第八十四話 校内放送
七塚さんが小学校四年の頃だ。
まだ夏の暑さの残る九月の中頃。学校帰りに友達の家によって家に帰り、さて宿題に取り掛かろうかと思うと、筆箱が無い。
落としたのだろうか? 友達の家ではかばんは開けていない。
だったら、学校に忘れてきたのかもしれない。
時計を見るとまだ十八時前だったので、急いで学校を確認してみることにした。
職員室にまだ先生が残っていたので、忘れ物を取に来ましたと自分のクラスの鍵を借り、教室へ駆け上がった。
生徒は全員下校してしまったらしく、廊下にもまったく人の気配がない。西の空がオレンジ色になって、まばゆい光が誰もいない教室内を照らしていた。
筆箱は机の中に入っていた。落としたわけではなかったことにホッと胸を撫で下ろし、教室を出ようとした。
すると、
ピンポンパンポーン
軽快な音が教室内に響いた。校内放送の合図だ。けれど、放課後にするはずはない。
えっ、と思ってスピーカーを見ていると、はぁ、はぁ、と荒い息遣いが聞こえる。
「だぁりぃでぇすぅかぁ~」
音の割れた、男の間延びした声。
校長先生や教頭先生の声ではない、少なくとも聞いたことのない声だ。
声は「誰ですか」と言っている。
だが、そんなアナウンスがあるものだろうか。
首をかしげていると、
「だぁりぃでぇすぅかぁ~」
二度目の声、それから奇妙な咳き込み。
誰に聞いているのだろう?
そう考えてから七塚さんは、この教室にだけ放送が来ているのかもしれないと思って、ゾッとしたそうだ。
スピーカーの向こうから大きなため息が漏れた。
「えーとぉ……はい、はぁい。よねぇんにぃくみぃ……ななぁつぅかさん」
名前が呼ばれた。間違いない、この放送はこのクラスにだけ、いや、自分に向けられているんだ。
七塚さんはその声はなんとなく人間の声ではないような気がした。舌がもつれていて発音が悪い。人間じゃないものが人間の声を真似している、そんな風に思えた。
七塚さんは半ばパニックになって教室を出ようとした。
鍵を閉めている間に、また声がする。
「いいいぃまぁからあぁいきまあぁぁすぅ……うごかぁないでぇまってぃてぇくださぁい」
来る。そう思うと待っていられるわけがなかった。
鍵を閉め終えるとダッシュで階段を駆け下りて職員室まで向かった。
とにかく誰かと一緒にいたかったのである。
その後七塚さんは鍵を返して、帰り支度をしていた以前のクラスの担任を捕まえて、無理やり一緒に帰ったそうだ。
「その時は無事だったんですけど、後になって怖くなったことが一つあるんですよね」
というのも、四年のクラスから一階にある職員室まで行く時の回り道をしないルートは2つあるのだそうだ。校舎の端にある階段を下りて一階の廊下を通るか、二階の廊下を通ってから校舎の中ほどにある階段を下りるか。
七塚さんは前者を利用したのであるが、放送室というのは職員室の隣にあるのである。
「もし、真ん中の階段から降りてたら……僕、そいつと出会ってたかもしれないってことですよね。そしたら、どうなってたんでしょうね、僕」
七塚さんは今でもそのことを思い出し、身震いすることがあるという。




