない。

 空耳だろうかと思ったが、歩き出して再び背後から足音が聞こえたら嫌だなと思った私は、「誰だよ……」の声に応えて「べとべとさん」について解説することにした。

「べとべとさんというのは、今みたいに夜道を歩いている時に……」

 夜中に独りで妖怪の解説をする、傍から見れば完全に不審者だが、この行動には一応理由がある。狐に化かされないために眉に唾をつけるのと同じだ。馬鹿な行いによって意識を不可思議な現象から逸らすのである。

 喋ることに集中していたせいか、足音は聞こえなかった。

 ただ、べとべとさんのおまじないのことを話している途中、

「知らねえよ……」

 背後から呆れたような男の声が聞こえた。

 興味のない話はだったらしい。

 却って少し寂しくなって、私は家までとぼとぼと歩いた。


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